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超能力の覚醒

 八月一日 アメリカ合衆国イリノイ州

 デイビッド・アンダーソンは、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ市の郊外にある一軒家の芝生の庭に面したバルコニーの上で、木製の白いベンチに座り、昼間からビールを飲んでいた。百七十五センチの身長はアメリカ人としては小柄な方だが、軍隊で鍛えた身体は捻じり合わせた針金のようで無駄なぜい肉はどこにも付いていない。赤毛の長髪は天然パーマのためにクルクルと巻いていて、その髪の毛の色から子供の頃にはマーズ(火星)というあだ名が付けられていた。彫りの深い顔の下半分は無精ひげで埋まっている。

 夏の日差しがジリジリと地面を焦がしているが、日陰に座っていると暑さは気にならず時折吹き抜ける風が心地よい。Tシャツとバミューダパンツのデイビッドが三本目のビール瓶に手を伸ばそうとしたとき、電子メールの着信音が鳴った。

 ベンチの横の小さなデスクの上に置いてあるラップトップパソコンに電子メールが届いていた。このパソコンはデイビッドの仕事専用で、特定の顧客にしかメールアドレスは教えていない。

 パソコンのモニター画面上に表示されたメールのあて先はデイビッドだが差出人やメール本文には何も表示がされておらず、メールのアカウントにも見覚えがない。デイビッドが首を捻りながらメールを削除しようとすると、何の操作もしていないのに突然添付ファイルが開いてモニター画面上に文字が並んだ。

『仕事の依頼 殺人 成功報酬ひとり当たり百万ドル 必要経費別途支給 ターゲット:世界賢人連盟メンバー 人数十七人 要件:殺害に当たっては頭部を銃撃又は爆破により完全に破壊すること リミット:本日より三か月以内 受諾するか? Yes・no クリックせよ』

 デイビッドは質の悪い悪戯だろうと思い、毒づきながらメール削除をクリックしたが、なぜかメールは削除されない。デイビッドが再びメール削除をクリックしようとしたときに携帯電話が鳴った。この携帯電話も仕事専用だった。

「誰だ」

「メールを見たな。イエスかノーか」

 デイビッドの耳に機械音のような声が聞こえてきた。携帯電話を持ったまま、デイビッド思わずパソコンのモニター画面に目をやった。

「お前は誰だ。なぜこの携帯の番号を知っている。殺人依頼だと、何を言っていやがる。ふざけるな! 俺は善良なアメリカ市民だぞ」

 機械のような声が、耳元でフンと鼻で笑った。

「デイビッド・アンダーソン。元アメリカ海軍特殊空挺部隊所属、除隊後は依頼を受けて殺人で報酬を得て生計を立てている。暗殺集団チームマーズのリーダー。メンバーはお前を入れて六人、これまでの仕事はニューヨーク、トロント、香港、・・・詳しくはパソコンを見てみろ」

 パソコンのモニター画面に過去にチームマーズが実行した殺人に関する詳細な情報が映し出された。

 デイビットの声が険しくなった。

「お前は何者だ。この情報をどこから入手した、答えろ」

「事実だろう。どこから? お前のパソコンだよ。それよりも、依頼を受けるのか受けないのか」

「お前はハッカーか? 誰かも分からないやつの相手なんぞやってられるか。金だってちゃんと支払われるかどうか分からん」

「依頼人が誰かは関係ないだろう。金か。必要経費の前渡しだ」

 その声が終わるや否や、デイビッドのパソコンに取引銀行からメールが届いた。デイビッドの匿名口座へ五十万ドルの振り込みがあったことを知らせる通知だった。

「何だこりゃ・・・五十万ドルだと!」

 思わず声を上げたデイビットの耳に携帯電話から機械音のような声が響いた。

「この金は好きに使って構わんし、返す必要もない」

 デイビッドはニヤリと笑い、ビール瓶を手に取るとグビリと一口飲んだ。

「太っ腹じゃないか、そういう事ならイエスだ。早速取り掛かるぜ」

「ターゲットとなる世界賢人連盟のメンバーの名前・住所と顔写真をメールする。最初のターゲットは日本、神宮寺商事会長の神宮寺孝晴だ。それ以降の順番は任せる」

「了解。ターゲットを殺したときのあんたへの連絡はどうすればいい」

「連絡はしなくていい。こちらで分かる。それと、お前のチームマーズ以外に、もう一チームにも同じ内容の依頼をする。そしてターゲット十七人をより多く始末した方のチームに、成功報酬とは別にボーナス五百万ドルを与える。意味は分かるな、どちらが早いか競争だ。」

 五百万ドルのボーナスと聞いて、デイビットはビール瓶を放り投げると身を乗り出した。

「そうこなくっちゃ。ところであんたのことは何と呼べばいい」

「ゼータと呼んでくれ」

 いきなり電話が切れた。デイビッドはベンチから立ち上がると大声で叫んだ。

「ダニエル、メンバーを大至急集めろ、仕事だ。それと日本行の飛行機の手配も大至急だ!」


 八月四日 東京都内

 東京都中央区にあるブライトンホテルのスイートルームで、デイビッドはチームマーズのメンバーであるダニエル・ミラーとジョン・ハリスのふたりとともに、パソコンのモニター画面に写っている帝都大学附属病院の見取り図を見ていた。チームマーズの残りのメンバー、ケビン・モリス、ジェイソン・ベイカー、カルロス・ロメロの三人は既に次のターゲットの下見に向かっていた。民間人が銃器を所持していない日本では、ターゲットを始末するのに三人もいれば十分なのだ。

 デイビッドはパソコンのモニター画面を指差しながら説明した。

「病院は十階建てでターゲットは八階の特別室Aだ。八階には特別室ABCの三部屋がある。八階の廊下と特別室の間に控室があって看護師が一名常駐している。八階へは二階からの直通エレベーターでしか行けない。二階の直通エレベーター入口には専用の警備員室があって二十四時間監視されている。

