第4話 想いを神楽に、舞は舞う。
今俺と舞は、俺の住居に戻って二人で食事中である。
最後にとんでもない言葉を残して去った椿と別れた後、舞の腹の虫がくぅと聞こえてきたこともあり。
よくよく考えてみれば舞と俺は朝食を食べていないことを思い出した俺は、直ぐ様帰ることとしたのである。
舞自身朝食を抜いていたことを忘れていたようなので、お互い両成敗だとして笑い合うこととなった。
家まで歩いて徒歩10分はかかるものの、それほど大した距離でも無い。
多少緩やかな坂を上っていくような道なりだが、基本的にバイト等で身体を鍛えている俺の障害には成り得ない。
舞も華奢な見掛けに反して中々に体力がある。それも少し不思議ではあるのだが、舞の非凡さは今に始まったことでも無い。
たまに鳴り響くお腹を恥ずかしそうに抑える舞を微笑ましく思いながら、俺達は帰宅したのであった。
「うん。やっぱ舞の作る料理は最高だな。めっちゃ美味い」
「料理といっても、味噌汁とご飯と目玉焼きを焼いただけなんですけど……」
「それだけでも充分に俺とは差が出てる。俺にはこんな風に美味しく味噌汁をつくることなんて出来ないし、目玉焼きをこんなに綺麗な焼き加減で作ることも出来ないさ」
そういって俺は舞の頭を撫でてやる。
さらさらとした銀の髪が心地よい。
良いことをしたら褒めてやる。それが大人の対応……って、どうにも俺は舞を子供として見過ぎているような傾向がある。
年齢的には舞は高校生辺りなのだし、こういった行動は馬鹿にしてるように思われるんじゃないだろうか。
そういった行動に出ると、舞は恥ずかしそうに眼を伏せるのだが、途中で何かを思い出したような表情をすると、頭に置いた俺の手を咄嗟に払いのけたのである。
正直、予想外だった。
ああ、やっぱりこれは止めた方が良かったかな、と少し申し訳なく思った所だったが。
俺の表情を見ると、舞は焦った様子でそれを言わずとも否定した。
「あ、あの、違うんです。頭を撫でられることが嫌ってわけじゃなくて、その、寧ろ嬉しいのですけど……。何分、私、昨日お風呂に入る前に寝ちゃったじゃないですか。だから、私の髪が秋也さんの手を汚しちゃうんじゃないかと思って……」
そう言って舞は顔を赤くして俯いてしまった。
ああ、そうか。これは俺の配慮が足りなかった。
舞は純粋な女の子である。そういうことを気にするのことも考えてあげなければいけなかった。
女性関係なんてものが皆無だった俺には余りに繊細過ぎて察することの出来ないという事実。
本当に情けないな、俺は……。
けれど、撫でられること自体は嫌いじゃないということも分かったので、後でまた撫でてあげたいとも思った。
けれども何よりその瞬間は、そんな可愛らしい舞の様子に、また舞を女の子として意識し過ぎそうになった自分を落ち着かせる必要があったのだけれど。
流石にこの時間から湯を沸かすことは遠慮してシャワーにしたようだが、その後着替え終わったらしい舞が洗面所のドライヤーで髪を乾かしているその間。
俺はノートパソコンを立ち上げると、ネットを使って魔術師について調べていた。
ファンタジ―な世界を形成するのに重要な素材である。
勿論、電脳の世界では様々な憶測や見解、ゲームや小説の内容などが飛び交っていたのだが……。
「正直な所、どうにも椿の言葉が一番納得できたんだよな……」
つい、呟いてしまう。
抽象的すぎてよく分からない魔術というものを、別のものに例えて割合具体的にしようとしていた椿の説明は頭に残ったこともあり、何よりファンタジーについては詳しい椿の事である。
そういった自分の意見には自信がある筈だし、一番これが近しいものだと思ったものを言った筈である。
で、あるならば。調べるのはそれよりも魔導や魔操といったものの方だろうか。
そう思いそれらを調べてみるが、めぼしい情報は手に入らない。
そもそも、秘匿にされそうな本物の魔術師の情報など、ネットに上がっているものなのだろうか?
