第3話 妹襲来、術師を語る。
俺が目を覚ました時、既に夜は明けていた。
窓のカーテンからは日の光が差し込み、太陽が既に昇ったことを知らせている。
寝るつもりなど無かったのに、俺はその意思に反して、身体は休息を求めてしまっていたらしい。
全くもって、貧弱。俺にはこの言葉がよく似合う。そんな自分に、嫌気がさす。
壁に立てかけた時計の針を見ると、時刻は既に朝の九時を回っていた。
俺は舞の小さな暖かい手を離し、自室を出て台所へと向かった。
今日は舞のいつもの役割を奪ってしまうことになるが、こういう場合位は仕方がない。
俺は自分の手で久々に料理を作ることに決めた。
料理が苦手でコンビニ弁当に慣れてしまっているような俺が得意な料理はあまりない。
さて舞が起きた時の為にどんな物を作ればいいだろうかと冷蔵庫の扉を開けようとした時だった。
ピンポーンと我が住居のアパートのインターフォンが音を鳴らして響いたのである。
はてさて、こんな朝早くから一体どんな業者や勧誘の方が訪問してきたのかと玄関の扉に向かい、鍵を外してドアを開けると、だ。
そこにいたのは一人の茶髪の少女。
高校生辺りの年齢であり、先端が少しカールしている肩辺りにまでにかかる茶色の髪と、綺麗に整った可愛らしい顔が特徴な、――俺の妹であった。
「久しぶりね、秋にぃ。元気にしてた?」
「……ああ。久しぶりだな、椿。中々に唐突な訪問じゃないか」
「そうね。まあ、バイトの関係で京都に来たから、ついでに秋にぃの所に寄っていこうと思っただけなのだけれど。ほら、これ。手土産」
そう言って年の離れた俺の義理の妹、藤野椿が差し出したのは、ヴィンテージ社というロゴの書かれたビニール袋に包まれた20センチ位の箱状の品物。
それを受け取って中を見てみると、そこにあったのは、やはりというか、毎度の事ながら、俺に予想をさせない品物だった。
「ヴィンテージ・ヴァリアブル・ウォッカ……。確か、俺たちの地元の名産品の酒だったか。正直毎回反応に困ると言うか……いつも変な物ばかり持ってくるよな、椿は」
「なによ。気に入らないっていうのかしら?紋切型の普通過ぎる物を持ってくるよりは、秋にぃの虚を突く様な物の方が面白いと思うのだけれど」
「いや、まあ、酒は好きだから良いんだけどさ。まあ、取り敢えずありがとな、椿。感謝するよ」
「最初からそう言えば良いじゃない」
そう言って薄ら笑みを浮かべる椿だが、俺がこういう反応をすることなど最初から分かっていたのだろう。
俺が酒が好きだと言えども、真の好物は日本酒である。ウォッカの類は嫌いでは無いがそこまでは好きではない。
先ほどの俺の言葉も、毎回変な物ばかりを持ってくる椿に対するせめてもの社交辞令である。
まあ、可愛い妹が土産を持って俺の家を訪ねに来てくれたこと自体は凄く嬉しいことなのだけれど。
……しかし今日は平日なのだが、高校サボってバイトなのか。相変わらず自由だな、椿は。
俺と椿の関係を説明してみようと思う。
藤野家に養子として引き取られた俺とは違い、椿は藤野家の両親の実の娘だ。
俺を育ててくれた母親は、子が成せない身体であったが故に、父親と一緒に悩みに悩んで養子を取るという選択肢を取った。
そして俺という、当時赤ん坊であった俺という少年を特別養子として引き取ったのである。
特別養子となれば、権限は実子と同じ。
両親と血が繋がっていないという事実を知った後にも、多少の仲違いはあれどもスクスクと育っていた俺だったが、中学生に入学した頃。突然の脳腫瘍で俺の母親は亡くなった。
そしてその後再婚した父と、その母が成した子供が二人。
その内の次女に当たるのが、今俺のアパートを訪れに来た椿だ。
そんな新しく再婚した若い母との仲違いから勘当されることとなった俺だが、なんやかんやで唯一、今でも椿とだけは仲が良い。
