第16話 主を導く、少女の難。
皇国編導入の章となります。個人的な事情から、改行はこの章以降、二段ずつに変更する事と致しました。何卒ご容赦下さい・・・。
序章である今章だけは、マイ視点から始まります。
(以降は、秋也視点で物語は進行していく予定です)
それでは、皇国世界の主様っ!の物語に入ります。
私と主様を包み込んでいた、異界とこの皇国とを繋ぐ白き魔導陣の光は晴れ。
神社の境内に、トン、と足を踏み入れたその時。
境内を照らす月夜と蝋燭の明かりと共に、私を最初に出迎え包み込んでくれたのは、懐かしき檜香りでした。
それはすうっと私の鼻孔をくすぐらせて、懐かしの神社の心地と共に、我が祖国の郷土をその身に感じさせてくれたのです。
懐かしの風情に身を委ねながら、私が神社の境内の真ん中で情緒的な感傷に浸っていると。
私の後ろから、鈴の音色のような凛とした女性の声が、私を出迎えてくれました。
「――お帰りなさい。我が親愛なる愛弟子、マイ・マイム・ベサソ。一カ月間の異界の旅、ご苦労様でしたね」
ほんの一カ月離れていただけなのですが、その懐かしさと安堵感に、涙が出てきそうになります。
彼女の声に振り向くと、予想通りそこに居たのは、背中程まである黒髪を風に揺らしながら、透き通るような青い瞳を持つ一人の美しき女性。
その瞳からは、敬虔なる才知を秘めているであろう事を人に知らしめる眼差しが向けられています。
赤を基調とした袴に、清楚な白い薄絹。
巫女としての正装を身に纏うその姿を、見紛うことはありません。
私に声を掛けたこの方は、幼き頃から私に魔術やその知識を教えて下さった、私の敬愛すべきお師匠様でありました。
「ただいま帰りました、お師匠様。相変わらずお師匠様は若々しく、お元気そうな様子で何よりです」
そのお師匠様の変わらない容貌に、感嘆とした声が私の口からは零れ落ちそうになるのです。
神託の巫女たる我が魔術のお師匠様の年齢は、恐らくは今や三十をゆうに超えている筈だというのに、その見た目は未だ二十代前半の様に見うけられます。
もっと見積もれば、十六である私と同じ位の年齢と見て取れるかも知れない程の若々しさを見せているので、同じ女性としては、主様に長く愛されるためにその位の若さを保ちたいと、憧れてしまう面があるというもの。
「ええ、私は元気ですよ、マイ。貴女が生涯の伴侶と祝言を挙げて一人立ちするまでは、私も若く居ようと思っているのですよ。さて、『魔法使い』を導く美鳩としての役割は、しっかりと果たせましたか?」
「はい、お師匠様。魔法使いとなる方と出会い、そしてその主様をこの皇国に導くという役割は、無事果たすことが出来ました」
「ふむ、流石は私の愛弟子ですね。本当にお疲れ様です。ところで、貴女の隣に居る筈のその主様の姿が見えませんが、果てさてどうしたものでしょう?」
何か愉快そうに微笑みながら私に投げかけたお師匠様のその問いに、私はそこで漸く、はっと気が付きました。
手を繋いで私をその温かな腕の中に抱きすくめて下さり、一緒にこの世界へと渡った筈の。私の大切な主様の姿が、私の隣りに無かったのです。
横を見ればそこには、日本という国から主様が持ち込んだ、持ち物が詰まった鉄製のキャリーバッグという名の旅行用道具があるのみで。
肝心な、魔法使いである私の主様の姿が見当たらなかったのです。
その事実を認めた瞬間、私は背筋が凍るような思いがしました。
焦りと、混乱で、沸騰しそうな位に頭が熱くなって、目まいを覚えそうになって――。
「……あ、ああ!!!ど、どうしましょう……、秋也さんが、私の主様が、居なくなって……!一体、どうして逸れてしまって、いえ、それよりもどうして私がそのことに気付くのが一瞬でも遅れて……!」
「まあまあ、落ち着きなさいな、マイ。深呼吸してから良く聞きなさい。貴女が日本国から連れ帰った魔法使いの殿方は、ちゃんとこの皇国に居ります。ただ、異界の障壁の影響を受けて到着点がずれただけです。存在の同調を受けている貴女なら、きっと分かる筈ですよ」
