第20話 文明銃器、撃鉄鳴らす。(後編)
【オ゛オオオオオオオオオオオッ――!!!!】
距離にして数十メートルに到達したかもしれない虎妖鬼の雷鳴の如く咆哮が全身に響き渡る。
威圧、威嚇。それは自然界では自らの強さを誇示する為に行われるものだ。
相手の実力など分からないが、その威圧で既に冷や汗が溢れんばかりに出ている。
全く、走りながら吠えるとは、器用な奴だ。
どこからどう出るか、木々の倒れる音、駆ける音に耳を寄せていたが、最早視覚で視認出来る程に奴の存在は差し迫っていた。
草が刈り取られる事で道を成している路地へと飛び出し正面から向かって来たのであればタイミングも計り易いものだが、奴はそのまま側面の森を爆走している。
今俺達が居る、森の中に作られた整備路では無い脇の木々を駆けている虎妖鬼が飛び出す時は、斜め前方向からの強襲になる。
ならば、実は先程まで俺が考えていた案であった、『正面から拳銃で一旦迎え撃つ』という事は実質不可能なようであり。
あれだけ正面切って宣言して置きながら、俺はその場で作戦を変更することにした。
真正面に向けた拳銃の構えを解き、直ぐ様カグラの傍に寄ると、片足立ち膝姿勢で更なる護球壁の魔導陣を設置。
完全に防御に徹し、二重での二級魔術展開の後の、魔操の正確さの維持へ専念することを俺は決定した。
即席判断の瞬間的な立ち回りではあるが、実際、京都御所での決闘の時とやることは同じだ。
こういう面での臆面さ、慎重な冷静さは魔術師が勝利を掴む為には必要な事である。
魔術戦闘においては、『魔術師』である以上は感情的になった者が死ぬ。
それが雅が、――マイが、俺に教えてくれた鉄則。
迫る威圧感に、じわりと来る恐怖感。動くことの出来ないカグラが居る今、凌がなければならないのは一発目――!
「二級、護球壁っ!」
俺はカグラの傍に構えた魔導陣を、今展開する。
ついでその魔導陣の内側にも構えたもう一つの魔導陣をも展開。
虎妖鬼の攻撃がどれ程の威力を持っているのか分からないのだから、拳銃による正面攻撃を仕掛けられない今は。
出来る全力でその守りに備えるのが得策だと、俺は判断を下したのである。
展開と時同じくして、虎妖鬼の地鳴りが目下側面に響く。
飛び出すのは、その後一瞬――。
【ヴォウッッ!】
そんな奇怪な一声が発せられたと同時に、躍動感を持った跳躍で巨体が。
ついに目前へと飛びかかってきた。
今まで実際には見た事も無い白い屈強な肉体。
そして、その白雪を覆うように全身を巡らせる黒い縞模様。
その上、その白虎を連想させる成り立ちが、異様な進化を遂げたの如き異様な禍禍しい容姿。
妖鬼というのは一度死した身であるという先程のカグラの話が、それを見れば確かに事実と思えてしまう。あれは、生命の理とはまるで違った構造を持ち得ているように感じられるからだ。
斜めに飛びかかりながら、その重量感を感じさせるその全長五メートルにも及びそうな信じられない巨体は、その見た目に反した身軽な動作で身体を翻した。
物理の法則に反するかのような、急な角度での方向転換。
そして飛び出した勢いで空に浮きながら、構え掲げたその強靱な『爪』を携えた太腕を全力を以て、それを俺達へと振り降ろしてきたのである。
「……っ、きゃああああっ!」
通常の虎では持ち得ぬ程の長さと鋭さを持ったその虎妖鬼の爪の刃が、俺の魔術とぶつかる寸前。
余りの恐怖に声を挙げたカグラの叫びが真横で響く。
安心しろ、カグラ。俺もそんな風に叫びたい気分だ。
俺だってこんな直前になってまで一瞬魔躁の集中力が乱れそうになる程。
今この瞬間の気持ちを吐露してしまのならば、冷や汗が止まらないなんて段階を超えて恐いのだから。
だがまあ、それでも――。
「俺の魔術を超えるなんてのは、万に一つも有り得ないっ!」
今はこの虎妖鬼に気持ちの面でも対抗しなければならないのだから、その直前に俺も吠えた。
黙々とした集中力だけは看破できないこの現状では、自分の気を落ち着ける必要もある。
魔術師における冷静とは、寡黙に分析する行為だけを指すものでは無い。感情が揺れるのなら、その揺れ幅を正常に持っていくことも、その技術の内だ。
