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魔法使いの主様っ!  作者: 三年寝太郎
皇国世界の主様っ!――皇国入り編――
31/34

第30話 深淵の忠義、南面の君。(中編)




 ▼



 名乗り合いの直後、俺とあの暗殺者の少女が動き出したのは殆ど同時だった。


 正面に構えていた銃で、俺は引金に指をかけて一発の弾丸を放つ。


 腕に響く爆発の振動。


 真正面に俺が撃ち放った弾丸は、直前に半身を動かした彼女にすんでの所でひらりと躱された。


 見切られた。どういう動体視力なんだ。


 そのまま彼女はくるりと身を翻すと、黒い着物の振袖をたなびかせながら木々が集結する森の中へと飛び入ろうとしていた。


 このまま森の中に入られるのは、敵の土壌に足を突っ込ませるようなもの。


 止めなければ、俺が不利になりかねない。だったら――。


「……逃がすかよっ! 四級、飛箱(とびばこ)!」


 森の中へ飛び込もうとしているミドリの足や腹部に引っ掛けるようにして、俺は金属性魔術である四方形の飛び箱を二つ程展開させた。


 通常は宙への移動に使う魔術だが、使い方を変えれば相手の足止めに使う魔術にもなるのが便利な所だ。


 魔導陣の展開に合わせ、即時に魔躁によって展開した二つの飛箱。


 それに衝突し、僅かでも彼女が足止めを喰らった所を拳銃で狙い撃つのが目的だ。


 それを見据えて使用した魔術だったが……俺の思うようにはいかないのがやはりこの相手であった。


「面白い。が、甘い。この程度、斬れば抜けられる」


 彼女の足元付近に展開した魔導陣は右手に持ったクナイで一投。


 腹部に仕掛けた魔導陣はそのままもう片方の手に持ったクナイで引き裂き、俺の魔術はそこに霧散した。


 そしてみすみすと俺は、彼女が森の中へ入っていくのを許してしまう。腹いせに一発銃を撃ちたい所だが、弾数の制限も考えれば完全に短期で攻めきるつもりは無いので、ここは堪える。


 しかし、流石に簡単にはいかないか……。


 彼女が魔術を切り裂く能力を持つ者、断術の使い手であるという事実、その時点で俺とは相性が最悪だ。


 だが、不利な点があるとはいえども俺に勝機が無い訳ではない。


 こちらもこちらで、彼女を仕留める為の『奥の手』は備えているのだから。


「――とはいえ、まずは中距離戦だ」


 森の中に入った彼女の動きを出来る限り目で追いながら、俺は静かに呟いた。


 そう、ひとまずは中距離戦だ。ここから先は二十五メートル以内を保った状態で、お互いが投擲武器を主にして戦うスタイルの動きになるはずなのだから。


 それに関しては、ここ数日でのマイとの特訓が生かされる……かも知れない部分である。


 立ったまま銃を構える俺は彼女を目で追い、音で敵の位置を把握していく。


 しかし俺が今立つ土の道に対し、彼女が潜った森側は奥が深い。


 森の奥に潜られ、見失った所で投擲をされてはこちらがやはり不利になると感じる。毒蛇に関しても知識が無い以上は、余計に不安要素が増えているのが現状だ。


 誘いに乗るようにして、同じ森に潜るか。それとも、俺も彼女とは反対側の森に潜って相手の視界から逃れるか。はたまた、この開けた土の道に残って戦うのか。


「……いや、攻めよう。今あの敵を視界から逃す方が、厄介だ」


 逡巡の後に、俺は彼女の潜った森側へと走り出した。


 地を蹴り、その場を断った後には土が舞う。彼女の姿を目に追いながら、飛びこむようにして俺は草木の生い茂る森の中へと入り込んだ。


 俺が入り込んだ茂みが多く、草木を割るようにして一度、俺は前転を行う。


 そして木々の中に紛れると、即座に寒気を感じた。そしてそれに次ぐ、風を切る音――!


