超能力者の集結
七月二十五日 東京都
明石の部屋の粗末なテーブルを囲んで、瞭、明石、幸子親子の四人は座っていた。
幸子は疲れた顔をして目の下に隈を浮かべながらも、しっかりとした口調で人類の厄災を予知したこと、記憶生命体のこと、佐渡博士と神宮寺孝晴の関係と世界賢人連盟のこと、佐渡博士の死亡の状況、人類の厄災が記憶生命体によって引き起こされることを話した。
黙って聞いていた瞭が顎を指で擦りながら、分からないという風に首を傾げて幸子に尋ねた。
「予知によって未来の出来事を知ることができるということは、未来の出来事はあらかじめ決まっているのでしょうか。それが幸子さんには見えたと・・・」
幸子は、これは佐渡博士から以前に聞いた話だと前置きしてから言った。
「未来の出来事は決まっているのではなく、無限のバリエーションの未来がある中で、何らかの要因でそのバリエーションの中のひとつが『現在』として確定していくのだそうです。その確定した現在の積み重ねが『過去』となります。ですから過去は確定していますけど、未来の出来事は確率的にしか存在しないということになります。ですから私の予知が外れることもあります。
未来に起こる出来事で非常に大きなインパクトのあるもの、言い換えると、未来のバリエーションの中で多くに共通して発生するいわば発生確率が極めて高いものがあると、それは大きな波動を次元の全方位に波及させます。予知とはその波動を感得して未来の出来事のイメージを意識の上に構築することなのだそうです」
「未来の波動が時間を遡って過去に伝わってくるということでしょうか」
瞭はまだ首を傾げている。
これも佐渡博士から聞いた話だと前置きして幸子が続けた。
「時間というものは、みんな知っていて便利に使っていますけど自然界に存在するものではない、単なる概念です。例えばそれは数字のようなものです。時間の流れとは何かということを説明できません。
経過した現在の積み重ねが『過去』、そして『現在』、その先に無限のバリエーションという進路をもつ『未来』、これが次元という面の上で繋がっているだけです。これは川の流れのようなもので、『現在』が蓄積していくという流れは変えられませんし、流れを遡行することもできません。
例えば、川の中に大きな石を投げ込むとその波紋は川面を全方位に伝わっていきますよね。川下に投げ込まれた石が起こした波紋を上流の舟で感知する、これが予知なのです。でも川の流れに乗っている舟の進路が何らかの要因で変化して、大きな石が投げ入れられた場所を通らないこともあります。予知が外れるとはこのことです」
瞭は「分かりませんけど分かりました」と意味不明な言葉を口にしてから続けた。話を先に進めるにはこれしか言いようがないのだろう。
「そうすると、幸子さんが予知した人類の厄災とは、未来において非常に高い確率で発生する大きなインパクトのある出来事で、それが記憶生命体により引き起こされるということですか。そして多くの人類が厄災に巻き込まれると。その厄災とは具体的にどのようなものでしょうか」
幸子は頷くと軽く目を閉じた。
瞭の脳内に幸子が予知した厄災のイメージがテレパシーで転送された。瞭の脳内が厄災のイメージで埋め尽くされた。瞭はウワッと声を上げると頭を抱えて思わず目を閉じた。目耳鼻舌皮膚といった感覚器を経由せず、直接脳内に他者からの情報が伝達されるという初めての経験に、瞭の脳が驚いている。
必死になってイメージを整理した瞭は首を振りながら顔を上げると幸子を見た。
「まるで核戦争だ・・・イメージに浮かんだ男の狂気によって核戦争が引き起こされるのでしょうか」
明石が貧相な顔に苦悶の色を浮かべて言った。
「男の顔が融けて現れた光の束の集合体は・・・あれは私が神宮寺孝晴の脳内で感得した記憶生命体のイメージと同じなのです。幸子さんがおっしゃるとおり、人類の厄災は記憶生命体によって引き起こされるのでしょう」
「それでは、神宮寺孝晴の脳内に共生している記憶生命体が犯人だと、明石さんはおっしゃるのですか?」