「何をしているんですか?秋也さん」
俺が検索に集中している間にどうやら髪を乾かし終えたらしい舞が、いつの間にか俺の隣で画面を覗き込んでいた。
風呂上りの女の子のとても良い匂いが香ってくるのだが、邪な感情は一瞬で振り払う。
中々これは刺激が強い……。
「今は、魔術師について色々とこれで調べてたんだ。といっても、情報が散漫してるが故に正しい情報かわからないし、良さそうなものも手に入らないのだけれど。さっきの椿の話が一番しっくりきたかなって感じだ」
「そうなんですか。その道具、凄いんですね。そういったもの調べられるのですか。……でも秋也さん。凄く有り難いのですけれど、魔術師に関してはそういう事をする必要ももう特にないです」
「……え?」
寝耳に水だった。まさか、もう既に、舞の記憶は殆ど戻っているのだろうか。
「先程の椿さんの話を隣で聞いていて、魔術師のことについては殆ど思い出しましたから。逆に秋也さんが聞きたいことがあれば、私に聞いてくれれば答えられるレベルにまで」
と、なるとだ。いよいよ俺と舞との生活の終わりが近づいているということだろうか。
それは胸が引き裂かれそうな位に俺にとっては辛い現実であり、自分の中の焦燥感を一瞬にして駆り立てた。
……まて、俺は何に焦っている。舞が記憶を取り戻すことの手伝いをするのは、俺が望んだことじゃないか。
昨日も思ったはずだ、舞を助けたい、と。
そして知りたいと願ったはずだ、この少女の事を。
これは寧ろ、喜ばしいことの筈だ。
考えてもみろ、こんな可愛い少女が、俺と二人で暮らしていることがおかしいのだ。
そんな状況で本来の舞の意志でなくここに居て貰うのは、フェアじゃない。
もしも記憶を取り戻して舞が、俺の傍から離れて行ったとしてもだ。きっとそれは、俺と舞との運命なのだ。
――運、命?一体、なんのだ?
「……秋也さん?だ、大丈夫ですか?額から汗が出てますし、顔色も悪くなっています。疲れているのなら、休まれた方が……」
舞のその言葉に、はっと我に返る。
動揺の余り、身体までもが異常をきたしていたようだった。何を、やってるんだ。俺は。
「……いや、大丈夫だ。なあ、舞。それなら、もう自分のことについても思い出したのか?」
「いえ、それはまだ。魔術師としてのことは思い出しましたけど、私の名前や、故郷のことについては、まだ……」
そう言って、少し辛そうな表情で舞はこんな言葉を続けた。
「……御免なさい。迷惑ですよね、秋也さんの所に、もう既に二週間も居座り続けて。早く記憶を取り戻して、秋也さんの負担を減らしたいのに……」
その言葉を聞いて、俺の中の何かが切れた。愕然とした。
俺は舞に、そんな風に思わせてしまっていたのか。
不甲斐なさに、唇を噛み締める。
その時俺は初めて、舞を叱るとにした。
だが、本当に殴りたいのは、自分自身だった。
言葉で伝えなかったが故に、知らず知らずの内に俺は舞を不安にさせていたのだから。
「舞、君は大馬鹿だ。誰がいつ、迷惑だなんて言った。誰が君の存在を負担だなんて言った。そんなわけ無いだろう」
舞は、驚いた顔でその言葉を聞く。何を驚く必要がある。どうしてそんな風に思う必要が有る。
ああ、そんなの分かってることだ。俺が面と向かって今まで舞に伝えなかったからだろう。
「俺は、舞が今もこうして隣に居てくれることが凄く嬉しい。本当に楽しい。一緒に居るのが、とても幸せなんだ。舞なしじゃ、俺は――」
そう言いかけて、はっと口を噤む(つぐむ)。待て。俺は今、なんて言おうとした?