「五級、金縛りっ!」


 過ぎる危険のシグナルに、見る間もなく早口に魔術を展開する。


 そして体勢を立て直そうと銃を構えた所、目元付近に何かが通り過ぎた後。


 ――左頬を異物が(えぐ)るようにして、肉を引き裂きながら通り抜ける感覚が刹那に走る。


「はっ……がっ、ぎっ……! いってぇっ!」


 咄嗟に俺が展開した魔術にその異物、要するにクナイは引き寄せられたらしく、そして俺のその魔術がクナイによって打ち砕かれる感触が俺の魔躁感覚を通じて伝わった。


 だが、軌道が逸れた所で既に魔術の展開が遅すぎたのか、投擲されたクナイによって俺の頬は抉られたらしい。今の一瞬で、あの一投。あの敵が、どれだけ投擲に秀でているのか計り知れない。


 幸い脳天には突き刺さらず、左頬をえぐるだけに済んだが、それでもこの段階で受けるには割ときつい負傷であった。


 もう既に、斬られた左頬の影響で顔半分が痙攣し、左目の視界が時折ぶれ始めている。ちくしょう。初手から、失態にも過ぎる……!


 ぱっくりと削られた頬のせいで、左の顔半分が俄かに痙攣しており、そこから流れ出る血が俺の頬を伝わり、尚且つ頬を内側まで貫通したのか舌に血の味が転がり込む。


「……ちっ! この野郎っ!」


 その嫌な感覚を味わうと同時に、俺は舌打ちうをしつつ、投擲が為されたであろう方向へと拳銃の弾丸をぶっ放す。


 軽音を響かせ、宙を行く弾丸。しかし、やはり左頬を切られた事による顔の痙攣で目元がぶれ、照準が合わせ辛くなっていた。


 そこで撃った一発の弾丸は、二十メートル程離れた彼女の所まで届く間もなく、途中の木に当たって食い込み、その軌道を終えてしまう。


 そして俺が弾を外したその隙に、彼女はタンッと地を蹴り上げて木の上に飛び乗ってしまっていた。


 当たらないと見るや動き出す判断の速さもさることながら、木上りの素早さもまた器用なものである。


 離れた位置で見下ろすように木の上にのぼった彼女は、こちらをジーっと眺めるようにして静止していた。


「……どうした、秋也殿。倅を討ち取るのに、その程度ではたかが知れる。古今稀にみる性能をもったそのような武器を以てしても、それでは倅に追い付けない。――因みに、倅は野郎では無く、一応乙女。間違えられるのは、少し辛い」


 明らかな挑発を飛ばしてきたが、最後に控えめに繋いだ言葉のせいで異様に安っぽい。


 何が乙女だ。そんな発言は、マイの可愛さの百分の一でも備えてからするべきだろう。ただし、あくまでそれも俺基準だが。


 ただ、先程の彼女の挑発的な発言。それは敢えて喧嘩売っているような、何かこちらの意思を引っ張り上げる様な文句のように思えたのは、何故だろうか。


「……上等、上々。俺もお前さんも、まだまだこれで御相子様だ。大体、そちらの耳の怪我に合わせて俺も手負いになってやっただけだ。それに、今の一投で俺を仕留められない時点で、そちらも同じようなものだろ?」


 対して俺は、小者役者の遠吠えのような返しをした。敢えて攻撃を受けるなどというのはどう考えてもあり得ないが、こう言って置く事で今の自分の気持ちを落ち着けるのも有りかも知れない。