瞭の問いに明石が首を横に振った。
「分かりません。他の記憶生命体とは接触したことがないので、何とも答えようがないのです」
明石は自信なさげに下を向いた。
早苗がテーブルをバンと叩いて声を上げた。大きな鳶色の瞳が怒りに燃えている。
「人類の厄災を引き起こすなんてとんでもない、絶対に阻止しなきゃ。記憶生命体をやっつければいいんでしょう。その世界賢人連盟とかのメンバーの脳内に共生しているやつらを」
早苗は興奮した顔で、どうだと三人を見回した。早苗の剣幕に、幸子と明石は顔を見合わせた。早苗の興奮を冷まそうとするかのように、瞭が静かに口を開いた。ここは一旦落ち着いて、頭の整理をする必要がある。
「幸子さんの予知が外れる・・・いや外すためには、元凶となる記憶生命体を消滅させるしかないでしょう。その点に疑いはない。
但し、その元凶となる記憶生命体が世界賢人連盟のメンバーのだれかひとりの脳内に共生している一体の記憶生命体なのか、それとも複数なのか、あるいはすべての記憶生命体が元凶なのかが分かりません。
それに、元凶である記憶生命体を消滅させるために、宿主である世界賢人連盟のメンバーを一般人の僕らが殺すというのは現実的に無理です。ましてや、ターゲットとなる記憶生命体が特定できないからといって、世界賢人連盟のメンバー全員を殺すなんてできません」
瞭の反論に早苗は口を尖らせた。
「そりゃあ人殺しは無理だけど・・・」
瞭が続けた。
「となれば、宿主を殺さずに記憶生命体だけを消滅させるしかない。明石さんの力に頼るしかないということです」
瞭と早苗と幸子が、下を向いて話を聞いていた明石を見た。三人に見つめられた明石は、心もとないような表情で三人を見返した。明石には踏ん切りがつかないのだ。
「厄災の元凶となる記憶生命体ではない・・・『善良な』とでもいうのでしょうか・・・善良な記憶生命体も消滅させるのですか。そのう・・・元凶となる可能性があるから消滅させる、特定できないから全て消滅させるという理屈は、何だか人類の立場に寄り添い過ぎている気がするのです」
瞭はうっと呻くと下を向いた。痛いところを突かれた。明石の言うとおり、すべては人類側からの視点だ。
「それはそうですが・・・。ターゲットとなる記憶生命体を特定する方途を考える、あるいは、少なくとも特定する努力を怠ってはならないと明石さんはおっしゃるのですね」
明石が静かに頷く。人類の生存権を主張するのなら、記憶生命体の生存権も考慮しなければ片手落ちだ。
「とにかく、このまま何もしないで人類の厄災の日を迎える訳にはいかないわよ。やるしかないわ。人類でこのことに気付いているのは、私たちだけだもの」
早苗は大きな目をキラキラと光らせて瞭と明石を交互に見た。瞭はやるしかないと腹を括っている。明石はまだ踏ん切りの付かない様子で眉間にしわを寄せて腕を組んでいる。
幸子が静かな声で明石に語りかけた。
「世界賢人連盟のメンバーと接触を図る過程で、ターゲットとなる記憶生命体が特定できるような新しい情報が得られるかもしれませんし、何かを予知するかもしれません。接触して善良な記憶生命体であることが分かれば、こちらから協力を要請することもできるのではないでしょうか」
「分かりました、とにかくやって見るのです」
明石がやっと頷いた。
早苗は明石がやる気になったのを見て満足そうに言った。
「世界賢人連盟のメンバーの名前と住所は、お母さんが持ってきた佐渡博士のUSBメモリに入っていると思うわ。それじゃあ、私たちで人類の厄災を阻止するための記憶生命体の駆逐ミッションに取り掛かるということで決定ね。手始めは、一番近くに居る神宮寺孝晴よね。問題は、神宮寺孝晴の脳内に共生する記憶生命体が人類の厄災の元凶かどうかを、どうやって見極めるかよね」
早苗がどうしたものかと腕を組んだ。
神宮寺の名前を耳にして、瞭の表情が険しくなった。腹の底で怒りがムクリと頭をもたげた。