吠えると共に護球壁を支える魔躁への集中をその場で一気に高めたその直後。
俺達の目線では斜め頭上から相対の金属音が響き、
そして、ついに虎妖鬼の爪と二重の護球壁の障壁とが衝突したのである。
【――グギャウゥゥウウウッッ!!!】
俺達を囲う護球壁を薙ぎ払おうとした虎妖鬼の爪は、激しい金属音を奏でながら俺の護球壁に弾かれた。
爪を携えた太腕が弾かれると共に、虎妖鬼は奇怪とも言える苦悶の声をあげつつも、その反動を受けて前方へ飛んで転がり込む。
通常の虎には有り得ないと思われる五メートル程にもなる巨体。
それが飛び出してきた方向とは反対の森の木々へと勢い良く突っ込んでいけば、それに巻き込まれて木々もろともなぎ倒された。
そうして横倒れとなった虎妖鬼は、その体勢を立て直そうと大地に前足を付けようとする。
だが、どうやら弾き返された爪の痛みが効いているらしく、その足を地に付ける事に躊躇いを見せていた。
今の様子を見るに、この様な形を取る事が出来れば、こちらから攻めずとも奴に損傷を与える事は可能らしい。
相対の一発目。
こちらの現状、その爪の刃を見受けた護球壁には一切の貫通は無かったが、相当な圧力がかかった事に間違いは無く。
次に同じ攻撃を受ければ一層目は確実に破られるだろうと俺は推測した。
――いける。
この場合の不確定要素としては、日本を訪れた時のマイと同じくして魔術の威力の低下が考えられたのだが、異界を超えた事での影響は特に無い事が判明した。
ただまあ、その身に世界を従える魔法使いが、世界からの影響を受ける事は無い筈だと考えれば、それこそ相応と言えるかも知れないが。
「――……ほ、本当に、あんな大きな虎妖鬼の攻撃を防ぐだなんて……。それも、二級魔術を扱えるって……とんでもなく格式の高い魔術師って、ことに……。富士さん、いえ、ふ、藤野様っ!か、数々の御無礼、お許し下さい! 貴方程の御方に、口のきき方もなっておりませんで、今までとんだ御無礼をっ!」
一手目を防いだ事で自分の中に灯り始めた自信が、虎妖鬼に対抗する次の手を考え、図ろうとしいた矢先。
何やら慌てふためいた様子で俺の隣りにいるカグラがその様な戯言を述べた後に、その場で丁寧に正座をして平伏を行っていた。
いきなり真横で平伏などと、余りに唐突なカグラの行動に、驚きを通り越して呆れそうになってしまった。
だが、虎妖鬼に対する恐怖よりも、俺の魔術師としての格式に対して彼女が恐れを成しているというのなら。
虎妖鬼との戦いでの俺の勝機に多少なりとも希望を抱いていると解釈しても良いのかも知れない。
とはいえ、今の俺は昔からテレビに出てくるような水戸光圀公でも権力者でも何でもないのだから、本当に反応に困ってならない。
色々な出来事に対して単純に混乱してるだけなら、余計に面倒でもあるが。
「……何度も言ってる気がするが、こんな俺に無礼も何もないから、そんな言葉使いは必要ない。まあ、とにかく今は俺を信じてその場でじっとしててくれ。絶対にこの場は乗り切って見せるから」
「は、はい。……じゃなくて、うん、分かった! 頑張って下さい、藤野さんっ!」
虎妖鬼の行動に警戒しつつカグラの方を向いてみれば、平伏の状態から面を上げた彼女は、憧れのヒーローでも見ているかの様な尊敬の眼差しをこちらに向けていた。
単純だ。単純すぎる。
彼女のその黒い瞳にももう、妖鬼への恐怖に怯える様子は完全に消えていた。
二級魔術を使えるだけでここまで妄信的に信頼されるとなると、一体この国での魔術師の地位というものが、どうなっているのかを疑ってしまいたくなる程だ。
いや、とはいえこちらに気を取られては元も子もないか。
体制を立て直し立ち上がった虎妖鬼の方を警戒しながらその様子を見れば、異様に長く伸びた爪――強靱さを見せつけていた虎妖鬼の片腕のその爪先が欠けて無くなっていた。
奴と衝突した護球壁が、先程鳴り響いた金属音と共に奴の爪をそぎ落としたのかも知れない。
ついで、今俺達が居る地点から虎妖鬼までは、距離にして八メートル程の間隔がある。
奴もこちらに対する警戒心は大いに抱いているらしく、俺と目線を一瞬合わせた後に踵を返すと、俺達が居る場所から距離を取るべく後退した。
――このまま逃げるのか?