「……え、あ、あの、ごめん、なさい。あ、秋也さんがそんな風に思ってくれてるだなんて、私思って無くて……。……その、凄く、……凄く嬉しいです」
俺のその言葉を聞くと、そう言って、舞は本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれた。けれど、感情的にもなったのか、それと同時にその頬には、一筋の涙が伝わり始めていた。
そんな自分に気付いたようで、慌てて舞は白い振袖の裾で顔を拭う。
その涙の意味は何なのか。嬉しさの余りに、出た感情なのか、それとも、別の何かか。
目の前の少女に対する愛おしさを感じると共に。
――俺は、先程自分が放った言葉の意味に気付き、自らを殺したくなった。
▼
道行く人は誰も知らない。この俺の隣を歩く、少女の存在を。
去りゆく者は見向きもしない。手を繋ぎながら俺と二人で歩く、舞の姿を。
自分という存在の卑しさを思い知った、正午は過ぎ。
現在昼下がりの時刻は二時。俺と舞は、今二人で大通りの歩道を歩いていた。
今日は平日だ。
この時間帯の車の通りは、まだ少ない方だ。近くに乱立する大学へ向かい、もしくは帰っていく大学生の乗ったチャリが俺達の横を行きかっている。
舞の小柄な右手と俺の左手を繋ぎながらの歩みは、何物にも代えがたい幸せな時間だ。
別にどこかに向かっているわけでも無い。ただ、街をまわりに歩いているだけ。
観光と言えばそうかもしれない。
朝は椿との三人で出かけたから、今度は二人で周りたいという舞の言葉を聞きいれて、今はただ、宛ても無く歩む。
エスコートなんて大層なものも出来やしない。けれど、それだけで十分だ、と舞は微笑むのだった。
ふいに、目の前に俺の右側を通り過ぎようとする自転車に乗った大学生らしき男の姿が目に入った。
俺の右手には舞が居るにも関わらず、そのまま突っ切ろうとするその男。
一体何だと思ったら、そう言えば舞の姿は誰にも見えていないんだったと気付いたのはぶつかりそうになる三秒前。
俺は舞の手を引くと、俺の方へと抱き寄せた。
何事もなかったかのように、先程まで舞が居た所を過ぎていく自転車。
「す、すみません、秋也さん。私、ぼうっとしていて、前の自転車に気付いていませんでした」
「いや、いいよ。……でも、後ろからああいうのに来られた時は少し怖いから、小通りの方へと戻ろうか」
俺のその言葉に頷くと、舞は少し頬を赤く染めて、俺の腕の中から離れた。
そしてまた手を繋いだまま先へと歩み出す。どうやら今からは、舞がエスコートするつもりらしい。
情けないかなと思いつつも、未だに俺は先程抱いた負の感情を思い出してしまい、それに抗えないでいた。
『舞なしじゃ、俺は――』なんだと言うのだろう。
言いかけたあの言葉の真意。
あれは自分に言おうとしていた言葉じゃない。
あの時の俺はきっと、敢えて舞にそれ聞かせようとしていたのだ。
それでどうして欲しかったのか。
分かってる、それは、くだらない俺の我が儘なんだってことは。
ただ、舞に一言いってほしかっただけなのだろう。
――私もそうです、と。
▽
少し坂を下って行くと、平野神社と書かれた看板とともに、その赤い鳥居が見えた。
舞は俺の手を引き、その鳥居をくぐり、春は桜に包まれるであろう木々の間にある平石の上の道を進んでいく。
小鳥の囀りが聞こえる。進む先に見えるのは、神社には良くある、手を清める水の流れる手水舎と大きなイチョウの木。
秋の終わりを感じさせるように、イチョウの木からははらはらと黄色の葉が舞い落ちていた。
その右手に見えるのは、木製の常夜燈が立ち並ぶ先にある大きな鳥居。
そう、ここは俺と舞が二週間前、初めて出会った神社だった。
「ここが、私が秋也さんと初めて会った場所ですよね。私、しっかりと覚えてます。二週間前のあの日のこと。気が付いたら知らない所に居て、ずっと誰も私の事に気付いてくれなくて、数日が過ぎていた、あの日の夜。悲しくて、寂しくて、茫然とあの鳥居の奥に立ち尽くしていて――」
舞はその時のことを反芻するかのように目を閉じ、右手で胸に手を当て。そして、口元に笑みをともした。
「そんな時、そんな私に唯一気付いた視線を送ってくれた、秋也さんの姿があって。……その視線さえも半信半疑でした。何度過ぎゆく人に話しかけても反応されなくて、触れてみたら気味悪がれて。だから、心の中では本当に、嬉しくて堪らなかったんです、私の声に応えてくれたことが」
そんな風に思っていたなんてことは、初めて知ったし、初めて聞いた。
そういえば、出会った時の舞は、身体を許してでも孤独には敵わないという意を示していた。
独り。一体どれだけ不安で、どれだけ辛かったのだろう。
あの時、俺に手を差し出したのは、ただただ人肌に触れたかったからなのかもしれない。
