屍を愛する王子 2-2
※単語だけですが特殊な性癖を示す言葉が出てくるので注意。
夜になって太陽が落ちると周囲は真澄にとって信じられないくらい真っ暗になった。
明かりといえば月明かりくらいしか存在しないが、それだって現代の明かりに慣れきった真澄には十分、頼りないもので、いかに自分が恵まれた場所で育っていたのか自覚した。
ファルーシュが獣避けのためだといって、慣れた仕草で火を起こすのを何の道具もない真澄は黙って見ているしか出来なかった。
(そういえば会社に向かう途中に持っていたバッグ、どこ行ったのかな)
小さなバッグだが、中には花柄の刺繍が入ったお気に入りの財布とシャンパンゴールドの携帯電話、化粧ポーチ、ボールペン、メモ帳、キャンディ、そして何故か印鑑が入れっぱなしになっていた。
バッグを今、持っていても煙草を吸わない真澄はライターを所持していないため、けして火起こしには役に立たないが、あれはどこに行ったのだろう。
一度気になると何となく落ち着かなくなってきた。
元々物欲はそんなになく、買ったばかりのものなどには執着を見せないが、長年使ったものに対しては執着を見せる性質の真澄はぼろぼろになるまで物を使う。
そんな長年使っているカバンの存在がどうにも気になって真澄がそわそわとしていると、「どうかしましたか?」というファルーシュの声が掛かった。
火に照らされたファルーシュは心配そうにこちらを見つめている。
「あの、ファル、私のバッグ見てないかな?」
「バッグ、ですか?」
「そう持っていたはずなんだけど」
「いえ、戦場でも見かけませんでした」
「……そう」
落胆したのがわかったのだろう、ファルーシュは申し訳なさそうな顔をして、彼のせいでもないのに謝罪してきたので真澄は慌てて首を振った。
いけない、そう思った。
感情を表に見せない、信条だったというよりそれが習い性となっていたというのに。
大泣きした後では今更だったが、それでも性質を変えられるはずもないし、何より彼に呆れられたり、嫌われたりして置いて行かれるのは論外だ。
(そんなことされたら私、間違いなく死ぬ。でも彼は死人、この力を持っているなら嫌われるとか、置いてかれるとか、そういうこともないんじゃない?命令すればいいんだし。命令してちゃんと聞くのかな。でも彼が本当のこと話してるなんて保証はないでしょう?そもそも人間にしか見えないのに、彼は本当に死人?あの時はそう思ったけど……、それにあの臭い、死臭ってやつじゃないの……、でも、彼はいい人だ。いい人だけど、でも)
結局自分のことばかりだ。
自分のために打算で行動していることに真澄は少なからず自己嫌悪に陥るが、それでも危ない目に会いたくない、置いていかれたくない、一人になりたくないという思いのほうが強い。
他人とプライベートで付き合いが盛んではなかったから、人物を見極めるにも自分の感覚が信用ならない。
「ファルは森に慣れてるのね」
「前マスターに2年もの間、何度もつき合わされましたからね。しかもマスターは何も出来ない人で」
彼は苦笑して、剣を留めてあった帯をまとめると身体の横に剣を置き、焚き火を見つめた。
「……前マスターってどんな人なの?」
興味が特にあったわけではなかったけれど、沈黙が苦痛だっただめ真澄は彼に問いかけた。
「そうですね、……人間としては変わり者で怖い人です」
「変わり者で怖い?」
変わり者という評価は金髪の男のことをよく知らなかったからわからなかったが、怖いというのには同意できた。
死体の中に埋もれる彼を見たとき真澄は怖くて仕方なかった。
「ええ。彼は屍を愛していた。それこそ生きている人間よりも深く深く……。いわゆる彼は死体愛好だったんです」
息を呑んだ真澄にファルーシュは微笑んで話を続けた。
「彼ほど『屍を愛する王子』のレギナにふさわしい人間はいなかった。リビングデッドやスケルトン、屍鬼、デュラハンを生みだし、意のままに従え、果てにはアンデットの上級者でもある吸血鬼まで生み出した。彼は人間とは思えないほどアンデットを使役することに戸惑いがない」
「……」
「2年前に彼に起こされた私もずっと随行していたんですが、先日、前マスターが州候の反乱の鎮圧に赴いた国王軍に仕掛けましてね……、あの場所に軍服を着た死体がたくさんあったのはそのためです。前マスターはその死体と地に埋まったスケルトンやゾンビ、ヴァンパイアやデュラハンを引き連れ、戦場を舞台に仕掛けたわけです。死体がたくさんある戦場だったら戦力には困りませんし、さらに戦いが続けば戦死者が増え、それも前マスターの戦力となります」
「……でも、その人は負けた」
「そうです。前マスターもレギナ持ちとして悪名高い方でしたが、国王も『盲目の王子』というレギナ持ちとして有名な方です。国王とぶつかり合って前マスターは傷を負わされ、私が防いでいる間に逃げた彼は、マスターに出会ったみたいですね」
そうしてこんな厄介な能力を押し付けられるはめになったらしい。
ちなみに『屍を愛する王子』はキス……正確には粘膜の接触によってレギナは移行するらしい。
病気かよと真澄は内心で突っ込んだが、あながちそれは間違ってはいなかった。
レギナによって能力の移行条件は様々に変わってくるらしいのだ。
(ということは死体愛好の彼も人間とディープなのをかましたか、セックスしたってことよね。故意にかどうかわからないけれど)
焚き火がパチパチと爆ぜるのを見つめながら採ってきた果実を摘んで口に放り込む。
緑色の果実は酸っぱくてパイナップルのような味がして、舌が少しピリピリした。
「他にはレギナを持っているのが判明している人はいるの」
「いますよ、この国は島国ですがレギナというのは大陸の国々の侵攻の抑止力となっていますから、軍隊には国王も含めて3人―――『盲目の王子』の国王、『雪肌の美しき乙女』の国軍元帥、『嫉妬に狂う鏡の妃』の宰相、あとは軍に所属していない人で有名なのが、西の魔女と呼ばれるロザリア・ラザフォード、彼女は『赤を愛する女王』のレギナを持っています」
ちなみにレギナというのはこの国特有の能力で、大陸のほうには存在しない異形の力らしい。
「レギナを持つ者の中には獰猛で手がつけられない者も存在します」
「え?」
「そういう者はもし出会ったら、始末しなくてはこちらが危ないです」
表情を凍らせた真澄にファルーシュはほがらかに微笑んだ。
何故、そんな言葉を端整な唇から吐き出して笑顔を浮かべているのかが理解出来なかった。
聞き間違いだろうか?
「始末って……」
「大丈夫ですよ。私が必ずマスターをお守りします」
「う、うん」
にこにこと笑うファルーシュの答えになっていない答えに、反発せずぎこちなく返事したが真澄の中では彼の言葉がぐるぐると回っていた。
(始末って……殺すってことだよね。殺さなくちゃ私たちが、危ない。でも……殺すなんて……そもそもどうやって殺すっていうの。私じゃ無理。死体を操る力を使って……?無理。私を守るってことは私じゃなくてファルーシュが殺す?)
そろそろマスターは休んでくださいという彼の言葉に生返事をして、真澄は横になる。
世の中では自分を守るために犠牲が出てしまうことは承知していたけれど、それが自分の身に置き換えられるとどう反応していいのかわからなかった。
テレビを見ている時に仕方ないと言えたのは所詮他人事だからか。
目を閉じてもこれから訪れるであろう暗澹たる未来予想図を思い浮かべて、真澄はぎゅっと唇を噛み締めてた。