幼い頃から一緒に遊んでやったし、話も気が合うというか、そんな感じであり、たまにこうやってわざわざ遠い京都まで足を運んで俺の様子を見に来てくれるのだった。
因みに椿の少しおかしな口調についてだが、中学生になってから高校生である今に続いて、ずっとそうである。
今風に言うのなら、所謂その頃に始まった厨二病とやらを引き患ったままでいるのではないかと俺は思っている。
というか本人が昔認めていたし、実はこの椿という俺の妹は、ファンタジーな小説を好んだりする、厨二病大好き少女なのであった。
ここまで来るのにも少し疲れたわ、と一息漏らしながら椿は部屋の入口に荷物を下ろすと、立ちながら靴を脱ぎ始めた。
「じゃあ、お邪魔させて貰うわね。秋にぃの部屋、一人暮らしにしてはかなり綺麗だから、そこだけは褒めてあげれるかも知れないわ」
「ん。まあ、元々俺は綺麗好きだしな。……っておい、勝手に入るなよ!」
脱いだ靴の向きを揃えた後に、置いた荷物を手に持って台所へと向かおうとする椿だったが、俺のその呼び声に足を止めた。
そして不思議そうな表情で俺の方へと振り返る。
「……? 何かしら。まさか、見られたくないものでもあるの? 別に秋にぃのどんなものを見たって今さら私は驚かないし、なじったりはしないわよ」
「いや、お前の性格からしてそうなんだろうけど……。まあ、いいや。じゃあ、ちょっとだけ台所でテレビでも見て待っててくれないか?そういや俺、寝間着のままだし」
「ああ、そう言えばそうね。でも後で、北野天満宮……だったかしら。近いみたいだし折角京都に来たんだから秋にぃにはそこに案内してもらうつもりなの。だから余り変な格好に着替えないで欲しいわ」
寝間着云々は取り敢えず椿が余計なことをする前に舞の様子を見るために言った咄嗟の言葉だったのだが、まさかそんな事を言われるとは。
恐らく、椿にも舞の姿は見る事が出来ないとは思うのだが、出かけることを提案されるとなると話はまた変わる。
今の舞を一人で置いていくことなんて、俺には出来ないからだ。
……しかし、よくよく考えてみると、もしかしたら椿にも舞が見えてもおかしくなさそうな気もしなくはない。
ファンタジーが好きな事もあってかは知らないが、昔からそういった不思議な出来事や現象には案外と敏感な面も椿は持っているからである。
言葉通り椿には台所でテレビを見て待って貰うことにして、俺は昨日舞を寝かせた自室へと向かう。
自室のドアを開ける。
そこには、ケロリとした表情で既にいつもの服に白い振袖の着物を着てベッドに腰掛けている舞の姿があった。
「あ、……舞! もう起きて大丈夫なのか? 気分は悪くないか? 頭が痛かったりはしないか?」
ベッドに腰掛ける舞に近づき、なるべく小声でそう話しかける俺。
舞の姿が見えない者には舞の声が聞こえないことは出会った初日にコンビニで試したから知っている。
けれど俺の声は台所にいる椿に聞こえることだろう。
部屋に居る誰かと話しているのかと聞かれて誰も居ないのに自分の兄は独り言を呟くようになってしまったのかと思われては堪らないし、余り舞のことを詮索されたくはない。
「はい、大丈夫です。一晩寝たら、すっきりと回復したみたいです。……そ、その、秋也さんのベッドを借りてしまってたみたいで、……申し訳ありませんでした」
そう言って律儀にペコリと頭を下げる舞。ああもう、どうしてこの娘は、ここまで礼儀正しいのだろうか。
「いいよ、そんなのは気にしなくていい。舞が良くなることが俺にとって最優先だったから。ああっと……その、すまん。昨日は、少し無理させた」
「……いえ、無理、という訳では有りません。私がまた記憶の断片を取り戻す大きなきっかけになりましたから、寧ろ感謝しています。それに、少しだけ思い出せました。マギ……私が、魔術師だということを」
瞬間、俺の思考が止まった。
昨日は、余り考えないようにしていた事実。調べようとは思っていたこそすれども、魔術師という実際生活では聞き慣れない言葉が脳内を走る。