 そうだ、状態に大きく差が開いてるわけじゃない。


 狙っても完全にこちらを仕留め切れないのは、あちらも同じだ。焦る事は無い。勝負はまだまだ、これからなのだから。


「なるほど、弱い犬ほどよく吠えるというのは、誠かも知れない。……わぉーん、わんわんっ」


 何故かいきなりそう吠えた後、木の上でお座りのポーズを取り、片手でお手をするような所作でクナイをぷらぷらとさせたミドリ。


 ……どこまで馬鹿にしてるんだこいつは。


 その返答代わりに、俺は無言でトリガーを引いた。


 その気配を察したらしい彼女は即座にその場を飛ぶと、放たれた銃弾を躱してやり過ごし、今度は隣りの木に移ってその身を隠した。


 弾は外した。


 だが、外れたにしても、かなり僅差の位置の枝に弾が命中したのを視認できたことから、狙うには狙える事がこれではっきりした。


 多少左頬の痙攣はあるものの、慣れてしまえばまだいける。とにかく、今後も余り挑発には乗り過ぎず、出来得る限り冷静にいけば良い。


 作戦の引き出しはあるにはあるが、攻め手として俺の取れる手段は多くは無いのだから。


 それから俺は、牽制にもう一発だけ。彼女が隠れた木の周辺に銃を撃っておく事にした。


 静かな森に、再び弾丸の快音が鳴り響く。


 そして俺も、彼女が十数メートル離れた地点で木の後ろに隠れたのに倣い、近くの木の後ろに一時隠れる事にした。


 そして木を背にすると、即座にマガジンを抜くと、新たなマガジンを装填する。


 ……これで手元に残る弾薬は、予備のマガジンを含めて十五発。


 基本装弾数七発の内、先程のを含めて計六発を使用した状態だった。


 そして未だに一発の弾が銃の中に装填されている状態でマガジンを入れ換える動作を俺は行う。


 面倒ではあるが、弾が切れる前にこの動作を行う事は、手持ちの拳銃の性質上、欠かせないものであった。


「……昔グアムで撃った時には、そういう所に気を使う考えすら抱かなかったんだがな」


 ガチャンと音を立ててマガジンをセットしながらも、思わず呟いてしまう愚痴のような小言。


 やはり射撃や競技やの娯楽として撃つ時とは違い、いざ実戦となるとどうしても気になるのは、マガジンの入れ換えのタイミングだ。


 この銃では火薬が爆発するその反動によって次の弾が装填される、という構造になっているが為に。


 出来れば弾が銃の中に在る状態でマガジンを入れ換えた方が、次の射撃までに隙が無いのだ。


 主導でスライドを戻す動作に使われるであろう僅か数秒が俺の命運を分けるかも知れない事を思えば――敵に攻撃されない内に、今此処で装弾数を八発の状態にしておくのは、とりわけ安全策を取った結果であった。


 だが、次の装填の際にも同じような安全な状況で弾を装填出来るとは限らない。


 場合や状況によっては、銃の弾を装填する瞬間に大きな隙を晒す事に成る。だが、それが必ずしも圧倒的に不利な状況に追い込むものとは限らない、か。


「ただ、次にマガジンを装填する機会があるかどうかも不明だが……まあ、不利も有利も、動き出さなきゃ始まらない、か。いっちょ、此処で勝負に出てやるさ」


 弾を装填するのに併行し、ついでに脳内で次の攻め手の構想を練ってもいたが、実際にどうするかを決めたのは一瞬だった。


 こちらに考える時間があれば、あちらも冷静に考える時間を得てしまう。それならば、既に手段が決まった時点で俺は自分の動きをすることにしたのだ。

 

 声に出して自身を鼓舞し、次の行動に決めるやいなや。


 俺は木の真横に素早く身体を乗り出すと、再び彼女との戦闘に舞い戻る。


「さて……五級、金縛り」


 木の陰から出ると同時に、俺は自身の直ぐ真横に魔導陣を展開し、敢えてそれが先立って相手にも見えるように差し向けた。


 その目的は、それが回避の為に展開した魔術だと彼女に見せつける為。つまりは、彼女が俺へと投擲するクナイを回避するための布石だ。尚且つ、『それとは別の位置』にも金縛りの魔導陣を二つ設置した。


