屍を愛する王子 4-2
途中でにわか雨に降られながらも、三日目の夜についた街は石積みの城壁に囲まれた村とは比べ物にならない規模で、畑や家屋を取り囲む粗末な木の柵があるだけの村とは雲泥の差だった。
思えば魔物も存在する世の中なのだから、このぐらいの備えは普通なのだろう。
夕刻には城門は閉じられるため、真澄たちは中に入ることが叶わず、城壁の外で野宿と相成った。
早く目が覚めた真澄は昨夜、暗くて見ることが叶わなかった城壁を見上げた。
(町長とかいるのかしら?)
「どうしました?」
「門は開いてないのね」
朝靄に包まれた大きくて重そうな大門はぴったりと閉じられていて、真澄が押しても引いてもビクともしそうにない。
それよりも嬉しくてにまにましてしまうのを抑え付けるのが大変だった。
(ほんっっっとうに大変だった)
いける気がすると上機嫌で始まった街への旅路は徐々に大変になって、やはり最終的には無口になった。
喋るのも億劫という態度を隠さない真澄に、ファルーシュは困ったように笑って怒ることはしなかった。
が、余裕が出来て我が身を振り返ることが出来るようになった今、それを思い出して真澄はそわそわとファルーシュを窺った。
(怒ってる?私、旅の終盤、かなり感じ悪かったけど)
謝ったほうがいいのか。
でも怒っていなかったら、勘違いもいいとこだし……と悩んだ真澄は結局、口に出すことが出来なかった。
「まだ時刻が早いですからね……。そうですね……あと半刻足らずといったところでしょうか」
「ふぅん」
一刻は日本では2時間ほどだが、この国ではどうなんだろう?と疑問を持ったが、何となく面倒くさくなったので問うことはなかった。
「城門が開いたら門で身分証を提示しろ、とかないの?」
「場所によってはありますが、この街はないですね。このヨルク州はシルヴァーニ王国1州の中でも一番、北に存在しますが本土の中では田舎なんで」
このシルヴァーニ王国は、王都が存在するカーライト州、アストル州、シーシアン州、セールヴィア州、ハルク州、マラント州、ミリアクス州、ガルバスク州、ヨルク州の9州が存在する本土と東側にシーリア州、カルストイ州の2州が存在する大島、その島の北方に位置するハヌマンシー州が存在する小島の三つの島から成り立っている島国だ。
その中でもヨルク州は一番北に位置する交易的にも防衛的にも要所とは言いがたい田舎で、ヨルクの州都よりも北に存在するこの街はさらに田舎だったりする。
「防衛に必要な場所であれば厳しく審査する必要がありますが、この街でそんなことをすれば、流通に障りがあります。ただでさえ、ヨルクの州候が反乱を起こし、ヨルクの物流も不安定ですから……。それについては国王が人を派遣して調整してはいるでしょうが」
正確には州候は反乱を起こしたのではなく、反乱を起こすために武器を集めていて、それが露見した。
国王視察のタイミングで恐れ多くも凶刃を振るうつもりだったのだろう。
だが、逆手に取られ追い詰められた。
そして見逃していた収賄の罪や、役人の不正・腐敗を理由に軍を進め州候を捕らえにきたが、そこで戦になった。
大島や小島ほどではないものの、それでも本土の州に比べれば田舎のくせに、何故かこの州は大それた野心家が多い。
国王は見せしめのために自ら出向いてレギナの脅威を見せ付けたのだろう。
「ふぅん」
「西に位置するアストル、シーシアンの2州は、大陸と睨み合っていますので、防衛の要所ということで、州都も街も審査が厳しいですよ。商工・冒険ギルドの組合員になって、身分を保証する証書を発行して貰うか、役所で手形を貰わねばなりません」
商工ギルドは年会費が必要になるが、それを払えば証書は発行され、組合に参加する商店の品物が割引になるという得点も存在する。
また審査しだいでは発明品の開発支援や商売の開業支援も受けれるのが、商工ギルドの旨みでもある。
ただし商工ギルドが金を出す以上、必ず儲かる必要があるので審査は厳しい。
売れた後は、流通・販売の手配も組合がやるので、諸経費を抜いて3割が開発者の取り分となる。
一方、冒険ギルドは、年会費は必要ないが、毎年一年間にそれなりの成果を上げねばならない。
冒険ギルドが取り扱うのは、一般の人々からの依頼の『魔物討伐』、『素材の調達』で、それを登録した冒険者が報酬と条件を元に請け負うというシステムだ。
依頼はギルド職員によってランク分けされ、会員は自分のランクに合った依頼しか受けることは出来ない。
ランクは多くの依頼を達成し、ポイントを貯め、昇級試験に合格しなくてはならないのだ。
年間にランク問わず20個以上の依頼を達成しないとギルド会員の証明書は失効するのでそこは注意しなくてはならない。
役所の手形は、何の条件もないのだが、お役所仕事のためとにかく時間が掛かる。
手形発行まで2~3ヶ月はざらで酷いところは半年もかかったりする。
なので急ぐ人々は、商工か冒険ギルドを使うことが多い。
ただこの二つは失効すれば手に入れるのが難しくなるので注意が必要だ。
「ああ、門が開いたようですね」
ファルーシュの言葉に視線を向ければ重い音を立てて城門がゆっくりと開いていく。
真澄の着替えや細々とした旅道具が入った布袋を持ち上げた彼は真澄を見て行きましょうかと声を掛けた。