「神宮寺孝晴の脳内に共生する記憶生命体は、僕の先輩ジャーナリスト東山輝明の殺害を指示した首謀者です。明石さんが偽名で身を隠しているのも、こいつに命を狙われているからでしょう。こいつは人類の厄災との関係の有無にかかわらず、絶対に消滅させなければなりません。東山さんの敵討ちです。
実は僕と明石さんは、秘かに神宮寺をつけ狙っていたんです。二日前には羽田空港で接触を試みましたが失敗しました。神宮寺商事の本社ビルや神宮寺の自宅はセキュリティが厳しいですが・・・なあに、もう一度接触する方法を考えてみますよ」
瞭がそう言うと、羽田空港での失敗を思い出したのか、明石がしょんぼりと下を向いた。口の中でモゴモゴと何か呟いている・・・申し訳ないと謝っているようだ。
幸子は頼もし気に三人を見回した。幸子の頭の中にはある男の顔が浮かんでいる。
「もうひとり、助っ人を呼びましょう。サイコキネシスが必要な場面がきっと出てきます。それに、瞭さんのサイコキネシスの発現にも力になってくれるはずです」
サイコキネシスと聞いて明石が目を剝いた。
「まさか、城島竜次」
「そのまさかです」
幸子はニコリと笑った。
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神宮寺商事会長の神宮寺孝晴は、千葉市緑区にある神宮寺商事電子機器開発研究部第二研究棟の一室で意識不明の状態で発見され、直ちに帝都大学附属病院の特別室に収容された。佐渡博士の遺体は、千葉県四方木山中の崖下に転落して炎上した車の中から発見された。
神宮寺商事では、神宮寺が意識不明の状態で発見される前日に、神宮寺の手で全ての業務が新体制へ引き継がれていた。まるで、この事件が起こることを察知していたかのように。神宮寺商事の新会長と新社長以下、取締役会のメンバーはこの事件をもみ消すことにして、対外的には神宮寺は軽度の脳梗塞を発症したため役職を全て退き、現在は病院に入院して静養中と発表した。
神宮寺が発見された部屋で頭部にラジオペンチを突き立てられて死んでいた身元不明の男性の遺体は、神宮寺商事秘書室の手で秘かに千葉県の山中に埋められた。
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七月三十一日 東京都
新宿区歌舞伎町二丁目にある雑居ビルの四階にバー『黒鳥の館』がある。店には狭いカウンターとボックス席がふたつ、それにショーを見せる小さな舞台があった。
白鳥リリーは接客の傍らクローズアップマジックを見せて客を喜ばせていた。
「よく見ていてね。こっちの手の中にコインを握るわよ、そしてこうやって手を軽く振ると・・・ほら消えた」
「すごーい。全然分かんなーい」
「じゃあ、あなたのグラスの下のコースターを上げてみて」
「こんな所に、いつの間に? すごーい」
真っ赤な牡丹の花を大胆にあしらった着物をキリッと着こなした裕子ママが近寄ってきて、リリーの肩に軽く手を乗せるとハスキーな声を掛けた。
「ほんと、リリーちゃんのマジックって凄いわ。この前店にきたプロのマジシャンが、種が分かんないって驚いていたもんね。プロが見てもよ、凄くない?」
「ママ、おだてないでよ。嫌ねぇ」
言葉では嫌がっているものの、リリーはまんざらでもない顔をして鼻の穴を広げている。マジックの種が分かるはずがないのだ。そもそも種はないのだから。
カランとベルの音がして店のドアが開いた。
「いらっしゃーい」
リリーが上機嫌な声を上げて、入口に立っているふたり組に近寄った。そして、客の顔を見た途端、リリーはその場で棒立ちになった。
客は明石と瞭だった。痩せて貧相な顔に笑みを浮かべて明石がリリーに声を掛けた。瞭は興味深げな顔で店の中を覗いている。
「城島くん、久しぶりなのです。元気そうなのです」
「明石・・哲朗・・」
城島と呼ばれたリリーは口を半開きにして呆然としていた。リリーを見た瞭は、明石の横に立ったまま眼を白黒させていて声が出ない。三人は店の入口で無言のまま固まっていた。
