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第二話 恋との約束により、愛にきたけもの。1-8

 今日もカンナと登校して、普通に勉強して、普通に昼食を食べて、普通に放課後になって、普通に帰って、普通に夕食を食べて、普通に寝るはずだった。


 しかし弘樹にとっての今日は、普通の日ではなかった。特別を超えた、飛び抜けた火曜日の始まりであった。



 早朝はカンナが用意してくれたサラダに食パンとハムエッグを二人で食べて、その後は恭しく弘樹の支度が整うまで、玄関で待っていた彼女と一緒に登校する。


 後はいつも通りに日々の勉学をこなすと、やがて昼食の時間がくる。

 今日の昼もカンナのおかげで大層豪華な昼食だ。昨日はうなぎにじゃこ飯。そして今日はえびピラフである。冷めていても凄く美味しい。えびも調理してから時間がたつと生臭さが強くなるようなものだが、まったくそんなことはなく普段通り弘樹にお恵みを貰いにきた祐一も、思わず絶賛するほどだった。


 相も変わらず弘樹にとってはいつもの昼食だ。




 ただ、ここからが違った。

 昼休み中、葵が弘樹達のクラスまで出向いて弘樹にお願いをした。


「弘樹、放課後空いてるかな? 少しつき合ってほしい」


 もしこの誘いを断っていればどうなっていたのか? だが結末は同じだ。この出来事は偶然ではなく、必然なのだから。


 特に用事もなかった弘樹は葵の依頼に潔く了承した。



 火曜日は六時限までなので放課後の十五時三十分に、弘樹と葵は合流する。

 他の生徒達は授業が終わると一斉に、まるで何かに取り憑かれたように学園を足早に去っていく。さらに上級生達の体育も、今日だけは全て変更だった。


 弘樹はそれ(ヽヽ)を不思議には思わない。いつもは一緒に帰るカンナの姿もないが、同じことだ。


 弘樹が早々と葵に連れていかれたのは、陸上部の短距離走で使っている『トラック』だった。

 それは直線部分と曲線部分からなる、二つの走路で出来ていた。


 弘樹も中等部の二年生までは陸上部だったのでよく使っていたが、今では体育の授業以外で使うことはない。

 人はいない。それを見ている者すら――一人もいない。もちろん弘樹は不思議には思わなかった。


 理由はある巫女の捻れた祝福だ。その巫女はすでにこの世界にはいないので、弘樹は明日になれば今日の出来事を、きっと不思議に思ったことだろう。


 しかし、まだ今日の弘樹は不思議には思わない。

 今日の放課後の全グラウンドは――弘樹のための貸切なのだ。


 そして葵が、神妙な面持ちで話を切りだす。


「君が一番得意だった二百で勝負をしよう。あの時のリベンジだ」

「なっ!?」


 葵の言葉に弘樹は一瞬、頭が真っ白になる。


 確かに弘樹は中等部一年生の六月。葵に勝つのが目的で陸上部に入部し、そして中等部二年生の八月に二百メートル走の公式記録で、彼女に勝ってはいたが……。


「おいおい……、今やってお前に勝てるわけねえだろ」

「当たり前だ! だからハンデをつけてやる。君が先に走って、わたしがここなら追いつけるという地点でスタートしよう」

「――!」


 その言葉には、さすがに弘樹も頭にきてしまった。


「どうしても……、勝負したいのかよ?」

「どうしても勝負してほしい」

「着替えは?」

「このままでかまわない」

「……わかった」


 こうして半ば彼女に、うまく誘い込まれた形で弘樹と葵の勝負が始まった。

 弘樹は立った状態で構える『スタンディングスタート』の形をとった。


 勝負といっても所詮は遊びの延長だ。それに葵は弘樹に追いつける地点まで走らないというのだから、わざわざ両手の指を地面につける『クラウチングスタート』の姿勢をとるまでもなかった。


 大体、葵が舐めた態度をとっているのだから、弘樹は自分だけが本気になるのはなぜか嫌だった。男のプライドという奴なのかもしれない。


「いつでも良いのか?」


 その弘樹の台詞に、余裕を隠さず葵が返答する。


「ああ、いつでもかまわんぞ。どうせわたしには勝てないのだから」


 現役を退いたといっても、まだまだ弘樹は学年男子の中でも特に速い方である。


 ――いくら現役期待の一年生といっても、油断しているとケガするぞ!


 と、一度弘樹は葵の方を見て、そして――スタートした。

 ダッ! ダダダダダダッ!