彼女が、この目の前の少女が、魔術師などという稀有な存在であるということ。
そんな存在が居る事など、舞と出会うまでは半信半疑だった俺だが、俺以外に姿を認識されないという特異な現象を実際に引き起こしていた舞の言葉だ。
それを鑑みれば、これもまた、有り得ない話では無い。
「ですが、思い出したのは私が魔術師であるということと、後もう一つ、何か、私が探しているモノがあったという事だけです。しっかりとしたことまでは、まだ……」
「良い。焦る必要は無いだろう。ゆっくりとしていけば良い。そうでなきゃ、また昨日みたいな事態をまた引き起こすかもしれない」
「……魔術師っていう存在のことに関しては、触れないんですね、秋也さん。信じているのか、私の言う事がただの戯言だと思っているのかは知れませんけ ど……。因みに今の私は殆ど魔術が使えないので、証拠を見せろって言われても、見せられないですから……。いくら秋也さんでも、こんな話、信じられるわけ 無いですよね」
信じられるかどうか、と問われれば、信じ難いという返答が俺の本心なのだろう。
例えば、『自分には霊感がある』と自称する者が居たとしよう。そんな人の言葉を受けて、『幽霊なんて一度も視た事が無い』と言う人が幽霊の存否を本気で信じるかといえば、それは難しい。
自分の目で見たものや体験したものでしか、本当の意味で人は真に迫ることは出来ない、と俺は思うからだ。
だから、自身が見たことのないものを信じるかどうかの判断は、その話における存否の信憑性に委ねるものではない。
その話を信じて欲しいと自分に告げる、その人自身を信じているか否か。そこがきっと、重要なのだ。
ならば、俺の答えは……もう決まっているようなものだった。
「――信じるさ。俺は舞の言葉を信じる。だから、舞が魔術師だということも信じる。戯言? 舞がそんな表情で言う言葉に嘘なんてあるのものか。会ってまだ二週間しか経ってはいないが、その位のことは俺にだって分かるんだ」
半信半疑に疑う自分なんてのは、もういい。
俺はこれまでの経験と舞の表情、そしてその言葉を聞いて判断し、そしてそれを信じた。
魔術師という存在は、この世に実在する。
我ながら安直、そして愚直なまでに妄信的な判断だ。客観的に見れば、何を世迷言をとのたまう現実主義者もいるだろう。
だが残念。俺は適当に見上げた月夜が最も美しいモノだと決めつけて月桂冠と共に少女と月見をしようとするロマンチストだ。
舞の言葉を信じるか否かを除き、客観的な要素を鑑みても、だ。
舞が自分自身を真剣な表情で魔術師と呼び、そして実際に一個体として身体を持ちながら姿を人に認識されない状況にある以上、それを疑う余地が俺には無い。
迷いの無くなった俺のその言葉を聞いた舞は、驚いた表情を見せた。
そして真っ直ぐに舞を見る俺の目を見て、先程の俺の答えが嘘では無いと感じたのか、舞は表情を緩めていく。
「……私のこんな突拍子も無い話を、本当に信じてくれるんですね、秋也さん。ただ記憶が混同していて、ただ妄想を信じてるだけの頭の弱い子だって思われても仕方が無いのに。正直者は馬鹿を見るって事もあるんですよ?……でも、凄く嬉しいです」
そう言って舞は、にこやかに笑った。
笑うと同時に、彼女の銀の髪がさらりと揺れる。
――ああ、そうだ。見惚れてしまう、聞き惚れてしまう。
その舞の素直な笑顔に。
その清んだ、嬉しげな声に。
けれども何かを思い出したかのように、その舞の表情が瞬間的に冷えたものに変わる。
舞は感情の表現が率直だ。
だからこれは、何か俺を非難することがあるというサインだと思われる。
「そういえば、秋也さん。先程誰かがこの家に来て二人で話していたみたいですけど……今台所に居るらしい女の人は……誰、ですか?」
そう言いながら、今度は頬を膨らませる。更に今度は、多少俺を睨みつけるような視線。
