第33話 話計、宣託の儀
長々と、紙幣についての話がある今章です。
バブルを通しての三十年を日本で過ごしたが故の、主人公の私見が多分。
慣れない人との対話というのは、どうにも難しい。
それというのは、例え世界を超えても、変わることが無いようだ。
「――ところで、秋也? 『世を治めるに際して一番大切なもの』は、一体何だと貴方は思いますか?」
「……また、それか。いい加減、話を逸らさないでくれ。人の質問に質問で返すのは、余り育ちが良いとは言えないと思うのだが」
「ふふ。あら、人の育ちに文句を付ける様な人も、余り生まれが宜しいとは言えないと思うのですけれど」
「……ああいえばこういってくれるな、美子さん。大体、俺が聞きたいのが、そういう話じゃないってことくらい、貴女も分かってる筈だろう?」
この人は一体、何度はぐらかすつもりなんだろうか、と。もはや胡坐に頬杖をかいてしまっている俺の口からは、そんな小言と溜息すらも漏れ出していた。
二十畳程もありそうな、大広間の中央。
敷き詰められた畳上の座布団の上に胡坐をかく俺は、同じく足を横に崩しながら座している神託の巫女と対面していた。
条坊制を取る帝都の北東、一条神事通りに座す大屋敷たる神社の境内。その一室の、大量の畳と襖に閉じられた大広間。
それが、今の俺が居る場所だ。
突如として俺の産みの親であると名乗った、神託の巫女たる『桜井美子』の膝の上で目を覚まして以降。
未だに俺の隣りで眠っていたミドリを背負いながら北門を潜り抜けた俺は、そこに予め用意されていた籠馬車――いわば絢爛豪華な装飾が施された儀装馬車のようなもの――に連れられて帝都の通りを闊歩し。
そしてこの神社の境内までに案内されて、此の場所に至っている。
辺りが宵闇に包まれる中、窓も仕切りに閉じられた籠馬車の中に乗り込んでの移動であった為に、帝都の街並みが余り拝めたわけではない。
だが、夜中であるにも関わらず通りを行き交う人々の息遣いが籠馬車内にも聞こえてきたのは、この帝都が夜にも賑わう街であるということだけを教えてくれていた。
しかし、待ち望んでいた帝都での景観や、この神社の境内の趣への関心すらも。
俺が今直面している一つの大きな疑問の前には、どうにも霞んでしまっていた。
俺が今彼女と対面しているこの大広間には、神託の巫女と、未だに眠りについたまま俺の傍で横たわっているミドリと俺の、三人しかいない。
人の数に対してただ分不相応に開けた空間に居座るというのは、どうにも人を落ち着かせないものだ。
その事もあってか、俺の中では逸る感情が先行していた。
「……何度目の質問になるのか分からないが、それでも再三聞かせて貰う。――何故、俺を産んだ母親とやらがこの世界に居るんだ。何がどうして、神託の巫女などという大層な役柄を、この世界で担っている訳なんだ」
それが、俺の中でどうにも尽きない疑問だった。
籠馬車の中でも幾度と無く尋ねたが、未だにその答えについては、はぐらかされたままだ。
尋ねれば別の話題で返され、そのたびに俺がこの話題に関する疑問を再び投げ返す。そんな押し問答のような状態が続いていた。
だからこの内容の質問も、既に七度目だ。
求めている答えが返って来ず、何度もあしらわれるようにして問いを躱されたことで苛立ちを感じて憮然としている俺に対し。
彼女は薄く笑みを浮かべたままに、のほほんとした表情を崩さない。
それが余計に、この人との感情の落差を俺に募らせていた。
「ええ、分かっています。どうして私がこんなにも若い容姿で、美人で、博識で容姿端麗で、大和撫子で才色兼備なのかという事を、秋也は聞きたいのですよね」
そんなことを聞いている状態な、わけがない。
いや、どういう自画自賛なのか。そもそもこの人が博識かどうかなんてことを、俺が知ってるわけが無いだろうに。
彼女の性格の片鱗が、未だに少しも掴めない。ただ確かに、産み俺の母親とは思えない程に容姿が若い。
どうみても見た目は十代後半であり、いくら若作りをした所で、三十代の息子を持つ親の顔とはまず思えない。
だが、彼女が俺の産みの親であると言う事実が虚であるとも感じない。
言葉や理屈では言い表せない、根拠の無い根拠が俺の意識下でその事実だけは否定をしていないからだ。
それだけは、確かなこと。
「……言葉が通じないってレベルじゃないな。それでも確かに何故そんなにも若い容姿なのかというのも気になる所だが、俺が聞きたい話の根本は、そういう事ではなく――」
「――でしたら。先に私の質問にも答えてくれてもいいではありませんか。レディーファーストという言葉くらい、あちらの世界で生きて来たのなら、聞いたことがあるでしょう? それに、聞きたい事を相手の口から譲歩させたいのなら、まずは他人の求める情報にも答える必要があるのではありませんか?」
『他人』、とくるか。
俺の産みの親である貴女自身がそれを言うのか、と。
そう言う意図を持っての発言ではないのかも知れないが、その言葉にはどうにも煮え切らない思いが生じてしまう。
大体、この人との距離感が全く掴めない。
一々、気に障るようなこの物言いもまた、俺を試しているようにも思える。
――だが、確かに彼女が言うように、このままでは互いに押し問答が続くだけ、というのが現状だ。話を進めるには、どちらかが折れなければならないのだろう。
非常に癪ではあるが、暖簾に腕押しをしているような感覚を味わい続けるのも嫌な話だ。
溜息を吐きつつ、俺は彼女の青い瞳に視線をぶつけながらそれに答えることにした。