 言ってみれば、相手に見せている魔導陣は単なる囮。本命は後者だ。それを相手が見抜けるかどうかで、俺の命運は左右されるだろう。


 ただ、あの相手にこの仕掛けの種明かしをするのは、この戦いが全て終わった時の事になるだろう。……それも、お互いが生きて決着が付けばの話だが。 


 そして作戦の第二段階として、十数メートル先に他の魔導陣を設置する用意を携えると――先程ミドリが隠れた場所へと、俺は銃を向けた。


 しかし、その方向に彼女の姿は無かった。


 まだあの木の陰に隠れているのか? いや、違う。俺の視界から逃れているこの好機を逃すような動きを、あの暗殺者がするとは思えない。


 だから、ここで数秒を待つ。恐らく、先程の場所とは違う地点から投擲が来るはず。


 そしてそれから三秒後。神経を研ぎ澄ませて耳を澄ませていると、ヒュン、と僅かに風を切る音が聞こえた。


 ――クナイが投擲された。だが、今度の俺は避ける動作を見せない。いや、避ける気がまず無かった。それだけの仕掛けがしてある。後は、その策が相手に通用するのを信じて動くだけだ。


 即座に当たりを見回し、とにかくクナイが放たれたであろう地点を探すことに全力を費やす。


「……そこか! 簡略、『飛箱、硬化』っ!」


 その方角を捉えると、俺はそのままクナイが投擲されたであろう方向へ向けて連続でトリガーを三回引いた。


 響く三度の火薬音。


 その場に香る硝煙の香りは、俺の左頬から鼻を通る鉄の匂いと混ざり合って冷たい物質味を帯びていた。


 弾丸は宙を裂き、真っ直ぐに狙いへと飛んでいく。


 そして俺の狙った的は、投擲と同時に再び木に隠れたミドリ本人――ではなく。


 彼女の直ぐに近くに展開しておいた、『三級・硬化』によって鉄の強度を得た、『四級・飛箱』に対して、俺は弾丸を放ったのだった。


 狙いは、跳弾。


 弾丸は木々の間を潜り抜け、敵の背後にて展開された俺の魔術に当たる。硬化された飛箱は鉄に等しき壁になる為、そうして軌道を屈折させる事により、木の影に隠れる相手を討つ算段だ。


「――なっ。……ぐ、うぁ……っ!?」


 驚愕の声に続く、鈍痛を示す彼女の呻き。


 狙い通り、俺の放った弾丸は放たれた直後に俺の作った魔術の壁にぶち当たって屈折したらしい。


 そして、弾丸を避けようと動いた後にあげた、彼女の悶絶に近い声もまた森に響く。


 正直、跳弾の軌道に期待する分には運任せだったものの敵の身体の何処かしらには命中したらしい。それは急所か、腹部か、それとも手足か。


 とにかく、あの悲痛な呻き具合からしても、彼女が被弾したのは確かだろうと俺は判断した。


 そして俺の反撃に対して、それよりも早く投擲されて俺に突き刺さる筈だった彼女のクナイはどうなったか。


 放たれた二本のクナイは、先程俺が展開した魔導陣を掻き消すことなく、俺の遥か真上を通過し、俺の背後にあった木の幹に突き刺さっている事だろう。現に、俺が無傷のままなのだから。


