003:リンクス商隊
「――これ、元に戻るんですか?」
泉の上に浮かぶ、空間に入った黒い亀裂を見て、エーファは横にいるノアの方をもう一度向く。
「どうだろう。こんなに長く『虚空』が残ったことはないから……泉の魔力で存在を保ってるのかもしれないな」
「頭が変になりそう。これがだまし絵ってやつ?」
あらゆる角度から亀裂を眺めた後、クルトが呟く。
「これ手とか入れたらどうなるんだろう」
「やめとけ。何が起きるかわからない」
「そこに”無”が”在る”……あまり真剣に考えない方が良さそうです。何かちょっと不気味ですし」
三人は、異常な光景には一旦目を瞑ることとし、少年は念願の幻月花の採取に取り掛かる。
彼が村から持ってきたガラス瓶へ半分ほど泉の水を入れ、そこへ一本だけ採った幻月花を入れる。
満足げに二人の元へ戻るかと思いきや、彼はしばらく立ち尽くしたままだった。
「どうした? あまり長居するのは身体に悪い」
ノアの言葉に振り向き、クルトはこちらへ駆け足で戻ってくる。
「やっぱり、これ二人にあげるよ」
「なぜですか? この花をお母さまのお墓に埋めるのが望みだったはず」
「ん~……お母さんは本当にこれが欲しいのかな。ノア兄ちゃんが倒した森の魔女は、ここの幻月花をまもっていたみたいだった。誰かから無理やりとったものを、お母さんは本当に欲しいと思うのかな」
少年は少年なりに、物事の道理と、亡くなった母の事を考えているらしい。
「でも、だからと言って俺たちが貰ったら、それはそれでおかしくないか? 俺たちは確かに奪う側だったが、魔物は話が通じる相手じゃないし敬意を持つべき存在でもない。気にしなくて良いと思うけどな」
「クルトの考えは立派だと思います。お母さんの気持ちをしっかりと想っていることも。貴方が望み、叶えたことなのだから、貴方の好きにして良いんですよ」
幼い子どもには整理をつけるのが難しいことなのかもしれない。
己のしていることが”正しい”事であるかなど、大人でも分からないものだ。
二人の言葉を受け止めたうえで少年は結論を出した。
「今日採ったこの幻月花は、二人にあげる! というか、二人が森の魔女を倒して勝ち取ったんだから、二人のものだよ。でもこの場所はこれから僕がまもるんだ。お母さんも、お父さんもきっとわかってくれると思う」
その小さな手に抱えられたガラス瓶は、柔らかな光を放っていた。
「クルトがそうと決めたなら、有難くいただくさ。これは大切にする。もし使うことがあったなら、エーファか俺が命に関わる怪我をした時だけだ」
「私たちの大切な思い出で、クルトの決意の証です。この花を貰えることを誇りに思います」
手渡された瓶を荷袋にしまう。
一行は、バウム村へと帰るべく、再び来た道を歩き出した。
「ところでさ、お兄ちゃんの左耳のそれ、どうしたの? なんかひび割れてない?」
「え? このイヤリングか?」
ノアは左耳にある小さな球状の結晶が付いたイヤリングに触れる。
それは確かに、クルトが言うように小さな亀裂が走っていた。
欠片が手のひらにぱらぱらと零れ落ちる。
魔導士にとって無くてはならないもの。魔導を使ううえで必須とも言える貴重な石。
「魔導結晶が……。先ほどの高出力の負荷に耐えられなかったのでしょうか」
「みたいだな。正直、一生ものだと思ってたから驚いてる」
「それが無いと魔導が使えないの? 帰り道大丈夫かな」
「よほど強い魔物に出くわさなきゃ大丈夫だ。今はエーファのサポートもある。あんたのはどうだ?」
尋ねられたエーファはローブの首元から服の中に手を入れる。
しばし胸のあたりをまさぐった後、ネックレスを取り出した。
「妙に光り輝いていますが、魔導結晶自体は無事みたいです」
装飾品の先端に付いた結晶が金色の光を放ち、暗闇に浮かぶさまは空に瞬く星のようだ。
「それも高濃度の魔力の影響か? 洋灯くらい明るいな」
「魔導結晶は周囲の魔素を吸収し、その魔素属性の色に光り輝く。そして、周囲の魔力反応に対して敏感に呼応し、反応を増幅させる。これは正常の範囲かと」