そのようにも瞬間的に思ったが、それにしては動きに勢いが無い。精彩も感じられない上に、速さも備えていない。
単純にこれは俺の憶測ではるが、妖鬼が一度血の匂いを辿ったらそれを逃がすことを考えない性質の生物であるとするなら、そもそも逃げるような行動を取る事はない筈。
ならば、今は助走を付ける為の距離を取っていると解釈をすれば良いのかも知れない。
だとすれば、今が好機だ。
護球壁を解くと、俺は立ち上がって虎妖鬼へと拳銃を構えた。
拳銃の命中率的な有効射程距離は50メートルとも言われるが、出来る限り着弾をさせ、尚且つあれ程の存在に損傷を与えるのであれば出来る限り20メートル以内に居る内に命中させたい。
反動に堪える姿勢を取った俺は、俺たちを背を向けて森の中へと後退する虎妖鬼へと銃口を向ける。
親指の付け根付近にかかるもう一つセーフティーを抑えながら、俺は引き金へと指をかけた。
「……さあ、勝負はここからってわけだ。虎妖鬼とやらよ!」
ダンっと音を立て、元の世界の文明力の一部を宿した銃器が、その撃鉄を打ち鳴らす。
腕から全身を駆ける振動をその身にいなしながら、一秒前後の間隔で、更に五回程連続でその引き金を俺は引いた。
俺の海外での射撃経験などたかが知れるものでしか無いが、それでも短時間で狙いを付け直すのは、元々結構得意な部類だ。
時を待たずして、着弾。弾丸に打ち付けた火薬の硝煙の匂いが鼻孔を擽る。
しかし、コルト・ガバメントから放たれた弾丸が虎妖鬼に齎した損傷は、俺が予想していた程のものでは無かった。
【グルオオオオォォ……!】
若干の痛みを患ったような声を奴はあげて、よろける様は垣間見れた。
だがその実、俺の視界に入る分では、一切の弾丸の貫通もなく。
何かの障壁にでも阻まれたかように、虎妖鬼へと着弾した鉛玉は殆ど弾き返されていたのである。
とはいえ、痛みを感じている声も聞こえたということは、どこかに損害を与えたということになるのだろうか。
「カグラ! 俺の目じゃ見えなかったが、今あいつの身体の何処かに損傷を与えた部分はあったように見えたか!?」
「え、ええっ!? いきなり言われても、えっと、今藤野さんが何をしたのかもよく分かんなかったけど……。でも、藤野さんが持ってる変な物が音を立てた後に、虎妖鬼の右腕から血が噴き出したのは見えたかもっ!」
右腕。そいつは先程俺が展開していた護球壁に、虎妖鬼がその爪を以て襲い掛かってきた時の部位だ。
他の部位に当たった弾丸は弾かれて、その部分だけに損傷を追随出来たと成れば……。
――成る程、閃いた。
それから時経たずして、俺達に背を向けて森の中を駆ける虎妖鬼の姿は拳銃のおよそ射程距離範囲外に至る。
俺の目視出来る時点での森の奥にて一度立ち止まると、ようやく虎妖鬼は進行方向を、こちらへと転換した。
距離はあるが、森の奥に潜む虎妖鬼の姿は視認できる。奴はこのまま直進してくるのだろうか。
一度、二度。虎妖鬼は銃と護球壁による損傷を受けていない方の前足と後ろ足で土を削り土埃を巻き上がらせた。
あれは奴なりの意気込みというか、助走の準備が整ったという事なのだろうか。
五メートル程も有りそうな白い肉体に走る黒い縞模様。
そして数十メートル先にその巨体を構えながらも、ここからでも見える程にその瞳は鮮血の如く赤く、今その暗がりに一筋の明かりを放っていた。
「……なあ、カグラ。あの妖鬼って奴は、一度標的を定めたら、それに死ぬまで喰らい付いてくるのか?」
「え? えっと、……うん。私は妖鬼に関しては、そう聞いてます。人の血の匂いに狙いを付けたら、それを食して満足するまでは何が有ろうとも決して帰ることが無い、というように……」
俺の不意な問いに、躊躇いと敬語混じりの言葉でカグラはそう返す。