 ――オールクリアだ。相手に負傷を与えつつも、自分は無傷のままに俺はこの局面を突破した。


 そして、トン、トン、と。音を立ててクナイが木の幹に突き刺さるのを、背後に耳にしたのを皮切りにし、俺はその瞬間から直ぐ様その場を駆け出した。


 直進、疾走。草木を踏みしめ、後は全力で走り切る。


 向かって走る目的は、ただ一点。距離を詰め、一定距離まで敵へと接近することだ。


「相手が銃弾を身に受けたなら、今が好機。ここで一気に距離を詰めてやる……!」


 息せき足を動かしながら声に出し、言葉にして反芻する。緊迫した状況下では、声を出す事で要らない強張りを和らげる効果がある。考えを整理するのにも丁度良い。


 そう、今を好機と見て、俺は攻める事を決めた。


 出し得る限りの速度で、俺は森の中を遁走する。50メートル走であれば8秒で走り抜けそうな速度だ。三十路入りとはいえ、鍛えているおっさんを舐めてはいけない。


 ここまでの互いの応酬に決定打が欠けていたのは、俺達の距離が一定以上に離れていたからだ。


 いや、俺が優位に立たないようにと、恐らくミドリが俺との距離を十メートル後半から二十五メートル間に、一定で保つように調整していたからだとも言える。


 何故ならそれが、相手側にとっては安全に投擲が可能な距離内かつ、俺の攻撃を躱すに最適な距離だったからだ。


 クナイの投擲は、どれだけあっても彼女の身体の駆動による御業だ。故に、指先だけで撃てる拳銃とは速度の壁が存在するのだ。


 二本のクナイを両手に構えて投げ、次の投擲に至るまでには、どうしても一秒から二秒程度の時間を要する事になる。


 対してこちらは速射に優れた拳銃だ。狙いはともかく、速射をしても二秒もあれば七発は撃てる性能がある。


 そして、このまま俺が走って十メートルを切れば、相手も隠れる遮蔽物を得る事ができなくなる。そうすれば短期的にはこちらが優位に立てると俺は踏んだのだった。


 故に、ただ走る。


 この距離を詰める為に、接近する。そうして徐々に、彼女が隠れている木の位置に近づこうとしていた、その最中。


 それに相対するように、彼女が木から勢いよく身体を乗り出したのだった。


「……相手も、勝負に出たな」


 木々に紛れる緑葉の色を携えたその緑の髪、長い振袖を持つ黒い着物に、マイより数センチは高いであろう体躯が目に入る。


 それはまごう事無き、今の俺の敵。ミドリという名の、四方の一族の少女の姿だった。


 クナイを右手に握って構え――先程の銃弾を身に受けて怪我を負ったであろう左腕の二の腕からは、多量の血を流していた。


 それを目にした瞬間、俺は走りながらも直ぐに照準を合わせようとする。


 立ち止まらなくともこのまま弾丸を放ち、彼女を討ち取る為に。あちらが片腕を使えない以上、現状は俺が有利。


 勝敗を決する瞬間(とき)は、互いに今だ。


 クナイを振りかぶる彼女に向けて、俺は照準を合わせながら指を引き絞る。


 走りながら頭部なんて狙っても当たらない。だから、狙うのは腹部だ。今、ここで、撃つ!