……これは、あれか。まさか、俗に言う嫉妬という奴でしょうか。
そうだとしたらなんと嬉しいことかと思うが、俺の年齢を考えて冷静になる。まあ……そりゃ、無いかな。どうだろう。
「あ、ああ、そうだな。まだ言ってなかった。今来てるのは、俺の妹。血が繋がってない上に俺は勘当された身であるから、義理の妹という感じな訳だけども、俺は実の妹のように思ってる。椿って名前の、少し変わった面白いやつさ」
それを聞くと、舞はキョトンとした様子になって、それからほうっと一息つくと、先程の様な乾いた笑顔を見せてくれた。
なんというか……本当にわかりやすいな、舞は。
「な、成程、妹さんだったんですか。えっと……不法侵入者さんじゃなくて、良かったです。それで秋也さん、先程椿さんとの会話が聞こえていたのですが、天満宮……? でしたっけ。これからそこに行くのですか?」
「うん、まあ。そのつもり。舞がまだ体調が悪くて目が覚めてない様だったら、断るつもりだったけどな」
「あの……でしたら、私も連れて行ってくれませんか?その、……椿さんと、一緒に」
それは思わぬ提案であった。
正直な所俺は、昨日の負担があるだろうから今日は舞には休んで貰おうと考えていたのだが、まさか自分からそういった所に行きたいと言い出すとは。
「ああ、いいぞ。観光したいなら、舞も一緒に行こうか。でも椿には舞の姿は見えないから、殆ど舞には構えないと思うけど、それで良いなら」
「構いません。着いていけるだけで、充分です。じゃあ、えっと。秋也さん。そろそろ着替えないと、椿さんが怒りそうなので……私、後ろ向いてますから、その内に着替えちゃって下さい」
……そういえば。完全にその事を失念していた。
どうやら舞のことになると、俺は大抵のことがどうでもよくなるらしい。
だからといって、敢えて妹の不要な怒りなど買うべきではない、か。
「秋にぃ、まだなのー?」と呼びかける声が、数秒も経たない内にリビングから聞こえてきたのを契機にし。
俺は近くにあったクローゼットの奥に手を伸ばして、新品の服を寄せ集めて、それに先早に着替えることにしたのだった。
▽
大慌ての早着替えを、こなし終える。
男の出立の準備など、女性と比べれば圧倒的に短いのである。化粧もなければ、髪のセットも比較的に楽に終わる。
準備はまだかと幾度かリビングに居る次女の椿に声を出して問われたが、実家に居た頃に長女や義理の母親、椿の三人に、出立の度に俺と親父が待たされた時間を鑑みれば、多少は我慢しろと文句も言いたくなる。が、ここはグッとこらえた。この程度、いつものことである。
結果的に服装は、緑のボトムにTシャツ。その上に黒のジャケットという、何となく若者風なチョイスのものに俺は決定した。
ファッションのセンス?そんなものは知らない。椿に怒られない程度なら問題ない筈だ。
高校生である椿の隣を歩くなら、下手におっさんっぽくするよりかは若くした方が良いだろう。
援交とかだと周りに思われたらたまらん。そうなれば椿が可哀相であるからして。
元々割合と自分は童顔であるので、そこまで違和感も無い気がしているのが若干虚しいと言えば虚しい。
着替えた後に支度を終えた俺は、俺の隣にちょこんと着いてくる舞と、その反対側を歩く椿と共に出発することにした。
椿の様子を見るに、舞の姿に気付いている様子は無い。
舞と出会って以来。
この二週間、舞の姿――その存在に気付いた人は、誰一人として居なかった。
それと同様、椿の目には、舞の存在が映ってはいないようだ。
これなら問題ないだろう、と俺は内心ほっとしていた。
……しかし。
一瞬椿が舞と目を合わせたよな所作も見えたような気もして、もしかしたらという気にもなったが、気のせいだろうと俺は頭を振りかぶった。
そうして俺達は、北野天満宮という学問の神様を祭る、受験を控えた修学旅行生が良く訪れる名所へと向かうのであった。