 地上から屋上に直接繋がるメンテナンス作業用の外部階段があるが一階と十階の出入口にはそれぞれ電子ロックキーが付いていてキーナンバーは毎日変更される。病院の出入口と各階の廊下には監視カメラが設置されている。出入口と廊下の監視カメラは一階にある総合警備室のモニターでこちらも二十四時間監視されている。

 但し、二階の警備員室は一名、一階の総合警備員室は三名しか警備員はいない。しかも銃器は所持していない」

「丸腰の警備員なら訳はない、全員射殺して監視カメラを止めて、八階に上がってターゲットをズドン。一丁上がりだ」

 ジョンが片手で拳銃を打つマネをした。デイビットはジョンを見て右の眉だけグイと上げると左右に首を振った。そんなに簡単なら苦労はしない。

「アメリカならな。でもここは日本だぞ、簡単に銃が手に入らないんだ。横須賀でアメリカ軍払い下げ物品を扱っている知り合いに、闇の横流し銃器を調達して貰っているが、おそらく手に入るのは拳銃一丁と実弾五発程度だろう。警備員を全員射殺するのは無理だし、ナイフだと仕留めるのに時間が掛かるから警察に通報される可能性が高い。それに俺たちアメリカ人は日本国内では目立つんだ、警備員室に近づくだけで警戒される。それと監視カメラの録画記録も厄介だな」

 デイビッドの説明にダニエルとジョンが顔を見合わせた。どうすりゃいいんだと言う顔をしている。

「さて、どうするか」

 デイビットが顎を指で摘まんで考え込んだ。デイビットの呟きが聞こえたかのように、デイビッドの携帯電話が鳴った。

 携帯電話から機械音のような声が聞こえてきた。

「ゼータだ。よく聞け。監視カメラの録画記録はこちらで消去するから気にする必要はない。屋上に通じる外部階段出入口の電子ロックキーは解除しておく。お前たちが行動を開始してから十分後に病院の全ての電源をシャットダウンさせる。電源の切れている時間は五分間だ。これはサービスだ、健闘を祈る」

 それだけを一方的に告げると、デイビッドの答えも聞かずに電話が切れた。


 八月六日 帝都大学附属病院 

 デイビッドとダニエルは深夜の病院の敷地内を物陰に隠れながら移動していた。ふたりは黒の覆面を被り黒の戦闘服を着て背中に小さなバックパックを背負っている。月明かりはなく所々で外灯が明かりの輪を広げているが、その輪の外では人や物の姿は闇に溶けて見えない。昼間のうだるような熱気は冷めて深夜の涼やかな冷気が辺りを包んでいた。

 病院の外壁に貼り付くように地上から屋上まで延びている直径三メートルの円筒型をした鉄製の螺旋階段が、緑色の小さな非常灯に照らされて闇の中にボンヤリと浮かんでいた。外部階段は周囲を檻のような格子に覆われていて出入口以外から階段へ侵入できない。

 外部階段の入口まで十メートルの距離に近づいたとき、静寂を破って一台の救急車がサイレンを鳴らしながら病院の敷地に入ってきた。ふたりが茂みの後ろに身体を隠して救急車をやり過ごすと、救急車は緊急搬送口の前に止まり、後部ハッチが開いて白い布で覆われたストレッチャーが降ろされた。ストレッチャーは救急隊員に押されて救急搬送口の中に消えた。

 外部階段を取り巻く格子には鉄製の扉が設けられている。デイビッドが扉に手を掛けると、ゼータの言ったとおり電子ロックキーは解除されていて、扉は小さな軋み音を立てながら開いた。

 デイビッドは腕時計のストップウォッチをスタートさせ、ダニエルに親指を突き上げてミッションスタートの合図をすると、外部階段を全力で駆け上がった。

 屋上に出たふたりは八階の特別室Aの真上に進むと、バックパックから降下用の細いロープを取り出し、屋上の手すりに先端の金具を引っ掛けた。デイビッドのストップウォッチの針は八分三十秒を経過した。ふたりはロープを身体に巻きつけて降下用の補助金具を装着すると、手すりを乗り越えて屋上の縁に立ち降下体勢を整えた。

 ストップウォッチの針が九分五十秒を指した。病院の全電源のシャットダウンまで残り十秒。ふたりは大きくジャンプして屋上から飛び出した。一気に八階の高さまで降下すると、振り子のような動きを利用して手すりを飛び越え、八階のベランダに転がり込んだ。受け身を取り一回横転して素早く立ち上がるのと同時に全ての明かりが消えて病院は闇に沈んだ。

 デイビッドとダニエルはヘルメットに装着した小型ライトを点灯させ、ベランダの入口のガラス戸に近づくと、デイビッドはバックパックからスミス&ウェッソン三十八口径のリボルバーを、ダニエルは小さなハンマーを取り出した。デイビッドが拳銃を構えダニエルに頷くと、ダニエルはハンマーをガラス戸に叩きつけた。ガシャンと音がしてガラス窓に穴が開いた。

 穴に手を突っ込んで鍵を外したダニエルが素早くガラス戸を開けると、デイビッドが特別室に飛び込み拳銃を構えて素早く室内を見回した。

「クリア」

 デイビッドは小声でダニエルに合図した。ダニエルは看護師の居る控室に向かって駆け出した。

 デイビッドはダニエルの背中を横目で見ながら、特別室の窓際に備え付けられている大きなベッドに走り寄った。ヘルメットの小型ライトの明かりの中で、痩せた老人がうつろな目を開けて天井を見ていた。デイビッドが枕元に立っても、デイビッドの方を見ようともしない。

 デイビッドは老人が神宮寺孝晴に間違いないことを確認すると、枕を神宮寺の頭に押し付け、枕に拳銃の銃口を押し当てて三発続けて撃った。ボンボンボンというくぐもった銃声がして枕から青白い煙が薄っすらと立ち昇り焦げ臭いにおいが辺りに漂った。周囲に枕の詰め物の白い羽毛が舞っている。