 だが、トリガーを引くその瞬間。予想外の出来事が俺を襲った。


「……はっ、どわっ!?」


 青天の霹靂、とでも言うべき驚きの声が俺の口から洩れる。


 確かにトリガーは引き、弾は発射された。だが、その銃口が向く先は明後日の方向にずれる。


 俺の身体は前のめりに倒れる。顔が地面に衝突する。右足が俄かに痛む。


 一体、何が起きたのか。その答えは……単純明快過ぎる程に無様。地に這う木の根に足を引っかけて。


 俺は無様にも、転んだのであった。


 ……間抜けだ。余りに間抜けすぎる。前を見過ぎて、足元への注意が留守になっていた。


 まさか、木に足を引っ掛けて転び、自分から絶体絶命の状態に陥るとは。しかも、この状況で。いや、この生死の分け目に立つ状況だからこそ、なのかも知れない。


 左頬は草と土に塗れ、血と混じり合って嫌な味がする。


 視界にも違和感があった。視界が、ぶれている。見える筈のものが見えない。いや、俺の眼鏡が無いんだ。どうやら、こけた瞬間に勢いで、眼鏡もどこかへ吹っ飛んだらしい。


 脳裏を過ぎるのはかつて無い焦燥感。額に汗が滲む。ヤバい、ヤバ過ぎる。今クナイを投げられたら――。


「……『急いては事を仕損じる』。これもよく言う諺。毒蛇の件と言い、貴殿は注意力が足りない」


 彼女の呆れたような呟きが耳に届く。同調したくはないが、現前たる事実だった。眼鏡もなく、地面に口付けしてる状況で、銃の狙いなど付けられない。


 咄嗟に身体を翻す。魔術を使っている暇も無い。此処は完全に運に任せ、身体を左に動かした。


 直後、視界をかすめるクナイの一投が過ぎた。これは、流石に、避けきれない。


 そして、それは俺の右肩に刺さる。


 ゴリ、と骨に突き刺さる感触の後に、走る激痛。右肩から吹き出る自分の血が、自身の右頬に当たる嫌な感触を覚えた。悶絶する。


「い、ってぇえ……!」


 奥歯を噛み締める。だが、刺さったのは右肩だ。マイにお蔭で、刺される痛み自体にはもう慣れている。完全な致命傷では無い。


 立ち上がれる。まだ、動ける。


 力の感覚が分からずとも、右手に握った拳銃は離さずに、左腕で地を掴んで俺はその場から後退しつつ飛び上がった。


 だが、それでも遅い。勝負を決めることを急ぎ過ぎて俺が倒れた事により、既に予想以上の接近を、あちらに許してしまっていた。


 俺が馬鹿な失敗で倒れている間に、ミドリもこちらに駆け迫っていたのだ。


 俺のアドバンテージになる筈だった距離を遥かに詰められ、寧ろ俺にとっては既に不利な状況に陥る。


 気付けば、相手との距離は目測で僅か二メートル半。


 咄嗟に右手を振り上げ、銃を構えようとするが、右肩に刺さったクナイの影響で力が上手く入らない。照準も定まらず、引金を引くのに手間取ってしまう。


「……ここまで近づいたら、もう遅い」


 俺が思う事を相手から告げられて、更に距離を詰められてしまう。だが、いくら照準が取れていなくても、今撃てば当たるかも知れない――。


 その場しのぎのそんな考え方が、浅はかだった。夢想だにしなかった展開に、俺の中ではぐだった思考に焦燥感が相乗していた。



 ここで狙わずとも、銃を左手に移して後退すれば良いだけだ。だが、そんな判断も取れないままに銃を構えてしまい、その選択肢に気付いたのは既に二秒も経った時。


 その隙を、この相手が見逃すはずも無かった。


「その武器、……斬り飛ばす」


 俺が右手に構えた銃を、ついに彼女の握るクナイが一閃した。


 ギン、と、重い鉄の音をかき鳴らす俺の拳銃と敵のクナイ。互いの得物がぶつかる金属音が、森へと静かに響き渡る。 


 撃つ間もなく、力の入らない俺の右手からは、拳銃が弾き飛ばされていく。


 そして俺の武器――拳銃が斬り飛ばされていくその瞬間を、俺はただ眺めているしかなかった。


「――っ!」


 ……やられた。勝機の目の一つは、無様な失態を見せた俺の前に、鮮やかな腕前をもって覆される。


 拳銃が手元から弾き飛ばされた感触、俺の右手がその振動に震えている。肩口のクナイの負傷から、飛ばされるのを抑える力が足りなかったか。


 覆水は盆には返らない。拳銃を留める為に何かしらの魔術を行使すべきかと、そんな事を考えるよりも先に、拳銃は手の届かない場所へと飛んで離れて行く。


 いや、それよりもだ。このまま敵に懐へ飛び込まれたら、銃も持たない俺に勝機はあるのか。


 過ぎるのは、死の予感。もう彼女の瞳が、直ぐ近くでかち合う距離まで来ていた。


 選択に残されたのは、僅かな時間。どう避けるか。後退か、左右への移動か。――いや、違う。まだ選択肢はあるだろう。


 何故、逃げに走る。まだ俺には、『奥の手』が残っているのだ。


 今使わずして、いつ使う。今逃げて、俺は一体何処で勝つ……!


