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魔法使いの主様っ!  作者: 三年寝太郎
魔法使いの主様っ!
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第12話 矜持と命と、秋也の意思。



 宣言を終えると共に、互いが自らの目前に魔導陣を作り出す。


 雅と冬仁(ふゆひと)は、魔術師の決闘時の正式距離である15メートル程にまで開けた上で戦闘を開始している。


 雅の周りに作り出されたのは赤の文様の複雑な多重線。あれは火の魔導陣だ。そして冬仁もまた作り出したのは火の魔導陣。


 それは雅のものと同じ程度の大きさ、同じ性質の火の魔導陣の様だが、その魔導陣を作り出す精度は雅よりは劣っているように見える。


「四級、小球炎(こきゅうえん)!」


 雅がそう宣言して数瞬後に、冬仁も同じく小球炎を宣言した。


 その数瞬の遅れの間にも、雅によって作り出された直径30センチ程の火の球は冬仁の眼前に迫ってゆく。


 しかしそれは彼の目前二メートル程で冬仁の小球炎と衝突。


 その勢いは一迅の風を作り出したが、互いの炎はそこで相殺。冬仁にはなんらダメージは与えた様子には見えない。


 火球によって生じた一迅の風をその身体に浴びながら、冬仁は楽しそうに口を歪める。


「へぇ……!魔導陣の精度、展開速度、威力、魔操の正確さ!どれをとっても申し分無いですね。けれど、魔導陣の精度に見合った威力が出ていない。貴女がこの世界の住人であったなら、この僕ですら勝ち目が無かったかも知れませんね!」