 果たして何メートルの地点で葵が走るのか、弘樹には興味があった。


 ――五メートルか? 十メートルか? それとも二十メートルか!?


 しかし弘樹の予想はことごとく外れ、葵はまったく走る気すら見せない。

 そのうちに三十メートル、五十メートルが過ぎ、曲線部分を通過したところで――ようやく葵にも走る動作が見られた。だが、何か言葉を呟いているだけだった。これでは弘樹の興もそがれる。彼はすでに後ろを見ながら、いつ彼女が走るのかを確認しつつ――軽く流す程度に走っていた。

 ところが……。


「我が望むもの。それは全てを超える神速なり也。カマイのタチの力を譲り受け、風となりて駆け抜ける!」


 残り十メートルとなったところで――一陣の風が舞った。

 ゴール地点には葵がいる。

「嘘だ……」


 弘樹が葵を目の前にして真っ先にでた言葉がそれだった。彼女はまさに風となり駆け抜けたのだ。


「いくら『祝福』で守られているとしても最初に見せておいた方が、脳の負担も最小限だろうからな」


 ――そうだ。嘘とはいったが、俺はこの力を知っている。知っているんだ……。


「まいどー。二名様ですねー」

 そうして祐一も現れる。

「ユウ! お前も見てたのか!?」


 先ほどの光景を祐一も見ていたのに、彼は『それがどうした?』といった顔で弘樹に告げる。


「ヒロ! 昨日の電話は覚えてるだろ。自分で考えて、そして自分の力であの子を救え!」


 その言葉に葵も続く。


「弘樹! 彼女を救ってあげてくれ!」

「俺が……あの子を、ユキを……」

「そうだ!」


 祐一の顔はいつもの適当な態度ではなく、とても精悍な面構だ。


「さあ、『ラン・アサイラム』への開放だ。もうカンナとセカイは先にいってるからな。ヒロ!お前を取り巻く連中は全員揃ってるぜ。後は主役のお前がいくだけだ!」


 ――カンナや廸乃世界も!?


 さすがに驚きを隠せない弘樹だった。

 そして祐一は二人の前に立つと、祝詞を紡ぐ。


「我は全てを呪う者なり也。三途の川をも渡らせまいと、我が振るう呪いによりて、全ては苦痛に満たされる。邪殺! 斬!」


 あの世まで執着する呪いの刃をその両手に宿らせ、祐一は〝こちら〟の次元を切り裂き『ラン・アサイラム』に繋いだ。その後、一つ弘樹に注意を促す。


「『ポイントストーカー』がすでに『アサイラム』の全領域に設置されているからな。どこに飛ぶかは知らんけど――まあ、帝都の『神頭かみず』は確定だし、そこならほとんどの連中はお前を守るはずだから安心しとけ! ヒロ!」

「……どういうことだよ?」


 親指を立てた祐一の助言に対する疑問を、葵が解消した。


「『ラン・アサイラム』にいった瞬間、『ポイントジャンプ』というものが自動的で無作為に発動される。だから三人同時に入っても到着地点はバラバラというわけだ。『ポイントストーカー』の設置数は『神頭』だけでも七十から八十と言われているから、わたし達が同じ位置に着地する確率も、決してないわけじゃないがな」


 葵の説明で何となく理解はできたが、弘樹は少し躊躇してしまうのであった。


「ほとんどの連中は守るってことはさ……、裏を返せば俺はその『ラン・アサイラム』っていう世界の誰かに、命でも狙われているのか?」

「あったりめーだ! お前は『ラン・アサイラム』の王だからな」

「俺が!? おっ、王様!?」


 しかし、そんな弘樹の疑問を神道姉弟は吹き飛ばす。

「あーもう! とにかくいって見りゃーわかる!」

「そう、そして君の答えもそこにある!」


 双子の祐一と葵の見事な連携台詞だ。


 ――そうだ! 答えがそこにあるならいくしかない!


 弘樹が覚悟を決めると、三人は揃って『ラン・アサイラム』の入り口へ、身体を真正面に向けた。


「ヒロ! お前が合図を決めてくれ!」


 祐一に発破をかけられて葵の方を見ると、彼女も頷いていた。それを見て弘樹は覚悟を決めたのであった。


 ――言葉なんて少なくて良い。自分の心に、その覚悟があるのなら。


「いこう!」



 こうして弘樹を含め、そこに意図や目的、また存在理由を持つ者が一同に『ラン・アサイラム』へと向かったのだった。

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