第31話 深淵の忠義、南面の君。(後編)
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それから俺達は、目的地に辿り着くべく歩き続けた。
痛みも怪我も治るわけではなく、一応出血を止める手当はしたものの、その怪我が治るわけでは無い事は明白だった。
太陽は昇り、既に時刻は真昼を迎えようとしている。
因みにクナイや拳銃や眼鏡も回収済みで、多少の傷は入っていたが奇跡的に眼鏡は壊れていなかった。
後どの位で目的地には着くのだろうかとミドリに尋ねて、「恐らくあと半刻」と言われてどれくらいが経っただろう。
身体も疲れ切り、流した血も多く段々と意識が飛びそうな時もあったが、それでも俺達は互いを支えながら歩みに励んでいた。
疲労も蓄積し、顔色も悪くなっていた俺達だが、それでも鬱屈とした雰囲気ではなく、黙ったら死にそうなのでとにかく俺とミドリは雑談に花を開かせようと努力をしていた。
「……ところで、秋也殿。先程の戦いの折に、倅のクナイが全く違う方向に飛んで行ったのは、何故なのでござるか?」
色々と話している中で、ふいにそんな問いを投げかける。
ああ、魔術の跳弾でミドリの左腕に弾を当てた時のか。あの時は俺も避ける気が無かったし、あの仕掛けミドリにばれてたら、俺もあの時点で重傷を負いかねない場面だった。
「俺が木の陰から出た瞬間、最初に俺がミドリに、わざと金縛りの魔導陣を見せた時があったよな。あの時ミドリは、どうしようと思った?」
「……取り合えず、もうその魔術の効力は倅も把握していたのでござる。その故、秋也殿から少し離れた位置に投げて、その後に魔術の効果によって屈折で貴殿に当たる位置に投げようとまず思った、でござる」
そういう所で、無理にござるを付けないでも良いから……と言いたくもなってしまうが、俺は口をつぐむ。
どうにも、先程までの雑談の中で聞く所によると、仕える相手が出来たらこのように語尾を変えるのがやはり彼女にとってのポリシーらしく。半ば俺も認容することにしていた。
俺もミドリも、これから慣れれば、この口調に違和感も無くなるのだろうし。いやまあ、それはさておくとして。
「でも、そこで数秒間はクナイを投げるのを躊躇ったよな。それは何故だったか覚えてるか?」
「先程考えた通りに、金縛りの魔導陣によって貴殿から少し離れたクナイを投げた所で。……もしも秋也殿が自分からその魔導陣を消したらそのままクナイが素通りすると考えたのでござる」
やはり、それは考えていたか。魔術を見せておいておびき寄せながらも、その効果を敢えて消す。
知らず気付きもしない相手には有効打だが、それが事前にバレてしまえば、以下のような方法で簡単に対処されてしまうのだ。
「それで、だったらその裏をかいてもう一本俺に直接当たるようにクナイを投げれば、どうあっても二本中一本は当たるから得策だと閃き、そこで漸く二本のクナイを投げた、という所だろう?」
俺がそう答えると、驚いたようにミドリは頷いた。
「流石は秋也殿。その位、お見通しで御座ったか」
「……というより、そこで取り敢えず考えが止まってくれる事にしか期待して無かったから、御見通しも何も無いんだがな」
上手くいったからいいものの、それ以上を読まれていたら俺もあの場面でもう死んでいただろうし。
「結局、正解は俺の背後にあった木の裏側の、高い部分にもう二つ金縛りの魔導陣の展開をしておいて、実はどうあっても上に飛んでいくように仕向けられてったわけだ」
通常の生活の殆どを視覚に頼る以上、人は目に見えるものに考えが行き、頼る傾向にある。
ああいう緊張の場だと、特にそうだろう。
それ以外の感性に身を委ねることもあるこそすれ、あの時のミドリは外れようが当たろうがまた木の陰に隠れれば良いと思っていたはずだ。
だから、深くまで思慮する必要性を彼女が感じてなかったのも原因の一つだろう。
「なるほど、確かに、自分が安全な位置に居ると思い込んで、そこまでの考えは倅も疎かになっていたでござる。秋也殿は、咄嗟にそういう所を読むのが得意なのでござるな」
感心したような彼女の物言いに少し気を良くしてしまう俺だが、だからといってそれを全肯定することは出来ない。
「いや、それが得意ってわけでも無いさ。どういう時にどうするかを最低限頭に思い浮かべていられる時間が、予め一週間もあったからな。その一つに該当したから応用したってだけだ」
あれだけ時間があれば考えることも多かったし、詰めのパターンも三つは考えていた。
……だが、最後に自分で転ぶなどという展開は予想だにしていなかったのでそれこそが咄嗟の判断であったように思う。
まあ、不測の事態が起きる事なんてのは当然のことだと割り切ってから挑んではいたが、それでも準備段階で構想を練ることは大事なのだと改めて学習した。
あとは注意力が課題なり。
「……寧ろ、そちらの方が凄いでござる。倅は、物事を沢山あらかじめ考えるのは苦手故」
「まあ、人それぞれだから何とも言えないがな。直感の方が良い人間も居るだろし。とはいえ、俺は常に考える努力はした方が良いと思ってる。俺達も、これから、だ。これ、から……」
――……あ、れ……?