「御託は勝負が終わってからにしなさいっ!私は貴方なんかに、遅れを取るつもりなんて無いわよ!四級、小球炎!」


 雅の宣言と共に再び展開された赤の文様の魔導陣は三つ。


 それらは雅の頭上、右側、左側に展開されている。これは恐らく、高難度とされる魔導陣の多重展開と、多重魔操だ。


「多重魔操とは……!成る程、言うだけのことは有ります。二級、灼熱炎!」


 雅の宣言と共に勢い共に冬仁へと向かっていく三つの火球。


 そしてそれに対抗すべく、冬仁の前に作り出された魔導陣がそれ迎え撃とうとする。


 その魔導陣に衝突する寸前、冬仁の宣言と共に、二週間前、雅が悪魔の腕を焼き尽くしたあの灼熱の炎が彼の前に現れた。


 瞬間、訪れる衝突で、雅の作り出した二つの小球炎の威力はその灼熱に飲み込まれるように消え、いなされていく。


 しかし、雅の右方向から生み出された火球だけは、それに完全に飲み込まれていなかった。


 雅が魔操により三つの内の一つの火球を直前でそらすことで、かろうじてその灼熱の炎の吸収から火球の消失を免れていたのだ。


 灼熱炎に一部が飲み込まれ、火球の大きさは一回り小さくなってしまっていたが、その速度自体は落ちてはいない。


 冬仁までの距離は最早僅か。これならば彼の魔導陣の展開も間に合わない。


 回避すらままならない状態で、かろうじて右足を踏みこむことで身体を後退させた秋仁。


 だが、その火球は雅の魔操によって変幻自在に動かす事が可能だ。


 多少角度がずれたものの、そのまま冬仁の後退した方向へと、火球は熱を抱いたまま勢いを失うことなく追って行く。


 刹那、訪れる激突。


「ッ!ぐあっ!」


 速度の勢いを殺せなかった火球は冬仁の身体の中央に当てることは失敗したものの。


 彼の右肩付近の衣服を完全に焼失させ、更には焼け爛れるような重度の火傷を負わせていた。


 見るからに無残で冬の寒さと相まって激痛が走っていそうなものなのだが、俺の大切な舞に手を出そうとしている以上は同情する気にはなれない。


「ふ、はは。四級魔術で僕に怪我を負わせるとはね。まあ、この程度、全くの問題になりませんが。三級、治癒」


 冬仁の右肩に現れた青い小型の魔導陣が、その宣言と共に現れ、凄まじい速度でその怪我を元の状態へと治していく。


 それは(さなが)ら原状回帰。


 俺の距離からは遠目ではあるが、雅が以前作った魔導陣よりも遥かに精密で、展開速度と効力の発生が高度なものに見えた。


 火よりも扱い慣れている感覚から、もしかしたら奴は癒しが専科の、水の系統が得意なのではないかと俺は推察した。


「その様子だと、火は貴方の本来の属性系統ではないようね!全くもって、侮れる要素が無いじゃないっ」


 冬仁が回復を行っている最中、既に冬仁を目掛けて走り出していた雅がそう言葉を放っていた。


 どうやら雅も俺と同じくそのように考えたらしい。


 そう、全くもって侮れない。回復を主とする水系統を得意としておきながら、不完全とはいえ火の魔術の二級までを修めているのは、生半可な実力ではない。


 実際、あの雅でさえ、水は不完全でありながらの三級までしか扱えないのだ。


 身軽で軽快な走りを見せる雅は、冬仁との距離を一気に詰めようとしていた。


 冬仁が自らの近くに灼熱炎を生じさせたように、二級以上の魔導陣は三級以下の魔術と比べて、魔操が圧倒的に難しい。


 それは魔導陣を作り出すその時点で、発現する術師自らの近くでなければ高位の魔術は自らの手で操るに至らない、という欠点を抱えているからである。


 距離を詰めない以上は、雅も二級、一級の魔術を冬仁に浴びせられないが故に先程の遠距離から魔操のし易い四級の火球。


 回復の魔導陣に多少の時間を取らせ、相手が新たな魔導陣の展開に手間取っている間に距離を詰め、威力の高い魔導陣を先手で発現させるのが雅の算段であったと考えられる。


 距離を詰める雅に対し、冬仁は新たな魔導陣を展開し、宣言した。


「三級、方壁炎(ほうへきえん)


 直径二メートルにも及ぶ大規模な魔導陣の出現から数瞬遅れた後に直径三メートルの線から成る正方形が姿を現した。


 それは炎の壁によって作られた障壁。俺の距離からは正確には見えないが、その炎の厚さは20センチはあるのではないだろうかと思われた。


 このまま突っ込んでいけば、雅も重傷を負うことになりかねない。


 だがしかし、疾走する雅がここで立ち止まることは無かった。


「四級、飛箱(とびばこ)!」


 宣言と共に一瞬間現れたのは複数の魔導陣。そしてそれと共に現れるのは透明に近い、魔術によって編まれた小さな足場。


 悪魔との戦いで見せた、金属性の魔術である。


 身軽な動きで目前に作り出した足場に乗り、飛び、更にその先に作り出した足場に乗り、飛ぶ。


 そしてそのまま勢いを殺さずに、雅はその三メートルの高さの壁を足が当たりそうなギリギリの所で越え抜いた。


 その瞬間、冬仁の展開した魔導陣が雅の目の前に現れたのが俺の位置からでも見えた。


 雅が飛箱で移動している間に、既に冬仁は上空に魔導陣を展開していたのである。


 まずい、これでは雅が避けられない――!


