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魔法使いの主様っ!  作者: 三年寝太郎
皇国世界の主様っ!――皇国入り編――
30/34

第29話 深淵の忠義、南面の君。(前編)


「寝室を出るときから今日は死ぬ番であると心に決めなさい。その覚悟があれば、ものに動ずることがない」



(徳川十七将・藤堂高虎)




 ――方違(かたたが)え、という風習をご存じだろうか。


 それは、平安時代に貴族達が好き好んで使用したと言われる「方角によって吉凶が生じる」、という考えを持った風習の事だ。


 現代にもそれは見聞され、実際に行う人も少なくは無い、当時流行った陰陽道に根ざした部分のある文化だ。


 日本における方違えは、何処かに出掛ける際や、何か大きな出来事を控えている時に一端道先の方角を変え。


 何処かに泊まる等することによって吉兆を良い方向へ導くといったものであったが――。


「……で、まさか俺がそれをやるハメになるなんてな。かなり久しく、そんな文化は忘れてが。わざわざ方違えをするなんて、中学時代の引っ越し以来か……」


 青空の下、鳥の鳴き声が反響する森林の道を孤独に歩きながら、首の後ろに腕を組みつつ俺は一人そう呟いていた。


 向かう先は、塀に囲まれている帝都の外側北部。それが、俺の今回の方違えの終着点となる場所なのらしい。


 昨日の夕刻から現在に至るまで、俺は舞とは別行動を取っている。


 つまり、今の俺は一人だ。隣に誰が居るわけでもなく、後半日ほどは完全な単独行動になる予定である。


 そうして案内人も付けず、俺は一人でただひたすらに森の中の道を歩き、帝都の北部へと向かっていた。


 何故このような事をするに至ったかと言えば、だ。


 それは舞が信仰する――ある種妄信と言っても良いかも知れないが、彼女のお師匠様であるという『神託の巫女』の言によるものである。





 話は遡ること七日前。


 俺が舞と混浴の風呂に入った日の翌朝の事だった。


 馬を揃え、俺達が出立の準備を終えて宿を出たその直後。


 突然、白と黒の毛並をその身に供えたきらびやかな一羽の鳩が俺とマイの下に現れ、一枚の(ふみ)を彼女の手元に残すと。


 一礼するように羽を広げると、再び空へと去っていたのである。


 鳩から文を受け取った舞の表情を覗いてみると、何故か緊張したような面持ちでそれを見つめており、不審に思いつつも俺は、その場でそれについて尋ねてみる事にしたのだった。


「……なんだ? 今のは。 いや、そういえば、色は違うが……マイとこの世界に来る直前に、マイが呼び出した銀色の鳩に似ていたような気もするな」


「あ、はい。今のは、私のお師匠様の――『神託の巫女』の放った使いの鳥です。この世界に来る時に、私が使った鳩に似ているのは、あれもお師匠様が作った物だからですよ」


「へぇ。神託の巫女が、か」


 そもそもマイが俺の世界に来たのも、神託の巫女による導きだと言うのは俺も知っている。


 わざわざ此処でマイに連絡を寄越すという事は、これも何かしら、重要な情報の便りだという事だろうか。


「はい。これを寄越したということは、何か私に伝えたいことや、指示があるということなのだと思います。……えっと、中身をみてみましょう」


 俺の問いにそう答えた舞は、早速その文の封を開けると、書かれていた内容を読み上げた。


「『吉兆は帝都の入りに在り。一重に国を司る者、そして彼の大志を導く鳥よ。古来より君子は南面し、朱雀は南門に侍るもの』」


 君子は南面す――とは。君主は北に座して南方を向き、臣下は北面して仕えるものであるという、支那(しな)由来の思想だったと記憶しているが。


「『吉兆の調べに倣い、(あけぼの)を迎えたもう事を請い願う。陰陽の道にて方を違え、道程の幸先を整えるが良し』……との事です」


 なにやら重々しい文面な上に、一読では分かり辛い内容だが、なんとなく意味は伝わった。


 この場合、国を司る者とは俺の事を指し、導く鳥とはマイを意味しているはず。


「つまりは……なんだ。俺とマイが都へ入る前日に、二人とも互いに方違えをしておけって事か?」


 方違えの文化というものに関しては、マイに陰陽魔術を習うよりも前に、過去に我が家では普通の行事として行われていた事もあったので既に知っている。


 親父が再婚する前の、俺の育ての母親が、そういった古来の習慣を信じる人だったからだ。


 何故かそういう行事には人一倍敏感だった母の影響で、引越しや受験などの前には方違えが何処でも当然の習慣だと昔は思い込んでいた俺である。


 陰陽魔術の存在を知った今では、尚の事。


 今後の俺達の吉兆を大きく左右するかも知れないそれを無視する気にはなれなかった。


 まこと、生まれながらに染みついた慣習とは年を取っても振り払えないものらしい。


「そういうことです。都まではあと七日程かかる予定ですが、もしもお師匠様の言を達するのであれば。その前日に主様は北方の宿に泊まり、その翌日に都の北門へ向かう事になりますね」