「分かった。先に俺が、貴女の問いに堪えるとしよう。どういう意図があって聞いているのかは分からないが、確かお題は、『世を治める為に一番大切なものは何だと思うか』、だったか?」
「ええ、内容はその通りですけど……あら、思ったよりも素直なのですね。貴方はもっと負けず嫌いな性格をしているのかと思っていましたけれど」
渋々折れた俺の返答に際し、何故か神託の巫女はここで初めて、意外だと言わんばかりの表情を浮かべた。
何を根拠にそんなこと言っているのか知らないが……まあ、俺が昔から負けず嫌いだったのは間違っちゃいない。
ただそれ以上に、ここまで不毛なやり取りに気力を裂けるような気概が今日の俺には余り残っていないというだけの話だ。
「主観的なやり方を答えるだけいいのならそれで言わせて貰うが、俺が思うに、世を治める為に一番重要なのは……」
「重要なのは?」
「金だ。言ってみれば、『経済の支配』だ。それ以外に、深く考えたことはなかった。俺の生活の上では、な」
その問いに対しての俺の答えは、極めて単純なものだった。例え深く考えずとも、現状、俺の答えはそれ以外に変わることはないだろう。
最も分かりやすく、誰もが知っているもの。しかし、多くの者がその実態を問われれば、実際には概要すら掴めていないものであるかも知れない。
かくいう俺もその全容を掴めている訳では無いし、国を治める為に必要なものは何かと問われれば、権力や権威、政策や法律とも考えるのが妥当な答えなのだろう。それは間違いでは無い。
寧ろ正しい。が、俺にとっての答えでは無い。
元々俺は政治家でも法曹でもない。専門家でもない時点で、その辺の知識はそもそも弱い。
急遽として魔法使いという尊大な役柄を得てしまった以外に、本来あちらの世界に居る間の俺の肩がきは、単なるフリーター。
かつ、ネットで株式のやり取りを繰り返す、一介の投資家でしかなかった。
だが、それ故に感じた単純な事実がある。株式を操る者と、その経済がどれ程に影響力を持っているのかということを。
金による経済の支配こそが、世を治める為の一番重要な役割を果たしているのだと――。
俺のその答えに、神託の巫女は一時目を丸くして口を閉ざす。
しかし、数秒も待たずしてその表情を破顔させると、振袖で口元を隠して楽しそうに笑い出した。
「ふふっ。……お金。お金ですか。私もお金は大好きです。それこそ私も神託の巫女などという神職については居ますが、とどのつまりこの神社の建物も、修繕費も、私とマイの生活も。人々からかき集めた税金無しには立ち行きませんからね。でも、何故?」
何故、とは。
「どうして、貴方はお金こそが世を治める為に一番重要なものだと思うのですか? 権威、軍事力、議会、行政、司法。他にも色々ある中で、何故経済の支配こそが重要だと?」
理由次第では単なるつまらない意見のとして、貴方の聞きたいことにも答えませんよ、と。
この人は愉快そうに、そう付け加えてきた。
こういう話が詰まるか詰まらないかは、人によると思うが、思う事を言うだけなら無料だ。もうどうせなら、言うだけ言ってやろうじゃないか。
「そうだな。理由としては、あっちの世界で最大の支配構造に居るのが、近代から現代にかけては長い間。金融関係の者達だという印象があるから、だな」
どうあっても、誰が否定しようとも、あの世界で生きる以上、金融機関の影響力から逃れることなど、出来はしない。
「権威や政策も大事だが、結局はそれも金が無ければ実行にすら動かせない。人々の生活を発展させる為に公共事業をやるにしても同じだ。何をするにも、初めは金が要る。国家であれば、国民の税金から資本を捻出するか、国債を発行する。もしくは――」
「……資本家や銀行に、お金を借りるしかない、ですか?」
そう。結局はそこに行き着く可能性が高い。
資本家には国債を売るという表現の方が正しいが、とにかく真っ当な政策を起こすにも、善政を敷くにも。あの世界では元手が無いのなら、お金が在る所に求めることになる。
武力で取り上げる手もあるかも知れないが、法治国家であれば、非常事態でも無い限りそれは容易では無い。となれば資本家に借りる手もある。
だが、そもそもその資本たる紙幣そのものは、誰が生み出しているのか。
日本で言えば、そのお金――日本円の紙幣を作り出すのは中央銀行たる『日本銀行』であると、その答えに誰もが思い到るだろう。
しかし、その日本銀行でさえも、政府が全ての手綱を握って運営をしている訳では無い。
日本唯一の発券銀行である日本銀行は完全なる国営ではなく、一個法人として独立した、『株式会社たる民営銀行』でもあるからだ。
当たり前すぎて誰もが知っているような事実だが、これは殊更よくよく考えると、気になる部分を残しているものでもある。
今自分の手元にある円紙幣。それは直接日本政府が発行しているのではなく、民間が独立して作ったものだと言われればその違和感に気付くだろうか。
日本銀行の株式の55%を政府が握っているものの、残りの45%は民間であり、その株主の詳細は今も非公開。
尚且つ、意見を出す事は出来ても金融政策決定会合での実際の議決権を、政府は持つことが出来ないのが決まりだ。
国民が手に持つお金を刷るのも、紙幣の価値の増減を決めるのも、これでは国が日本銀行を通さなければコントロール出来る環境にはない事になる。
事実そうであり、そのメリットとしては、政府が貨幣経済を混乱させるようなインフレを起こす危険性がない、という点にある。
――ということにもなっているが、それは逆に言えば直接的に政府が紙幣に関与出来ない以上は。
