その日
「ここを止めなきゃ……!」
僕は自分にそう言い聞かせる。
そうでもしないと今にも体が動かなくなってしまいそうだった。
激しく脈打つ心臓も、額を転がる大粒の汗も、風速2メートルの向い風も、それら全てが僕らの前進を妨げ心を挫こうとしているかのようだった。
あー、やばい、もう無理かもしれない。
そんな諦めの甘言が俺の心を蝕んでいきそうだった。
そんな時。
「二条君っ! ここ絶対止めて勝とっ!」
声をかけてくれたのは、やはりというか、つっきーだった。
彼女はいつだってそうなのだ。自分だって限界のはずなのに、いつもと変わらない向日葵のような笑顔で僕や他のチームメイトの心を癒すのだった。
蝕まれつつあった僕の心が潤いを取り戻す。
僕は体に力が戻るのを感じた。
「私が絶対カットするから、オフェンスは頼んだよっ!」
つっきーは僕にそんな言葉をかけると自分のマークマンのところに戻った。
また気遣わせちゃったかな。
いっつも励まされてばっかりだ。
後でちゃんと謝って、それで、お礼も言わなきゃ。
そんな思考を頭の隅に追いやって、僕も自分のマークマンに意識を集中する。
改めて相手を見ると、彼も苦しそうにゼェハァと肩で息をしていた。
そう、当然だが苦しいのは僕だけじゃない。
そんな当然の事実が僕の頭から熱を取り去り、冷静さを取り戻した。周りをサッと見回して状況を確認する。
この広いコートの中には僕らと相手の計14人。
試合時間は、同点により延長中。
今大会のルール上、この1点を取ったほうが勝ち。
ディスクは多々良先輩のマークマンが持っていて、相手のオフェンス。僕らはディフェンス。
つまりこのオフェンスを僕らが凌げなければ、僕らの負けが確定する。
あー、くそ。
それは嫌だ。
勝ちたい。
このメンバーで、アルティメットっていうスポーツがしたいんだ。
そして、勝ちたいんだよ。
僕は思考を試合に戻す。
「ぶっきーんとこにディスク入ったぞ!!」
堂本先輩がコート中に届くのではないかというほどの大声で、僕らにそう伝えてくれた。あの人はいつもああだ。ありがたいのだが、少しびっくりする。
見ると、確かにぶっきーのマークマンがディスクを保持しているのが見えた。やや体力に難のあるぶっきーが、それでも必死でストーリングしているのがわかる。
僕は由良先輩に目配せを送った。
由良先輩も俺の目配せに気付いて、小さく頷いてくれた。
「ここで止めろー!!」
堂本先輩は僕ら全員に喝を入れる。
僕らはここ一番とばかりに相手チームにベッタリとくっつく。
まあ、ファウル取られちゃうから本当に接触する訳じゃないけど。それくらいきっちりディフェンスやるってこと。
「ディスク出させるなや!」
多々良先輩も声を出す。
まさにチーム一丸。
元々ディフェンスの強い多々良先輩・堂本先輩・ぐれっちのところはパスは出されないとして、後は僕と由良先輩がいかにディフェンスを頑張るか、それにこの『策』はかかっている。
「ディフェンスきっついな……!」
僕のマークマンも、僕のディフェンスを振り切ろうと必死のフェイントを繰り出すが、僕はそれに食い下がる。ディフェンスはザルだけど、しつこさだけは一級なんだ!
……と自負してる!
「僕が踏ん張れば……!」
そう、ここで僕と由良先輩が踏ん張れば。
あの小柄でディフェンスが苦手な由良先輩も頑張ってくれれば。
他にパスを出すところのない相手チームは、必然的に『彼女』のマークするところにパスを出すしかなくなる。
「きたーっ!!」
突如聞こえた威勢のいい声はここまでの疲労を感じさせない。
他に出す相手がなく、消去法で出されたその甘いパスは、マークマンであるつっきーの格好の餌食となった。
相手女子と競り合いながらも、つっきーがディスクを奪取することに成功した。
「つっきーが喰ったで! オフェンスや! 全員走れ!」
多々良先輩が叫ぶ。
つっきーが相手のパスをカットしたことでオフェンスとディフェンスは入れ替わった。僕は相手ゴールゾーンへと走り出すタイミングを見極める。
「由良先輩お願いしますっ!」
つっきーから由良先輩への近距離フォアハンドパス。
「わかった!」
由良先輩がつっきーからパスを受けた瞬間には、既に由良先輩の手元からディスクが消えている。あのパスのスムーズさはチームでも群を抜いている。相手チームからすればディスクが消えたようにすら感じられるだろう。
「ディスクは……っ!?」
由良先輩からの流れるようなパスは、由良先輩の後方から駆けあがってきたぐれっちへと向けたものだった。
「ありがとうございます!」
既にディスクはぐれっちの手の中。
このチームの絶対的司令塔である、彼の。
僕は彼のほうへと駆け出そうとして、2歩で切り返した。僕のディフェンスをしていた相手チームのマークマンは、僕のフェイントで僕から体を離れてしまう。
ほんの一瞬のこと。
だがこれが絶対的で決定的な差であることを、僕は知っている。
僕は相手ゴールへと全力で駆けだす。
「誠士郎! 頼んだ!」
ぐれっちのそんな声が僕の背後から聞こえた。
そして、ぐれっちの放ったロングスローが瞬く間に僕を追い抜いて、真っ直ぐ相手ゴールへと向かう。
「捕れぇ! 追いつけ! 誠士郎!」
堂本先輩が吠える。
僕はただ走る。
呼吸はしない。
無酸素運動で一気に芝生の上を駆け抜ける。
体全体が悲鳴を上げる。
ぐれっちのスローは相手のゴールゾーンへと届くだろう。
あとはそこで僕が捕るだけ。
真っ直ぐ綺麗に向かい風を切り裂いて飛ぶディスクを、僕はただ追いかける。
あとちょっと。
頼む。
捕らせてくれ。
勝たせてくれ。
あの真っ白い円盤が、僕の、僕らの青春の証なんだ――