一級魔術師と有ろう者が妖鬼に関する詳しい情報を知らないというのは、カグラにとっては腑に落ちないことなのかも知れないが、とにかくこれで奴が撤退していく可能性は無いと知れた。
護球壁による持久戦だけでは最終的に魔力不足で俺がじり貧なるのは目に見える。
そうと分かれば、先程の閃きを運用して拳銃を駆使し、このまま立ち向かうとしようじゃないか。
【グオ゛オオォォォォォォオオ――!!!】
何度目になるか分からない、虎妖鬼の咆哮が直に鳴り響く。
数十メートル先で俺達の真正面に立つその妖鬼の唸り声とも取れる濁りを持った雄叫びは、一度死した身でありながらも、猛獣の王たる威厳を存分に放っていた。
そして俺達の方を見据えると、森の中に先程奴によって拓かれた土の道を勢い良く蹴り、此方へとその疾走を開始した。
「真っ向勝負なら、上等だ。頼むから、このまま方向転換なんてしないでくれよ――!」
装弾数七発の拳銃であるが故に、まだ一発の銃弾がマガジンに残っているが、俺はそれを抜き出しそのまま地面に落とす。
そして、ホルスターの中にある予備のマガジンを装填した。
近距離では莫大な威力を持つと言われる、戦国最強の装備である火縄銃のようなものが有れば。虎であろうと一撃で沈められるかも知れない。
だが、こちらは銃の中でも圧倒的に威力の低い拳銃だ。
携帯のし易さを抜いて火縄銃と比べるのであれば、拳銃の利点は威力ではなく、その連射力にある。
銃の中に残る一発と合わせて計八発の弾丸の連射が、この後、奴の命を断ち切る鍵になるだろう。
一応目安として定めた、先に立つ一本の木を距離の基準にしているのだが、その射程距離に入るまでの虎妖鬼の数秒の疾走を見るに、どうやらこのまま奴に方向転換をする気はないらしい。
それならば至極結構。俺にとっては言う事無しの好都合だ。
大地を駆ける振動に、俺が立つ地面も僅かに揺れる。
駆ける虎妖鬼を真正面に見据えながら、その最中、俺はカグラの傍に護球壁を展開する魔導陣を備えて置いた。
それというのも、今立ち姿勢で銃を構える俺自身を護球壁を囲むようであれば、今から俺が行う戦闘は成立しそうにないからだ。
銃身がぶれないように両腕で支えて構え、俺は虎妖鬼を迎え撃つべくその銃口を前方へと向けた。
ついで射程距離付近に奴が入る直前に、前方に新たな複数の魔導陣を設置する。
これで準備は完了だ。
後は、この閃きと流れに身を任せるしかない。
参、弐、壱――。
そしてついに奴の身体が、俺の定めた射程距離に入った。
「――三級、硬化っ!」
先程設置した複数の魔導陣の内、最も離れた位置にあるものを展開。
それは無機質であるものに硬質化を付与する金属性の魔術である、三級魔術・硬化。
その展開と同時に、俺はガバメントの引き金を引いた。
ダンっと音を立てて硝煙の香りを匂わせるその拳銃から放たれた弾丸は、その魔導陣を通過する。
そしてその発動された魔導陣を通過した弾丸は同時に、硬化の魔術を帯びる。
――着弾。
それは妖鬼の左前足に当たり、先程右前足にしか損傷を与えなかったそのガバメントの弾丸は、此度は確かに奴の鮮血をぶちまける事に成功したのである。
【――グオオオォォォゥッ……!!】
吹き出す鮮血、その痛みによる苦痛と苦悶の声を、虎妖鬼は瞬間的に揚げた。
これが、先程の閃きの答え。
護球壁による損傷部位にのみ弾丸が通るのなら、だ。
魔術によるダメージを受けた部位は物理攻撃に対する抵抗を失うとも考えられる。
ならば、やるべき事の理屈は同じであった。
『物理攻撃である弾丸の威力を通す為に、距離を以てしても尚展開と魔躁の行いやすい三級魔術である硬化を、弾丸にそのまま帯びさせれば良い』。
長距離に渡る魔導陣の設置と展開が得意である俺の元々の素質。