店の奥のカウンターに腰掛けていた裕子ママがリリーに声を掛けた。
「何よリリーちゃん、そんな所で突っ立ってないで。ほら、早くお客さんに中に入って貰いなさいよ、逃げられちゃうじゃない」
裕子ママは入口まで出てきて瞭の腕に自分の腕を絡ませると、有無を言わさず店の中に引っ張り込んだ。恐ろしい力に瞭の肩の関節が危うく脱臼するところだった。
「とにかく・・・いらっしゃいませ。リリーでーす。こちらへどうぞ」
リリーはぎこちない動きで先導するとふたりをボックス席に案内した。
ボックス席に座りおしぼりで手を拭きながら、隣に座ったリリーをチラリと横目で見た瞭が明石に小声で囁いた。
「こちらが城島竜次さん?」
「いやだ、やめてよ」
リリーは甲高い声で叫ぶと瞭の腿を思いきり抓った。瞭はペンチで抓まれたかと思うような痛さに飛び上がった。
リリーは肩まである金髪の巻き髪にフリルの付いたピンクのドレスを着ているが、がっしりとした体形とえらの張った顎にある濃い髭剃り跡は、どぎつい化粧でも隠せない。「どうぞ」と言って瞭に差し出した水割りのグラスを持つ真っ赤なマニキュアをした指は、太く節くれだっていて、ごつい毛が何本か生えている。
『黒鳥の館』は裕子ママが経営するニューハーフバーだった。
リリーはあっけらかんとした顔をして水割りをグイグイ飲み、勝手に注文したつまみのチキンバスケットをムシャムシャ食べ始めた。そしてしこたま水割りを飲みチキンを腹に納めると、小さなゲップをしてから、付けまつ毛で半ば隠れた目をギロリと上げて明石を睨んだ。
「明石ちゃん、何か用なの」
明石は両手を膝の上に置いたまま貧相な顔を上げた。目の前のテーブルの上の水割りは氷がほとんど溶けている。
「実は、城島くんの・・・」
リリーは慌てて手を振った。
「ちょっと、その名前は使ってないの。いまは白鳥リリーよ。リリーって呼んで頂戴」
リリーはきっぱりと宣言すると、明石の前に置かれているグラスを取って氷の融けた水割りをガブリと飲んだ。毒気を抜かれたような顔でリリーを見ていた瞭は思わずつられて手に持った水割りをグビリと飲んだ。
明石は了解したという意味でうんと頷いてから、リリーに向かって身を乗り出した。明石の貧相な顔には真剣な色が浮かんでいる。
「実はリリーさん、折り入ってお願いがあるのです。城・・リリーさんの力を貸してもらいたいのです。あの力を」
リリーはギョッとした顔で明石を見た。
「明石ちゃん、あんたまだあの研究所から追われているの? ヤバい状況? この色男は用心棒なの?」
リリーは瞭にチラリと目をやってから、瞭の腿をまた抓った。瞭は痛みで身を捩る。
「私だけではないのです。人類の厄災が近づいているのです。それを阻止するためにリリーさんの力が必要なのです」
リリーは信じられないという顔をして首を振った。金髪の巻き髪がそれに合わせて可憐に左右に揺れる。
「人類の厄災って、何か凄い話だけど、女のあたしで大丈夫かしら」
瞭がクスッと笑うと、鼻の穴を広げたリリーが瞭の腿をまたまた抓った。瞭がギャッと叫び声をあげる。瞭の腿には酷い痣が残るに違いない。
「とにかく、ここでは何ですから、これから私の部屋にきて話を聞いて欲しいのです。幸子さんも居ますから」
「何、あんた幸ちゃんと結婚したの?」
リリーが『ほう』という顔をしたが、明石は慌てて否定した。
「違うのです、幸子さんは私のところに避難してきたのです。私が言った人類の厄災とは幸子さんが予知したことなのです。そして幸子さんはリリーさんの力が必要になると言ったのです」
幸子の予知だと聞いたリリーは急に真面目な顔になった。
「分かったわ」
リリーはすっくと立ちあがりカウンター席の裕子ママのところにいった。そして瞭と明石の前に戻ってくると小さな紙切れを明石に差し出した。
「はい、お勘定。おふたりで合計四万円。端数はサービスしといたわ、つけはダメよ」
明石があんぐりと口を開けた。