初めて舞と出会った場所である最寄りの神社の前を左に曲がった道の先に、天満宮の裏門が存在している。
俺としては散歩コース並みに慣れた場所であるので数分程歩いた後に到着し、遠慮なくその裏門から入っていくことにした。
「ふーん。良く思い出してみれば修学旅行で昔ここに来たことはあったような気もするけれど、こんな裏道みたいな門があったことは知らなかったわ」
「まあ、そりゃそうだろ。修学旅行生は時間的に制約が有ったりするし、第一バスが近くに出てるかも分からないこんな場所を入口や出口にする修学旅行生がいたら、相当な手練れだと思うぞ」
そんなの事の手練れな修学旅行生とは一体何者なのかと少し疑わしく思いたくなるようなものでもあるのだけれど。
あ、元現地人なら有り得るか。
門をくぐって暫くすると、本殿の建物の裏側が見え、そしてその近くに赤い様式の控え目な社が立ち並ぶ様子が見える。
「そういや、なんで椿はここに来ようと思ったんだ?別に他の場所でも良かっただろうに」
「秋にぃの家から近いっていうのと、期間限定で秋の紅葉が見られるもみじ苑があるって聞いたからよ。なんだかそういうのを眺めるのって、素敵だと思わない?」
流石我が妹。実は俺もそういうのが結構好きである。風流だとか考えて月見酒をするような奴だしな、俺。
やはりこういう所で気が合ったりするからこそ、俺と椿は今でも仲が良いのだろう。
正門を出て暫くすると、その紅葉苑の入り口が目に入る。
入苑参拝量大人六百円。茶菓子付きでその値段だというので、それほど高くも無い気がする。
当然その支払いは俺持ちであるけれど。
因みに例によって、誰にも舞の姿は認識されていないので、舞の分のお金は払う必要は無い。というより、居もしないと受付の人に思われている舞の分の代金なんて払いようがないのだ。
そんな折に舞は楽しそうな笑みを浮かべながらも、その視線は椿の方へ向いていた。
何か思う所があるのだろうか、どうにも舞は椿を意識しているようにも感じられる。
お金を払い、勘定を終えてそちらに入ると、椿がぼそっと一言呟いたのが聞こえた。
「……1200円で、二人……ね」
意味深そうな椿の発言に、俺は首をかしげる。
「……なんだ、高いとでも思って遠慮してんのか? 京都じゃ安い方だから気にするなって」
「私が今更、秋にぃに遠慮するわけないじゃない。そういうことじゃないのだけれど……まあ、いいわ。誰も困りはしないでしょうし」
「……?」
よく分からないが、取り敢えずその時は頷いておくことにした。
▽
その後、紅葉苑の道を周り終えた感想としては、ただこの一言に尽きる。
――本当に綺麗だった。
こういった場所に来ることを椿に提案されたことは、僥倖であったかもしれない。
「正直、想像以上だったわ。バイトのついでとはいえ、来て本当に良かったかも知れないと思えたのは、素晴らしいことね」
「俺もそれには同意。秀吉が作ったという御土居の近くにかかる橋なんて、まさに和って感じだったしな」
椿の反対側で俺の隣を歩く舞に目を見やると、私もそう思いますと言わんばかりに嬉しそうな顔で頷いていた。
今は歩きながら、正門を出た方からのバス亭に向かっている途中だ。
今日は椿は、そこに着いたらお別れだという。
その事を俺の横で聞いた舞は、俺に一つお願いと称して、椿に質問をすることを頼んできた。
内容を聞いて、成る程、その為にも舞は着いてきたのかと俺は少し納得した。
要するに舞は、椿に魔術師についての見解を聞きたかったらしい。
「なあ椿、聞きたいことがあるんだけどさ」
「なにかしら。答えられる範囲までなら大抵の事は答えるわよ」
「それじゃあ聞くが、『魔術師』ってどんなものなのか、教えてくれないか?」
それを聞いた瞬間、椿の表情は一変した。
それは驚愕か、はたまた椿が好きそうな内容に突っ込んだことに対する密かな歓喜からか。
そして何か悩むような様子を見せた後、椿は俺に視線を合わせると、ふっと笑った。