「二級、灼熱炎!」


「――喰らわないわよっ!」


 その魔術が展開されると思われる瞬間より、ほんの僅かの差で雅は上空を蹴って右側に回避した。


 雅が先程までいた所の全てを焼き尽くさんばかりの灼熱が燃えたぎっている。


 俺は雅の様子を目で追うと、未だ雅は上空に地が有るように乗り、飛び、そして駆けているのが見えた。


 雅が灼熱炎を回避する事ができたのは、その魔導陣が展開される手前に(あらかじ)め作り出して置いた、斜めに設置された飛箱を横に蹴った為なのだと。俺はそこで理解した。


 更に避けた先にも傾斜を付けて設置された飛箱があった。


 雅はその上を蹴り、そして一回転しながら、あの悪魔との戦いの時と同じように、冬仁の頭上に片腕をかざす状況を作り上げたのである。


「これで、終わりっ!一級、灰燼炎(かいじんえん)っ!」


 その雅の宣言と共に展開されるのは、火系統最高峰の威力を持つ、灰燼炎の魔導陣。


 このまま何の抵抗を成すことも無くこの魔術が冬仁に直撃するのなら、彼の命が途絶えるのは確実だ。


 雅がこれ程までの危険を冒してまで接近し、この魔術を使うのには理由があった筈だ。


 系統属性の頂点の威力を持つ一級の魔導陣であるなら、それに対抗するには一級以上の魔術でなければ完全には打ち消せない。


 世界の抵抗を受け、雅の魔術の威力が落ちているとはいえ、あの悪魔を一瞬で灰燼と化した点と、相手よりも先手を打って魔導陣を展開したことを考慮すれば。


 この雅の魔術は決定的な有効打だ。回復されるよりも前に灰燼と帰すことで、この決闘に勝利出来る。


 恐らくは雅はその考えから一級を展開し、ここで決着を付けるつもりなのだろうと思われた。


「あははは!やりますね!二級、完治水(かんちすい)っ!」


 雅の宣言に対し、冬仁は展開された魔導陣に対峙するように頭上に魔導陣を高速展開した。


 その直後、訪れる閃光。


 プロミネンスの灼熱をも凌駕する、圧縮された獄炎。


 しかと目にすることすら儘ならないその閃きは、火属性最高峰の、灰燼炎が発動した証。


 雅は上空で身体を翻し、そして冬仁の後ろ側へと着地した。


 そして、灰燼炎の閃きは終息する。


 これで冬仁が命を失っていれば、それ以上のことは無い。これ以上の戦いの継続もない。


 この時の俺は、この国の倫理観等そっちのけに、本気で人の死というものを願っていた。


 だが、そこに現れた情景は俺の望んだものとはかけ離れた情景。


 それも恐らく、最悪の状態の形で。




「……まさか、灰燼炎を凌駕するだなんて、ね……。とんだ化け物よ、貴方……」


「いやいや、その年で火系統の魔術の一級を完全に修めている貴女の方こそ、そうではないですか?正直な話、本来の力を貴女が保持していたのなら、僕もここで命を途絶えた身であったかも知れませんよ」


 灰燼炎が終息した後に現れたのは、そう言って、くつくつと笑う全くの無傷の、青年の姿。


 衣服は燃え尽き、身に纏うものは何もない、まっさらな全裸の状態ではあるものの、だ。


 雅と対峙する彼の背中姿からは灰燼炎の影響を受けた傷跡らしきものはなんら見受けることが出来なかった。


「……灰燼炎発動のタイミングに合わせた、完治水の高速展開。身を焼かれる瞬間を完全に把握して、灰燼と帰す直前で同時の原状回帰。そんな博打みたいなことをあの一瞬でやってのけるなんて貴方、常人の神経じゃないわよ……!」


 雅の言を解するなら、それはまさに狂気。


 その身全てを完全に治癒させる完治水の効力は、癒すという性質上、当然身体が万全な状態では効力を持ち得ない。


 灰燼炎をその身に受ける、その一瞬間をずらした、とんでもない生と死の淵の境目。


 その本当に僅かな、極小の針の穴に糸を通すような絶妙のタイミングでの発動を冬仁はやってのけたというのだ。


 術者が死ねば、その魔術は発動はしないと考えるのならば、それはその身が亡き者になる直前での治癒でなければ無傷などというのは有り得ない。


 身が一度、灰燼となるのを受け入れた上での魔術展開。


 俺自身、一生をかけてもそんな境地に至れるとは思えないし、至りたいとも思えなかった。


 その境地に至るまで、一体どれ程の経験を、体験を、死の淵際を、越えてきたというのだろうかという事を、思えば。


「いやあ、僕は今まで何度も死んだような身ですからね。水系統をこの身で極めるというのは、そういうことなのですよ。さて、衣服も何もない状態ですが、仕方ありませんね。このまま死の決闘を続けるとしましょうか!」