「それから三日間。家事の仕方や電子機器の使い方を学んで、料理の本を頂いて、その日から色んなことに慣れてきて。作った料理を美味しいと言って貰えて。……あんなに幸せに感じたことは、きっと記憶の中の自分にも無かったと思います」
そう言って、舞は眼を開けて、俺の方を向いた。
それはとても幸せそうな顔で。
その瞬間、俺は色々それまで舞のことで悩んでいた色々な全てのことが報われたような。
そんな気がしてしまった。
「……だから、この場を借りて、改めてお礼が言いたいです。本当に、ありがとうございます。秋也さん」
秋の風に銀の髪を揺らしながら、桃色の瞳で俺を見つめて舞は笑う。
そんな舞に俺が答えるべき言葉は、一つだった。
「――どういたしまして」
そんな風に晴れやかな気持ちに包み込まれた俺達が次に足を踏み入れたのは鳥居の反対側である、丁度今居る位置の左側。
そこに見えるのは、神楽を舞うための木製の神楽舞台と、この神社の春日造りの社、本殿だ。
「この国古来の建物って感じが伝わってきます。あの、真ん中にある舞台はなんですか?」
「ああ、あれは神楽舞台って言ってな。特別な行事がある時に使われたりするんだ。春に琴っていう和楽器を弾いたり、実際に神楽っていう舞を踊ったりする場所らしい」
「そうなんですか。……あの、舞台の上って、乗っちゃダメなんでしょうか?」
凄く舞台に上がりたいってことを表現したいような顔をしている。
確かに俺もあの舞台に乗ってみたいと思ったことは何度かあるが、行事以外で上がるのは禁止と書かれているので上ったことはない。
けれど、舞なら。他の人に姿を見られたりはしない。
それに平日のこの時間帯であるので、周りに人は誰もいない。だから、きっと問題はないだろう。
「舞なら大丈夫だ。乗っておいで」
「……はい。じゃあ、ちょっと行ってきますね」
そういって俺の手を離すと、軽やかな走りで数メートル先の神楽舞台へと近づき、そしてタンッと地面をけると、長い白の振袖をたなびかせながら舞台の上に飛び乗った。
それは鮮やかなまでの着地であった。
舞は両腕を広げてこちらの方へと振り向くと、舞台の天上を見上げ、目をつむる。
意識を研ぎ澄ましたかのような雰囲気を纏い、そして腕を胸の方へと閉じたり広げたりしながら。
一歩二歩とその舞台の上でステップを踏んでいく。
そんな動きが続いて暫くすると、舞は眼をゆっくりと開いた。
「……そうだ……これが、私の……。そう、思い出しました。私の、郷土……」
そう呟くと、舞は俺の方を真っ直ぐと見つめる。
その瞳に、切なくも儚い。けれども強い決意を秘めた、その意思をもって。
「秋也さん。これが、『今の』私に出来る精一杯です。私の郷土……私の世界の『舞』を。私は今、秋也さんの為だけに、捧げます。――私の想いを、神楽に乗せて」
瞬間、辺りの全てが舞を中心に据えたかの様に、意気を変える。
そよいでいた風も、聞こえていた小鳥の囀りも、木々の葉のざわめきも。
その時、全てが、止まった。
「……いきます。『紅一点・鼓舞神楽』」
それからは、周りの全てが全て、舞の空間であった。
それは、俺の意識も例外じゃない。
この世の全てが舞へと、目を、耳を、心を、身体を。
その全てを傾けるかのような心地さえしてしまう、圧倒的な、舞い。
それは落ち着いた、ゆったりとした動きで人を魅せる日本の神楽とは違い、身体全てで舞いを体現するのかのような。
なめらかな動きに加えて、力強い挙動。
舞いだけしかそこでは行われていないと言うのに、華奢な舞の身体で踏みゆくステップが作りだす、心地よい鼓の様な軽快な音。
銀の髪を揺らしながら、薄く開いた桃色の瞳に、白い振袖の揺れ動きが俺を魅せている。
そしてその振袖のたなびきが、その服装でしか成し得ない妖艶さを醸し出していた。
この世の全ての美しさをそこに凝縮したかのような――。そんな景色。
これが全て、俺の為の舞いだという。この世の全てを手に入れたと錯覚してしまう程の美しさ。
それを魅せてくれたことが。見る事が出来たのが。俺は嬉しくて堪らなかった。
その舞台からは、舞の気持ちが伝わってくるような、そんな心持さえするのである。
そんな鮮やか過ぎる舞の舞いに、ただただ俺は魅せられているのであった。
――そんな今日が、『舞』という少女と居られる、最後の日に成るだなんて事は、露も知らず――。
平野神社は、春は桜の名所として有名です。神楽舞台では巫女さんによる舞と同日にお琴を披露があったりするので、まさしく『雅』といったものを感じられる場所であると思われます。
舞と雅。独特な感覚かも知れませんが、言葉の響きそのものが自分は好きなのであります。……自分でも何を言ってるのかよくわからんですね。←
次章が、物語の転換点に。