屍を愛する王子 3-1
翌朝、疲れていたものの緊張のせいかあまり寝付けなかった真澄は目を覚ますと、喉が渇いていたので森の中で採取した果物を一口齧った。
どちらかといえば酸っぱさが勝った甘酸っぱさが口の中に広がる。
元の世界で食べていた果物の甘さは品種改良の賜物らしい。
本当に人間様様だと真澄は内心で溜息をついた。
(家にいればお茶を簡単に飲めるのに)
ここでは水がやっと、といったところだが、それでも砂漠や氷河など過酷な環境に放り出されなかっただけ恵まれているほうだろう。
町や村に辿り着けば違うのかもしれないが、お茶を飲めるとは限らない。
地球にだって水が貴重な地域があったのだから、日本のようにいかないことも多いだろう。
「おはようございます。マスター」
「!……」
ついビクリと体を揺らしてしまったのはファルーシュの存在を忘れていたからだ。
そういえば彼もいたのだった。
葉々の隙間から差し込む光に照らされ、樹木の幹に背を預けて座る彼の青白い肌が昨夜よりもはっきり見えたので真澄は緊張する。
いつもかぶっているフードの下で新緑の瞳が柔らくたわんで口元が優しげな弧を描いた。
「お、はよう」
「よく、眠れましたか?」
「あ、……うん」
寝付けなかったけれど、真澄がとりあえず頷いて逸らした視線の先で昨晩、獣避け兼灯りのために燃やしていた焚き火は燃え尽きて炭化していた。
(ずっと起きてたのかな)
夜中に何度か目が覚めたが、そのたびに彼は真澄に優しく声を掛けてくれた気がする。
夢うつつの中で何度も優しい声を聞いた。
うっすら開いた視界に映った彼の姿勢はあまり変わっていないので、やはりそのまま過ごしたのだろうと思う。
そういえば彼は眠ることはするのだろうか。
ふとそんなことを思ったけれど、結局真澄は口を噤み、顔を洗いたかったので川に行くと言って立ち上がった。
二人が森を出て一番近い村へ向かったのはそれからすぐのことで、方角を把握しているというファルーシュに案内を頼み、真澄はくたびれた会社の制服姿とスニーカーで彼の後を歩いた。
昨日の疲れも残っているせいか足が重たい。
足が筋肉痛で動かしづらいせいか、一日で筋肉痛がくるなんて私、わか~いと喜ぶ気にもなれなかった。
そんなことで喜べるのは実際痛みがなくなってから後日の笑い話としてだが、果たしてこの話題を話せる相手がいるのかどうかは謎だ。
(つらい……)
森の中を歩くのも辛かったが、舗装されていない街道を黙々と歩くのも辛かった。
(運動なんて普段しないし)
足の裏がじんじんじくじくと痛む。
履き慣れたスニーカーで良かった。
でなければ、きっと今頃この痛みに靴擦れも加わっているのだろう。
ファルーシュは歩き慣れていないような真澄の歩みを気遣って細々と休憩を取って、歩いている最中は気を紛らわせるように話しかけてくれたが、疲れ切った真澄は3回目の休憩あたりからぷっつりと話すのをやめて黙り込んで黙々と歩くようになった。
最初の頃は差し障りのない受け答えをぽつりぽつりと返していたが、疲れや痛みによって面倒臭さがピークに達し、喋るのが億劫になってしまったのだ。
口を開けば絶対ファルーシュに当たってしまう。
それを防ぐためでもあった。
さらに真澄を苛々とさせたのは道中に襲ってくる魔物の存在だ。
魔物とはそこらに存在する獣や植物が瘴気という正体不明のよくないものに侵されると魔物に変化するらしい。
どういった魔物になるかは土地の属性によって変化する。
今、歩いている草原や先ほどまでいた森だと土の属性で獣や鳥類、植物類の魔物が発生するが、川や湖、海や降雪地帯では魚や両生類、獣類でも水の属性を帯びた魔物に変化する。
同様に溶岩地帯ならば火の属性の獣や鳥類、墓場や呪われた土地ならば闇の属性の土地でアンデット系が生まれ、そして稀なのが風属性の土地だ。
これはほとんど存在しないらしい。
そして、魔物の強さは瘴気の濃さに比例するとのこと。
街道を通っているから森よりは魔物は出てきにくいらしいが、それでもぽつりぽつりと瘴気に侵され異形の姿となって凶暴化した熊や狐に襲われ、そのたびに足を止められれば苛々とする。
魔物を退治しているのはファルーシュであるし、瘴気に侵されることによって魔物の体内に魔石と呼ばれるものが精製されるので、そこそこ高値で売れるそれを手に入れているのでまるっきり時間の無駄というわけではない。
魔石はこちらの世界のエネルギー源の一つとして使われているらしい。
庶民は薪で火を焚いたりしているが、王宮や貴族の屋敷では魔石を使って発熱させたり灯り、物を冷やしたり、として使ったりする。
何度も使用出来、燃費もいい、しかし凶暴な魔物が持つ物ゆえに手に入れるのが難しく、その分高価だ。
体内で精製されているため、肉を裂いてそれを探さねばならぬ分、気持ち悪いし、時間もかかる。
真澄がそれをやっているわけではないが、足の痛さで苛々としてしまうのは仕方ないことだろう。
内心で苛々としながら、休憩と魔物の遭遇以外は歩かないと終わらないため黙々と歩く真澄に、最初は気を遣って話しかけていたファルーシュもついには話しかけなくなった。
いつもなら真澄はここで気分を害したかもと心配になるものだが、いかんせん余裕がない。さっさと辿り着いてベッドで横になりたい。
ベンチに座るだけでもいい。
とにかく休みたい。
その一心だった。
陽が傾き周囲が赤く染まる頃、やっとのことで小さな村についた時には真澄はぐったりと街道で座り込んでしまった。