裏を返せば紙幣発行の関与には、その都度株主と交渉を経て、あちらから譲歩を引き出さなければならないことになる、とも言えるのではないだろうか。
その辺りを美子さんに要約して伝え、話を続ける。
「とまあ、この話に置いては、だ。この状況で政府が株主としての議決権を持たない以上、日本経済を左右する紙幣発行そのものの手綱を持っているのは――日本銀行の大株主達って事にもなるのかも知れないな」
「日本経済を左右する……とまで言うと明らかに極論過ぎではありますが、その方達がその軸となる一端を担っているのはまあ、確かでしょうね。余り私も、当時はそこまで深く考えた事はありませんでしたけれども……」
とあれば、この時点で政府も議会も、経済の大きな骨幹たる紙幣の増減への干渉をするには日本銀行の株主の意向に配慮しなければならない構造になってしまっている。
完全なる国営では無い以上、国民の税金が政府の借金の利子として日本銀行へと払われている部分も、無いとは言えないだろう。
「円もそうだが、世界基軸通貨であるアメリカのドル紙幣すらもそうだ。世界基軸通貨であるドル紙幣を刷る権利は、法に明文されていようとも、アメリカ政府も完全には持っていない時期があった。……そしてその、ドル発券銀行の一部を支配する役割を、かつて陰で担っていたと言われているのが――」
「……ユダヤ資本の銀行家、ですか?」
「そういう話、知ってるのか」
「ええ。元々私が日本に居た頃からも、何かと話題に上がる有名な話でしたから。この私も知っている話ではありましたね。昔から世界の陰謀がどうのこうのというおかしな話題の中にはよく出てきますし……。あとは、世界史や明治維新の話題になると、よく出てくる呼称でしたもの」
自身の頬に指を当て、考える様な仕草を見せて首を傾げながら、彼女は長い黒髪を静かに揺らす。
俺が言う前にその言葉を紡がれてしまったが、まあ、それが言いたかったので余計な口は挟まない。
その資本家の中でも特に有名なのは、18世紀後半にイギリスの中央銀行を設立して以来、フランスを含めて多くの発券銀行を作り上げ、世界にその名を轟かすことになった銀行家の家系だ。
彼らはナポレオンの時代や第一次世界大戦、世界恐慌を経て、その銀行家としての資本を莫大なまでに膨れ上がらせたとも言われている。
――だが、日本でその名前を聞く機会となるのは、歴史的にはやはり明治維新の場面だろう。
幕末から現在にかけても尚、日本の政権を担う総理大臣や政治家を排出しているのは、討幕を果たして明治政府をの礎を築き上げた、薩摩藩や長州藩。その出身の家系が人達が多いのは良く知られていることだ。
その討幕に際し、薩長の橋渡しを担った坂本龍馬を通じて、薩摩藩に大量の武器を売っていたのがトーマス・グラバー。
そして、そのグラバーの商会はイギリスのユダヤの資本家系列に属しており。また、同時に幕府側にも武器を売っていたのが、フランスに分岐していた同じ家系であるとも言われている。
属する国は違えど、元を辿れば同じ系列にあるその資本家が、イギリスにもフランスにも中央銀行を構えていた以上。
幕府にも維新政府にも武器を売り渡していたその商会の元を辿れば、両者の資本家はもともと同じ系列であったのだ――――というのがまあ、ユダヤの資本家が陰謀やら陰の黒幕として真しやかに語られる時の一例である。
「とどのつまり、維新側と幕府のどちらが勝っても負けても恩が売れる状態になっていた、と。しかも双方の勢力に小銃を売る事でどう転んでも彼らが儲かる仕組みになっていたわけだな」
ただしこれも陰謀論と世間的に呼ばれるものなので、この内容を鵜呑みにする事は当然、憚られる。客観的な資料も文献もなしに、これが真実だなどとする気も毛頭もない。ただの一説として、内容自体は聞き流して貰ってもいい。
「……だとするならば、どうやら幕末の動乱すらも。紙幣発行の権限を持つ者達によるビジネスの中で転がされていた事になりますね」
そういう解釈も、この場合にでは成り立つのだろう。
そして明治維新を通じて武器提供から繋がりを持ち、尚且つ有り余る資本を持っていた以上は、だ。
財政基盤が未だに弱かった明治新政府が、その系統の資本家に何かしらの資金提供をして貰っていたとしてもおかしくは無い。
戦後処理と復興には常に金が要り用だが、それに加えてその後の富国強兵をも達成するには、当時の国民からの税金だけでは財源が満たされないからだ。
それから、明治十四年。
列強と比べれば圧倒的に財源も貧弱ながら、その年になって日本にもついに、中央銀行たる『日本銀行』が設立されている。
この流れから順当に行けば――政府が持つ55%の株式の外にある、現在情報が公開されていない日本銀行の45%の株主の中に、海外の維新の投資家を含むその系列が入り込んでいたとしても大きな違和感はない。
日銀の株主が非公開である以上はそれも結局は推論でしかないが、歴史の流れの中では想像の膨らむ話だ。
とはいえ、確証が取れない限りは何処までいってもただの想像でしかないが。
「……いいえ、成る程。秋也はそう考えるわけですか。だとしたら、日本の円紙幣の発券にも少なからず、アメリカのドル紙幣と同じく、現代に入ってもなお、未だにその当時の系列が関わっているかも知れない――ということになりますね」
「ああ。だが、別に日銀に関わらずとも、何処でもいいんだ。とにかく、世の中で紙幣の発行権――すなわち、国庫の出所を実際に握っているのは誰なのかという事は、とりわけ重要だと俺は考えている訳だ」
実際に自分が何処かの国の紙幣発券の権限や、莫大な資産を持っていたとしよう。
そうすれば、一体何が出来るのだろうか?
