第二話 恋との約束により、愛にきたけもの。1-3
退屈な午前の授業が終わると、学生達が待ち続けていた昼食の時間が始まる。
弁当に学生食堂、購買部のパンに、果てはコンビニまで走る者もいるのだから、必然的に慌ただしくもなる。
由*は、果たして今日もサンドイッチを持参しているのかと弘樹は思いながら、右隣りにある、*紀の席に顔を向けた。
「…………」
そこには、いそいそと自分の机と弘樹のとをくっつけると、素早くかつ丁寧に二人分の弁当を用意しているカンナがいた。
そう……。弘樹の右隣りの席はいつもカンナだ。今日の授業中も、ずっと彼女だった。
毎日弘樹のために、カンナは弁当を二人分つくってきていた。
「ヒロ様、お待たせしました。昼食のお時間にしましょう」
なんと漆塗りの重箱である。蒔絵がついている箱を開けると、そこにはふんわりと柔らかそうな玉子焼きに、きちんと並べられた極上の天然うなぎ、色彩あざやかな煮物類、そして白く光る御飯にも、じゃこがまんべんなく散らしてあり、弘樹の食欲中枢を――これでもかというほど刺激した。
――まわりにいる男子の視線が痛い……。
なにせカンナは、この御浜北学園で相当目立つ部類に入っているからだ。同姓ならば誰もが羨む透き通るような白い肌と、美を追求して表現されたような整った目鼻立ち。レモン色の鮮やかなブロンドの長髪に、長く整えられた綺麗な睫。そして弘樹の前では、一層キラキラとその輝きを増す碧色の瞳。
普段のカンナは、どこか冷めた顔をしていることが多い。その姿もまた美しいのだが……。
それでも弘樹の前になると話は別だ。喜と、哀楽の表情がコロコロと変化し、とても愛らしい一人の少女になる。
「あの、ヒロ様。お味の方はどうでしょうか……」
両手の指と指を絡ませて、カンナは祈るように弘樹を上目遣いで見ていた。まるで自身の神を崇拝しているような仕草である。しかもその相手が御浜北学園で一番の美人と評判の彼女なのだから、その姿はどこか神秘的に映るのだった。
「ああ……美味いよ。本当だ」
実際にとても美味かった。うなぎは冷めているのにどういう料理法なのか、表面はできたてのようにカリッとしている。玉子焼きもまるで弘樹の好みを把握しているかのように甘くない、出汁が絶妙な加減で混ぜてあるだし巻きだった。
他にも料理は根っからの素人な弘樹でもわかる水準で手間が存分にかけてあり、凄く豪華な弁当だ。
しかし、サンドイッチではない…………。
「おっ! 美味そうじゃん! カンナ、俺にもわけてくれよ!」
自分の昼食を早々と食べ終わっていた祐一が突然、弘樹の席の前にある椅子に座ると同時に、彼の机に陣取り、カンナが弘樹のためだけにつくりあげた弁当のお裾分けを要求した。
その瞬間、カンナは露骨に嫌な顔をするが、弘樹が横にいるからなのか――すぐに笑顔に戻した。
「大丈夫ですよ、祐一さん。あなたの分も、ちゃんと用意してありますから」
そして一際大きな緑色のタッパーを祐一に手渡した。カンナに抜かりはない。
「マジ助かるよ! 姉貴の弁当だけじゃ、食べ盛りで成長途上の俺には全然足りなくてさ。今日も二時間目に全部食っちまって、購買にいくかコンビニまで走るかで迷ってたんだよなあー」
すでに、そこいらの大人より充分背が高い祐一が言っても、説得力は皆無だった。
「どれどれ、おおっ! 白米に梅干だ! ってこれ日の丸弁当じゃん! 日の丸じゃん! 玉子焼きは!? うなぎは!? じゃこ飯は!?」
祐一の怒涛の要求に、カンナは呆れた顔を見せる。
「文句を言わずに食べなさい。それに最初はドックフードで充分か迷ったんですよ」
「きゃいーん! でも梅干うめえー! ふむ、玉子焼きも美味いじゃん。ってかだし巻きかこれ?」
カンナは自分がつくった弘樹の弁当から勝手にだし巻きを口に放り込む祐一を見た途端、彼女の表情は固まり、そしてその直後、自身の机がガタガタと揺れ始めた。
「……貴様…………」
カンナの綺麗な碧色の瞳が、怒りで血走っている。
「別にいいって。俺も美味いけど、さすがにこんなには食べられないし、皆で食べた方がより美味いからさ」
一連のやり取りを見ていた弘樹も、さすがにこれはやばいと思って、すかさずフォローを入れた。