「で、マイはその逆の南方の宿に泊まって、その翌日に南門へと別々に向かうと。まあ、別段やらずとも済む話だが……」


「私は、主様の決めた道に従います。お師匠様の言の信憑性の高さは知っていますが……反面、秋也さんが今私と離れると危険が大きいのにも間違いありませんから」


 確かに、それを考えると悩ましい所ではある。


 この世界の知識が俺には足りてないとい事実に加え、あの暗殺者の少女に狙われる可能性が格段に上がるという点では、神託の巫女の言う通りにわざわざ方違えをするのは、かなり危険だと言わざるを得ない。


 ……というのも、俺が不甲斐無いのがそもそもの原因であるわけだが。仕方ないね。


 さてどうするか、と数秒程度は悩んだ俺だったが、心では既に決まって良そうな内容だったので即決気味に答える事にした。


「いや、やろう。本当に重要で無い事ならば、神託の巫女とやらも文を寄越したりはしない筈だ。それを敢えて寄越すと言う事は、それをしない事によって起きるマイナスの方が大きいからだと俺は判断する。それに……」


 あの少女を迎え撃つには、これは丁度良い機会になる筈だ――、と。


 俺がそう答えると、マイは快くそれに頷いた。


「分かりました。では、それまでにあの四方の一族への対策は出来る限り練っておきましょう。この旅の間に、出来る限り私が稽古をしてあげます。……ただ、主様にも少しばかり、痛い目を見てもらう事にはなりそうですが」


 最初からそう言ってくれると思ってました、とでも言わんばかり表情でそう告げた彼女だったが。


 その時の俺にはそれが怖い含みをもった笑みにも見えたのは……どうやら間違いでは無かったらしい。


 その選択をした以上は、確かにそれは当然の措置であったのだろうけれども。


 ――それからの六日間。


 俺は彼女と共に旅をしつつ、実戦向きな訓練を彼女から施される事となった。


 どのような攻撃が来たら、どう対処するか。そのレクチャーを受けた後は、ひたすら実践と実戦の繰り返し。


 俺がどんな大怪我をしようとマイの魔術で一応大抵の傷は治して貰える。


 だがその分、彼女によって短刀で俺が刺された箇所は七ヵ所にのぼるという、慣れない壮絶な痛みとの戦いが俺を待っていた。


 そして俺がその六日間で消費した拳銃のマガジンは二つ。


 マイも躊躇いなく数本の短刀を投げつけてくる以上、途中から俺も彼女に拳銃を向ける事に遠慮はしなくなっていた。


「訓練や稽古とはいえ、私に攻撃したくはないなんて甘ったれた事は言わないで下さいね。……それに、主様に魔術を封じられない以上は私が敗ける事なんて、亀が空を飛ぶ位に有り得ませんから、大丈夫です」