紙幣経済の支配構造に居ることや、莫大な資産を持つ事。
その事実そのものが、直接国民に関わる国の中枢となって政治の権力や司法を全面的に操れる訳では無いのは確かだ。
だが、間接的にその上層部――政治家や企業家達に自身の意向を潜り込ませる事が出来れば、それこそが絶大な影響力になる。
株式においては、紙幣そのものの出どころを手中に収めていれば、企業への出資は難くない。
何故ならば。
必要とあらば、まさしく打ち出の小槌のように紙幣を刷って、その企業に投資することが出来てしまうからだ。
勿論、国ごとに固有の制限があるはずなので、あくまでこれも理屈の上での極論的な話なのだけれども。
実際の世の中で行政や立法を担う政治家に成る為には政治資金が要る。政治家になった所でやはり、その活動にも資金は欠かせない。さて、政治資金としてそれを献金するのは何処だろうか。
その答えの一つは、企業だ。
だが、特定の業界の支援を議会で決定できる政治家達が、企業から献金を受けることは合法なのだろうか?
「それは……確か日本では、それも違法ではありませんでしたね」
「ああ、一応は。司法の頂点に在る日本の最高裁判所も判例、いわゆる判決文の中で、企業の政治献金は合法であるとして基本的に広く認めてる。国家の骨幹である三権である司法、その最高権威がそれを容認している以上、献金自体に大きな抵抗は生じていなかった」
となると、だ。
企業家達が自分達の意向を通す――例えば道路や建築等の公共事業を行うために、企業が政治家に献金するとして。
そもそも、その企業自体に意向を示すことが出来るのは誰かが問題になる。そこで基本的にその企業の方針を決めることになるのは、大株主達だ。
では、この場合におけるその答えは。
「そもそも企業に出資していた大株主である『紙幣の発行権を持つ立場の者達』が、政治にも法にも意向を示すことが出来る、というわけですか」
「そういうわけだ。元を辿ると、最後はそこに行きつく形式になる。ただ勿論、全ての出資者がそうであるわけでも無いし、そうなるわけでも無いけれども」
その点に限れば、実際に日本でそうであるのかは争点では無い。
『状況が整えば、やろうと思えば出来る状態にある』という内容自体が、主張したい重要な部分だ。
紙幣の発券権を握り、更にそれによって株式という正攻法で莫大な資金を経て、経済の支配側に回る。
そして資本を増やし続けることで、また更に支配圏を広げていくことが出来る。その繰り返しだ。
「でもまあ、心底ぶっちゃけたような話をすれば、そういう面倒な方式を通さずとも……本当に莫大なお金がチラついたら大概の人は靡く他ないと思うがな」
「ふふ。ええ、私もそれだけは、少し同感です。もしも私が政治家だったとしても、十億円あげるので、その法案にちょっと賛成票を入れて下さいと言われたら、心は揺れてしまいそうですからね」
そこまでいくと、流石に身もふたもない話である。
それに、だ。日本に限らず海外であっても、数百人も議員が居れば、用意される莫大な政治資金に揺らぐ者はいるだろう。
結果として法案を通したければ、金に目が眩まない意思の強い議員まで買収する必要は無い。
大金や自分の政治生命の為に心が揺れ動いてしまう、その過半数の議員分さえ買収してという手段も取れるのだ。
目もくらむような大金に、心が揺れ動かない者が居るだろうか。
ましてや、政治家ならば尚更の事。権力を目指してきた者こそ、野心を持っているべきではないか。
それに加え、更に重要な情報機関の株式を買収して手中に収めていれば、世論を形成する為に欠かせない、『報道』も操作できる。
株式で成り立つ報道機関は相当な範囲で買収可能だからだ。つまり偏向報道も、大概は金で作り出すことが出来る。
職員だって慈善事業で報道機関で働いているわけじゃない。CMのように、営業金の元になるスポンサーの意向は存分に受けるだろう。
そうしてメディアの印象を通して当選させたい議員をのし上げる事も可能であるし、自分達が出資していることそのものに報道規制を掛ければ市民の目は向かない。
莫大な資本があれば、それも不可能では無い。故に金。
経済の支配こそが世を治める為の重要な手段では無いだろうか。
「そうなれば一部の上層部の者達が考える計画や計算の中で、世の人は動いていく。動かされていくことになる」
そこでは戦争もしかり、経済もしかり、政治もしかり、だ。
「というわけで、これが――国を動かすにも世を動かすにも、紙幣発行を含めた、経済の支配部分を抑える事こそが。世を治めるに際して最も重要な事だと、俺が考えたその理由だ」
長い理由を一端言い終えて、一息付き。
最後にもう一度だけその内容を振り返る。
日本でも財閥の系列が今もなお力を持つように、例に挙げた系列の企業を例に出せば、情報機関、他にも兵器、食品等、多岐に渡って世界中における影響力を未だに誇っているという説も世にはある。