 裸眼でぼやけた視界の中、逃げに走ろうとする自身の足を鼓舞し、俺は左足を前に踏み出した。


 敵の構えを、視界に捉える。


 そこでは、今まさに俺の首を目掛け、彼女の握るクナイが振るわれようとしていた。


 ――よぎるのは走馬灯。


 人は死に直面した瞬間に、時間が遅れたように過ぎるのを感じると言う。今がまさにそれだった。


 だが、それは命を落とすが故の体感じゃない。俺が此処で勝つが為の、見極めの瞬間(とき)だ。


 俺は右腕の袖に左手を引き入れ、そこからとある物を引き抜いた。


 俺の右袖に隠され、小さな鞘から引き抜かれて光を返すのは、短刀の刃。その切っ先。


 これこそが、俺の奥の手。


 マイから受け取った、超近接専用の刀。怪し力を身に宿す、魔術師の切り札たる妖刀。刃の長さは僅か七寸。その名は【無火手(むかで)】。


 その短刀を今、斬り放って敵と相打つ――。


「倅が、討ち取るっ」


「……これで、片を付ける!」


 互いの気合い。斬り合いに生じる、本当に僅かな時間の差。ここで間違えはしない。何度も、何度も頭に叩き込んだのだ。


 斬る物だからと、腕で振るうものでは無い。腰を入れるのが早いからと言って、腰を入れながら腕で斬りかかるものでもない。


 本当の最速は、ただ腰だけを使い、全身の流れの中で斬る時に生じるものだ。


 それを頭に入れておけば僅かでも早く振れるのだと。だから焦っても、それだけは違えるなと、練習稽古の中でマイが何度も言っていた。


 焦るな。腕や手で、斬りに行こうとは思うな。単身の左腕よりも、全身の駆動の結果に生じる斬りの方が圧倒的に速いのだから。身体の流れを、信じろ。


 片手に握った短刀を、刹那に俺は振り抜いた。


 訪れる静寂。


 互いの得物を振り切った俺達は、その場に互いに静止していた。


 先に俺の左手に伝わるったのは、人の肉を斬った感触。ミドリが刃物を振るった右腕の前腕部には、俺が斬った跡が赤くついている。


 元々この短刀、無火手は切れ味が悪く、彼女の腕から余り血は流れていないが、俺は確かに、先手を打って敵を切る事を成していた。


「……身体がもう、これ以上動かない。……違えようもなく、倅の負け」


 彼女の握るクナイは、俺の首元まで届いた所で、完全に静止していた。


 彼女が自分から動きを止めた訳では無い。今にもまだ、全身を震わせて体を動かそうとしているのが目に取れる。


 だが、決して動けはしないだろう。こうした敵の硬直こそ、俺が振るった短刀が狙った効力そのものなのだから。


「ああ。俺の勝ち……だな」


 ――決着は着いた。もうこれ以上の手数は要らない。


 言葉を告げ、俺は短刀を右腕の袖に潜めた鞘へと戻した。


 短刀・無火手。


 それは魔力の枯渇した魔術師が、妖鬼に対して最後の抵抗をする為に用いられる妖刀。


 魔術の炎の恩恵が無い時にも、魔術師の最後の一手となるように(こしら)えられたものである。

 

 『刃に触れた敵の全身を、その場で麻痺・硬直させる。ただし、魔操を扱える者にはその限りではない』という面妖な効果を持つ、魔術師専用の短刀だ。


 魔術師ではない彼女がそれに斬られた以上、これで暫くはミドリも自力で動く事は出来ない。


「この短刀に斬られたものは、魔躁が使えない限りは数分間の硬直を受ける。どう足掻いても、暫くは動けない筈だ。ただ、首から先は動くから話せはするだろう」


「……確かに、身体は動かないが、倅の口と目は動く。何とも面妖な物ばかりを持つものだ、秋也殿は。……さて、敗者の倅はもう何もしようが無い。後は煮るなり焼くなり、貴殿の好きにすれば良い。……倅はただその流れに、従うだけ」