二時間後、リリーは明石の部屋で粗末な椅子に腰掛けていた。隣には瞭が座りテーブルを挟んだ向かい側には明石と幸子が座っている。
化粧を落としたスッピンのリリーのえらの張った四角い顔は、沖縄の屋根にいるシーサーにどこか似ている。金髪のカツラは着けたままだった。リリーによるとこれは地毛らしい。
幸子の話を聞くと暫く俯いて何かを考えていたリリーは、吹っ切れたように顔を上げた。
「話は分かったわ。幸ちゃんの予知なら疑いようがないわね。一緒にやるわ」
リリーはきっぱりと言った。幸子と明石はほっとした顔で頷いた。
特殊潜在能力研究所で生み出された三人の超能力者を前にして、瞭は調査結果を報告した。
「最初のターゲットである神宮寺孝晴ですが、現在の所在は不明です。神宮寺商事の発表によると、軽度の脳梗塞を発症して入院しているらしいんですが、妙にガードが固くてどこの病院なのかが分からないんです。僕のジャーナリスト仲間に声を掛けて、調べて貰っていますので、もう少し待ってください」
瞭が現状を説明すると、隣に座っているリリーが興味深げな顔で瞭を見た。
「ところで、このいい男は誰、紹介してよ。やっぱり用心棒?」
リリーがまた瞭の腿を抓ろうと手を伸ばした。瞭は慌てて飛び退いた。
「申し遅れました。僕はフリーのジャーナリストで矢沢瞭といいます。僕はある殺人事件の犯人を突き止めようとしてこの件に巻き込まれただけで、用心棒ではありません」
瞭は『巻き込まれた』という部分に力を込めた。
リリーが何だつまらないという顔をすると、幸子が慌てて付け加えた。
「城島、いやリリーさんも覚えているでしょう。あの当時、研究所の居住棟に居た妊婦さん。瞭さんは彼女の子供です。そしてリリーさんと同じ能力を持った超能力者です・・・いまは未発現だけど」
リリーは驚いたような顔をしてまじまじと瞭の顔を見た。やはりシーサーによく似ている。
巻き込まれた言う瞭も、その過去において特殊潜在能力研究所で明石や幸子やリリーと交差していた。瞭が巻き込まれたのは偶然ではない、必然なのだ。
そこに食料品の調達に出ていた早苗が両手に大きな買い物袋を抱えて帰ってきた。
「ただいま。ああ重かった、瞭に手伝って貰えばよかったわ。とりあえず二、三日はこれで何とかなるわ」
テーブルの上にドサリと買い物袋を置いた早苗は、リリーの姿を見てギョッとした顔をした。幸子は早苗と並ぶと「娘の早苗です。私と同じテレパスなの」とリリーに紹介した。
早苗はおずおずと頭を下げた。頭の中は千々に乱れている。
「初めまして、明日香早苗です。えっと・・・白鳥・・・リ・・・リリーさん? あの・・・ニューハーフ?・・・」
早苗の挨拶は最後の方がうまく聞き取れなかった。リリーがニッコリと笑った。
「あら可愛い、幸ちゃんの若い頃に生き写しじゃない。ウフフ、白鳥リリーです。よろしくね。リリーって呼んで頂戴」
リリーは金髪のカツラを被り直して早苗にウインクした。
「幸っちゃんの子供か・・・ときの経つのは速いわね。こうなると、明石ちゃんの子供も出てきそうね」
リリーの呟きを聞いた瞭が笑った。
幸子はテレパシーで明石とリリーにだけメッセージを送った。
《厄災を予知したとき、明石さんとリリーさんの顔が見えたの。何者かと戦っていたわ。そして・・・・》
明石とリリーは幸子からのメッセージの意味を理解すると表情を引き締め、黙って頷いた。特殊潜在能力研究所で生み出された三人の超能力者は、何かに腹を括ったようだ。
リリーはあっけらかんとした声を出した。
「それじゃあ、瞭ちゃんのサイコキネシスを試させてもらおうかしら」
リリーは、今度は瞭に向かってウインクした。瞭は慌てて手を振った。
「幸子さんは僕が超能力者の遺伝子を受け継いでいるとおっしゃいますが、僕自身はそんな能力をこれっぽっちも感じたことはありません。サイコキネシスなんてとんでもない」
リリーがフンと鼻で笑った。
「未発現の状態ならトレーニングしなきゃ。いつ瞭ちゃんのサイコキネシスが必要になるか分からないもんね。よし、それじゃあ、あたしが手本を見せようかしら」