 デイビッドは枕を持ち上げて神宮寺の額に三つの穴が開いていることを確認すると、今度は枕を右の側頭部にずらし銃口を押し当てると二発撃った。小型ライトの明かりの中でシーツの上に飛び散った脳漿と血がどす黒くヌラヌラと光っている。

「一丁あがりだ」

 デイビッドが小さく呟いた。デイビッドは息ひとつ乱していない。

 ダニエルは控室に向かって走りながらベルトの後ろに装着しているフォルダからサバイバルナイフを引き抜いた。ダニエルが控室のドアを開けたのと同時に、廊下側からも大きな黒い人影が控室に入ってきた。ビシッビシッという空気を切り裂く音と小さな閃光が闇の中に浮かぶ。控室の暗闇の中で棒立ちになっていた看護師の女性が無言のままドサリと床に崩れ落ちた。

 ・・・発砲音!・・・サイレンサーだ・・・

 ダニエルは、咄嗟に身体を投げ出すように反転させて控室に背を向けるとベランダに向かって走った。ビシッという音がして銃弾がダニエルの肩を掠める。デイビッドもダニエルの動きに反応してベランダに飛び出した。ふたりは目の前に垂れ下がっているロープに飛びつくとその勢いのまま地面に向かって降下した。

 黒い影は控室から特別室内に飛び込むと同時にベランダに向かって発砲した。銃弾がふたりの頭上を切り裂くように掠める。ふたりは殆ど自由落下のようなスピードで降下し、地面すれすれでブレーキを掛けると、そのまま地面に転がった。ヘルメットの小型ライトをむしり取り遠くに投げ捨てると、ふたりは小型ライトとは反対の方向に走り出した。

 黒い影はベッドの上で神宮寺孝晴が射殺されているのを見て小さく「くそっ」と毒づくと、ベッドに背を向けて足早に特別室を出て行った。

 デイビッドとダニエルが病院の塀を乗り越えて道路に飛び降りると、病院内の電源が復旧して敷地内がボワッと明るくなった。路上に駐車しているミニバンの後部座席に乗り込んできたふたりを見て、運転席からジョンが振り返ってニヤリと白い歯を見せると、車を発進させた。

「首尾は?」

 ハンドルを握ったままジョンが尋ねた。デイビッドは後部座席で覆面を取り戦闘服を脱ぎながら言った。

「ミッションは完了した。際どかったが俺たちがワンポイントだ。別のチームも乗り込んできて、もう少しで鉢合わせするところだった」

「向こうはひとりだったが、俺たちに向かって容赦なく発砲してきた。モタモタしてたらヤバかった」

 ダニエルが首を振ってそうぼやくと、運転席のジョンは前を向いたままウヒヒと笑い煙草を咥えて火を付けた。

「そうこなくっちゃ。面白くなってきたぜ」

 デイビッドたちの車が走り去った五分後、病院の敷地から救急車がサイレンを鳴らさずに出てくると、デイビッドたちとは反対の方向に消えた。


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 翌日の新聞やテレビの情報番組では、帝都大学附属病院で起こった大量殺人事件が大きく取り上げられた。

 特別室Aで神宮寺商事前会長の神宮寺孝晴が射殺されていて、その他に控室で看護師の女性一名と二階の専用エレベーター前の警備員室で警備員の男性一名が射殺されていた。また、病院から五キロほど離れた路上に救急車が乗り捨ててあり、車中に救急隊員二名の射殺体が発見された。

 警察の発表によると、神宮寺の射殺に使用された拳銃とそれ以外の看護師、警備員、救急隊員の射殺に使用された拳銃は別物であるということだった。更に、事件発生当時に病院では不審な電源喪失があったことや、病院の防犯カメラの映像が事件のあった時間帯だけ消去されていることも分かり、大きな謎としてテレビのワイドショーの話題となった。


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 八月七日 東京都港区

 明石の部屋で瞭たち五人はテーブルを囲んで座り、テレビの画面を食い入るように見つめていた。早口の女性アナウンサーが帝都大学附属病院で発生した大量殺人事件を伝えている。

 瞭は明石が淹れた珈琲をガブリと飲み、あまりのまずさにムウウと顔をしかめてから、誰にともなくポツリと言った。その横で、明石は満足そうな顔をして珈琲を飲んでいる。リリーは珈琲の香りを嗅いだだけで首を振り、その後は見向きもしない。

「神宮寺は帝都大学附属病院に入院していたのか。それにしても射殺とは・・・まるで暴力団かマフィアの抗争だ。いったい何があったんだろう。まあこれで、僕と明石さんは、東山さんの敵討ちという肩の荷が下りて少し気が楽になりましたけど」

 瞭は報道内容に驚きながらも、どこかしらホッとしたような声を出した。永い間神宮寺から命をつけ狙われていた明石は、どことなく嬉しそうだ。瞭が顔をしかめた珈琲を美味く感じるのもそのためだろう。

「神宮寺が射殺されたのに、私には何も感じなかった。人類に厄災をもたらすのは神宮寺の脳内に共生する記憶生命体ではなかったということかしら」

 幸子が思いつめたような顔をして呟いた。早苗は幸子の手を握ると、覗き込むようにして幸子の目を見た。

「ねえお母さん、神宮寺が意識不明だったからじゃない? だから殺されるときに恐怖を感じなかった・・・だから、お母さんが感得できなかったのよ」

 早苗の答えに幸子は首を傾げている。

「個人の意識の問題ではなくて、未来に大きな影響を与えるトピックが消滅したかどうかが問題なのよ。次元を震わせるような重大な事象の発生を左右する・・・早苗、ちょっと力を貸して頂戴」

 幸子は早苗と両手を繋ぎ、下を向いて目を瞑った。幸子の思念波のアンテナが広げられた。幸子は早苗の思念波と共振をさせて力を強めると、予知を齎した衝撃波の痕跡を追うために次元の全方位に思念波を広げている。明石とリリーは幸子の思念波を感得して互いに目を見合わせた。何も感じない瞭は訳が分からないというふうにキョロキョロと四人の顔を見比べている。