 嬉々とした声をあげ、新たな火の魔導陣を展開しようとする全裸の冬仁の屈強な肉体が目に入る。


 命を賭して闘うこの青年に、そういった事に関する羞恥心等、意には解さない。


 それは雅も恐らく分かっていることである筈だ。雅からもその事自身に対する羞恥は感じられない。


 魔力の消費を考慮してのことか、体制を立て直した状態の冬仁が展開したのは。


 赤色とその文様から判断するに、三級の火の魔導陣・小球炎のようであった。


 対する雅は魔導陣を展開すべく左手を冬仁の前にかざそうとする。



 だが、そこで雅に最悪の事態が起きてしまっていた。



「う、そ……。魔導陣が……使え、ない……」



 そう声を漏らすと同時に、身体に力が入らなくなってしまった様子の雅は、ペタンとその場に両足を付けて、へたりこんでしまった。


 それはさながら、前回の悪魔との戦いを終えた後の雅の様子と重なっているように見えた。


 力ない、ただの少女がそこには居た。


「……成る程、どうやら異界の身であるが故の、強力な魔術使用による反動が、貴女にはあったようですね。残念ですが、この勝負ここまでですか。悉く地の利に助けられたような勝利ですが、生き残った者が勝者です。三級、小球炎」


 そう宣言すると共に、展開された魔導陣から雅へと向かう、その火の小球が見えた。


 魔導陣の使えない今の雅に、成す術はない。


 それを見た俺は、考えるより早く駆け出していた。


 雅の場所までかなりの距離がある。それに俺が間に合うはずも無い。


 そして数瞬を経たずして雅が振袖を眼前に構えると同時に、その炎の小球が雅に直撃したのが見えた。


 その勢いに押され、雅の身体はのけ反り、そして雅の纏う衣服は炎に包まれ燃え出した。


 あの衣服そのものに耐熱なんて性能は無い。


 魔力が通せなければ、あれだけ万能の力を備えた法衣でも、今はただの衣でしかない。



「ぃ、ぅぁぁあああああ!!!!」



 雅の呻く声が聞こえる。辛そうな声が聞こえる。


 叫ぶ声が、聞こえる。


 俺が駆ける最中、燃え盛る衣に苦しみ、小石の上を転がる雅の姿が。


 そして新たな火の魔導陣を展開しようとしている冬仁の後ろ姿が目に入る。



 ……嫌だ。駄目だ。こんなのは許されない。



 これが決闘だと?ふざけるな。俺にはそんなの関係ない。そんなルールは知らない。


 目の前で焼き殺される舞を。このまま、黙って見てろだと?


 無理だ。出来る筈がない。


 魔術師としての誇りを雅が(うた)い、俺がこの決闘に手出しをすることを非難したとしても、冬仁に殺されるとしても、構いはしない。


 俺はそれを甘んじて受け入れよう。


 彼らの魔術師としてのプライド、誇り、矜持。雅の命と比べれば、そんなものは俺にとって、ただのガラクタだ。


 例え雅を……舞を、助けようとして結局そのまま二人とも死ぬとしても。それでマイ・マイム・ベサソの尊厳を傷つけたとしても。


 俺の意志がそれを許さない。単なる俺の押し付けがましい我が儘であっても、二週間前のあの時俺は既に決めた筈のこと。



 俺が死ぬときは、舞と一緒だ。


 それ以上の選択も、それ以下の選択も在りはしない。


 主様として仰がれておきながら、どうするか。


 武士の誉れを優先させるか、臣下の命を優先させるか。


 これがかつての武将が迫られたであろう決断であるなら、俺は紛れも無く今ある命を優先させるだろう。


 可愛い臣下をそのまま死なせるだけの主など、俺が望むものでは、無いっ!