石畳でしっかりと舗装された街路、石積みの家屋はファンタジー世界を思い起こさせる。
軒先に飾られた植木鉢は蕾を膨らませ、花開くのを今か今かと待ちわびるようだ。
朝も早い時間だったが、屋台や露天が出ていて人々は、そこで買ったものを朝食としているようだ。
ファルーシュに問えばある程度の街や都市に住む庶民は、朝食は屋台で取る習慣があるそうで、朝食を自炊する人間はあまりいないそうだ。
美味しそうな匂いと呼び込みの声が響き渡るのを、きょろきょろとしながら物珍しそうに見てしまうのは仕方ないことだったが、当然ながら危険でもあった。
「……美味しそう」
果物や食べられそうな野草しかここに辿り着くまで口にしていない真澄は、久々の他人が作った温かい料理によだれが出そうだ。
肉が食べたい、切実に。
そう思うのは道中、ファルーシュが獣を狩ろうかと提案してくれたものの、それを処理する度胸も、見る度胸もなかったためだ。
野兎あたりは美味しいと言われたが、無理だ、目があったら間違いなく食べることなんて出来ない、可哀想過ぎてと真澄は断言出来る。
美味しそうな料理に見とれて足が止まりそうになる真澄に苦笑して、ファルーシュが「ひとまず魔石を換金しますか」と提案してきたので、それに首を縦に振って頷いた。
ひとまず換金して、ご飯だ。
(果物生活は痩せるけど、わびしいし。どうしよう……すっごく嬉しいすっごく幸せ)
真澄は嬉しくてたまらなくて、これ以上嬉しいことはないんじゃないだろうかと心底思った。
元の世界でここまで食事で嬉しいと思ったことはない。
ルンルン気分で街道を進む。
ファルーシュに案内されて早朝に出掛ける冒険者に合わせて、早々に開いてる冒険者ギルドのカウンターで換金してもらうことにした。
冒険者や軍人でもない者が魔物を狩ったのかとギルド職員は訝しげな視線を寄越したが、横にいるフードを目深に被っているファルーシュはその視線を軽く受け流している。
(見られてますが……)
怪しい者だと思われているのではないのだろうか。
ギルド内を見れば早朝に外から戻って来たばかりらしい筋骨隆々のいかつい鎧姿の男がカウンターで受付の男性に成果を報告しているらしい。
荒々しい喋り方にお近づきになりたくないと切実に思う。
壁に貼られたランク別の依頼書を見ている2~3人の男たちも、もれなくガタイがいい。
(私たち、間違いなく場違い)
そう自覚するとるんるん気分だったのが、一気に冷めた。
ローブに包まれているファルーシュは細身の男性で、ファンタジーものの小説やゲームでいうなら、間違いなく魔法使いタイプの見かけだ。
最も、この世界にレギナ以外に魔法っぽいものはないらしいので、正確に言うならば優男といったところだろう。
それと女の自分。
真澄はいたたまれない気分に陥って、落ち着かなくなった。
ギルド内の人々の目もそれとなくこちらに向いている気がする。
「……これは貴方たちが?」
白っぽい金髪の理知的な女性がカウンターに広げられた6個ほどの小粒の魔石に指先で触れた。
魔物は1人で討伐する場合、軍人や冒険者だとしても一体でもそれなりに苦労する。
だからこそ、数を募って討伐する場合も多い。
まず一般人は手を出さない。
なのに貴重で入手困難な魔石を優男と女が持っているのを彼女は怪しんでいるのだろう。
(疑われてる?)
盗んだと思われているのではとひやりとする。
(違うのに、これはファルが……)
どうしようどうしようと焦る真澄だが、どうやって証明していいのかもわからない。
フードで顔を隠しているファルーシュにただの女の身である真澄、冒険者ギルドという場所では怪しすぎる。
実際、ファルーシュがフードを取れば死人特有の青白い肌が晒され、もしかしたら魔物扱いで討伐されるかもしれない。
ご飯どころではなくなってきた。
(どうしたらいいの?)
焦った表情で真澄はちらちらと斜め前にいるファルーシュを窺った。
「ええ、そうですが。何か?」
ファルーシュは慌ててないような落ち着き払った声で、彼女の問いに答えた。
ギルド職員である彼女は一応接客業にも関わらず顔に出やすいタイプなのだろう。
眉をひゅっと上げると形のいい口元だけで笑みを作った。
(こわ……)
真澄はドン引いた。
一方、体を少しずらして下から見上げたファルーシュの口元も微笑んでいるが、雰囲気が怖い。
「腕が立つんですのね。細身なのに、そちらの女性も一緒に討伐なさったのかしら?」
「それを話す必要がありますか?」
冷え冷えとした対応に真澄のほうがハラハラとする。
「冒険者ギルドの登録はなさっていらっしゃらないのよね?是非、していただきたいわ」
「疑惑も晴らせますし、貴女の好奇心も満たせますしね」
きっぱりと言うファルーシュに、言いたいことが言えない典型的な日本人である真澄は思わずギョッとして彼を見上げた。
「貴女の職務は換金ですよね?疑惑に証拠がない以上、職務を速やかに果たしたらどうですか?」
(無駄口を叩かずにさっさと職務を果たせ無能って意味に聞こえたのは気のせいだよね。気のせい……うん、気のせい)
ギルド女性職員の顔が引き攣っているのも気のせいということにしておくことにした。