世界基軸通貨であるドル紙幣の発券権を手中に収めていたとして、それも含めれば彼らが世にどれ程の多くの影響をもたらしてきたのか、想像も出来ない次元の話だ。
金は唯一、あの世界で誰もが共通して価値を見出す存在だ。
それが例え、本来は一銭の価値も無い、ただの紙切れであったとしても、人は好んで騙されていく。
「心底思いたくはないが、そういうことを含めて、結局世の中は金だと俺は思う。どうあっても、俺はこれを否定できない」
「……うふふ。でも、色んなものが支配できたところで、愛は金では買えませんよ?」
「いや、人への愛も本当に大切なものだと、舞と出会ってからは感じているさ。……それでも、物を買うにも食べるにも、友人や恋人、家族と過ごすにも、土台として金が要る。日本で舞との二人で生活していた時も、そもそも俺が家賃すら払えなかったら、どうなっていたか分からないしな……」
「金かね言うんじゃありません、ガキの癖に。と言いたい所ですが……頭脳はともかく、身体だけはもう三十の大人ですものね、貴方も」
「いや、おい。ちょっと待て。どういう言い草なんだ、それは」
そんな俺の問いかけに対しては、舌を出して、「てへ」と。見かけはともかく、年齢と雰囲気に合わない台詞を吐きながら、この母親は舌を出して微笑んだ。
いや、何も知らければ可愛い仕草なのだろうが……なんだろうか。
なんというか、この人の実の息子としては、名状しがたい感想が……。
――まあ、それはともかく。
これからマイと一緒に今後を生きるにも、この皇国でさえも硬貨を採用している以上は、金銭を得る基盤や金が無ければ生活も簡単には立ち行かない。
最低限の金が無ければ愛も、続かない。そんなこと位でマイが俺から離れるとは考えたくもないことだが、その危機感だけは、地味にある。
「なんにせよ、世を治めるには政策を作り出す者や、法律の整備も必要になる。それらを実行に移すには金が要る。その金を作り出せる者は、権力者の上に立ち、意向を示せるようになるってことだ」
「要は、経済の根本を握れば、間接的な手段ながら、広範囲に渡ってより確実に世を治めることができる、ということですね。……ええ。貴方がそう思うのなら、そうなのかも知れませんね」
「ああ。そう言うわけで、だ。金と経済を支配することが出来れば、世を治めることも出来るだろう――というのが俺の意見だ。……まあ、個人的な意見を乗せれば、以上になる」
長い説明だった。喋り疲れて、喉が渇く。
なんだかもう飯を食べて、風呂に入って、さっさとマイの膝の上で寝たいような気分にすらなってきた。
だが。それでまだ終わって良い訳じゃない。
俺が気になった肝要な部分について、この人の口から俺はまだ聞けていないのだから。
「で、結局今の質問の意図はなんだったんだ?」
「質問の意図ですか? ……それは、貴方の『質問』、ということで良いのですよね」
「ん? ああ、そうだが……」
妙に含みを持った言い草だが、これが質問であること以外に一体何があるというのだろうか。
「……ふふっ。いえ、なんでもありません。それなら答えましょう。まず、今の質問はですね。この世界における恒例行事みたいものなのです」
それも、千年以上のも続いてきた、歴史のある行いでもあるのです、と。彼女はそう付け加える。
「恒例行事? さっきの美子さんの質問が?」
「ええ。先程の問いこそが、この皇国の。未世を司る神託の巫女と、興世を統べる魔法使い――『童帝』となる者とで最初に取り交わす、宣託の儀だったのです」
宣託の儀、と。
「……そんな大層な名前を持つ儀にしては、随分と軽い雰囲気での質問の流れだったように思うがな」
大体、童帝ってなんだ。音読みにしたら、個人的にはとてつもなく嫌な響きとして思えない字面なんだが。いや、有難うな、マイ。うん。
「ええ、そのくらいに軽い方が良いのです。余計な緊張も無く、何の為にその問いをするのかという余計な知識も用意させないのが、第一前提でしたから」
余計な先入観云々に関しては確かに成功しているが……答えるまで何度も同じ質問をされたこちらからすれば、ただのごり押しだったとしか思えない。
「そしてその人が純粋に、忌憚なくどのような考えを持っているのか。それを問う事が、この場においてもっとも重要なことなのです」
就活生を見定める企業面接官の、模範解答のような答えを頂く。
確かに、事前にそれが面接だと言われれば身構えそうではあるな。
「……で、その宣託の儀とやらで、俺はどう判断されたんだ。二次面接に行くまでも無く、一次面接落ちか?」
良く分からない内に物事が進んでいた事実を耳にして、憮然とした表情で俺がそう尋ねると、神託の巫女はふっと微笑んでそれに答える。