 稽古の合い間に言われたそれが、遠慮がちな俺の心を煽る為の言葉だと分かっていても。


 嫁にそこまで言われたら、流石に男としては挑まないわけにはいかない。


 俺のちっぽけな自尊心は、年を取った今でも反骨精神を完全には忘れていなかったらしい。


 そして俺は拳銃を差し向け、彼女に本気で当てるつもりで合計十四発の弾丸を放っていた。


 撃った弾数が少ないのは、日本に居る間に事前に舞の袖の中へ予備で入れて置いたマガジン以外に手持ちが無いからだ。


 その為、その十四発を除いて今の俺の手持ちのマガジンは三つで、合計二十一発となっている。


 さて結局の所、この数日間狙いを澄まして撃ったその十四発の内、彼女に当てる事が出来たのはたった一発のみだった。


 それも、彼女の腹部であったとはいえ、金属性魔術によって硬化が施された服の部分に当たっただけである。


 だが、魔術による防御手段が無いあの暗殺者相手だと想定すれば、実質当たったのと同義。


 故にそれは一つの成果だとも言えたし、マイも珍しく悔しそうな表情を俺に見せていたので、意外と達成感が芽生えた瞬間であった。


 そうした銃撃と短刀投げによる中距離戦と並行しつつ、接近戦の対応も迫られる。


 その為、刀剣による接近戦の手ほどきも彼女から受けたのだが……どうあがいてもマイと俺は魔術師だ。


 魔術を併用しながらの接近戦の訓練である以上、それがあの暗殺者との戦いでどれ程の戦果を得るかは分からない。


 だが、何よりも多少の自信と経験を得ることが出来た。それが六日間の中で得た最高の成果だと俺は感じている。


 ただ、いざ稽古が終わればその分――ご飯と夜と、怪我の手当ては甲斐甲斐しくしてくれるのが舞である。


 物事の教え方が上手いのは魔術を初めて教わった時から知っていたが、彼女はモチベーションの管理も得意な奥さんであった。


 ……床でのたどたどしさは、俺も彼女も未だに同様ではあったが、それが初々しいというべきか。ともかく可愛いのであった。


 そうして迎えた、都入りの前日。


 マイが手綱を操る馬に二人で乗りながら、道幅五メートル程に整備された土の道を進んでいくと、俺達は大きな分かれ道へと辿り着いた。


 この世界に来てからは一度も土以外の舗装されたような道を見たことが無かったが、そこでようやく、俺は石の敷き詰めによる地面を見ることになった。


「主様。帝都へ向かうに当たって、ここで大きな二つの分かれ道があります。その内の一つがこの先の、石の敷き詰められている大通りです」


「今までの道を考えると、大層な作りに見えるな。……帝都までに敷かれた石の道は短いが、道幅の広さはローマの道に近いってか?」


「え? ……えっと、ろーま、というのが何かは分かりませんが……人々の往来の多い、都の南門へ通じている道なのでここから先の道は整備されている、といった感じですね」


 目の前の道からその先を指さし、マイは俺にそう伝えた。


 確かに、これまでの道からすれば大通りだ。道幅は広がり、七メートル程にまで達している。


 軽自動車の幅が一メートル半前後だという事を鑑みれば、荷台を引く馬や人が通るにも充分な広さを持っていることが伺えるだろう。


 その石の道からは、土を踏みしめる時の匂いや道端に生い茂る草木の青さとも違った、(ほの)かに熱を持った無機質な香りの味わいを覚える。


 現在は快晴。照りつけるとまではいかないが、それはいつもより僅かに強い日差しが地に射しているせいだろうか。


 石に籠ったその熱が、今までの道とは違った印象の匂いを醸し出させているのかも知れない。


「南門に続く道って事は、今からマイが通るのはこの大通りって事になるな。……明日の夕刻までは、此処で舞とお別れってわけか」


 また舞と合流するのも、今からの二日間、俺の命があればの話だが。ふと手首を見やると、俺の腕時計の針は正午二十分を指していた。


「それで、俺が進むべき道のりは、北東に伸びているこっちの土の道で合ってるんだよな?」


「そうですね。その道を進んで下さい。そこから北上すると、また二つの分かれ道がありますが……曲がる方の道は西門へ続く道なのでそちらには行かず、そこから北へ真っ直ぐに進んだ先にある旅籠のいずれかで、宿を取る事になると思います」


 彼女のその言葉に、「了解した」と淡白に返すと、俺は馬の背から降りた。


 俺はこれから先の道のりを、徒歩で行くことになっていた。


 俺と舞が乗ってきたこの一頭の馬に乗って都入りをするのは、俺ではなく彼女の方だと二人で(あらかじ)め決めておいたからだ。


 というのも、俺が馬を未だに扱えないからというのも大きい。情けない話だが、一週間が過ぎても尚、背に乗ることすら未だに乗り慣れていなかった。


 とはいえ、同じ乗る類のものであっても、車やバイクに関してはかなり慣れている。


 中型免許でトラックを使う日雇いバイトでの生活が長かったものだから、乗り物酔いには決して弱くないのだが。馬は、どうにもバランスが取れずに尻が痛いのだ。


 全く、俺が尻に敷いたり敷かれたりするのは、有るにしてもマイとカグラの二人だけで充分である。


 そんな事を考えつつも馬から降りて背筋と腕を伸ばし、乗り疲れた体の調子を整えるようにしながら、ふと俺が辺りを見回してみると。


 チュンチュンと鳴きながら木々を飛び去って行く、親子らしき体躯の三匹の雀の姿が視界に映った。


 あの鳥たちは、何処まで飛んでいくのだろう。都の空を眺めるように、高く、遠く、道のりを描いていくのだろうか。


 それを目で追いながら石の大通りへ視線を向けると、荷馬車を引く者や、棒手振りのようなを物を担いで歩いてる人達の姿が見えた。


 この世界にも、人は営みを築いている。

 未だ(まみ)えぬ、この国の都。

 人々の生業、文化と歴史の造形物。


 マイの過ごしてきた世界のそれを拝まずして、離ればなれのままに死んでなるものか。それに、俺はまだ、この国で何も果たしていないのだから。


「秋也さん。往来の少ない北口への道のりは、余り整備もされてないので、予見できない多くの危険があります。それらにも、充分に注意を払う様にしてくださいね。……でも、何があっても貴方ならきっと大丈夫です。私は、そう信じてますから」