 幸子が顔を上げた。生体エネルギーを使いすぎて疲労したため顔色が青白い。

「人類の厄災はまだ回避できていないわ」

 幸子は額に手を当ててテーブルに突っ伏した。心臓に疾患のある幸子には負担が大きいのだ。早苗が心配そうに幸子の肩を抱いている。

 リリーは無精ひげが伸びたごつい顎をザラリと指で撫でた。

「それじゃあ、やはり残りの記憶生命体と接触しなきゃだめってことね」

 リリーの声に瞭が大きく頷いた。

「帝都大学附属病院の大量殺人事件は何だか謎だらけで、僕たちにはどうすることもできません。幸子さんがおっしゃるように人類の厄災がまだ回避できていないのであれば、僕たちは次のステップに進むしかないということですよね」

「瞭の言うとおりだわ。お母さん、神宮寺のことをこれ以上考えても仕方ないわ。次のステップに進みましょう」

 早苗が大きな目をキラキラさせながらきっぱりと宣言すると、口をへの字に結んで四人を見回した。有無を言わせないという顔をしている。昨晩から早苗の気迫に押されっぱなしの明石とリリーは分かったという顔をして頷いた。

 その様子を見て瞭が「ところで」と続けた。

「次のターゲットですが、佐渡博士のUSBメモリの中に世界賢人連盟のメンバーの住所録のデータがありました。メンバーの一番多い国はアメリカで五人いました」

「それじゃあ次はアメリカで決定ね。ところで、みんなパスポートは持っているんでしょうね。私とお母さんは二年前に作ってあるけど」

 早苗は左右を見回した。瞭は当然だという顔で頷いたが、明石はしょんぼりと肩をすくめて下を向いた。明石の横でリリーも目を伏せている。

「すみません。研究所を脱走してからずっと身を隠していたので・・・住民票は三十年前にいた研究所のある鴨川市のままなのです、パスポートどころか運転免許証や健康保険証もないのです」

 明石が申し訳なさそうに答えるとリリーが小声で「あたしも」と言った。明石もリリーも、超能力を最後のよりどころとして生活の糧を得て、永い間逃亡生活を送ってきたのだから、しかたあるまい。

 早苗は分ったというように首を振った。

「それじゃあ、私とお母さんと瞭が先にアメリカに渡って下調べをするわ。明石さんとリリーさんは後から追いかけてきて。まずは・・・メンバー三人の居るニューヨークね。瞭、航空機の予約と現地の宿泊先の手配をお願い、ああ、レンタカーもね」

 早苗はチームのリーダーのようにテキパキと指示をした。

 リリーは感心したような顔をして早苗を見ると、金髪の巻き髪を指でクルクルといじりながら「早苗ちゃんカッコいい」と言った。明石も貧相な顔に頼もし気な表情を浮かべて早苗を見ている。雑用を言い付けられた瞭は唇を尖らせているが、早苗に向かって口答えはできそうにない。


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 〇 八月九日付 フランクフルト新聞ほか

 八月八日深夜、ヴォルフガング銀行のヘルマン・リヒター頭取(五十四歳)が自宅で就寝中に何者かに射殺された。現場には犯人のものと思われる複数の足跡があり、フランクフルト市警察では犯罪組織との関係を視野に捜査が進められている。


 〇 八月十一日付 ニューヨーク新聞ほか

 八月十日午後八時頃、ジェネラル法律事務所所属のジェシカ・トンプソン弁護士が帰宅途中に何者かに襲われ死亡。ジェシカ氏が事務所ビルから出てきたところを路上に停車していた車から銃撃された。ジェシカ氏は頭部に複数の銃弾を受け病院に緊急搬送されたがその後に死亡が確認された。逃走した車の行方は分かっていない。


 〇 八月十一日付 イタリア国営通信ほか

 八月十日、イタリア・フィレンツェ市在住の世界的建築家マルコ・マンシーニ氏(六十二歳)が市内の事務所で頭部に銃弾を受けて倒れているところを助手のフェデリコ氏に発見された。その後、マルコ氏の死亡が確認された。犯行時間は午後三時から午後五時と見られ、犯人は現在も逃走中。


 〇 八月十三日付 共同通信社ほか

 八月十三日午前九時十分 世界貿易機関(WTO)の初の女性事務局長ヘレン・モラレス氏(五十歳)が公用車で出勤途中に五人組の暴徒に襲われ死亡。運転手と同乗していたSPの二名も死亡。当局はテロ事件として捜査を開始したと発表した。


 〇 八月十五日付 マサチューセッツタイムズほか

 八月十四日、ジョセフ・ロビンソン、マサチューセッツ工科大学工学博士が自宅で妻のアンジェラさんとともに殺害されているのが発見された。ふたりは就寝中に何者かに襲われた模様で頭部に複数の銃弾を受けていた。室内に物色された跡がないことから怨恨も視野に捜査が進められている。


 〇 八月十五日付 BBC放送ほか

 八月十四日 イーサン・スコット博士(二十二歳)がケンブリッジ大学構内の研究室で射殺されているのが発見された。イーサン博士は理論物理学の博士号を若干十八歳で取得し、先駆的な論文を発表している。


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 八月十五日 アメリカ合衆国 ニューヨーク州

「いったい何が起こっているんだ」

 ブルックリン区のイースト・ニューヨークにある安宿『イーストギャラクシーモーテル』の一室で瞭は天を仰いだ。パソコンのモニター画面には世界賢人連盟のメンバーに関する死亡記事が並んでいた。

 イーストギャラクシーモーテルは瞭がニューヨークで仕事をするときの定宿で、手ごろな料金の割に部屋は綺麗で設備もそこそこ充実している。何よりもレンタカーで十分も走ればマンハッタンに着く利便性が瞭のお気に入りだった。続きの二部屋を借りていて、隣の部屋には幸子と早苗が泊まっている。