「なら良いが、また本を丸ごと引用したみたいな説明だな」
聖女はその言葉には答えず、跳ねる兎のように軽やかな歩みで鬱蒼とした森を進んだ。
その後、一行はノアとクルトの競い合うような魔導探知で、一切魔物との戦闘をすることなく村へと戻るのだった。
◇◇◇
空が白み始めた頃に村へと到着し、三人はそのまま泥のように昼近くまで眠りこける。
母屋で遅めの朝食を取りながら、彼らはバルトとマリーに昨夜の冒険譚を詳らかに聞かせ、また、少年に傷ひとつ付いていないことを証明した。
途中まで腕を組み黙ったまま頷いていた一家の主であったが、終いにはテーブルに身を乗り出して話を真剣に聞き入っていた。
「――そこで、ノアお兄ちゃんが太刀をバッ、ってやったんだ! そしたら泉の上にでっかくて黒いひびができた」
「なんだそれは。おとぎ話か? 森の魔女を一撃で倒したことより、そっちの方が驚きだ」
「まぁ……特殊な環境のせいだあれは」
食べ終わった皿が並ぶところへ、ノアがガラス瓶に入った戦利品を置く。
「そんでこれが、泉の周りに咲いてた幻月花だ。クルトから説明してくれ」
「僕、お母さんにこれをあげるのはやめた。その代わりに、あの泉と幻月花をまもることにしたんだ」
言葉足らずの息子の話に、父はあまり納得のいっていない様子である。
「クルトくんは、森の魔女があの場所と花を護っていたことを気にしているんです。例え相手が魔物であっても、無理矢理奪いに行ったのは私たちで、それをお母さんに渡すのは良くないことだと考えたんです」
とっても優しい子です、とエーファはクルトの頭を撫でる。
少年は嬉しさと恥ずかしさで俯いている。
「お兄ちゃんだけずるい、あたしも」
か細い声が響く。マリーがいつの間にか自分も彼女に撫でられようと隣に来ていた。
「なるほどな……クルトが考えていることについてはわかった。父さんもおまえを誇りに思うよ」
珍しく見る父の優しい微笑みに、少年は驚いている。
バルトは続けて何かを言おうと迷っているように見える。
彼の代わりにノアが口を開いた。
「現実的な話をすると、今後もクルトが一人で夜の森へ行くのは無理だ。ただ――」
青年は一度上を向いた後、前に座る男へ再び視線を向けて告げる。
「あんた本当は夜の森に出てくる魔物も難なく倒せるだろ? 元冒険者か、兵士か……姿勢や歩き方からして兵士か? あんたがクルトに戦い方を教えてやれば良い」
「確かにわたしは昔、王国兵として『花の街』ガーランドで衛兵をしていた。魔物の討伐だって何度やったか数え切れないほどだ。だが、息子を同じような職に就かせる気は毛頭無い」
辺りに気まずい沈黙が漂う。エーファたちは静かに会話の行く末を見守っている。
「俺はあんたの、クルトとマリーの、苦しみが痛い程わかるよ。子どもはいないけど、大切な人を危険に遭わせたくない気持ちも理解してるつもりだ。でもクルトは類稀な才能を持ってるから、どうかそれを活かしてやって欲しい。きっと大丈夫だ」
そっと言葉を置くように話すノアはひどく寂しげだ。
”家族”が彼の救いであり、呪いでもある。
事情を知る聖女は黙ったまま彼の肩に手を置いた。
「悪い、家庭の事に他人が口を挟み過ぎたな」
バルトは何かを感じ取ったのか、表情を和らげて話し始めた。
「……他人じゃないさ。わたしの代わりに息子の願いを叶え、必ず無傷で返すという約束を守った二人には、感謝してもしきれない。ずっと否定してばかりで何もしなかったことは後悔もしている。大事な息子の願いを、二度も無下にはしたくない」
「じゃあ、お父さん協力してくれるの?」
「ああ、勿論だ。クルト、おまえももう大きくなったんだなあ。ナンシーにも見せてやりたかった」
屈強な男は瞳を潤ませている。咄嗟に目頭を押さえた。
クルトとマリーが父の隣に寄り添う。
そこには居てはいけない気がして、ノアとエーファは揃って家の外へ出た。
「泣いてもいいんですよ?」
いたずらっぽく彼女が笑う。
白金の髪が風になびき、日の光を反射して煌めいている。
「護衛対象の前で泣いたりするかよ」
「なにその理由!」