 馬上から俺へと顔を見下ろし、出発を前にしてそう告げる彼女の顔に、不安の色は無かった。いや、見せないようにしていた、と言うべきか。


 本当は不安に思う事も多いのかも知れない。


 けれど、送り出すその時にまでそんな表情を見せる程彼女は(やわ)では無かった。


 それに、俺を信じているというのも本当だと思えた。それだけの想いがあるのだと、信じられた。


 根拠の無い言葉ではなく、その信頼は俺達が二人で、互いに築き上げたものだからと感じているからだ。


「ああ、分かった。それじゃあ明日の夜に、また会おう」


 俺も憂慮は見せず、淡白にそう言葉を残す。


 命を賭けた一戦に恐れはあろうとも――例えるのなら戦地に赴く時代があるとすれば、それは誰しも心に思う事なのだろう。


 残し、待つ者を不安にはさせまい、と。


 それに、闘いの勝利に自信が無い訳ではない。それだけの準備は整えてきた。


 だから、俺が帰ってくる事は前提なのだ。何でも無い様に、ただ家を出掛けるように。


 けれど心根に戦いの火は灯して、俺は明日までの道を進んでいく。今はただ、それだけでいい。


 彼女の綺麗な瞳と視線を合わせ、一時笑うと、俺は彼女に背を向けてその一歩を踏み出した。


 これから先は、俺にとっての戦場だ。そう心に決めてまた一歩。


 そこで、ジャリっと。後ろでふいに、彼女が馬から降りて土の小石を踏んだらしい音が聞こえた。


 そして俺の胸元へと、振袖を(まく)った彼女の温かな細い腕が、回される。


「大事なこと、言い忘れてました。……いってらっしゃい、秋也さん」


 俺を抱き留めた彼女の腕から伝わる、互いの体温。


 俺の背中にうずめた彼女の顔から、心身に伝わるように言葉が響いた。


 そうだな。俺の帰ってくる居場所は、他でも無い彼女の隣りだった。それは、出会ったあの日からずっと変わらない。


 また彼女の傍で笑って、いつでも「ただいま」と言えるように。俺はこれからも進もうと、そう決めたのだ。


「ああ。行ってくる」


「……はい。御武運を」


 そう力強く答えると、マイは満足したように俺から腕を解いて離れた。


 揺れた彼女の銀の髪から、桃の香りがふわりと安らぎをもって包むのを感じて――。


 そして俺はもう後ろを振り返る事も無く、北への道程を歩き出したのだった。


 ……と、話が切れればいいのだが。実際の所、予想外の事に余りにも照れくさくなって、俺の顔が熱くて真っ赤になってそうで、


 にやけそうな口元を抑えるのも出来そうに無かったから振り返られなかっただけだなんてのは。


 老衰で死ぬまでは、マイにも言えやしないだろう。





 それから俺は、周囲に警戒を払いつつも徒歩で三時間ほど北への道を進んだ。


 そして見える、何件かの旅籠(はたご)


 その内の一件にて俺は宿を取る事にした。


 普段都の北門での人の行き来が少ないためか、都周辺の宿の割には比較的こじんまりとした印象の宿である。


 風呂でさえ、二人入れるかどうかの大きさの桶風呂しかなかった。


 ただ、そこには一瞥くれただけで結局は入ってはいない。


 マイであれば、寝ぼけつつも寝込みの襲撃や入浴中であろうと対応できる素養はあるのだろうが、俺にそんな技術があるわけが無い。


 攻撃魔術が無い俺には、装備なしでの戦いは厳しいのだ。


 その為、その日は睡眠と風呂を避ける事に徹した。


 いつ狙われるとも分からない状況ではそれが最善策であろうと考えたからだ。


 ――とはいえ、何もしないままに部屋に居るのでは、眠気には中々逆らい難い。


 なので、部屋にお茶を運んでくれた若い中居さんに何か暇潰しは無いかと尋ねると、ぱんっと手を合わせて彼女はこう提案してくれた。


「でしたら、後盤双六(ごばんすごろく)でも如何でしょうか?」


「……後盤双六? えっと、じゃあそれで」


 この若い中居さんの言う後盤双六(ごばんすごろく)は知らないが、単なる盤双六ならば俺は知っていた。


 盤双六と言えば、その起源は五千年前のメソポタミア文明に遡り、飛鳥時代から江戸時代中期にかけて日本でも栄えた有名なボードゲーム。


 ルールに多少の――とはいえゲーム性としては致命的なまでの違いがあるものの。現代では『バックギャモン』という名で知られ、世界に三億人のプレイ人口を持つ盤上遊戯だ。


 白河法皇をして、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞ我が心にかなわぬもの」と言わしめたという、いわば天下三不如意の一つである。


 しかし、後盤双六というのは聞いた事が無い。


 なので興味津々ながら、実際にその木の盤を持ってきた中居さんにルールを説明して貰うと、だ。


 驚いたことに、後盤双六とは、実質殆どバックギャモンと同じ内容を持ったゲームであった。


「……中居さん。この後盤双六って、いつから広まった遊びなんだ?」


「あの、薄学なもので、私には分かりかねますが……確か、二十年程前から流行り出した遊びだったと女将は言っていましたような……。でも、帝都周辺では、高貴な方から庶民にまで広く浸透しているお遊戯ですよ」


 行燈(あんどん)に火を灯した部屋の中、賽子(さいころ)を盤上に転がしながら彼女は俺の問いにそう答える。む、開始から二の四とは。


 因みに。朝まで付き合って貰う必要があると彼女に話すと、張り付いた笑顔の裏で俄かに眉をひそめていたが、


 対価としてその中居さんには破格の心付け――要はチップとして一圓を手渡すと、彼女は朝まで終始機嫌良くにこにこと会話に付き合ってくれた。


 ……現金なものである。


 話によると後盤双六とは、盤上は盤双六と同じ物を使用はするものの、


 昔から皇国にもあった盤双六のルールと大別するためにその名前で世間には普及されており、旅の宿の定番になっているのだという。


 やった事のある人には分かるかも知れないが、盤双六(本双六)とバックギャモンのルールの違いとしては、ゾロ目二倍とダブリング、ベアリングオフの有無だ。逆に言えば、それ以外に大きな違いが特に無い。