「いいえ、合格ですよ。私の眼の前で貴方の持つ考えを話した時点で、もう暫定で童帝という役職に内定が決まっているようなものですから」
「考えを話した時点で合格? なんだ、それは。だったら意味があるのか、そんな儀に」
そうなれば俺は魔法使いかつ『童帝』とやらにも成ることが、この場でもう勝手に決まっていた、ということになるのだが。
「意味があるか、と問われれば、勿論意味はあります。あちらの世界から呼び寄せた魔法使いが、この皇国をより良い世と成す為に……一体何を重んじてこの世界で役割を果たそうとするのか。それを魔法使いが自らの頭で考え、宣言をする最初の機会になるのですから」
要は、世を治めるに際しての自己意識の再確認と、神託の巫女とその意識の相互確認の為の場だったのです、と。
彼女は先程の言葉にそう乗せて、話を続けた。
「それに、まだ貴方自身この世界で何をしたいのか。しっかりと決まって居なかったでしょう?」
ぐっ、と声を漏らしそうになる。痛い所を突かれた。
それは確かに、そうなのだ。
「それを貴方が、今言葉にした。それこそが重要なのです。単純に言ってしまえば、こういうことです。……今しがた貴方が言葉にした、世を治める方法がありましたよね」
「ああ」
「――とどのつまり。貴方がそれを、この世界で実行してしまえば良いのです」
「…………え?」
予想外の言葉に、思いの外間抜けな声が俺の口から出てしまう。
よし、一拍置いて、声に出そう。
「……はぇ。……なんだって?」
予想よりも僅かに、間抜けな声が鼻を抜けた。
寝耳に水。というより、俺としてはかなりの盲点だった。
今まで完全に客観的な話と考えて自分の意見を述べていたが故に、自分がこの世界でそれをやるという発想を抱いてはいなかったからだ。
俺が、この世界の経済支配をする立場の存在になる? いや、しかし――。
「それ程までの事を行える権力が、俺にあるのか?」
そうだ。そこが問題だ。
いや、そもそも。俺は神託の巫女の立ち位置も、魔法使いのこの世界における立ち位置もまだ掴めていない状況なんだ。
マイからは、魔法使いはとにかく偉い存在なんだと言う漠然とした答えしか俺はまだ聞いていない。
「あります。それだけの権力が、在るからこその話です。マイもこの辺りの事情に関しては詳しく知らないでしょうから、貴方はまだ知らなかったのかも知れませんけれども」
「ちょっと待て。だとすれば、俺のこの国での立場は一体――」
「権威構造において上から二番目、といった所でしょうか。貴方の元居た世界に置き換えて言えば、いわゆる『太政大臣』の位に匹敵すると考えていいでしょう」
「なっ……!?」
太政大臣。いわば、それは――臨時職ながらも――国政最高の位。
俺がそれに、相当すると?
「ともすれば、実質的に権力においては、本来的にこの西朝での頂点とも言えるかも知れません」
何故なら、と。驚きに目を見開いた俺に向かって、彼女は更に言葉を紡ぐ。
「突き詰めてしまえば、この西朝を治める『当今の帝』でさえも。魔法使いである貴方には、表立って逆らう事が出来ないのですから」
「この国の帝でさえも……俺が? 一体どうなってるんだ、この国の仕組みは」
驚きという言葉を通り越して、最早彼女の言葉に対して猜疑心が生まれるレベルである。
東朝や西朝の違いに関しては未だに知らないが、とにかく今俺が居る西朝の帝をも抑える力があるとなれば、だ。
まさにそれは、『この国の頂点に立つのが藤野秋也である』という意味に解釈しても、差し支えがないような発言なのだから。
「そうですね。その辺りもまだ知らない事でしょうから、簡潔にこの国での権威構造を表してみますと、私達が今いる西朝には以下の三つの頂点たる柱があります」
「……三つの柱」
「ええ。――常世を統べるは、正統なる血脈を引き継ぐ『当今の帝』。 興世の魔法を統べるは、賢者たる『童帝』。 未世を統べるは、神の権勢を身に宿す『神託の巫女』。この三者が、それぞれこの西朝を支える柱となっているのです」
当今。つまりは、当代の西朝の帝。
そして童帝に、神託の巫女。
この三者がこの国での頂点ということは、今この場にはその内の二人が居ることになるのか。どうにも実感は沸かないが。
「そしてこの皇国最大の権威者たる三者を束ねて、『皇威三柱』と。この皇国では、時代に寄り沿いながらも総称されています」
「……皇威三柱、ね。しかし何故、その三者がそこまでの力を持つ?」
一つの事柄が権威と持つには、それなりの歴史的背景や実利に基づく理由がある筈である。
「俺が想像して判断できる限りのことを言えば……常に世を治める当今の帝。そして恐らく、宗教的な意味合いでも頂点に立つであろう神託の巫女というのなら、司祭や教皇のイメージに置き換えれば話はまだ分かる。……だが、魔法使いが何故そこまでの力を持つんだ?」