そして金属性の魔術であればそれを思い浮かべるだけで魔導陣の構成を一瞬で理解出来る、魔法使いという存在であるが故の戦術である。
もともと新米魔術師である俺が、近接戦闘に秀でている筈がない。
そんな今の俺にとって妖鬼に対抗する手立てとして、これは確実な攻撃手段。
旅立つに当たってこの銃を授けてくれた山守家には、感謝する他ない、といった所だ。
だが、まだ射程距離ぎりぎりからの一発しか虎妖鬼には浴びせてはいない。
奴も痛みに苦しむ様を憤怒の形相に見せてはいるが、その疾走の足を止めようとはしなかった。
俺もたったの一度であの巨体の虎を鎮められるとは思っていない。確実にダメージは入っている事には変わりないが、足りてないのは重々承知。
間髪入れずに次の硬化の魔導陣を展開。
躊躇うことなく引き金を引き、次の弾丸を奴に放つ。
二発目の硬化を付与した弾丸も、着弾。
虎妖鬼の右前脚の二の腕付近から鮮血が溢れ出る。
苦悶の声をあげて、僅かばかりの失速を見せるが、その勢いは止まらない。
正直なるべく早めに虎妖鬼には落ちて欲しい所だが、俺が真に狙うべきタイミングは『まだ』だ。
グリップを握りしめ、更に引き金を引く。次なる三発目は斜め上を通り過ぎたのか着弾せず。流石に外れた弾の行先までは目では追えない。
そこで一発外したという、その程度で気落ちはしない。寧ろまだ距離がある内に当てる事が出来てることを賞賛すべきだろう。
まだガバメントの中に弾丸は五発ある。焦る必要はない。寧ろ焦ってこの距離感で全弾撃つようなら、それこそ勝機を失う事に繋がってしまう。
目の前に迫りくる巨体の威圧感に冷や汗が頬を伝うのを感じつつも、俺は冷静さを保つ事に努める。
だが、確実に俺の顔は引きつっている事だろう。
実際動物園にでも行ったとして、こんな五メートルも超えるような、とんでもなくデカい大虎が居たとしよう。
それが例え檻の中に居ようとも、人の本能が否定して、極力近づきたいとは思わないだろう。
唇を噛み締め、腰が引けそうになるのを抑え込む。
どれだけ口で大言壮語を吐こうとも、己に立ち向かえと思い込ませようとも。
その実、怖いモノは恐い。今それを実感する瞬間だ。――だが。
「……退ける訳がないだろうに。ここで決めなきゃ、次の好機なんて無いだろっ!」
マガジンの貯蓄はもう無い。
そんな状態の上、躍起になって虎妖鬼が直進してくれている今が、最大の好機にして最後の機会なのかも知れないのだ。
地面を靴で踏みしめて、膝は軽く柔らかめに、脚に力を込める。
地からの不動、拳銃の反動への構えを、俺は立て直した。
そして四発目も同様に引き金を引く直前に、先程設置した魔導陣の展開を連続で行う。
その着弾を確認するまでも無く五発目、六発目も連射。
連続して耳を攻めるように響く、45ACP弾の火薬の爆発音が、寧ろ恐怖の意識の思考停止に働いた。
そして、三級の魔術を浴びた先程の三発の弾丸は全て命中。
目前十数メートルに迫る虎妖鬼の身体の彼方此方から血が吹き出し、その白い肌を紅く染め上げた。
やってやった。だが、それでも尚目下十数メートルに迫る虎妖鬼は土の大地を揺らし、前進を止めない。
だが、妖鬼自体も足を何度も打たれ、満身創痍の体になりつつあるのは目に見て明らか。
そしてこれまでの行動を見る限りでも、三連撃の肉体の損傷の後には、俺が狙うタイミングは確実に訪れる――。
【グオ゛オオオォォォォォッ――!!!!】
断末魔の叫びの如く、痛烈な唸り声。
だが、恐らくは相手も俺と同じく、痛みで崩れ落ちそうな己を奮い立たせて向かおうとしている筈であった。
奴は痛みを堪える為に咆哮に近い雄叫びを揚げて、俺達へ牙を剥き、その大口を開いている。
そして同時に、目下十メートル付近に突入。
――ベストタイミングだっ!