 だが、そのバックギャモンのルール……主に、二倍掛けのダブリングが生まれたのは確か1920年代以降の話。


 後盤双六がそれに酷似していると言う事は、誰かがその知識をこの世界に持ち込んだという事にもなりかねない。

 

 それが流行り出したのが、二十年かそれよりも少し前だとなれば……不可解だ。


 先代の魔法使いがこの世界に来たのは明治期だとマイは言っていた。だとすると、持ち込まれた年代が合わない。


 ならば、先代の魔法使いや俺以外にも、この世界に導かれた異邦者がこの国に居た可能性を示唆しているとも取れるのでは無いだろうか。


 ――そんな一抹の予想と不安をそこに感じながら、結局そのまま明朝まで後盤双六をやり続けることにした。


 ただ、夜中の襲来に備える為だけに起きていた筈なのに、余りに勝負に熱中しすぎて余計に疲れと眠気が重なったような感覚があるのは……気のせいであって欲しい。


 やがて日の出を迎え、辺りを日の明かりがぼんやりと照らし出した。


 これが俺の最後の日の出にならないように祈ろう。


 そう思いながら、俺はふらりと外に出て、この宿の脇にある御地蔵に手を合わせた。


 お地蔵へ祈り終えると、小さな木箱のような社の中に供えられたそのお地蔵様の前に二銭硬貨を置いて、昇り始めた太陽を徒然なく俺は眺めていた。


 藤野家の長女である現実主義の庇護――相性の合わない俺の嫌いな妹からは、


『そういう願掛けに意味などあるの? まさか、そんな不確かな効能を本気で信じてるの?』と、昔からよく言われて笑われたりもした。


 庇護は俺と異母兄妹に当たる妹で、現在は椿より一歳年上だから現在は高校二年生だっただろうか。


 ある種ロマンチストな傾向にある俺と椿に対して、そういう面でも庇護と俺とは性格が合わなかった事情があったような気がするが、まあそれはどうでもいいか。


 とにかく庇護の嫌ったそういう習わしや宗教的な意味を持つものであっても、個人的には神様や仏様に手を合わせる意味はあるだろうし反面無いだろうとも言える。


 どっちつかずな結論だが、要はその人の心の持ちようだ。


 信じる人は救われるというより、信じる者は勝手に自分で救われると言った方が余程正しいかも知れない。


 ただ人間、命が掛かる状態の時には誰も彼もが神頼みをするものだ。


 最後の運と土地勘は、この土地を治める地蔵様に後押して貰えたら僥倖(ぎょうこう)だと思うのも悪くは無いだろう。


 そうして手を合わせ終えた後は宿の台所に戻り、朝まで付き合ってくれた中居さんに、早めに炊いて貰った握り飯を食べ終え。


 俺はその宿を後にした。


 そして森林の中に在る道を行きながら、俺は帝都の北門付近を目指し――冒頭の今に至る。





 今俺が通っている北の通り道。


 森林の真っただ中にあるその通りは、この国の中心である帝都周辺の道とは思えない程に人の往来が一切ない。


 道の整備の具合も幅二メートルの土の道があるのみであった。


 都の背面である北方を仰げば山がそびえ立ち、尚且つこの様に木々の生い茂る山中のような道が残されている。


 基本的に多くの人が住まう土地というのは、宗教や交易、戦術的にも意味を持つものが多いように思う。


 未だに開拓が進められていないここにも何かそんな意味があるのだろうか……と取り留めもない事を頭に巡らせながら、落ちた青葉や小枝を踏みしめて俺はただひたすらに歩いていた。


