第三話 モンスター・ホリック。1-1
女王様は孤独なもの。
でもあたしは――人気者だよ。
水瀬 由紀
『ラン・アサイラム』と呼ばれる日本の北海道と酷似した国では、最北に帝都の『神頭』があり、そこから『武身』、『夜舞』、『視臥』、『床砂』と南端にいくほど田舎になる。
雲より高いところに存在する浮遊都市なので、日本での本州――東北から関東地方にも人間や、さらに南西にいくと伝奇にでてくる獣人や吸血鬼などもいるのだが、そんな『ライム』の人々はカンナから浮遊都市の管理を任されている『全能人』によって、今は完全に『ラン・アサイラム』への立ち入りを禁止されていた。
現時点で沢村弘樹が支持されている地域は『神頭』、『武身』、『夜舞』と、生粋の『ラン・アサイラム』生まれの人々で、水瀬由紀の支持者達はカンナの『悲劇的結末』によって一月ほど前に全壊させられた『視臥』と『床砂』の、『ライム』からきた『常人』が中心の地域のみである。
水瀬由紀が『ラン・アサイラム』にきてから二日目の夕方――。
「由紀様、申し訳ありません。なに故人手が足りず、加えてエリスの『場流場螺場螺領域』がわたしと彼女の二人以外は無作為に場所を選ぶこと。その上――由紀様の命を狙う不埒者にも由紀様の帰還を予想、まち伏せされていたため、わたしが到着するのにかなりの時間を要してしまいました」
「別に良いよー。みんな優しくしてくれたし、それにね。あたしのこと『神様』だって言ってた人もいたんだよ。にゃはは――。それより車なんて使って大丈夫なの?」
『床砂』の荒野を車で運転する髭をはやした三十代の男に、由紀はのんびりとした声で問うた。銀髪だが血色はよく優雅な気品を感じさせる。どこか異国の、貴族のような風貌だった。
「はい、美剣加奈にさえばれていなければどうとでもなりますので」
「それって加奈……。カンナちゃんでしょ! その子にばれたらアウトなんだよね!」
「仰る通りです。ですので安全は確保しております」
「ふーん。やっぱりカンナちゃんは強いんだ……。まあ良いや。着いたら起こしてね」
「すぐに着きますよ」
ドンッ!
突如、車の上に何かが着地した。
「『下級の焼却』」
着地した当人の燈爛烈火が指を鳴らすと、車が一瞬で火達磨なり転倒する。
「由紀様! ご無事で!?」
「だいじょぶ、だいじょぶ。にゃははっ」
「燈爛烈火!」
「狩矢! 今すぐ由紀様をこちらに渡せ! カンナ様はそれを望んでいる」
車の惨状を目の当たりにしただけで、相手の見当がついた由紀の近衛騎士である血犠狩矢が大声をあげて、相手をとき伏せようとした。
「笑止! 貴様こそなぜ我々と同じ『全能人』を特別扱いする! 『オメガ人』の由紀様こそ次代の王に最も相応しいというのに」
「『アサイラム』の聲すら聞けぬ者がか? それにカンナ様は『多全能人』だ! わたし達とは違う!」
「その聲を聞ける者が何をしたかお前もわかっているだろう! 見ろ、この退廃的な光景を!そしてこの国の人口は半分となった!!」
「減った人口の全ては『ライム』からきた連中だ! 多すぎたのだ! 『アサイラム』は嘆いていた。それをカンナ様が救った。それだけの話だ!」
「ハッ! どうだかな!」
燃えるような赤髪に、声は少し掠れているが葵並の長身で、凛々しい姿の女性と狩矢は問答をしていたが、そこに由紀が割り込んだ。
「ねえ、この綺麗な人って『全能人』でしょ。あたし――戦ってみたいな」
見ると由紀は興奮しているのか左目に『A.アルファ』の瞳を爛々と輝かしていた。しかしそれを狩矢が止める。
「いいえ、由紀様の手を煩わすような相手ではありません。時間がありませんので早急に始末次第エリスの『ポイント』に参りましょう」
「……舐めたな……。わたしを」
『全能人』、『Ε.エプシロン』としてのプライドを傷つけられた烈火は――自然と祝詞を紡いだ。
「自我の領域の解放。これこそ我が領域なり也。自身もその身を持ちて、炎と獄につき添おう。我が領域を赤き炎に変え、その全てを燃やし、焼き尽くす! 『炎獄領域』」
烈火がその祝詞を紡いだ瞬間、周囲の空気がその息苦しさに不気味な喘ぎを発し始めた。
――スベテガヤカレル。逃げろ! にげろ! ニゲロ!