「そうですか……。ヒロ様がそう仰せられるのでしたら……、かまいません」
弘樹のたった一言で、カンナの怒りは静まる。
「そういえば葵は?」
クラスが『1ーA』で一緒の弘樹、カンナ、祐一の三人とは、唯一クラスが違う『2ーB』にいる葵のことが気になった弘樹は、祐一に聞いてみることにした。
「姉貴なら飯食べたらすぐに走り込みだよ。まったく、実業団にでも入るつもりかねー?」
葵は御浜北学園に入学してからも陸上の短距離走を続けており、一年生ながらその実力は上級生に勝るとも劣らない。彼女本人が知っているかは弘樹にはわからないが、一年生にしてすでにレギュラーを獲得するのは、確定と言われているほどの逸材であることは確かだ。
「あっ!」
思い出したかのように突然、祐一は嬉しそうな顔をする。
「カンナのやってた指まわしな。姉貴にも休み時間の時に教えてやったんだけど、姉貴なんて親指しかまわせなかったんだぜ! がはははっ!」
「……本当かよ?」
勉強やスポーツも、なんだって完璧にこなす葵が苦戦している姿を想像すると、弘樹は彼女のことが少し可愛らしくて笑えてくるのだった。
さらに祐一の葵に対する嫌みは続く。
「しかも最後には『ぁぁあああアアアっ!』って感じで奇声をあげて、『こんなことができてなんになる!? 指のくせにわたしをバカにするなー!』とか一人で怒ってたぞ」
身振り手振りを加えながら、祐一は姉の醜態を大袈裟に説明した。
その姿は実に楽しそうだ。何をやっても勝てない姉に、ようやく勝てるものを発見したのが、よほど嬉しいようだった。
弘樹はふと右隣りを見ると、少しもの思いにふけっているように見えるカンナが、やがて口を開いた。
「そうですね……。こんなことがうまくできても、なんの意味もありません。ですが……わたくしにとっては――大事な大事な裏技なのです…………」
指の先端を両手に合わせ、カンナは全ての指を順番にくるくるとまわしながら、その言葉を口にした。そして表情には、もういつもの美しい笑顔が戻っていた。
「…………」
弘樹は思う。
――それにしてもカンナの弁当は本当に美味い! 見事だ。
――しかし弁当といったら、毎日のようにサンドイッチをつくってきては一つだけからしを増量で入れてきたりする。猫のようで、それでいて犬のような奴が……。
弘樹はまわりにいるカンナや、祐一に聞いてみることにした。
「中等部の頃さ。サンドイッチばかり持ってくる奴がいたよな? んで一つだけ当たりとか言って、からし漬けのをつくってきたり……祐一じゃなかったよな?」
「――!」
カンナが目を見開く。祐一は険しい顔つきになり、黙って弘樹をじっと見ている。
「確か……ユ……キ――! イツツッ」
また弘樹に頭の芯に響く激痛が襲った。まるで直に脳をかきまわされているようだ。だがそれは――すぐに収まる。
「ヒロ様! 大丈夫ですか! あ、ああ……、ヒロ様……よろしければ保健室に――」
自身の美しい顔を真っ青にしながら、カンナはオロオロと弘樹を心配していた。
「ああ…………、もう大丈夫だ。昼休みは少し静かなところにでもいってくる。ありがとな、カンナ」
カンナの申し出を弘樹は丁重に断る。この頭痛は身体の異変ではないと心がわかっているからだ。
――これは……誰かの呪いだ。
根拠はないが弘樹はそんな非科学的なことを、頭の中で思い浮かべた。
昼休みになるとカンナと祐一は二人揃って校舎から消えていった。何やら話があるらしい。
弘樹もどこか静かな場所を探そうと歩いていく。そうなると自然に屋上の方に目がいくのだった。
当たり前のように『錠』が外されている屋上でも弘樹は考えていた。一人の少女についてだ。
くりくりと可愛く純粋な濃褐色の瞳。『ニャハハッ』と、人懐っこい笑顔をいつも浮かべている向日葵のような顔。
主体性があまりないところはあるが、意外に芯はしっかりとしている性格や、何かを最後まで成し遂げる根性。
――そして、その子との大事な約束……違う! 盟約だ! ずっとその少女のヒー
ローであり続ける心……。正義の味方。
「ユ……キ。そう、ユキだ。ユキって誰だ? 俺は……」
すでにユキという名前を出しても頭痛はないが、まだ何かが欠損している。弘樹はそう感じていた。