 夏本番のニューヨークは朝から激しい日差しが降り注ぎ、気温はグングンと上昇していた。今日も三十度を超える酷暑になりそうだ。瞭の部屋の古ぼけたエアコンはガタガタと悲鳴を上げながら、朝からフル稼働していた。

 瞭の部屋のベッドルームの脇に申し訳程度に備え付けられているテーブルには朝食代わりのドーナッツと珈琲の入った紙コップが置かれていた。テーブルの向かいの席では、ドーナツを手にしたまま早苗が吃驚した顔で瞭を見つめている。その横で、幸子は紙コップを持ったまま静かに瞭を見ている。

「どうしたのよ、瞭」

 早苗の声に頷いた瞭は、パソコンのモニター画面を幸子と早苗に向けた。

「世界賢人連盟のメンバーが次々に殺害されているんだ。報道で分かる限りで六名、いや、神宮寺孝晴を入れると七名になる。」

 画面を見た幸子と早苗は顔を見合わせた。

「どういうことかしら?」

「分からない。でも、ただの偶然ではなさそうだ。誰かが意図的に世界賢人連盟のメンバーを手に掛けているんだ」

 瞭はドーナッツにかぶりつき、甘さに顔をしかめると慌ててブラック珈琲を口に運び、今度はアチチと叫んでいる。

 早苗は瞭の様子を見て「何やってんだか」と言いながら、腕組みをして口をへの字に結んだ。どうやらふたりの立場は完全に早苗が上のようだ。

 幸子は下を向いて目を瞑った。何かを感得するように思念波のアンテナを広げている。幸子の思念波を感得した早苗が、バックアップをするために幸子と手を繋いだ。

 しばらくして幸子が目を開けた。顔色が悪いのは生体エネルギーを消費しすぎたのだろう。あるいは、心臓が悲鳴を上げているのかも知れない。

「人類の厄災はまだ回避できていません」

 幸子は静かに言った。

「僕たちはミッションを継続するしかないということですね」

 瞭の言葉を受けて、早苗はウンと呟いてから口を開いた。

「とにかく、ニューヨーク近郊に住むターゲットはローガン・ミラーしか残っていないんだから、ローガンの動向を探りましょう。明石さんとリリーさんがアメリカにくるまでに接触方法を見つけておかなきゃ。お母さんは心臓が心配だからここで待機していて。あたしと瞭でローガンの自宅を張り込むわ」


 マンハッタンのミッドタウンにある三十階建てのミラービルディングが、投資家で大富豪のローガン・ミラーの自宅兼事務所だった。正面入口の左右にはギリシャのパルテノン神殿を模した巨大な柱が聳え立っている。三十階と二十九階の全フロアがローガンの居宅スペースで、三階の全フロアがミラー投資会社の事務所だった。

 居住スペースの間取りは公表されていないため、ローガンが広い居住スペースのどこに居るのかは分からない。

 ビルの入口にはいかつい身体をした警備員が常時四名、バカでかい拳銃をぶら下げて通行人に目を光らせていた。ビルの中にも武装した警備員がうようよ居て、入場者に片っ端からボディチェックをしている。物々しい警備だ。

 ミラービルの前に横たわる片側三車線の大きな通りの反対側に茶色のセダンを止めた瞭と早苗は、車の中からミラービルの入口を見ていた。セダンの前後には違法駐車の車がズラリと並んでいて、長時間駐車しても目立つ心配はなさそうだ。既に外気温は三十度を軽く超えていて、陽光に焼かれたアスファルト舗装の道路からユラユラと陽炎が立ち昇っている。

 瞭はあまりにも厳重な警備体制に驚いていた。

「早苗ちゃん、これだけ警備が厳しいと、おいそれと中には入れてくれそうもないね。まして見ず知らずの日本人ジャーナリストが、いきなり取材アポイントを取るのも難しそうだ。まあ、ローガンも世界賢人連盟のメンバーが次々に殺害されていることを知っているだろうから、やむを得ないけどね」

 早苗はミラービルにチラリと目をやった。少なくとも、ターゲットはこのビルの中に居るのだ。

「とりあえずローガンの思念波を感得できないかやってみるわ。思念波が感得できれば、それを追うことでローガンの仕事やプライベートの行動パターンが分かるはずよ。行動パターンが分かれば接触する方法も何か考えつくんじゃないかしら」

「なるほど」と瞭は頷いた。


 八月二十七日 アメリカ合衆国 ニューヨーク州

 瞭と早苗がローガンビルの張込みを始めて十日経った。その間、ローガンはビルから一歩も外に出ず、その動向は全く分からなかった。早苗にもまだローガンの思念波が感得できていない。幸子は心臓の持病の状態が思わしくなく、モーテルのベッドで安静にしている。

 今日も瞭と早苗がルーチンワークとなったミラービルの張込みを続けていた。朝からミラービルの周りをウロウロして、時刻は既に午後四時を回っていた。

 車の助手席のシートにもたれて目を瞑っていた早苗が突然顔を上げた。

「瞭、胸騒ぎがするの。これから何か起きそう」

 早苗は眉をひそめて車の外を見た。早苗の大きな目がスッと細くなった。

「瞭、あれローガンの車だわ。ボディーガードたちのピリピリした意識が伝わってくる」

 ミラービルの裏通りの地下駐車場から黒塗りのバカでかいキャデラックが五台連なって出てきた。前二台が先導、真ん中の車を挟んで後方に二台が警護している。

「やっとお出ましだ、尾行してみよう」

 瞭は茶色のセダンのエンジンを掛けると、キャデラックの車列の後を追ってゆっくりとセダンを走らせた。

 五台のキャデラックの車列はクイーンズボロ橋を渡りブルックリンに入るとジョン・F・ケネディ国際空港に向かって走っていた。瞭は何台かの車を間に挟んでキャデラックの車列の後ろを付いていく。