そう言われてまたもはっと気付かされた私は、一度すうっと息を吸って深呼吸をして目を閉じ、主様の在処を感じ取ろうと試みます。
私と、その主様である秋也さんとは存在が同調しているので、遠く離れていても探そうと思えば、互いにその在処を求めることが出来るということをお師匠様の言葉で思い出したのです。
暫く集中してみると、確かにその主様の存在がこの世界に在る事を感じ取れました。
私も少しほっとした気分になるのですが、その居場所は今私の居る神社からは、少し遠く。
今直ぐ馬を走らせても数日はかかる距離のようだと、その感覚は私に伝えてくれました。
この感覚があることで私は本当に、大好きなあの主様と繋がっていると思うと、少し胸が熱くなるものがあるのです。
手を繋いでいた筈の秋也さんが隣りに居なかった事に私が一瞬でも気づかなかったと言う事は。
恐らく今の主様には、過去の私と同じく、存在の希薄化が起きていると判断出来ましょう。
「……はい、お師匠様。確かに主様はこの世界に居るようです。ただ、少し離れた場所のようなので、今直ぐに馬を走らせて出来るだけ早くお迎えに行きたく思います。お師匠様、私に馬を貸して頂けないでしょうか」
「んん? 別に私の馬で無くても、マイム・ベサソの称号を持つ貴女なら、馬くらい明日にでも借りられるでしょう? お腹も空いているでしょうし、帰ってきたばかりなのだから、一日位ゆっくりとしていきなさいな」
そう言って朗らかな表情を見せながらも、その面の下には意地悪そうな思いが見え隠れするお師匠様の言葉に対して、私は頑なにそれを拒否します。
いつも何でも知っているお師匠様であれば、今直ぐにでも私が主様の元へ駆けつけたい気持ちを分かっている筈なのです。
夕食はこちらで食べることを当てににしていたので未だに空腹のままですが、そんなのは旦那様の一大事の前には些細なこと。
「……確かにお腹は空いてますが、それとこれとは話は別です。主様はこちらの世界における皇国の常識も知りません。その上、私が日本国を訪れた時と同様に記憶を失っている可能性もあります。ですから、お師匠様が拒むなら、私は馬を奪ってでも秋也さんの元へと駆けつける所存です」
「ふふ。今の貴女なら、きっとそう言うと思っていました。それにしても私に反抗してまで主の傍に行きたいなんて、余程魔法使いの殿方が気に入ったのですね。勿論馬は用意してあります。マイ、神社を囲う門を出たら、そこに繋いである馬を使いなさい」
それを聞くや否や、私はお師匠様にお礼を言うと、一目散に境内の門へと駆け出しました。
月明かりと蝋燭の光だけに照らされる闇夜の空間ではあるものの、何度も通い慣れたこの境内の道。
私がその道筋を違えることはありません。
「――マイ! 帰ってきたら、この一カ月間のこと、私に教えなさいね!貴女の好きな麻婆豆腐を作って、待ってますからね!」
大きな声でそんなことを言うお師匠様の声を後ろに、私は門へと向かいます。
あちらの世界は冬でしたが、どうやらこの皇国の今の季節は春のようで。
向かう道の、月夜を映している池の上に掛かる木造の、赤漆の橋の側には、桜の花びらがはらはらと散っていました。
椿さんの口調で演技をしていた頃に秋也さんから頂いた、私の銀色の髪と桃色の瞳に良く映える、頭に付けた桜の髪飾りにそっと手を触れながら。
私は愛おしき主様の元への、逢瀬の想いを馳せるのです。
――待っていてくださいね、秋也さん。今直ぐに、私が駆けつけますから。
主様はコルトえむいちきゅうなんとかという強力な武器は携帯したままだったはずです。故に、例え一時魔術が扱えずともきっと身体の方は大丈夫だとは思います。
ですから、それまでに――どうか主様が他の女の子に、誘惑なんてされていませんようにっ。
そんなことを思い、胸に抱きながら。
この私、マイ・マイム・ベサソは、帝都に居を構えるこの神社の境内を駆け抜けていくのでありました。