 チチチと鳥が無き、虫が鳴くような音を耳にしながら足を進めて一時間程した辺りで、俺が歩く森林の中も太陽の光に包まれて始めた。


 あけぼのが明ける頃、木漏れ日が微かに纏う霧を裂くようにして道々に溢れて行く。


 それはどこか幻想的で、今俺が置かれている立場を俄かに忘れさせてくれそうな情景だった。


「……ま、現状を忘れようが忘れまいが、迫る事実が逃げてくれる訳ではないけどな……」


 木々へとそう呟き、すぅっと息を吸う。そして思い切り吐く。その深呼吸は、今の俺の心を落ち着けた。


 木々の間に紛れながら吸う朝の新鮮な空気は、脳内をクリアにしてくれる。


 あの暗殺者にいつ狙われるか、いつ強襲を受けるのか。


 それすらも分からない状況の最中、それでも疑心暗鬼な状態に陥らず、比較的冷静な気持ちでいられるのは何故だろう。


 余程俺の肝が据わってきたのか、それとも更に鈍感になっただけなのか。


 考えてみたものの、この際はどちらでも構わなかった。


 一歩、二歩。


 ゆっくりと歩いて、そこで俺は立ち止まる。


 空を仰ぐと、自然に通り抜けた一陣の風が、ざわざわと木々の葉を揺らす音が耳に届いた。


 ――静かだ。だが、確かに何かの視線が、此方へ向けられているのを感じる。


 何処かにあの少女が潜んでいるような感覚が、不思議と掴めていた。


 人の往来が少ない場所なのが幸いしているのか、人気(ひとけ)が此処には無いが故に、俺もまた普段以上に人の気配に敏感になっていたらしい。


 三、 二、 一。


 右足に備えたホルスターにトントンと人差し指で感覚を取り、そして指先を拳銃のグリップへと滑らせる。


 次第に空気は変わり始めた。あの暗殺者も、どうやら此処でケリをつけに来るつもりらしい。


 命の奪い合いに生ずる、独特の雰囲気。

 カラッと乾いた肌心地に、儚くも嫌に突き刺さる鋭い意気。


 それはこの一カ月半の間、数度と殺し合いの現場に立ち会った俺が得た感覚だった。


 勝負は、一瞬だ。


 守りの魔術があろうとも俺自身には特別丈夫な身体があるわけでも無く、魔法使いという特殊な存在であってもそれは魔術師以外の強者が相手であれば何の意味も為さない。


 タイミングを逸せば、初手で殺される。……何の変哲もない空間に生じ始めた緊張の重圧に、冷や汗が伝う。


 そろそろ来ることは間違いない。だが、いつ来るのか――。最後に賭すのは、俺の勝負勘だった。


 ふいに、パキ、と。何処かで小枝の折れる音がした。


 ピクリと反応する俺の身体。視覚に捉えられない今、俺の神経は全て音に向けられている。


 だが、その直後には動くのを抑えた。


 違う、ここじゃない。


 脳内では全力で動き出せと神経の伝達が起きるが、俺の野生としての本能が、何処かでそれを否定した。


 タイミングは、そこじゃない。今動けば、俺が狙われる的になる。


 ならば、何時(いつ)か。一拍置き、目を閉じた。どうせ見えないものを、目で捉えようとすれば焦る事に繋がる。


 見えないものは見えないし、掴めないものは掴めない。


 それならばもうここは、全てを自分の本能とやらに委ねてみようじゃないか。


 もう一度、トン、と指先にかけた拳銃のグリップを指先で叩いた。


 不意に、武者震いとも取れるような笑みが俺の口元に零れた。……来い、来いよ。俺が、お前の相手になってやる。


 薄く目蓋を開いたその時――何かが空を切り裂くその風の音を、聴いた。


 今までとは気色が違う音、木々の揺らめき。それを今、研ぎ澄まされた五感に感じた。


「――ここだっ!」


 声を挙げると同時にザリッっと音を立て、全力を以て地面を蹴り上げ、俺は右方とへ飛んだ。


 直後、カカっと音を立てて二本の刃物――恐らくクナイが木々へ突き刺さる音が森の中に響く。


 ヒュンと風切る音の後に間もなく、木々に突き刺さるクナイの速度。目に捉える事無くそれを回避するのは、今までの俺からすれば奇跡の類の御業だ。


 それを今、躱せたのだ。最も捉え辛い、初手の投げクナイを。


 どこから来るとも知れないその攻撃を、俺はどうやら回避する事が出来た様である。


 心の中が一時、嬉々とした感情に溢れかえりそうになるが、そこに慢心しているような暇はない。


 視覚で横目に捉えた、クナイの飛来してきた方向。


 飛び退けながらもホルスターから抜き出していた拳銃の銃口を向け、セーフティをコンマ一秒のタッチで外すと、俺はその方向へと連続で二発の銃弾を放った。


「当たれっ……!」


 ダン、ダンっ、と、火薬の爆発する喧騒強(したた)かな音が静寂の森へと響き渡る。


 未だ完全に相手の姿を捉えずに撃った弾。


 そんなものがあの少女に命中するとも思えないが、言外には気合の声が、祈るように零れ出ていた。


 当たるも八卦、当たらぬも八卦。占いレベルの命中率な曖昧さの感触しかないが、どちらにせよ一時の大きな牽制にはなるだろう。


 次の行動への備えに意識を移行させながらも撃った弾の行き先を見つめると、二十メートル程先の地点の木々が揺れ動くのが見えた。


 一体それが何かと頭で認識するよりも先に、引金を引いて更に一発の弾丸を俺は放つ。


 するとその直後、「あぐぅっ!」と悲痛そうな声が耳に届き、今度は木々の葉の間に隠れ見える黒い着物のようなものが目に付いた。


 それが転がり落ちるようにして墜落するのが見えた後、相手は上手く着地したのか、しゃん、と微かに着地音が響く。


 そして俺の警戒を前にして、彼女は森林から歩道へと歩き出た。


 この木々の中では保護色になるであろう艶やかな緑髪、そして野性を秘める金色の瞳を携えた彼女は、二十メートルの距離を保ちながらも俺の正面に踊り立つ。


「……お、お見事、と言わせて貰おう。秋也殿」


 声を張り上げている訳ではないが、他に誰も居ない森林の中だ。彼女の中性的な声は、この静寂の森には良く響いた。


「忍んでいる状態の倅の攻撃を躱すなど、中々出来る芸当では無い。それを熟した時点で、貴殿の相当な感性と実力が読み取れるというもの。……更には即座の反撃で、倅の耳を撃ち抜くときた。久々に、痛くて痛くて、敵わない」


