屍を愛する王子 2-1
旅に出ると決意したのはいいものの、まず真澄が躓いたのはその日の食事についてだった。
戦場に出現したのは土ぼこりによる視界不良で時間的にはいつだかはわからないが、この湖に到着したのは夕方、朝7時に家を出てから何も口にしていない真澄は腹が減ったのだ。
(こんなグロに遭遇してもお腹は減るんだ……)
ある意味、たくましい自分に呆れるが、減ったものは仕方ない。
こんなにも豊かな森ならば食料もきっとありますよと言われて森に入ったのだが、森はとにかく歩き難かった。
会社への出勤途中でこの世界に来たのだが、真澄はパンプスではなくスニーカーで出勤していた。
会社では上靴である黒のヒールサンダルに履き替えなくてはならないから、出勤はいくらカジュアルでもまったく問題なかったのだ。
だからこそ今現在、助かっているのだが、それでも歩き慣れない者には舗装されていない森の中は辛かった。
きょろきょろと上ばかり見て歩いていれば、地面から飛び出た太い根に足を引っ掛けて転びそうになったり、草木が生い茂っているところを突っ切ろうとすればストッキングに包まれた足がチクチクと痛痒い。
大きくて見た事がない虫がたくさん出てくるは、小さな獣も出てくるはで、幸い虫は触れないものの蜘蛛以外は平気だった真澄は叫び声を上げたり逃げ出したりという事態には陥ってはいない。
ただし別の物が苦手な彼女は、
(蛇が出ませんように、出ませんように)
足が多い生き物と足が存在しない生き物が苦手だ。
ビクビクとしながら歩いていると再び足を引っ掛けて転びそうになった。
それをファルーシュが腕を掴んで助けてくれた。
「日が落ちる前にどこかに落ち着いたほうがよさそうですね」
「そうね」
これまで木苺やよくわからない緑色の楕円の果実を少量採取したが、翌朝のことも考えたらもう少し欲しい所だ。
体は疲れ果てて休息を求めているが、くじけそうになる心を叱咤して真澄は後ろに立つファルーシュを振り返った。
「行こう」
「はい」
獣道を歩いている最中にお腹が鳴った真澄は会社の制服である灰色のベストに包まれた腹を手で押さえた。
(下腹が出てる、部分痩せって本当にどうすればいいの……ってこれは関係ないか。お腹すいた)
外面的には普通の体型を維持している真澄の密かなコンプレックスの一つだったりする。
「マスター、あれは食べれますよ」
ついつい思考が散乱する真澄だったが、かけられた声にハッとした。
背後からついてきたファルーシュが木を指差すと、木の枝には赤い小ぶりの果実がなっている。
真澄の身長では背伸びしても届かない。
さてどうするか、タイトスカートで木の上には登りづらいなと木の前で考えていたら、私が取りますよとファルーシュが微笑んで請け負ってくれた。
どうにも他人に頼ることに慣れていないせいか自分で動くこと主体で考えてしまう。
彼は邪魔になる薄汚れたローブを脱ぐと、慣れた手付きで危なげなく木を登って行った。
意外といえば意外だった。
彼は現代で分類すれば体育会系というよりも、木登りなんて出来なさそうな文科系の男子の雰囲気に近いだろう。
真澄はこの世界のことをまだ詳しく知るわけではないし、元の世界の貴族というものについても詳しいわけではないが、彼の見てくれや優雅な所作は貴族というものに通ずるものがあると勝手に思い込んでいた。
(けど違うのかな?)
慣れた森の歩き方もそうだし、自生する果実に詳しい点にも詳しいのは貴族というのはちょっと違う気がする。
(そういう貴族もいるのかもしれないけど……)
よくわからないと真澄は内心で首を捻った。
ローブを脱いだ彼の服装はオリーブ色のピーコートに中にシャツを着て、下は黒のパンツをはいている。
元の世界でも普通にいそうな服装で、ローブを羽織っていたせいかあまり汚れてはいなかった。
服装でどういった人物か真澄が計るには、残念ながらこの世界の価値観も常識も知らなさ過ぎたといえた。
ただし腰には森の中でスケルトンを屠った細身の剣を帯びている。
そこだけが元の世界とは違うところだ。
「お待たせしました」
「あ、ありがとう」
「いいえ。木の上から雨露をしのげそうな野営にいい場所を見つけました。そこに行きましょう」
真澄がお礼を言うとにこりと彼が笑って優雅に彼女を誘った。
真正面から相対してくれることが気恥ずかしく、真澄には物慣れなかった。