皇家の権威をかざすことの出来るマイム・ベサソのような魔術師が居る以上、魔法使いもまた、ある程度大きな権威を持っているのは分かる。
しかし、突き詰めれば魔法使いの権威は帝をも抑える程の力にまで達するというのは、一体何故なのだろうか。
「帝は民を。巫女は神事を統べる――ですね。帝や巫女に関しては、その印象で大きく相違はありません。その二点は、同じくあちらの世界でも普遍的な要素でしょう。しかしあちらとは違い、この国では『魔術』という第三の要素が、それらに比肩する程の確かな要素として存在しているのです」
政治と宗教は密接な関係にあることは、俺の世界では多くの人が知っている。
全世界を見渡しても、歴史の上で天下の政には宗教が関わるのは必然といっても良い位だ。
故に、王や司祭が併合するか並列している場合が多い。しかし、それだけの要素で考えるだけで良いのは、あちらの世界に限った話だ。
「なるほど。魔術などいうものが実際に存在し、多くの民がそれを認知している以上、この世界では魔術という要素も権威構造において多分に考慮する必要がある、という訳か」
「そういうことです。そしてこの皇国ジパングの西朝おいては、歴史的経緯上、『魔術師こそが国を治めるに相応しい存在である』という原点を基軸にして国家構造が成り立っています」
「……魔術師であることが原点……。えっと。それはつまり、この国では魔術師であることが為政者としての絶対条件になっている、ということなのか?」
俺のその要約に、「その通り」と小さく告げると、美子さんは口角を微かに上げて頷いた。
「そのため、権威者は魔術を行使できるが故に、大衆たる臣民に対して、上位に位置することができている。そしてそれを、民衆は受容する。それは神託の巫女であるこの私や、西朝の帝でさえも、例外ではないのです」
皇国ジパングは、魔術師でなければ一定以上の官職には決して就く事が出来ない国なのですから、と。
彼女は続けてそんな言葉を紡いだ。
要は、この皇国ジパングの西朝において、高官職につく事が出来るのは、魔術師のみであるという風土がある以上。
ましてやその頂点に立つ帝や巫女、そして童帝が魔術師では無いなどという事があってはならない、というわけらしい。
そういえば、カグラが居た村でも、中央から派遣される高官たる官吏もまたそうであった。カグラの話しぶりからしても、大前提として官吏という官職に就いている者は、『魔術師』ということであったのが思い出される。
ふむ。
となれば、この国では帝も巫女も、魔術師である事を背景にして権威を持つことになる。
……となると、だ。
「前提条件として、当今の帝や信託の巫女が魔術師であるが故に、民衆はそれらが権威を持つ事を認めている、と」
民衆もさることながら、高位の立場にある者も、魔術師でないものが高位に就く事は許されない。その考え方は非常に根強いだろうことが推察される。
「ならば、その権威者を権威者たらしめている魔術という要素そのものを、恣意のままに統べることが出来る魔法使い――云わば童帝の地位は、時として帝や巫女をも上回る、ということか」
それが結論。
漠然と言ってしまうのなら――。
どうやら俺は。時として、この国で一番偉い存在なのらしい。
「ならば実質的には、俺がこの皇国の第一権力者となる、ということなのか」
「言ってみれば、そういうことです。この世界における貴方の価値は、貴方が思っていた以上に重大なのだと……まあ、今日はそれだけ理解できたのなら十分です」
「頭で理解はしても、受け入れて身に浸透するには、途方も無さ過ぎる話だぞ、これは」
「ええ、そうかもしれませんね。……まあ、色々と貴方も疲れているでしょうし、話はそろそろ切り上げることにして。宣託の儀の続きは、後日に持ち込むとしましょう」
それに、従来より、宣託の儀は数日に分けて行われるものですし、と。
そういって彼女は流れを断ち切り、これで話しは終わりだと言わんばかりに新宅の巫女は正座を解くと、その場にすくっと立ちあがった。
「まあ、そうだな。この国の一般的な事情も知れたし、今は難しい話はここらで切り上げて…………って。いや、待ってくれ!」
危ない。
勝手に納得して、流れに乗せられて忘れる所だった。
そもそも、最初の俺の質問に答えて貰ってないじゃないか。
「どうして、俺の産みの親である美子さんがこの世界にいるのか。その返答を、結局まだ俺は聞いていない」
慌てて俺がそれを引き留めるようにして声をあげると、美子さんは「はぁ」と、本日一番の溜息を吐き。今までの彼女の雰囲気には似つかわしくない舌打ちを鳴らし、ゆっくりと振り返る。
そして、振袖の中から扇子のようなものを取り出すと、何故かそれを俺の座る直ぐ隣りへと照準を付け、勢いをつけてその扇子を放り投げてきた。
「……全く、しつこいことです」