 そういって離れた位置に佇む彼女は、片目を俄かに歪めながら、片手で右耳を指すジェスチャーを見せる。

 

 眼鏡越しにそこに着目してみれば、確かに彼女の方耳からは血がだらだらと流れ出ており、地面に微かな赤い染みを滴らせていた。


 ああ、確かに、痛そうではあるな。


 だがそれ以上に、あの反撃が命中していた事にまずは歓喜の念を俺は覚えてしまっていた。


 ここ数日でマイに何度も刃物で刺されたせいで、既に怪我に対する感性が大分麻痺しいるような気がしなくもないが。


「おほめに預かり、至極光栄。悪いが、こちらも今まさに死にかけた場面だったものでな。その位の痛手は覚悟の範疇としてこちらも認識している訳だ。さて、今は会話の出来る状態になったと見て良いんだろうか?」


 銃を正面に構えたまま、俺は彼女にそう尋ねる。


 自身の手で誰かを傷つけた事に嫌悪感を抱かないでもないが、そんな実情にそぐわない価値観に圧される精神のまま戦いに臨んだつもりも無い。


 動揺も抱かず、そして見せず。俺はここで一つ対話を望むことを提案した。


 出来れば、まずは彼女ともう一度話をして置きたかったし、何より彼女にとっては有利な森林からわざわざ降りて、俺の前に現れたのが何か対話を求めての事だろうと考えたからだ。


 その言葉に、あの暗殺者の少女もこくりと頷いた。


「そう考えてくれて構わない。が、対話の内はその武器を降ろしてくれとも請願はしない。それに、こちらも秋也殿には言いたい事があった。……『貴殿が毒蛇に噛まれずに済んで』、本当に良かった。これで倅も、本意にして貴殿を討ち果たせるというもの」


 ……何を言っている? 毒蛇、だと?


「どういう意味だ。毒蛇、だと? そんなものが、何処に居たんだ」


 俺がそう尋ねると、無表情なままに彼女は淡白に答える。もう痛みは克服したのか、痛みが表情に出る事は抑えることが出来ているらしい。


「秋也殿の背後の草木の中だ。先程立ち止まった貴殿の背後の木にて潜み、貴殿の首元を狙って飛びかかっていた毒蛇を、倅がクナイで撃ち落とした、という次第である」


 少し誇らしげに、そして何処か憎らしげな声色を織り交ぜたような彼女のその言葉に、嫌な青筋が俺の額に走った感覚がした。


 その言葉に、まさかと思いながらも銃を構えたまま二歩横にずれ、先程俺が立っていた場所の木を横目に見てみる。


 すると、確かに牙をむき出しにした二メートル程の長さを持つ二匹の蛇が、彼女が先程投げたクナイによって木に刺しつけられ、目をひんむいたままに失命していた。


 ……まさかとは思ったが、これには、驚きだ。


「それは即効性の毒を持った、この国でも有数の猛毒を備える北山蛇(ほくざんじゃ)。一度噛まれれば余りの痛みに気絶し、更にはヒルの吸血治療無しではものの数分で人は死に至る」


 尚且つ、助かった所で狂犬病で死ぬ可能性が大なのも面倒な所でもある、と彼女は言葉を続けた。なんだそれは。恐ろしすぎるだろう、北山蛇とやら。


「と、なると。俺は君に助けられた事になるのか? こいつは猛毒の蛇で、気付かずに噛まれてれば先に俺は死んでた、と」


 考えるまでもなく、俺の意識は完全にあの少女の攻撃の気配を探ることに集中していた。


 それ故に、まさかそんな予想外の第三者からの攻撃が来るとは想定すらしていなかったのである。これは、完全なる俺の失態だ。くそっ……!


 その事実を前にして、異様な苛立ちと、余りの不甲斐なさに歯ぎしりが鳴る。上げて落とされたような気分が、妙に今は(しゃく)に触った。


「あの日の夜、倅は貴殿の言葉によって、焼き殺される運命を免れた。その命の恩には、それなりの返しが要る。命の恩を、仇として返すつもりも無かった。……けれど、殺すべき相手に対して、単に恩には恩で返すべき云われも無い」


 単に、という部分がどうにもひねくれているようで、なんだかんでこの少女が自身の良心に誠実に生きている感じが読み取れる。


「そこで先程の秋也殿は丁度良く、背後の蛇には気付いていないように見えた。だから倅は先程の選択をした」


「……なるほど。君がクナイを投げなければ俺は背後の蛇に気付く間もなく噛まれて死んでもいたが――君のクナイに気付くのが遅れれば、どちらにせよ、蛇に噛まれるより先に俺は君のクナイに殺されていたってわけだ」