「三級、硬化っ!」
使い切った魔導陣に続いて、新たな魔導陣の設置、展開。
向かい来る虎妖鬼の咆哮の威圧感と大気を震わす振動に俺の髪が揺れた。
それは俺の身体までも振動で硬直を促しそうな程のものである。だが、それで今向ける銃口の先がぶれては、ならない。
グリップを握る力を一層強くし、俺は真正面に構えたガバメントの銃口を、奴の大口へと差し向け。
そして、引き金に指をかけ、正面に展開された俺の魔導陣めがけて、撃つ。
「……これで、もう物も喰えなくなるってわけだ。さぞ残念な事だろうよ、虎妖鬼――!」
ダン、ダンと一定のリズムを刻み、俺が支えるガバメントの銃口から二発の弾丸が目前に迫る虎妖鬼の口内めがけて放たれた。
最早一桁後半にさしかかった距離での拳銃の威力。
その上、硬化の魔術を間近で浴びたこの弾丸であれば、虎妖鬼に与える損傷の程は通常を遥かに上回る筈だ。
猟銃では無いとは言え、体内へ向けての近接での拳銃のその威力。決して甘く見れるものでは無い!
距離にして八メートル程に迫る巨体の口内、その舌に一発の銃弾が突き刺さる。
そして二発目の弾丸は斜め上にそれて舌を外れた。
その弾は運良くその口内の上部を貫通して、奴の顔の上半部へと入り込んだ。
自らの魔術を帯せて居るが故に、この距離であればなんとはなしに伝わり、分かる。
二発目の弾丸は、虎妖鬼の脳に向けての骨を砕き、破壊して脳内へと貫いたのだと。
これが確実であれば、致命傷であるはずだ。
距離にして八メートル以下となった巨体の満身創痍の身体は、最早声すらあげることは事も敵わなくなったようだ。
最後の命の炎を燃やすような、虎妖鬼の鮮血の赤い瞳が……怒り、恨み、辛み、悲哀、慟哭。
全ての負の感情を込めて、俺の瞳を捉えたような気がした。
それが、生命がその命を終える瞬間の瞳に灯した叫びなのか。
血に塗れた白の肉体は、瞳に色を失っても尚、その足の歩みを止めなかった。
最期の一瞥を俺に向けた後、虎妖鬼は渾身の力の込めて突進の勢いのままに跳躍をかます。
俺はそれに合わせて一歩後退し、カグラの隣にしゃがみ、そしてそれを宣言した。
「……俺の勝ち、だな。二級・護球壁」
カグラと俺を取り囲むように、透明でありながらその存在感を持つ護球壁が魔導陣から展開される。
その耐久度は既に先程確認済みだ。一層のみの展開と魔躁で、今この場は事足りる。
虎妖鬼の跳躍は、その終着点をこの護球壁と定め、そしてただその身体をぶつけてきた。
まるで、トラックでもぶつかってきたかのような衝撃が、俺の魔術に走る。だがその衝撃も、護球壁の前には吸収されて消えた。
そして俺の魔術に弾き返された虎妖鬼の身体は、ドシャリと音を立てて俺達の目の前に横たわり、痛々しくもその場へ沈む。
奴のその瞳に、色は灯らない。
一度二度痙攣を見せた後に奴の身体は事切れたように硬直し――虎妖鬼はついに、その命の終わりを告げたのであった。
少し話に出てきた火縄銃。
火縄銃は命中率こそ低いですが、弾薬の量を調整できる点と、鉛玉を直接撃ち込む事が出来る点においてかなりの破壊力を持っていたそうです。
連射力と安定性や命中率の向上は、いつの時代も銃の課題なのでしょうか。
明治38年に開発され、日本軍が第二次世界大戦中も使用し続けた三十八式歩兵銃の方が、現代の自衛隊装備の小銃よりも弾丸の飛距離と命中率、弾の威力は勝っています。
そういう意味ではやはり要所要所で、武器というものの使い道や主な用途の概念は変化していくのかなと、時代の変化の変化をそこに見る事が出来る様な気がします。
秋也さんの持つコルトガバメントも、最初に手動で弾を装填しなければならない点で旧式の拳銃ですが、そうでない拳銃より多少は弾詰まりの可能性が低いという利点もあるようです。
……と、まあ。銃にはやっぱり浪漫があるなという話です!どうでも良い変な話ですみません。
次章は、『ベサソの扇子と、母の想い。』
秋也さんが、マイの居ない所で男を見せます!こうご期待!