リリーは台所から金属製のスプーンを一掴み持ってきた。サイコキネシスを初めて目にする早苗も瞭の隣に座って興味津々で目を光らせている。
「まずは簡単な奴から」
リリーはスプーンを一本手に取った。
「見てて頂戴」
リリーがスプーンの柄の部分を持って目の前に掲げて少し眉をひそめた途端、スプーンの首から上の部分がグニャリと後ろに倒れた。
「曲がった!」
「すごい!」
瞭と早苗が揃って子供のような歓声を上げた。リリーは得意気に鼻の穴を広げている。
「こんなの朝飯前よ」
リリーは持ってきた五本のスプーンを次々に曲げた。瞭と早苗は曲がったスプーンを手に取ると、曲がった部分を指で擦ったり、曲がりを元に戻そうと力を込めたりしている。
「ダメだ、硬くて元に戻らない。こんな硬いスプーンを持っただけで曲げるなんて・・・」
瞭はどうやっても元に戻らないスプーンをテーブルの上に放り投げた。瞭と早苗が称賛の目でリリーを見ているその横で、明石が渋い顔で「スプーンが使えなくなったのです」とぼやいた。
「フン、直せばいいんでしょ」
リリーは口を尖らせて言い返すと、今度は曲がったスプーンを手に取って次々と元に戻した。元の状態に戻ったスプーンには傷ひとつ付いていない。早苗がスプーンを二本手に取って打ち合わせるとチンチンと硬質な金属音がした。これは手品ではない、種も仕掛けもないのだ。早苗がウウムと感嘆の息を漏らした。
次にリリーはポケットからコインを一枚取り出すと、右の掌に載せて瞭と早苗に見せた。
「今度はちょっと難しいわよ。よく見ていてね。いくわよ」
リリーの両目が少し中央に寄り、顔面が紅潮した。一瞬コインが揺れたかと思うと、リリーの右の掌からコインがフワリと十センチほど浮いた。
「浮いた!」
瞭と早苗の目はコインに釘付けになっている。早苗はコインと掌の間の空間に指を差し入れて、間に何もないことを確認すると感心したようにホウッと息を吐いた。
「こんなもんじゃないのよ」
リリーがそう言うと、リリーの掌の上でゆっくりと回転していたコインは、突然すごいスピードで前方に飛んだ。コインは激しい勢いで壁に衝突した。コインが半分壁にめり込んでいる。まるで銃弾だ。
「凄い! これが本物のサイコキネシスですか!」
瞭が声を上げた。明石はコインのめり込んだ壁を見て憮然とした顔をしている。
「修繕費を払って貰うのです」
明石のボヤキを完全に無視してリリーは瞭に声を掛けた。
「じゃあ瞭ちゃん、やって見て」
リリーが瞭にコインを一枚渡した。瞭はコインを掌に乗せると、息を止め意識を集中させたが何の変化もない。ぷはっと息を吐いて駄目ですと首を横に振った。
「どういう風に念じればいいんでしょうか・・・浮かべ、浮かべという感じで?」
リリーはバカねと言ってから真面目な顔をして答えた。その顔はやはりシーサーに似ている。
「念じるんじゃないのよ。コインが宙に浮いた姿を思い浮かべて、それを目の前の現実と意識の中ですり替えるのよ。意識内の仮想空間と現実空間の置き換えね。額の内側がチリチリと音を立てるように痺れてきて、目の前にふたつの景色が重なり合って見えてきたら、変えたい方の景色をより鮮明に意識にして前に引き出すのよ」
リリーは自分の額を指差した。そして持っていたコインを瞭に渡した。
「さあ後はトレーニングね」
瞭は受け取ったコインを握りしめると頷いた。
「サイコキネシスでどれくらいの重さの物まで動かせるんでしょうか」
「仮想空間と現実空間を念動力で置き換えるんだから、重さや大きさは関係ないの。問題はその物の重さや大きさを自分で経験的に学習しているから、重いとか大きいとかを意識してしまうことで仮想空間を思い浮かべることができないことが問題なの。だから『地球の自転を止める』なんてことは、いくら何でも無理よね。想像できないもん」
そう言ったリリーが横を向き右手をスウッと上げると、壁の脇の大きな本棚がフワリと宙に浮いた。