見慣れぬ姿の若い男女が何やら言い合っていても、村人たちの視線は好意的だ。
誰も話しかけはしない、しかし、彼らが信用に足る人物であると皆が認識していた。
クルトが二人の様子を見ようと家の扉を開けたその時、村の前の道を大きな音を立てながら走る、二台の竜車が彼らの視界に入る。
満足に舗装されていない道を、砂利や小石の上を、鉄の車輪が通る音。
布で覆われた荷車を引くのは、鳥の顔と長い首を持ち、羽毛に覆われた体躯の魔物――鳥竜だ。
「あ! リンクス商隊だ!」
玄関を飛び出し、少年は村の入り口へと駆け出す。
ノアとエーファの心には、彼が転んで怪我をしないだろうか、などと考える謎の親心が芽生えていた。
「きっとノアにも、あんな子ども時代があったんだろうな~」
「それはとんだ思い違いだ。どちらかと言えば、俺は家で大人しく本を読んでいる子どもだった」
「本当に? ちょっと意外かも」
おそらく本当なのだろう。
だがエーファは、家で大人しく過ごしていた少年が、蛙を食べるようになる何かがあったはずだと、そう思っていた。
彼の師匠が鍵だ。
「――間違いない」
ぶつぶつと呟き考え込む彼女には、青年の呆れ笑いは見えていなかった。
二人はリンクス商隊と話し込んでいるクルトの元へ向かう。
竜車から降り、少年と仲良さそうに会話しているのは、獣人族の男だった。
「お~、こちらが噂の。お初にお目にかかる、オレはリーヴ商会で南方交易ルート担当商隊の長をやっている、リンクスという者だ」
「旅人のノアだ。こっちはエーファ」
「初めまして。エーファと申します。リーヴ商会ってあの、中央大陸三大商会のひとつのですか?」
彼女の問いには答えず、リンクスは何故か黙ったままだ。
斑模様の髪を触り、そしてピンと立っていた耳を触り、最後に細長いヒゲへ手をやる。
「あの……何か?」
「オレを見て驚かなかった奴は久しぶりだ。しかも二人。驚きも、見下しも、怖がりもしないとは。この村の奴らだって最初はビビってたってのに」
彼は目を細め、おそらく無意識に耳を動かしている。
「言うほど獣人も珍しくないだろ。街で普通に歩いてることだってよくある」
「私も、お会いしたり、お話したりしたこともありますし」
元々幼少期から人をよく観察することが彼の癖であり、今やそれが仕事に繋がっている。
目の前の旅人が知る由もないことだが、彼自身がすぐさま違和感を抱く程に、彼らの対応や表情は世間一般とは違ったのだ。
しかし、この件を殊更に深堀りしたところで一体世間の何が変わるというのか。
一瞬で商人へと戻ったリンクスは、再び口を開く。
「いやすまねぇ、あまり気にしないでくれ。話を戻すが、そうとも、オレたちはあの三大商会のひとつ――リーヴ商会の者さ」
どうだ、とでも言いたいような顔で、手で竜車を指す。
反応が芳しくないことを察知すると、彼は咳払いをひとつした。
「ところで聞いたぜ。あんたら、あの幻月花が咲いてる場所を見つけたんだってな。何を隠そう、クルトに幻月花のことを教えたのはオレなんだ」
「そうなんだよ。リンクス商隊は何度か村にも来たことあって、何年か前に教えてもらったんだ」
「クルト、見つけたことを彼らに教えたのか?」
咎めるかのようなノアの言い方に、クルトは困惑している。
言い返したのは少年ではなくリンクスだった。
「おいおい、聞き捨てならねぇ。まるで教えたらダメだって口ぶりだ。あんた獣人への偏見はねぇが、商人への偏見はあるらしいな」
「気分を害したなら謝るが、実際そうだろ。商人って生き物は、自分たちの利益のことしか考えてない」
一気に険悪な雰囲気に包まれ、エーファとクルトは心配そうに各々の顔に視線をやっている。
「クルトがどんな想いであの花を見つけたがってたか、何を考えてあの場所を護ろうと思ったか。聞かずに独占でもするつもりなら、容赦しない」
「随分なケンカ腰だ。そりゃオレたち商人が利益最優先なことは認めるが、このオレとリーヴ商会を知らずに、勝手なこと言うならこっちだって黙っちゃいねぇぞ」
「二人ともやめてよ! 僕の意見を聞くって選択肢はないの?」
