屍を愛する王子 3-2
(疲れた……)
声に出すのも正直億劫だった。
足が本当に棒になった気がすると真澄はパンパンに張ったふくらはぎを手の平で撫で擦った。
これは明日にもっと酷くなるのか、それとも動かしたから少しはよくなるのか。
よくならなかったら、マジで切れるかもしれない、と真澄は剣呑な気分で足を擦っていた。
(汗が気持ち悪い、着替えたい、お茶飲みたい、寝たい)
願望がどんどん心の中で湧き上がるのを抑えられなかった。
(……帰りたい)
ぐっと歯を食いしばって真澄は膝を見つめていた視線を無理矢理上げた。
そうしなければもう立ち上がれない気がしたのだ。
そうして気づく。
「?」
彼が微動だにせずじっと村を見つめていることに。
「ファル?」
視線を追って村を見つめるがおかしいところはない……はずだと真澄は首を傾げた。
草原が広がりぽつぽつと点在する一階建てのこじんまりとした赤い屋根、白壁の家、村の手前には草原、そこから奥に向かって小高い丘が存在し、丘の右手には林が広がり、今にも太陽が沈もうとしている。
高い建物が存在しないから暮れゆく空がとても広く感じた。
まるで欧州のような雰囲気のただの田舎、それだけだ。
「どうしたの?」
人や馬車に踏み固められた道で座り込んだ真澄は訝しげに何かが気になっているらしいファルーシュを見上げた。
彼は右手で腰のベルトに引っ掛けている剣の鞘を握ったのが薄汚れたローブの袷からちらりと見えて、真澄は息を呑んだ。
まさかここには危険があるのだろうか。
一気に緊張感が増すが、ファルーシュが剣を鞘から抜く様子はない。
彼の表情を見るといつも真澄には穏やかな微笑を浮かべている美しい人形めいた顔は戸惑っているようだった。
珍しいというよりも初めて見る表情だ。
やがて彼は細く息を吐くと剣から手を離し、困ったような笑みを浮かべて横で座り込む真澄を見下ろした。
「おそらくなんですが」
「うん?」
「この村には誰もおりません」
「………………は?」
思わず反応が遅れた。
コノムラニハダレモオリマセン。
何の呪文だ?と思ったが、何度か頭の中で言葉を繰り返した真澄は「ええぇっ!?」と声をあげた。
「人の気配がまったくしないんですよ」
肩を竦めるファルーシュに、真澄は視線を薄闇に包まれた村へと向けた。
しんと静まり返った村は確かに日が暮れつつあるのに灯り一つついてはいない。
どういうことだ、真澄は混乱した。
村に誰もいないというのは何を示しているのか。
ふつふつと嫌な予感が胸の内を満たしていくのと同時に、何だかこんなシチュエーションを見た事があるなと思った真澄はそれを思い出そうとした。
(何だっけ……無人の村に訪れた人間……、しかも夜。……って!ホラーゲーム的展開だよ!!)
真澄は、ホラー映画は平気だが、ホラーゲームや肝試しは苦手だった。
ホラー全般が苦手な人間からすれば何が違うんだと訝しがられるが、真澄にしてみればれっきとした違いがある。
ホラー映画は自分で恐ろしい場所に進むわけではなく画面の中の役者が進むが、ホラーゲームは自分でコントローラーを操作して進めなくてはいけないのが怖いのだ。
特に曲がり角などこれから何が起きるのかわからないシチュエーションが苦手で、肝試しも同様で自分で怖い目に遭いに行かなければいけないのが酷く嫌だ。
あんな場所に自ら進んで行くなんて阿呆じゃないのかとすら思っている。
とはいえ自分でやるのは嫌だが、他人がやっているのを見るのは好きなので、某動画サイトでホラーゲームを視聴はしていたのだが、そのたびに真澄は思っていた。
何故、ホラーゲームの主人公はわざわざ夜に無人の村を訪れるのかと。
思っていたのにそれと同様の状況になっている。
ちなみにファルーシュの存在も真澄の『屍を愛する王子』というレギナも立派なホラー要素のうちの一つだが、当然彼女は気づいていない。
「ひとまず、ここでは雨露は凌げませんし、ざっと様子を見てきますか」
「えっ!?」
「マスター?」
声を上げた真澄を驚いたようにファルーシュは見下ろした。
「……行くの?」
「は?はい、何か問題でもありましたか?」
「なっ、ないけど、でも」
困惑したようなファルーシュの視線に、真澄はぎこちなく言葉を返すが表情はどうしようもなく強張っている。
怖いから行きたくない。
けれど真澄はそれをファルーシュに伝えることは出来なかった。
情けないと思われるのも嫌だったし、彼にとってこれがたいしたことではないとしたらと思うと、その価値観の違いを晒すのも嫌だった。
彼にはどうして真澄の様子がおかしいのか理解が出来ないのだろう。
小首を傾げて座り込んだ真澄を見下ろすファルーシュはしゃがみこんで彼女を見つめた。
「? 問題があるようならば、私1人で行ってきますが?」
「そ、それはいや!」
こんな場所に1人残されるなんて冗談じゃない。
「そうですか?」と首を傾げるファルーシュに、「着替えを手に入れたいから何が何でも行く」と誤魔化すように訴えると、了承したとばかりに彼は微笑んで頷いた。
明るくなってから様子を見るという選択肢は真澄の中にはまったく思いつかなかった。