烈火の立っている足下が真っ赤に溶け始める。その姿はまさに炎の化身であった。
「避けるなよー。『床砂』が燃え尽きるぞ!」
「避ける道理はない。その炎、存分にわたしへと向けてくるが良い!」
もちろんこの場所が『床砂』である限り彼は避けるはずもないが、それでも烈火は念を押した。
狩矢は由紀を自分の背中に隠すだけだ。
「紅蓮色に染め、その道全てを灼熱の地獄になりこそすれば、我が願いも劫火のもとに成就されることであろう! 『獄炎の軌跡』」
烈火が自身の業火を纏いし両腕を合わせ、荒野の果てなき道は――炎によりその全てを包み込んだ。
「焼き尽くせええええええエエエエぇぇ――!」
焼かれるたびに濛々《もうもう》と黒い煙が舞い。狩矢はその身を焼かれ、やかれ、ヤカレ、焼き尽くされた。
「ふっ、フッ、ふははははははっ!」
対象を全て自分の『領域』に染めあげた瞬間が烈火にとって最大の喜びであり、極上の陶酔感に浸れる至福の時であった。
最早、狩矢と由紀の身体はどこにもない。それは元々初めから存在していなかったような感覚を受ける。
烈火の周囲は、まだその熱を保ち燃え続けている。どの炎も自分の勝利を祝ってくれているように感じる彼女であった。
その――瞬間までは。
「我の姿、本来の闇へと染まれこそ、今を見ることなき也。真上に燦然たる紅き月の血を滴らせ、そして我が領域には恐怖の根源たる闇黒を『断黒領域』」
黒い煙のようなモノが由紀をまったくの無傷で包み込んでいた。
「にゃはは。まさか『全能人』ってみんなこんなもの? もしかして他もこの程度なの?」
「っな!?」
驚愕して微動だにできない烈火を放っておき、狩矢は由紀の笑いながらの質問をそのまま彼女に返す。
「由紀様がいた世界では、人は皆、同じ力、同じ能力を持っていたのですか? そこに差異はなかったのですか?」
「――言われてみればそうだね……。あたしがいた日本も同じだった」
黒煙から声を出している狩矢の言葉で由紀は理解する。同じ『全能人』といっても、そこには〝絶対的な実力差が存在するんだ〟と……。
烈火の敗因は追跡のみに止めないところにあった。しかし、それも仕方ないのかもしれない。『全能人』同士の力量は戦って初めて知ることが多々だからだ。故に自らの『領域』に絶対の自信を持つ者は独断専行が頻発する。
「由紀様の近衛騎士、血犠狩矢がお見せします。『全能人』の力を」
狩矢は祝詞を紡ぐ。
「美しき鮮血を散らせ我が血犠。怨の念をもちて、眼前の敵を紅染せしめせ!」
その瞬間、唖然としている烈火は世にも恐ろしいモノを見ることになる。そしてその祝詞は烈火から死を逃れられないものにするのだった。
『Δ.デルタ』の血犠狩矢が創りだす『領域』は、その周囲まで黒に染めあげる。空気までが濃くなっているように由紀は感じた。
「――!」
由紀を包んでいた黒煙が突如――意識を持ったかのように彼女の頭上でくるくるとまわり、やがて複数の鋭利な槍に変わると、烈火の身体を計三十四本の黒槍が満遍なく串刺しにする。
「や、やめっ――――!」
烈火は悲鳴をあげる暇も与えられず、当然のごとく絶命した。
「やるー!」
「お褒めに預かり光栄です」
槍になっていた黒煙が徐々に人間の形に戻っていくのが面白くて、まるで初めのおもちゃを見た子供のように、由紀はケタケタと笑った。
狩矢は完全に人間の姿に戻ると由紀を促す。
「後はもうなんキロもありませんから徒歩にしましょう」
「えー。……チョコレートある?」
「私達が向かう場所にですか? はい、ありますよ」
「じゃあ、歩く」
由紀と狩矢はすぐに目的の場所までたどり着いた。
そこには円形の幾何学模様、『ポイントストーカー』が描かれていた。狩矢はそれに手をつけて声を出し、他には由紀以外――誰もいない空間で〝誰か〟と話を始めた。
「……エリス、由紀様を無事に保護した。ポイント番号は三だ。ここのポイントならそちらまで飛ばせるだろう。いますぐ我らを転送しろ」
由紀は、ここにいる誰でもない〝誰か〟に向かって、呼びかける狩矢を眺めていた。
すると突如、由紀と狩矢のいる空間から祝詞が聞こえた。
「我が望みしそれは、愛し者。それが善、悪、咎人そのものなれど、従者になりて、我が主と認め。他の者には決して届かぬ、悠久にして不滅の祈りを捧げ。主と我が望む、真相の路へと投げ込むことなり也。『場流場螺場螺領域』」
「おお!」
祝詞が紡がれると狩矢は素早く自分の手を、驚いている由紀に差しだす。
「由紀様、失礼ながら手を。『場流場螺場螺領域』はエリス本人か、わたしのどちらかではないと、ポイントをつけた地点への正確な移動は無理なのです」
その言葉を聞いた由紀は慌てて狩矢の手を掴む。大きくて頼もしい手だ。
こうして由紀と狩矢は、一瞬の眩い光と音に包まれて、その場から消えていった。