「――っ、秋也殿!?」
気付いたら、ふらりと身体が傾いていた。それを、彼女が右腕で支えてくれていた。
思ったよりも、出血や疲労、徹夜の負荷が大きかったようだ。
何とか意識を取り持ち、大丈夫だと彼女に言ってまた立ち上がって歩きはじめる。
心配そうな顔でこちらを見上げたミドリだが、彼女自身も出血も疲労も酷いもので、顔からは相変わらず血の気が引いている。
どっちもどっちの状態だな。こっちも心配になるじゃないか。……早く、目的地に着かないとな。
それからまた、歩き続けて二十分程過ぎた頃だっただろうか。もう時間を計ることにすら気力を使えなくなっていた辺りだろう。
もはや口を開くにも力が尽きかけ、静まり返りながら歩いていた折。
――ふと気付くと、俺達は、大きく景色が変わる節目の場所へと辿り着いていた。
狭い土の道を抜けた先、辺り一面がカキツバタの花の青に包まれ、先々にはそびえたつ山々が目に飛び込む。
……本当に、綺麗な景色だ。
拓いた平野に咲き誇る花々の色に心が洗われる様な、そんな情景。
一陣の風が吹き、鼻にはすうっと草木の匂いが透き通る。
「……見事な景色でござるな」
「ああ、そうだな……」
きっとここが、終着点だろう。ついに俺達は、そこに辿り着いたのだ。
帝都の北側に辿り着けば迎えが在る筈だ、とマイは言ってたのだが、ここでもう少し歩めば、神託の巫女とやらに会えるのだろうか。
まあ、あともう踏ん張りだ。そう思って足を動かした瞬間、ぐらりと身体が地に倒れるのを感じた。
意識が朦朧とし、視界が黒に染まっていく。駄目だ、あと、少しなのに……。
「あ、秋也殿! 眼を覚ますで、ござる! 倅はまだ、殿の後を追って殉職するつもりも流石に無いで、ござるよ! ……あっ」
俺への心配の前に、本音を漏らすな、本音を。流石に察するぞ。俺だってそんなのは望んでないから、安心しろ。こんな所で、死には、しない。
暗転する意識の中、浮かんだのはマイの顔だった。……駄目だ。まだ、もうちょっとだけ頑張るから、まだ、動いてくれよ。俺の身体っ。
意思に反して、閉じる目蓋。薄く僅かに開いた視界に、俺が最後に見たのは、袴の帯のような、赤い色だった。
「――良く頑張りました、秋也。身体は私が治して置きますから、暫くは安心して、お休みなさいな」
鈴の音色のような、誰とも知れない声の訪れを最後にして。俺はカキツバタの咲く草原の中に、意識を手放した。
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目を覚ます。朝の寝起きとは違い、意識の覚醒の遅さにぼんやりと辺りを目を見開くと、辺りは既に暗闇に包まれていた。
天に上り、周辺を照らすのは丸さの欠けた青い月。知らぬ間に時は過ぎ、今はもう夜中になっていた。
頭には、布を越したような人の暖かな感触。何だろうと軽く視線を傾けると、一人の女性が顔を覗きこんでいる姿があった。
理知的な知性を秘めたような、この月夜に良く映える青い瞳。
巫女衣装のような白い袴に、長い黒髪が風にさらりと俺の頬に掛かる。
ぼんやりとした頭で、此処はどこで、この人は一体誰なのだろうと考える。
慈しむような瞳に、不思議と懐かしい香りがする。……いや、俺は今、赤い袴の上で膝枕のような体制になっていて……。って、膝枕?