「何? 秋にぃもそういうことに興味が出てきたのかしら。うん……魔術師、ね。私が今まで読んできたファンタジー系統の小説や文献からしてだけれど、二パターンの考え方の存在があると思って良いわ」
二パターンもあるとは。中々興味部深そうな内容である。
相当なまでにそういう事が好きで色々調べていた椿の言葉であるなら、例え虚構の物語から手に入れた知識だとしても参考になることは充分にあるかもしれない。
「まず一つ目。私が昔から興味があった、タロットにおける魔術師の見解からいかせて貰うわ」
「ああ、じゃあまずはそれで頼む。……そういや椿は、昔からタロットで占いとかそういうの好きだったな。その点は凄く女子らしいと言うかなんというか」
「秋にぃ。聞く立場なら余計なことは言わなくていいわ」
はぁ、と呆れたように溜息を吐くと、椿は気を取り直して話始めた。
「じゃあまずは一つ目。タロットにおける魔術師という存在の見解ね。結論から言わせて貰うと、タロットにおける魔術師というのは魔術の行使においては『ペテン師』だと思ってくれて構わないわ」
ペテン師、ね。魔術師とやらは嘘吐きなのか?……そんな馬鹿な。
「まず前提として、タロットには正位置と逆位置というものが存在しているの。大アルカナでいう一番目の数字を冠する『魔術師』で言えば、逆位置の意味は『ペテン師』という具合に」
ふむふむと俺は頷き、舞は俺の隣で身を乗り出してその話を聞いている状態である。
「0番目を冠している『愚者』のカードを除くと、21枚のタロットの中間に位置してバランサーの役割を果たしている『正義』を中心に見立てた時。『魔術師』と相反する位置にあるのは『世界』のカードなの」
「……えっと、つまり。タロットにおいて、世界と魔術師はお互いに対立してるという、という見解で、いいのか?」
俺がそう聞くと、「そう思ってくれても構わないわ」と椿は答えて、そのまま話を続けた。
「魔術師というのは、世に有り得ぬことを現実のものとして顕現する者のこと。事欠いて、魔術というのは私達が生きている世界の法則に背くものなのよ。そう、カードで例えたように、それは魔術師が世界と相反した存在だからこそ成せる業」
成る程、とここで俺は納得してしまう。
そういう考え方もあるのか。
「例えば『炎よ、出ろ』なんて宣言したとするわね。そこに魔力を込めることで、魔術は実際に、炎を世に顕現する」
炎を実際に現実でそんな風に出すことなど、中々イメージが沸かないので、それを聞いた俺はやっていたようなアニメや、イギリスの有名な魔法使いの映画のシーンを脳内に浮かべてみた。
「魔力とはすなわち、世界を酔わせるお酒のようなものよ。世界そのものをお酒で酔わせて、詠唱という嘘をつく。そうすることで世界を騙して、炎を世に顕現する。そう、まさしくペテン師なのよ、魔術師という存在はね」
――ま、これは殆ど私独自の見解なのだけれど、と。椿はあくまで持論であることを主張するアフターフォローを忘れない。
だがしかし、中々参考になった。
タロットにおける魔術師をそういう目で見る事で、魔術がどう行使されるのかというイメージは少しついた。
ただ、この椿の解釈をうのみにするなら、今まで抱いていた魔術師という者に対するイメージが少し壊れたという気も否めないが。
「さて、じゃあ二つ目の解釈ね。これは一般的な魔術師に関する見解。さっきのは寧ろ例外だと思ってくれて構わないわ」
「ん。今のが、例外なのか?」
「ええ。さっきのは、私なりの見解。どちらかと言えば、今から話す内容の方が、この世界における通常の魔術師の概念と言えるものだから」
だとしたら、今から話す見解の方が、寧ろ普遍的な魔術師を指すモノということになるのだろうか。
「一般的な魔術師というのは、結論で言えば、『商売における消費者』よ。それもかなり立場の低い、ね。それは、世界は一文たりとも、魔術師から提供される魔力の量をマケてはくれないが故よ」