と、小さな苛立ちの声を零すと共に美子さんが投げた扇子。
それは俺の隣りで、ぐぅすかと寝続けていたミドリの頭に直撃した。
「――あぅ、痛っ!」
コツンと、ミドリの額の骨にいい具合に当たった音が、広間に響く。
そういえば途中から完全に存在を忘れていたが、こいつが俺の横に居たのだった。存在感の無さでいえば、ミドリも忍者並なのかも知れない。
突然の事に驚き、額を抑えながらもミドリは目を覚ますと、辺りを寝ぼけ眼でキョロキョロと見回す。
その後に黒い着物の振袖から二本のクナイを引き抜き、勢いよく俺の前に出ると、投擲の構えを取り始めた。
「……っ!? い、一体なにが……。あ、秋也殿っ。敵の襲来で、ござるかっ!? む、なにやら怪しい巫女装束の女。秋也殿。こやつを斬ればいい、のでござるな?」
「んなわけないだろう、阿呆か。今は取り敢えず、ミドリは頭を伏せておけ」
惚けたようなミドリの発言に、スパンと彼女の頭を軽く叩くと、俺は彼女にその場で平伏するように指示をした。
下手に変な行動を取られるよりも、今のこの少女にはそう指示した方が早い。ミドリには、変な遠慮も要らんだろうし。
不満そうな声を挙げるよりも先に、俺の言葉に従ってクナイをしまうと、ミドリは慌てたように片膝を付く。
そして、西洋の王族に仕える、中世の騎士のような構えを取ると。
滑らかな最敬礼と共に、美子さんへと頭を垂れた。
「あ、秋也殿。これで良い、でござるか?」
一応俺の言う通りにはしたのだから、俺もそれで頷く。しかし、俺の考えていた平伏の形は違うのだが、これが四方の一族における礼の慣わしなのだろうか。
「……ふん。元気の良い従者ですね、秋也。貴方の言う事も一応は聞くようですし、野良ではない事は、これで証明できました。その扇子は、今後の彼女の『身分証』のようなものです。以降はそれを以て、臣民戸籍の代わりとなりますから、貴方の方から後で直々に渡して置いて下さい」
どうやら今投げた扇子が、四方の一族が野良では無い事を証明する身分証なのらしい。
ミドリにとってもそれは、有り難いには有り難い。
だが、あのタイミングで勢いよく扇子を投げて彼女の額ぶつけたのが、美子さんの苛立ちを示しているのだと思うと……此処は素直に喜んでいい所なのか分からないが。
「それと、質問についてでしたね。私は先程、貴方に尋ねましたよね。『それは質問ですか?』と」
確かに、そうは言っていたような気がするが。
「それに対して、貴方は是と答えました」
「それが、どうだと?」
「かつて世に定められた古代の法でも、『目には目を、歯には歯を』と言います。これは私の信条ともいえるもの。貴方の質問も、先程の私は一回には一回で返しました。なので、今回の質問に返す義理は既にチャラ、というわけです」
「……なんとも素敵な論理だな」
小学生か、と突っ込みたくなるような言い分だった。
あの妙な言い回しは、そんな事の為だったのか。
「ついでに言わせて貰うのであれば、他の部外者が居る所で話せるような、簡単な事でもないということです。また後日、二人の時に話し合うべき内容という事で、今日の所はどうか、引き下がって頂くことを願います、『童帝』様。それに――ほら」
襖の先に首を傾けると、きこきこと鴬張りの床を鳴らしながらトタトタと誰かが走る足音が耳に飛び込んできていた。
この音。この気配。
それは誰のものかというのは、彼女と存在が同調している俺が、一番よく知っている。
「貴方の大切なお嫁さんも、こちらに来ていることですし」
白い袖を口にあて、愉快そうにくすりと笑う神託の巫女。
そして俺達の居る大広間の襖の傍まで来た辺りで足音が止むと、タンッと音を立てて襖が開かれる。
「――主様っ、お帰りなさい! お夕飯の用意が、出来ましたよっ!」
静かな広間の、襖の奥。彼女の綺麗な銀の髪が、月明かりにさらりと揺れた。
なるほど、それなら仕方ない、か。
気色に富んだ、嬉しげな笑み。
目の前に訪れた彼女の、安堵の表情の前には。
今の俺の苛立ちや疑念さえも――全てが些末な問題になってしまうのであった。
色々と突っ込み所が有りそうな今章。
まだまだ見識の浅い秋也と、それを計る巫女。
『国を治めるのに一番大切なもの』とは、一体なにか。
秋也の考えも数ある答えの中の一つではあるが、神託の巫女の考えとはまたほど遠いところにある。
けれど、それを今一時は見守るつもりでいる巫女の図でした。
恐らくこれは、各キャラごとに、答えが違う問いになると思います。
国を治めるに、大事なこと。
そうえいば最近選挙もありましたし、こういう問いこそまさに、読者の答えが個人的には一番気になる内容だったりするかもしれないです。
――果てさて、どうにも食えない人物かと問えば、そうでもない振る舞いをもしてみせる神託の巫女。
その真意は、如何に。