「これにてさらばですね、誉れ高き魔術師よ。短い間でしたが、良い勝負でした。二級、灼熱炎」


 既に展開された魔導陣から灼熱炎が雅へと放たれんとするその瞬間。


 俺は全神経を集中し、雅の下へと駆けながらも、俺が扱える中での最も高位の魔導陣を、雅の目前へと展開した。



「――二級、護球壁(ごきゅうへき)!!!」


 冬仁の展開する灼熱炎が雅を包みこむ直前、俺の展開した魔導陣が発現した。


 対象を中心に据えて、その周りに魔術と物理的攻勢物を防ぐ透明な厚さ十センチ程の球体を作り出す魔術。


 俺が今扱うことの出来る最大にして最強の魔術。金属性ならではの(まも)り。


 だがこの魔導陣を俺に伝授した雅自身がこの魔導陣の正確さを持ち得ぬが故に、俺が作り出した雅を覆う球体の壁も、その本来の強度が無い。


 けれども世界の抵抗を受けている雅がこの魔導陣を使用するのと比べれば、俺が今使う二級・護球壁は数倍もの強度を誇ることが出来ている。


 対する冬仁の扱う灼熱炎もまた、本来の得意系統では無い為にその本来の威力を備えてはいない。


 俺の魔導陣の正確さ、魔操による展開維持。


 それが、覚えている範囲で精密に出来ているかで、雅の命の存亡は左右される。


 炎は晴れた。


 雅を包み込もうとした灼熱炎の忌々しき熱量は、俺の護球壁と共に打ち消されていた。


 雅の居る所へ駆けながらも、俺は心の底からの一瞬の安堵を得る。


 様子を見るに、雅はあの灼熱炎をその一身に浴びてはいない。彼女の即死は免れた。


 だが、次だ。気は抜けない。かき消された灼熱炎を見届けると共に、俺の方へ振り返る冬仁の姿がある。


 後一歩駆ければ距離にして五メートル。このまま駆け抜けるか、止まるか。


「まさか、あれだけの距離から二級魔術の魔操が行える者がいるとはね!驚きですよ!五級、微炎(びえん)