「ねえ瞭、ひょっとしてこのまま空港にいくんじゃない?」

「そうだね、プライベートジェットだと追いかけようがないな・・・さて、どうしようか」

 ハンドルを握ったまま、瞭はキャデラックのテールランプをぼんやりと見つめている。瞭の頭の中は、これからの対応の検討でいっぱいになっている。

 空港まであと四キロを示す表示板を前にして車列は赤信号で停車した。瞭の運転するセダンは車列の最後尾のキャデラックの二十メートル後方に、二台の車を挟んで止まった。

 《瞭さん逃げて!》

 幸子からのテレパシーが瞭の頭の中に響いた。

「ローガンが殺されるわ!」

 助手席で早苗が叫んだ。

 ふたりのテレパスのシンクロした反応に瞭が面食らっていると、車列の最後尾のキャデラックが突然バックを始めた。真後ろに停車している車のフロントバンパーを掠めるようにかわすと、瞭たちの乗るセダン目掛けてスピードを上げる。キュルキュルという音とともにタイヤが空転して煙が上がる。

 セダンの横で急ブレーキを掛けたキャデラックのドアが蹴飛ばされたように開いて、三人の男が飛び出してきた。三人は拳銃を構えてセダンを取り囲んだ。早苗が小さくきゃっと声を上げた。

「両手を頭の上にあげてゆっくり降りてこい。ゆっくりだ」

 革のジャンバーを着てサングラスをかけた身長百九十センチ以上あると思われるリーダーの大男が運転席の横に立つと、手に持ったワルサーPPKを振った。車の外に出てこいという合図だ。本物の拳銃を目の前で見た早苗の顔は真っ青になっている。

「早苗ちゃん、逆らわないように。両手を見せてゆっくり外に出よう」

 瞭は早苗の目を見て大丈夫だと頷いた。瞭と早苗は両手を上げながら車の外に出ると、男たちに指示されるまま車の屋根に両手をついた。瞭は首を曲げてリーダーの男を見た。

「いったい何なんですか。僕たちは日本から観光にきた旅行者ですよ。理由を聞かせて下さい」

 リーダーの男は拳銃の銃口を瞭に向けたまま早口で言った。

「君たちの車が何日も前からミラービルの前の道路に止まっていたのは分かっているし、今日もミラービルを出たところから尾行してきたのも分かっている。こっちこそ理由を聞きたいな」

 男は残りのふたりに車の中を調べろと命令してから、素早く瞭のボディチェックを済ませると、早苗に向かってこっちへこいと合図した。早苗の顔が恐怖で引きつっている。

「女性に対して乱暴なことをすると・・・」

 瞭がそこまで言ったとき、信号が青に変わり四台のキャデラックが動き始めた。キャデラックは次々と交差点に進入した。

 ローガンの乗るキャデラックが交差点の中央まで進んだとき、赤信号を無視して左から大型トレーラーが交差点に突進してきた。ブレーキをかける気配もなく大型トレーラーはキャデラックの側面に激突した。

 真横に衝突されたキャデラックは、くの字にひしゃげるとスローモーションのようにクルクルと回り交差点の中央でひっくり返った。砕けたフロントガラスが雨のように路上に散乱する。キャデラックのドアの部分が引き千切られて捥がれた羽のようにまくれ上がっている。

 同時に交差点の右からも白いバンが突進してくると、四台目のキャデラックのフロント部分に衝突した。キャデラックのボンネットが跳ね上がり、エンジンから真っ白な煙が噴き上がる。

「クソッ、やられた。オイいくぞ!」

 瞭の隣に立っていたリーダーの男はそう叫ぶと交差点に向かって駆け出した。車の中を捜索していた残りのふたりも慌ててその後を追う。

 四台目のキャデラックに突っ込んでボンネットが大きく凹んだ白いバンのスライドドアが開き、迷彩柄の戦闘服を着て黒いマスクで顔を隠した三人の男が交差点上に飛び出した。男たちは膝をついて姿勢を低くするとM4―A1カービン突撃銃を構え、ボンネットの跳ね上がったキャデラックに向かって発砲した。タタタタという発砲音と共に銃口から閃光が走る。

 キャデラックの車体には蜂の巣のような穴が開き、フロントガラスが粉々に砕け散った。キャデラックから飛び出した四名のボディーガードは銃を構える間もなく銃弾を受けて、その場にバタバタと崩れ落ちた。

 トレーラーの運転席と白いバンの運転席からも突撃銃の銃口が突き出されて銃撃が始まり、瞭たちのセダンの横から走って行った三人のボディーガードも交差点にたどり着く前に銃弾を受けて次々に倒れた。

「早苗ちゃん、危ない、車に入って!」

 瞭は早苗に駆け寄るとセダンの中に押し込み、早苗を助手席の床に伏せさせると上から覆いかぶさった。セダンの周りの路面のアスファルトが流れ弾を受けてビシビシと音を立てて小さな破片をまき上げる。

 白いバンから出てきた襲撃者のひとりが立ち上がると、交差点の中央でひっくり返っているキャデラックに走り寄った。襲撃者はまくれ上がったドアの下から中を覗くと、後部座席でシートベルトに絡まったまま動かない血だらけのローガン・ミラーの頭部に突撃銃の銃口を当てて引き金を引いた。

 車列の前方を護衛していた二台のキャデラックがバックで交差点まで戻ってくると、キャデラックから数人のボディーガードが飛び出してきた。

 白いバンがタイヤを空転させながら急発進を始めた。

 交差点上の三人の襲撃者は白いバンに向かって走り、開いているスライドドアから車内へ転がり込んだ。白いバンは交差点上で煙を上げているキャデラックの残骸を押しのけるようにして走り去った。