まさかの消費者。
ついにファンタジーな影すら消えてしまったのか。
「その場合の魔術師の定義は、魔導と魔操を扱う者のこと。魔導とは、魔力で『魔導陣という名の契約書』を描き、その魔術に定められた一定量の『魔力という名のお金』を提供して、世界から魔の力を導く業よ」
世界が売り手で、
魔術師が買い手。
魔導陣が契約書で、
魔力がお金ね。
分かり辛いが、なんとなはなしに理解した。
「世界は魔導陣に対応してその魔力に見合った魔術を提供するけれども、提供したその魔力の量を超える魔術は一切提供しないわ。つまり、魔導陣という契約書を描く側が未熟であれば、余剰分の魔力は全部世界に持ってかれてしまうのよ」
それはつまり、売る側(世界)はお金(魔力)が払われた分だけの商品(魔術)を渡す義務は一応生じるということである。
ただし買う側(魔術師)が契約書(魔導陣)に欲しい物を正確に全てに書けなかった場合は。
売る側(世界)は書かれなかった分の商品(魔術)を提供する必要が無くて、払われた残りのお金(魔力)をそのまま徴収できるってことか?
なんという理不尽な商売。だが、だからこそ買い手の実力が試される、ということだろうか。
分かったようで分からないような……。
この長ったらしい話を舞は理解できたのだろうかと横を少し振り向いてみると、舞は納得したように頷いていた。
本物の魔術師が頷いているということは、この椿の説明はあながち間違いではないのだろうか。
「ま、大方の説明はこれで終わりね。魔操については、読んで字の如く魔の力を操る業とでも思っていればいいと思うわよ」
「纏めると、この魔導と魔操を行う力を兼ね備える、世界に対して立場の低い消費者。それが一般的な魔術師ってことね。長かったけど、理解出来たかしら?」
取り敢えず大枠は理解した。
結論として、魔術師というのは『世界を騙すペテン師』と『世界より低い立場の消費者』の二つに分かれているって話だな。
舞が言う魔術師とはどちらなのか、気になるところだ。後で聞いてみよう。
そんなこんなで長話をしていると、いつの間にやら近くのバス停まで辿りついていた。
会話というのは時間を忘れてしまう。実に恐ろしいものだ。
車の道路側の車線の方にふと目を見やると、バスが既にこちらに向かっていた。
「ああ、あれが私が今から乗るバスみたいね。秋にぃとこういう会話が出来たのは凄く有意義だったわ。最後に一つだけ。昨日、秋にぃの今後をタロットで占ってみたら出たカード。なんだと思う?」
「……わからんさ。正直そこまでタロットについて覚えてないからな。じゃあ、とりあえず愚者で」
俺がそう言ったタイミングで、椿が乗る予定のバスが着いた。
プシューと音を立てて、その扉が開く。
「……残念、はずれ。秋にぃ、覚えて置いて。出たのは『世界』の『逆位置』よ。普通に読み取れば最悪のカードだけれど、秋にぃにとっては、これにはきっと大きな意味があるわ」
そう言い残すと俺の方を向きながら、椿はバスに飛び乗った。
そして今日一番の笑顔を見せると、最後にこう言うのだった。
「『彼女』とお幸せに。頑張ってね、秋にぃ。それじゃあ、またね」
現代ファンタジー編としては、基本的に京都が舞台です。お寺や神社巡りをするのは、凄く楽しいと思います。
北野天満宮は『合格祈願といえばココっ!』って感じですが、合格祈願だけでなく、毎月25日は周辺に屋台が出て骨董市も開かれているので、そういうのを楽しもうと思う方はその日を狙って行くのも違った楽しみ方があって良いと思います。京都は良い場所。……夏の熱さ以外はorz
また、今章に登場した新キャラ『藤野椿』は、ここで私が同時に掲載している「アルカナ・オブ・ハーミット」というファンタジー小説のヒロインです。
本小説とかなり内容が繋がっているので、時間に暇があればそちらも閲覧頂けたらこれ幸いです。