芝居がかったわざとらしさでクルトは大声を張り上げ、ぎこちない動きで二人の間に割り込む。
沈黙の後、少年は何とも言えぬ表情で横を見ている。
「子どもに言い争いを仲裁されるなんて、本当に大人げない。ノア、貴方らしくないですよ」
エーファに厳しい声で言われ、彼は一気に冷静さを取り戻す。
「リンクス、俺が悪かった。確かにあんたのこと何も知らずに喧嘩腰だった」
「良いさ。オレも部下や得意先、初対面のあんたらと、方々に情けねぇ姿見せちまった。すまなかったな」
互いに謝罪しあう後ろで、エーファとクルトが小さくハイタッチしている。
大方、彼女が最も場を収めやすいと考え、クルトに口を挟ませたのだろう。
その姿と彼女の意図に、喧嘩した二人が気付かない筈も無かったが、あえて触れることはせずに双方が非を認める形で終わらせた。
「僕は、リンクス商隊にも手伝ってもらおうと思ってたんだ」
クルトは何か考えがあるようだ。
「あの泉の幻月花を全部あげるなんてことは絶対しないけど、あそこで花を育てる研究はしたいんだ。もしかしたら、安定的なきょうきゅうち? にできるかも」
「ほんとに十二かそこらのガ――子どもかよ!? やろうとしてることが、まさに今、リーヴ商会が取引してるような相手と一緒だぜ」
商人は気分を良くしたのか、高らかに大笑いして、少年の頭を撫でまわしている。
落ち着いた後、クルトの泉を目指す冒険譚を聞き、リンクスは深々と頷いた。
「やっぱり、オレの第一印象は絶対に間違うことはねぇ。ノア、エーファ! あんたら良い奴だな!」
だが、少し残念そうな顔になり彼は続ける。
「リーヴ商会で全面的にクルトをサポートする約束はする。けどな、オレたちは別仕事があって手伝えねぇんだ。それに商隊での商売と違って、商会との案件ってなると、すぐには動けねぇ」
「そっか~、リンクスおじさんたちとは一緒にできないのか。時間もかかるんだね」
「悲しそうな顔すんなよ! オレは嬉しかったぜ、クルトが誘ってくれてよ。ありがとな」
再び少年の頭を撫でると、リンクスはノアたちの方を見る。
「さっきの事は水に流してよ、オレたちの”別仕事”手伝ってくれねぇか?」
聞けば、彼らはルオラージュ王国からの臨時の仕入れ業務を終え、まさにブレス王国の王都・パルドブルムにある商会本部へと戻る途中らしい。
商会の物資輸送の護衛。
冒険者における、最も基本的な依頼だ。
「ちょうど俺たちもパルドブルムを目指してたんだ。けど良いのか? 俺たちは冒険者でもない、ただの旅人だ」
「細かいことはこの際どうでもいいんだ。実力は、信頼のおける得意先のお墨付きだし、商隊の護衛に肩書きなんざ関係ねぇ」
リンクスという男は、繊細さと豪快さを兼ね備えた人物のようだ。
この依頼を断る理由など、どこにも無い。
「喜んで引き受けよう」
「竜車で王都まで行けるなんて! かなりの時間短縮ですよ」
◇
荷物をまとめたノアとエーファは、名残惜しい気持ちを必死で抑え、バルト一家に別れを告げる。
「本当に世話になった。必ずまた会おう」
「こちらこそだ。たった一日にも満たない時間だったが、おまえたちと過ごした時間は忘れない」
聖女はありったけの力を込めてクルトとマリーを抱きしめている。
ノアは、彼女越しに目があった二人にただ頷くのみで、商隊の竜車の方へと歩いていった。
「かっこつけ。寂しいくせに」
いつの間にか追いついていたエーファが小声で呟く。
「今から口調が変わったことに触れて気まずい空気にしてやろうか」
「……ごめんなさい」
リンクス商隊の面々と二人を乗せた竜車は、来た時と同じ音を鳴らしながら、荒れた道を進む。
背後に聞こえる少年の声が、春の陽気の中でいつまでも踊っていた。
もう一年が終わりますね。早かったなぁ……
本当はこの話はもっと早く投稿するつもりだったのですが、組み立てが結構難しかった+昨日投稿時間を逃しちゃったので今日になりました。(なんだそれ)
今までお願いしてなかったので評価、リアクション、感想等々が全然来てません!
是非是非、皆さまから頂けるととても嬉しいです。