 白いバンが急発進を始めたと同時に、トレーラーも真っ黒い排煙を吐き出しながら動き出した。

 トレーラーは交差点で大きくハンドルを切って右折を始めたが、銃弾を受けてパンクしたタイヤのせいで真っ直ぐに進めない。ハンドルを取られて左右に大きく蛇行しながら走るトレーラーは、瞭たちのセダンの横に止まっているキャデラックに正面から衝突した。衝撃でキャデラックは後方に弾き飛ばされ、トレーラーはバランスを崩してゆっくりと傾くと横転して動かなくなった。

 銃声が止んだ。瞭はゆっくりと身体を起こして周囲を見回した。瞭の目の前でトレーラーが道を塞ぐように横転している。路上には衝突の衝撃で割れて飛び散ったトレーラーのフロントガラスの破片が散乱している。

「大丈夫かい」

 瞭が身体を起こして早苗に声を掛けると、早苗は「ええ」と小さな声で答えて顔を上げた。早苗の顔はこわばり鳶色の大きな瞳が潤んでいる。

 そのとき、セダンの後部ドアが突然開き、トレーラーの運転手が後部座席に乗り込んできた。それはチームマーズのジョン・ハリスだった。

「運転しろ、早く、Uターンだ!」

 ジョンは叫びながら瞭の頭に拳銃を突きつけた。ジョンは右肩に銃弾を受けているらしく右腕はだらりとぶら下がっていた。シャツの右袖はぐっしょりと血で濡れていて、額からも血が滴っていた。

「早くしろ!」

 ジョンは左手に握った拳銃の銃口で瞭の頭を小突いた。

 瞭はエンジンを掛け、目の前に停車している車の後部バンパーを擦りながらセダンをUターンさせると、アクセルを目一杯踏み込んだ。トレーラーを追って走ってきたローガンのボディーガードが瞭のセダンに向かって発砲し、リアウインドウにビシビシと穴が開いた。早苗が頭を抱えて小さな悲鳴を上げる。

「もっとスピードを上げろ」

 ジョンは後方に目をやりながら叫んだ。後方の道路は横転したトレーラーが道を塞いでいる。瞭たちの乗るセダンを追跡してくる車の姿はなかった。

 ニューヨークとブロンクスの両警察署ではパニックが起きていた。

 何者かによって指令システムと緊急通報システムが一斉にダウンさせられ、市民からの通報が不通になっていた。加えて、何者かによって全パトロールカーと警察官に対してニューヨーク国連本部ビルでテロ事件が発生したという架空の情報提供と現場への急行が指示されていた。いずれもゼータの仕業に違いない。

 ローガンの車列が襲撃され多数の死傷者が出たときには、警察機能は完全に麻痺していて、ブロンクス市街にはパトロールカーや警察官の姿がなかった。

 ローガンの車列を襲撃して現場から逃走したチームマーズの白いバンは、警察に追跡されることもなく、そのまま行方をくらませた。


 瞭の運転する茶色のセダンは、ジョンの指示でブルックリン市街地の細い通りを何度か曲がり、スタテン・アイランドを抜けるとニュージャージー州に入り、ニューアーク港の広いコンテナヤードの中で停車した。狭い通路の両側には大きなコンテナが幾つも積み上げられている。

 ローガンの車列襲撃から二時間近くが経ち、辺りは薄暗くなってきた。周囲に人影はない。瞭が車のエンジンを切ると張り詰めた静寂が訪れた。遠くから悲しげな汽笛が響いてくると、その残響をかき消すように、潮の香りにオイルの臭いが混じった風がザアッと通路を吹き抜けた。

 ジョンが携帯電話を手に取った。

「デイビッドか、ジョンだ。・・・ああ大丈夫だ、右肩を撃たれたがな。現在地はニュージャージーのニューアーク港のコンテナヤードだ。・・・人質の車は茶色のセダンだ。・・・三十分後・・・了解。始末する」

 ジョンは携帯電話を切ると、瞭と早苗の顔を交互に見てニヤニヤ笑った。ジョンを睨みつけている瞭の横で、早苗は恐怖で両目を見開いている。

「助かったぜ。ありがとよ」

 ジョンはニヤニヤした笑いを突然引っ込めた。痩せた髭面に凶暴な色が浮かぶ。

「悪いな、顔を見られているんでね」

 ジョンは無造作に拳銃の銃口を瞭の額に向けた。早苗の悲鳴があがった。

 ・・・殺される・・・

 銃口を見つめながら瞭の頭の中が真っ白になった。

 《瞭さん、サイコキネシスを使うのよ!》

 瞭の頭の中にテレパシーで呼びかける幸子の声が響いた。

 ・・・サイコキネシス?・・・僕に使えるのか?・・・

 《瞭さん、いまサイコキネシスを使わなければ貴方も早苗も殺されるのよ!》

 ・・・僕も早苗ちゃんも殺される・・・クソッやられてたまるか!・・・

 瞭の頭の中が熱くなった。

 額の内側がチリチリと焼けるように音を立て始めた。前頭葉がポッと温かくなり、その熱は前頭葉から側頭葉・頭頂葉・後頭葉へと広がっていく。やがて頭の中全体が沸騰したお湯のようにグラグラと煮立ってきた。脳が膨張して頭蓋骨が破裂しそうだ。耳の奥で、血流が流れる音がドクリドクリと響く。