 自身の最期を悟ったような彼女の声とその表情は、以前の死に際と比べて幾分か晴れやかなものだった。


 互いに全力でやり合ったのだ。その結果がこれなら、もう後悔は無い。


 そんな想いを、その表情が暗に示しているような気がした。


「ああ、そうだな。俺の好きにさせて貰おうか。ここでお前をまた見逃せば、また追ってくるようになるんだろう? だったら、ここで一つ蹴りを付けて置かなきゃならない」


「その通り。今倅が動けない内に、とどめを刺すのが最善。……例え四肢がもがれようとも、生きてる限りは掟に従い、貴殿を地の果てまでも追う事になる」


 まあ、そうらしい。不器用な生き方だが、それが彼女の人生なのだ。


 その過程で死にはしても、それが選んだ道ならば、掟に殉ずるのが一族の道、と。


 ならばそれは、此処で断ち切ろう。


 互いに命を賭ける戦いに身を投じた仲だが、四肢もある。命はある。


 ならば、彼女の命をただ捨て置く事などあるものか。



「俺に仕えろ、ミドリ」



 つまりは俺の家臣になれ、と。俺は淡白にそう告げた。



 これは意思を募るものではない。勝利者である俺からの単なる命令だ。力はもう示した。拒否なんぞ、俺はもう認めない。此処で死ぬか、それとも俺の下で生きるか。そういう選択の場だ。


 『主無き時に、その掟に従う』と言っていたのは彼女自身だ。なら、この選択肢を示した所で問題は無いだろう。


 従わないのなら、この場で撃ち殺す。互いに決死の戦いを後にした今、それだけの覚悟はもう、俺も持っていた。


 俺の言葉に彼女は一時目を見開くと――今度は静かに鼻を鳴らし、呆れたような表情で笑った。


「それを示した貴殿を、最早主として仰がない訳にはいかないで、ござる。……まだまだ注意力には欠けてはいるものの、貴殿は運が強い。秋也殿はきっと、この国に名を馳せる、君に成る」


 語尾に、ござる、とは。いきなり忍みたいな言葉使いをするのは何事かと訝しげに思えるのだが。


 ただ、それがもしかすると、自らの主君に対する尊敬を示す言葉なのかも知れないな、と。勝手に一人納得して、俺はそれに頷いた。


「そうなれるよう、俺も精進するつもりだ。……さて、もう腹は決めたか?」


「――是非に及ばず。このミドリ、秋也殿に生涯お仕え申す事を誓い奉る。貴殿こそが、我が生涯の主君にござる」


 ……その言葉、確かに受け取った。今生の言葉を交わし、それから俺達は静かに笑い合う。


 合点だ。扱き使ってやるから、覚悟して置け。


 俺は魔躁を巡らせて彼女の無火手の拘束を解くと、彼女の緑髪に左手を添えた。そして俺の顔を見上げるミドリと、視線を交わす。


「……倅はきっと、これから秋也殿には一生頭が上がらないので、ござるな」


 頭を軽く叩く俺に対して、彼女が零したそんな言葉を聞く。その口調にはまだ慣れていないのか、そこにたどたどしさがあるのは彼女の愛嬌と見るべきか。


 しかしその瞬間に俺が抱いた感想が、「俺と視線合わせてる時点で、もう頭を上げてるじゃないか」、という余りに邪推な内容だったもので、言葉の代わりに俺はデコピンで返してやった。


 俺と視線を合わせる、彼女の黄金の瞳。死線を潜り抜けた先にある、確かな信頼がその眼には秘められていた。


 忠義に違わぬその意思を、即ち深淵さを求めるのであれば、それは互いの信頼があってこその事なのだろう。


 俺も彼女を信頼し、彼女も俺を信頼する。そしてこの主従に、道を成す。


 この世界、どんな生き筋を俺が迎えるか、選んでいくかは分からない。名を馳せる等、考えても見なかったことだ。けれど、この選択に関して俺が後悔を抱く事は、決して無いだろう。


 血まみれに、ボロボロになった互いの姿を認め合いながら――森の向こうにある空を見上げ、俺は確かにそう思うのだった。


 それと同時に。


 早くマイに会って、彼女の作ったご飯を食べながら、此度の勝利を褒めて貰いたいな、と。


 既にそう思ってしまっている辺り、やはり彼女が俺の支えになっているのは、違えようの無い事実なのかも知れない。


 今日の夜は、マイの膝枕を所望する。







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