「それはどうも、俺の師匠が優秀なものでね!三級、硬化っ」


 俺に向けて冬仁が俺の進行方向に瞬発的に展開したのは、手の平より一回り大きい程度の複数の赤の魔導陣。


 あの魔導陣は俺も知っている。雅が俺に最初に教えようとした炎の最下級魔術、微炎だ。


 発現した所で最大でも直径20センチ程の大きさしか作りだすことの無い、揺らめき放つ小炎。


 それが冬仁の周辺から現れ、俺へと向かってきている。


 だが、それは三級以下の金属性を完全に扱える今の俺の障害には成り得ない。


 相手を打ち滅ぼしていく相剋の関係が多少なりとも影響したとしても、俺の魔術を破るには至らない。


 腕を眼前に交差して構え、俺は手袋、マフラー、上衣。それらに硬化を施す。


 複数の小炎が俺へと飛んでくるが、避けることはせず、俺はただそれを身に受けながら直進する。


 俺には避けるなんて器用な真似は出来ない上に、そんなことをしていたら無駄に相手に時間を与えることになるだけであるから。


 微炎の熱さは感じる。


 だが硬化した服の燃焼や火傷を引き起こさない事を鑑みれば、気にするほどのことでは、全く無い。


 微炎を越えた俺の眼前の冬仁は、思いの外にそこで一切立ちはだかる様子は見せなかった。


 その様子に訝しさを覚えつつも、彼女の近くに行けるのならそれに越したことは無いと、俺はそれを横目に流す。


 駆ける俺はそのまま冬仁の真横を通り過ぎて雅の下へと辿り着いた。



「雅っ!大丈夫かっ!?」


「ぇ……ぅ、あ、……秋、也……さん…………?」


 地面に転がった事で、雅の衣に燃え移った火は消えていたが、その姿は酷いものであった。


 小球炎が直撃したことで燃え広がった火は雅の衣服の所々を焼失させ、スカートは半分ほど焼け落ちている。


 下着の一部や、腹部からは火傷をした様子の赤く腫れた肌も見えていた。痛々しさに息が詰まりそうになる。そんな雅を、俺は腕の中に抱えた。


 銀の髪は前髪の先端と後ろ髪が焼けており、それによる硫黄の臭いも鼻を通る。なにより、雅の挙動の中で、今一番厄介な事態が起きていた。


「……雅、目が開かないのか……?」


 雅の目蓋(まぶた)は振袖の上から伝わった火によって焼け、閉じた目蓋が下の肌と引っ付き、開かなくなっているようだった。


 目を開こうとして、目蓋が小刻みに震えているのが見える。……何て事をしてくれたのだ、あの男は。


 言われもない理由で雅に闘いをけし掛け、これ程の怪我を負わせる非道。あんな奴、殺してやりたい。俺がこの手で。


 灰塵炎で殺しにかかった雅にも非はある?そんなわけがあるか。この闘いの元凶である冬仁に全ての非があるのだ。そもそも舞の敵は俺の敵だ。そこに構いなど有りはしない。


 今この場で雅が魔導陣を使うことが出来たのなら。俺に水の系統が使えたのなら、治癒の魔術で直ぐにでも治すことが出来ただろう。


 しかし、出来ない。悔しい事に、今の俺達に、そんな力は無い。


 あの悪魔との闘いを終えた時にお互いが気付くべきだった。


 恐らくあの悪魔との戦いを終えた時の雅の脱力は、出血による貧血と、ほどけた緊張の糸だけに依るものでは無かったのだ。


 雅が疲れて寝間着で眠った後に、あの振袖に魔力を通したのも翌日だった。故に、その間の魔術の使えない時間がどれ程のものか判別のしようも無い。……最悪の状況だ。


「果てさて、決闘を邪魔するという前代未聞な魔術師の登場のようですが、一体どうしましょうか。この闘いを汚したからには、この際は貴方も排除するべきでしょうかね?」


 後方からの冬仁の声が俺達を捉えた。


 呆れる程に冷徹な、しかし困ったような躊躇いも感じさせる声調。


 決闘に介入したのであれば、元々の対象では無い俺の排除すらも辞さないという考えと、相まって彼なりの倫理観との間で、判断しかねるものもあるのかも知れない。


 もっとも、この男の倫理観など俺の知ったことではないが。


「排除だと?やりたきゃやれば良い。どうせ雅が殺されるのなら、俺も一蓮托生だ。こんな決闘、払下げで良いだろうよ。お前が押し付けたようなものにこちらが従う義理も無い」


「随分な事を言いますね。こちらもそれなりに好条件で提案したというのに。こちらには後二人の実力者が控えている。生殺与奪の権利はそもそもこちらにあったようなもの。それを君は理解していないのですか?」


 雅の後方を見れば、先程冬仁に従う、お(せち)、お(もち)と呼ばれた二人の女性がこちらに向かって足を進めている。


 俺が動いたのを見て警戒を強めたと言うことだろうか。それによる、挟襲状態。


 雅が魔術を使える状態に戻るまでの時間がどれ程かかるかが分からない以上は、明らかな三対一。


 魔術が使えない上に、今の雅に視界はない。


 絶対絶命。そんな言葉が脳裏をよぎる。冷や汗なんてレベルでは無い。あの時の比じゃない。生き残る手だてが、無い。


「……そんなことは、お前達に勝負をけし掛けられた時点で分かっていたことだ。その上で乗っただけの話。新米な俺には魔術師の誇りや決闘の価値なんて分からない。だが唯一言えるのは、俺がこのまま雅を一人で死なせることは無いということだ」