 なんと律儀な恩返しだろう。命の恩返しも兼ねながら、同時に彼女は俺の暗殺という行為を成立する可能性を含めた投擲をしたと言うのだから。


 だが、彼女の立場における選択としてはある意味ベストな状況だったとも言えるのかも知れない。恩返しも果たしている為に良心も傷つかず、同時に俺が愚鈍であればそのまま暗殺の目的をも達成できるからだ。


 なるほど。俺は、この少女に最初から高みの見物をされていたのだ。


 狙えるタイミングはいつでもあったのに、敢えて俺が外的要因で殺されるまでは決して手を出すつもりでは無かったのだ。


 その彼女の選択や行動が良いものであるかどうかの議論はさておき、俺はその事実に対して、静かな憤慨を覚えていた。


「く、はは。どうにも腹が立つよ、君に舐められている事に。一瞬でも、銃弾を喰らわせた事に歓喜していた事にも。それ以上に、余りにも不甲斐無い自分自身に、な」


 昨日の内に聞いた筈の、マイから貰った助言すら考慮できていなかった。


 『整備されていない北の通りには、予見できない多くの危険がある』と別れ際に言われたばかりなのだ。


 それを考慮し、宿でも何処ででも、情報を事前に仕入れてさえいれば、ここまでの醜態をこの暗殺者に晒す事には成らなかった筈である。


「俺は、大きな事に意識が取られて、小事に足を掬われたと言う事になるな。君の手出しが無ければ、既に俺は戦う前から蛇に噛まれて死んでいた。……情けなくも、事実を認めるしかないな。俺は、先程の時点で君に敗北していたんだ」


「……ふむ。そうとも、取れるかも知れない。しかし貴殿は倅に恩を売っていた。故に生き残れたとも取れる。誠、人生とはどの選択がどう転ぶかは予測し切れないもの」


 全くだ、と俺は相槌を打つ。


 マイがこの少女を焼き殺していた所で、俺は神託の巫女の言に従って方違えをしていた筈だ。


 その場合、俺はこの道を行く最中、蛇に噛まれて死んでいた事になるだろう。


 常にある選択の中に、その時点では正解も間違いも無い。風呂場でのマイの言葉が思い起こされ、それはこの場で身に染みた。


 だが――。


「それとこれとは、話も別だ。これで今、俺と君の間に恩仇による垣根も無い。あるのは互いの目的を果たす為の、戦う意思のみだ」


 白黒つけるのは、それが一番単純で、尚且つ明快で今の俺達には丁度良い。


「……違いない。さて、戦いの場に戻る前に問おう。貴殿も何か倅に話があった筈。最後にそれを聞いて置く」


「ああ、そうだな。まあ、色々と言いたい事はあったんだが――そんなのは忘れた。ただ一点、これだけは言って置こう。俺はあんたに勝って、生き残る」


 譲れない掟があちらにあるように、俺にも譲れない理由が出来ていた。


 先程の時点で一度負けを認めた以上、これから先は雪辱戦だ。


 地を踏んでも、血を流しても、勝ち取ってやる。これからも続く、俺の人生を。


 ……勝って彼女を、臣下として従える?少し前までの俺は、一体何を考えていたのか。


 そんな余裕は、溝にでも捨ててやる。それはあくまで、運よくいった場合の副産物でしかない。


 俺の目的は、彼女を制し、そして生き残る事のみ。相手の生死など、問う必要等ないのだから。


「良い眼に、なっている。これで互いに遠慮は無い。予め一方にしか殺意がない獣の狩りでは無く、力を持った者同士の殺し合い。倅を討ち取る為だけに、実力をも備えてきた敵」


 既に俺の背後を追ってきている時点で、この数日間のある程度までの俺の行動も知っていると解する事ができる。


 だからこそ、俺がこの少女に勝つ為だけに行った研鑽の一部を、目の前の敵は把握しているのだろう。


「なれば、倅も今後の道の為に、貴殿は一生を賭けるに値する相手であると確信する。……故に、名乗ろう」


 そうして彼女はクナイを構えると、敬意と決意を織り交ぜたような真摯な眼差しで、鼓舞した。


「――我が名は、ミドリ。倅に生きる掟に従い、我が道の為に貴殿を討つ」


 二十メートルも離れた先。同じ道の正面立つ少女が、そう告げた。葉に融ける様な緑髪は風に揺れ、光る黄金の瞳は、意思を備えた獣の如くこちらを捉えている。


 名乗り口上は、命を奪う事をも厭わないと示すその意思表示。だがここでそれに相対する為の、魔術師としての自分を名乗る気にはならなかった。


 今の、俺という存在。それをこの相手には示してやりたい。そんな意地と決意をもって、淡白にそれを告げた。


「俺の名は、藤野秋也。ただ俺の為に、俺はお前を討つ!」


 いざ。 二人の獣は、戦いの火蓋を切る。







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