 ・・・曲がれ、曲がれ、曲がれ・・・

 瞭はジョンの拳銃を持った腕を曲げようと必死に念じた。

 ・・・曲がれ、曲がれ、曲がれ・・・

 ・・・ダメか! ダメだ曲がらない・・・

 ・・・曲がれ、クソッ、曲がりやがれ!・・・

 ジョンの引き金に掛けた指に力が加わりゆっくりと引き金が動き始めた。

 ・・・もう駄目だ・・・

『念じるんじゃないのよ。コインが宙に浮いた姿を思い浮かべて』

 瞭の頭の中にリリーの声が蘇った。

 ・・・そうだ、腕が曲がった姿をイメージするんだ・・・

『仮想空間と現実空間を置き換えるのよ』

 ・・・腕が曲がった姿・・・

 ・・・腕が曲がった姿・・・

 瞭の頭の中にイメージが浮かび、やがて網膜にぼんやりとした映像が浮かんできた。目の前のジョンの実像と重なって、ジョンの姿が二重に見える。

 ジョンは薄ら笑いを浮かべたままで、引き金に掛けた指は動かず固まっていた。

 ・・・なぜ撃たないんだ?・・・止まっている?・・・時間が・・・時間が止まっている!・・・

『意識の世界、脳内の記憶フィールドでは時間の概念がないのです』

 明石の声が聞こえた。

 ジョンが引き金を引く寸前で時間が止まっていた。瞭は時間の概念の狭間にいるのだ。瞭の脳内では猛烈にネオニューロンが活性化して念動波を発生し、仮想空間と現実空間の置き換えが試みられていた。

 瞭の網膜にぼんやり浮かんだ映像は濃淡を繰り返していた。

 ・・・ジョンの左腕が真後ろに曲がっている・・・

 ・・・ぼやけて消えそうだ・・・まて・・・

 ・・・いや、はっきりと見えてきた・・・

 ・・・はっきりと・・・

 ・・・もっとはっきり・・・目の前にある・・・

 ・・・目の前に!・・・

 瞭は額の裏側から頭蓋骨を突き破って高温のエネルギーが迸り出たように感じた。前頭葉がビリビリと激しく痙攣している。

 ドン! ジョンが引き金を引いて轟音が響いた。

 拳銃を持ったジョンの左腕は肘と手首の中間のところで捻じれて、真後ろに百八十度曲がっていた。その状態で発射された四十五口径の銃弾はジョンを掠めて真後ろに飛んだ。リアウインドウが粉々に飛び散った。

「何だ? 何が起こったんだ・・・」

 ジョンの狼狽えた声が上がる。ジョンには何が起こったのか分からない。銃弾が真後ろに飛んだ、なぜだ。ジョンは腕が捻じ曲げられた痛みを感じていない。

 ジョンの視線が自分の左腕に落ちた。

「ヒイッ、腕が・・・腕が・・・」

 グニャリと真後ろに捻じ曲がった自分の左腕を見て叫び声を上げたジョンは、背中を丸めると曲がった左腕を抱えるようにして車から飛び出した。

「キャー!・・・?」

 銃声と共に発せられた早苗の悲鳴は途中で消えて、早苗はポカンとした顔で瞭を見ている。

「大丈夫だよ」

 瞭は笑みを浮かべると早苗の頬を優しく撫でた。

 瞭はゆっくりと車から降りると、コンテナの谷間の細い通路を逃げていくジョンの背中を睨みつけた。瞭の頭の中はまだ沸騰していた。前頭葉が痙攣しているようにビリビリと振動している。

 ・・・逃がさない。吹き飛ばしてやる・・・

 瞭の脳内にジョンが宙に舞う映像が浮かんだ。不意に瞭の視界がグニャリと歪み現実の風景が脳内の映像と置き換わる。瞭の右手が前に突き出された。瞭の掌から生体エネルギーの奔流が迸った。

 ジョンは強い力で後から突き飛ばされたように三十メートルも前方に飛ばされ、恐ろしい勢いで正面に積まれていたコンテナに激突した。グシャリとジョンの身体が潰れた。

 鋼鉄製のコンテナはまるで巨人の拳に一撃されたように、ジョンが激突した部分が大きく凹んでいた。

 瞭のサイコキネシス能力が発現した。


 三十分後、白いバンを途中で乗り捨て、灰色のRV車に乗り換えたデイビッドたちがニューアーク港のコンテナヤードに到着したが、ジョンが人質と一緒に乗ってきたはずの茶色のセダンが見当たらなかった。

 コンテナが積まれた間の細い通路を、デイビッドはゆっくりと車を進めながらジョンの携帯電話に電話を架けたが応答がない。通路の角を曲がると車のヘッドライトの光の輪の中に大きくひしゃげたコンテナが浮かび上がった。助手席のカルロスが声を上げた。

「何だ・・・コンテナが潰れている。あれ、ジョンじゃないか?」

 ひしゃげたコンテナの前で車を止め、デイビッド、カルロス、ジェイソンの三人は車を降りた。ダニエルとケビンは今日の襲撃で腕や足に銃弾を受け、車の後部座席で寝ていた。

 カルロスがコンテナに上り、ぼろきれのようになっているジョンの死体に近づいた。

「やっぱりジョンだ、間違いない。ひでえ、身体がグシャグシャだぜ。何があったんだ」

 死体のそばに膝を突いたカルロスは周囲を見回すと、大きく凹んだコンテナを見て首を傾げている。ジェイソンはブツブツと呟きながらしきりに胸の前で十字を切っていた。悪魔の仕業とでも思っているのだ。

「カルロス、降りてこい。もうここには用はない。引き上げるぞ」

 デイビッドは感情のない声で命令すると、コンテナに背中を向け、車に向かって歩き出した。ジョンがどうやって殺されたのかなど、デイビッドにとってはどうでもいいことなのだ。死んでしまえば、それで終わりだ。ジョンの取り分の報酬は、やつの、飲んだくれのお袋に送ってやる。

 コンテナヤードを後にした車の中でデイビッドはチームマーズのメンバーに話しかけた。

「今日のミッションは久しぶりにきつかったな。ローガンは射殺。これで俺たちチームのポイントは八点、残りの四人のターゲットのうちひとりでも殺れば俺たちがボーナスゲットだ。ロシアと香港は後回しだ、カリフォルニアに住むふたりに的を絞る。小説家のシャロン・テイラーとゼネラルソフト社のCEOジェフ・マクラネルだ。ダニエルとケビンの傷の応急手当てが終わったらカリフォルニアに向かうぞ」

 チームマーズを乗せたRV車は闇の中に走り去った。コンテナヤードに静寂が戻った。

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