 俺が腕の中で抱える雅が、その言葉を聞いてピクリと身体を震わせた。


 彼女は俺の言葉を今どう捉えたのだろうか。


 魔術師の誇りも分からぬ愚か者と思っただろうか、それとも、俺の言葉に対して、絶望の中に一筋の歓喜を抱いたのだろうか。


 誉れ高き魔術師と名乗る以上は前者であったかも知れない。後者は単なる俺の我が儘な希望である。


「ふ、は。成る程。君は、いや、貴方は、ここで死んでも構わない、と。いやはや、恐れ入ります。それに抗議しない辺り、彼女も貴方と死ぬのは悪くないと思っているのでしょうかね。自分の為に死んで貰うことを既に受け入れている。それを歪な愛か、真の愛と呼ぶべきなのか……」


 冬仁は思案するような表情で手を顎に当て、目を瞑った。この余裕さが、癪に(さわ)る。


 今直ぐにこの男を殺してやりたい。雅を連れてこの場から離れたい。


 だが生憎なことに俺の魔術は火系統のように攻撃に特化していない上に、今俺と雅の後ろに着いた二人の魔術師であろう女性と、冬仁に挟まれている。


 逃げることは不可能に近いだろう。それはその時、既に理解していた。


 その時、ふと雅の上半身を支える俺の右腕に、揺れがともった。


 俺が背中を支える雅の方を見やると、言葉を放とうとしている様子が見えた。


 雅の動悸も、先程よりは大分落ち着いている。意識もはっきりとしていた。


「……主、様。あの時の舞に続いて、私もこんな状況よ……。目も見えない、力も入らない、魔術も使えない。情けない上に、決闘は死の直前で中断。マギとしての誉れさえも失ったわ。このままじゃ、目的だって果たせない……」


 痛烈だった。この世界に来たばかりに、世界の影響に振り回されて、二度目の死の危険を迎えている。


 そして俺に行動によって、彼女の誇る誉れさえも失わせてしまった。罪悪感と共に、心の痛みを感じずにはいられない。


 雅がどんな過去を経て、魔術師として生きてきたのかは知らない。それ故に俺にはその重みの全貌を知ることすら出来ないのだから。


 彼女の自尊心よりも命を優先をさせて、それによって俺がどんな非難を浴びることも覚悟していた。


 だが、本人の口からそれを聞かされるのは。俺自身、辛いものがある。


 その自分自身の言葉に浮かばれない表情をする雅だったが、そこでふっと表情を変えた。


 それは儚げながら、くすぐったそうな嬉しさを見せる表情で。


 そして、雅は「でもね」と一言添えて、言葉を紡いだ。



「不思議なの。今の私、おかしいのよ。……嬉しいの。嬉しくて堪らないの。秋也の顔さえも見えないけど、命を捨ててでも、私を助けてくれる貴方が、私の傍に居てくれることが。それに比べれば、今まで築き上げてきた誉れなんて、なにものでもないって」