「……え?」
気付いた瞬間、俺はガバッと勢いよく上半身を起こした。見知らぬ若い女性から、膝枕……だと?何故俺は今、そんな境遇に。
いや、それよりも、俺の身体はどうなってる。慌てて手で自分の肩や頬を触るが、傷口は既に癒えている様子だった。
誰かが魔術で治してくれたのか? 辺りを見回すと、少し離れた位置にミドリも横たわっていた。
吐息を立てている事から寝ているだけらしい。彼女も傷は治っているのだろうか。
「……あの子が心配ですか? 大丈夫です。貴方もあの子も、傷は私が治して置きましたから。ただ、今日くらいは安静にしていた方が良いかも知れませんけれども」
起こした上半身の直ぐ真後ろ。先程まで俺が頭を乗せていたであろう女性の声が響いた。その声に、俺は振り返る。
そこに居たのは、巫女装束に身を包んだ、先程俺が見た黒髪の若い女性だった。
年の頃は、十七か、十八か。見た目はそれ位な年齢なはずなのに、落ち着いた雰囲気が大人の女性という風体を醸し出している。
これが、マイの言っていた人物なのだろうか。
「貴女が、神託の巫女と呼ばれている方……なのですか?」
「はい。私が、この国の神託の巫女です。……ああ、本当に久々ですね。互いが見違えるほどに。私にそんな言葉使いは要りません。マイと接するような態度で今は接して下さい、秋也」
どうやら彼女がマイのお師匠様とやらで間違いは無さそうだった。
しかし、言葉使いや立場にはフランクな人なのだろうか。まあ、別に正式な場でもないのだろうし、ここは彼女の要求通り他人行儀では無い態度で出来る限り接しようとは思うが……。
久々とは、どういう事なのだろうか。この人は、過去に俺と会った事でもあるのか?
「可愛い子には旅させよと言います。ええ、思う通りに旅をさせましたとも。マイにも、そして貴方にも。マイは、私にとっては娘のような存在ですから……。此度の方違えも、お疲れ様でした」
「……可愛い子、とは。もう三十の俺まで含めてそう言われても……」
口に出すつもりは無かったが、思うより先についそれが言葉に出てしまっていた。しかしそれは正直な感想だ。例えにしても、表現が過ぎるだろう。
それに、俺は誰かに旅をさせられたような覚えはない。自分で選び、マイと共に進んできたのが俺の今の道だというのに。
「此処に来ることのできる可能性があったのは、桜井涼太と、藤野秋也の二人だけ。その中で私は、生きて貴方の方が来てくれたのを、本当に喜ばしく思います」
何の話だろうか。桜井涼太? いや、確かその名前には、昔聞き覚えがあったような気もするが……いきなりの言葉に頭で上手く纏まらない。
この人は、勝手に話を進める癖があるような気がする。
だが、澄んだ鈴の音色のような心地よい響きの声に、ついそのまま俺は聞きいってしまっていた。
「古来より国を治める者を示す言葉には、こういう言葉があります。『君子は南面す』。あの娘は、貴方を導く炎の陽です。……ですから私は、貴方とあの子を巡り合せ、この世界での方違えの道を示しました」
そうだ。女神の信託。その巫女が示した道に従ってマイは俺の世界を訪れたのだった。
「……マイと巡り会わせてくれた事には、本当に感謝しています。でも、貴女は随分と俺の事も知っているようだ。もしかすると、何処かで会った事が?」
口にして、何かが心につっかえた。一体それが、何故なのかは分からない。だが、何か。尋ねるような言葉を口にしてから、自分の中で何かが掴めそうになっていた。
この人の傍に居ると、どこか安心する、そんな懐かしい感覚。不本意ながらこの人に膝枕をして貰っていた時に胸に響いていた、心地よき心音。
俺は、知っている。記憶には無くとも、身体と心の何処かで、俺はこの人を知っている――。
俺のその言葉に、少し悲しげな表情をみせると、それを掻き消す様に彼女は柔和な顔色を見せて、笑うのだった。
そこで、気付いた。
どうしようもなく、気付いてしまった。あの物言いがあったからでは無い。そうでなくても俺はいずれ、きっと感づいていただろう。
この三十年、俺がずっと生きてきた中でついぞ核心に触れる事の無かった、その事実に。
息が詰まる。心音が高まる。その熱さに、汗が滲む。まさか、そんな事が。
「……神託の巫女、とこそ世間様には呼ばれてはいますが、私にも名前と言うものがあります。元の私の姓を桜井、名を美子と申します」
その言葉を聞く頃には、もう確信していた。姿形が、年齢にそぐわないとか、そういう次元の話では無かった。
どんな姿をしていようが、否応なしに、目に見える事実を否定してでも不思議と理解してしまうものも、この世の中にはあるのだ。
聞かずとも、既に俺は悟ってしまっていた。考えようのない、衝撃の事実を。
それは。この人が、俺の。
「――私が貴方の、産みの母です」
随分と大きくなりましたね、秋也、と。楽しそうな声色で、朗らかにとんでもない事を告げるこの人を前にして。
ついぞ俺は、魂が抜け落ちる様な……そんな心地がするのであった。
次章からようやく帝都入りの予定です。
次章辺りでこの小説の文字数が30万文字を超えるのでしょうか。全体的には60万文字以内に完結できたらいいなとか思ってます(適当)