 口元を和らげて、けれどあの時と同じように哀しそうに彼女は笑い、そして――。



「……だからこそ、やっぱり私は。……主様が、――大好きな秋也さんが、今私の傍にいてくれることが。一番の幸せだって、思っちゃうんです」



 瞬間、頭が沸騰しそうになった。


 その彼女の言葉の重みは、何よりも大きい。既に、彼女から放たれる口調が、あの雅のものでは無くなったのだから。


 疑いの余地はもうどこにもない。表情も、声も、可愛さも。俺の腕の中にいる少女は紛れも無く、舞だった。


 考えるまでもなく最初からずっと、そうだったのだ。ただ、俺が呆れる位に鈍かっただけの話であって。


 その瞳を覆う目蓋の僅かな隙間から、彼女の涙が伝う。


 それに、舞は力無いその手で、俺の左手にその小さな手を重ねたのであった。冷えた体温が伝わる。


 けれど、舞のその柔らかな手の感触に、俺は胸が一杯になった。


 もう、何を言えばわからなくなってしまった。


 その言葉が、俺にとって何よりも嬉し過ぎたのだ。それがなにより、俺が一番欲しかった言葉だったから。


 俺だって、幸せだ。


 こんな時でも、こんな状況でも。舞が傍に居てくれるだけで、そんな言葉を言ってくれるだけで。


 年甲斐など何もなく、ただ一人の男として、この少女にどきどきとしてしまい、心が溢れそうになってしまうのだから。



「もう……もう、演技なんて嫌です。……私、秋也さんに嫌われたくない。とっくに演技だってばれてたのに、雅としてのあんな素っ気無い態度、……死ぬ時まで取りたくなんて、ないです」


 舞の独白だった。この二週間、どんな思いで、この少女は、雅として過ごしてきたのだろう。自分を偽り、ずっと嘘を吐き続けて。


 素直な舞にとっては、辛すぎることだったのだろうと、俺は思う。しかし、とっくにと言うのは間違いだ。あの演技で相当俺は騙されていたわけで。


 その反動もあって、今の舞の口からは言葉が止めどなく流れ出ていることも、あるのかもしれない。



「で、でも、そんな酷い私であっても秋也さんは助けに来てくれて……。私を魔術師でなく、ただの一人の女の子として見てくれる、たった一人の大切な人で……。わ、私、秋也さんと、このままずっと――」


「――はいはい、別れの祝詞(のりと)は其処ら辺で宜しいですか?いつ魔導陣を扱えるように回復されるかわかりませんし、もうそろそろ深夜の零時を迎えることです。もう二人仲良く死ねばいいじゃないですか。それがお二人にとって一番のようですからね。……やれ、お節、お餅」


 舞の言葉を遮る、忌々しい冬仁の声が聞こえた。


 先程の躊躇いなど嘘のような吹っ切れた発言。この男の倫理観など最初からあったのだろうか。この場に来て冷酷極まりない。


 最悪だ。最低だ。例え殺されるとしても、俺が今後この男を許すことは絶対に無いだろう。


 冬仁から魔力の流れが感じられる。魔導陣を展開するつもりなのだろう。


 そして後方からも魔力の流れ。あの双子らしき女性が魔導陣の展開を行おうとしている。


 ……ふざけるな。舞の言葉を聞かずに、死ねるものか。


 ――いいや、死なせるものか。俺は、舞と二人で生き残ってやる。


 確かに今まで出来る対抗手段は無かった。だが、後ほんの少しの時間さえあれば、得ることが出来るのだ。一週間前に抱いた淡い期待を信じるのなら、この絶体絶命を覆す程の力というものを。



 そう、最後の最後まで、最大の可能性は取っておいてあるのだから。


 俺は魔導陣を展開すべく、魔導と魔躁を備えつつ。舞の手が添えられている、左腕に着けた時計の時刻を示す針と秒針を見やった。


 現在時刻は11時59分49秒。今ある全ての可能性を、俺はこれに掛けることを決めた。


 だが、その前に、魔導陣基盤の展開だ。


 後数秒を耐え抜く準備は必ず要る。全身を包む魔力の流れを感じる。



 今に見ていろ、舞を苦しめ続けた、このクソったれな世界よ。それに冬仁の野郎。


 そして三人の魔術展開の宣言が聞こえる。俺の知らない魔術の宣言も、あの女性二人は放っていた。


 だがそこに意識を逸らされる事はあってはならない。今は時間を稼ぐことに集中しなければならない。


 同時に俺も叫んだ。


 俺の出来る最大の多重魔躁、金系統二級魔術の魔導陣の一つの正確さをずらすことで二つの重なる球体に大小を作り出す。


 護りに徹する魔術二枚重ねを、そこに俺は顕現する。



「二級、護球壁っ!!」



 ああ、そうだ。やってみせる。


 俺の三十年間を。護り通した意思を。全ては一人の大切な少女を、俺の手で守る為にあったのだと。



 信じてみる価値は、今ここにあるのだから。






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