SIDE STORY:聖女
中央大陸の南西に位置する、「宗教の国」エストレア聖教国。
大陸にある五か国の中では大きさとしても、国力としても最小であるこの国は、世界で最も信仰されている宗教――星竜教を国教とし、非武装かつ永世中立の立場を取ることで今日まで存続していた。
その象徴たる存在、聖女。
実質的に国を統治する教皇と、それに連なる六人の枢機卿たちとは一線を画した身分であり、国民の健やかな生活と大地の豊穣を祈るために選ばれた者。
建国の折、数多の奇跡を齎し、人々を救い支えた”初代聖女”エストレアを継ぐ者として、彼女の弟子たちが務めていたのも今は昔の話。約四百年が経った現在では、その立場と役割は半ば形骸化してしまっていると言っても過言ではない。
◆
「十七代目は、街の孤児院出身の、ただのどこにでもいる女の子が選ばれているくらいですからねぇ」
いつも通り礼拝堂で朝の祈りを済ませた後、第十七代聖女エーファ・エストレアは本を読みながら用意された朝食を取っていた。
「また食事中に読書ですか。お行儀が悪いからやめなさいといつも言ってるでしょう」
「はいはい。言い方が修道女・ベルナデッタそっくりね」
「そりゃあ幼い頃から何回も隣で聞いていれば影響も受けます。私はエーファ様のお世話係として、貴方の為を想って言ってるんですよ」
侍女・リンの淡々とした言い方にたじろぎながら、エーファは読書を止めて食事を続ける。
彼女は確かに、かつてはこの国のどこにでもいるような少女であり、ある日突然に大いなる責任を背負わされることとなった。
しかし、市井に出て街行く人々に尋ねれば、きっと皆こう言うであろう。
――彼女はなるべくして聖女になった、と。
成年となった今でも、まだ少女染みた幼さが抜けきれないこともまた、事実ではあるが。
「ねぇ、リン。この前司祭様の一人が街の娘と駆け落ちしたって噂、本当なの?」
「本当らしいですよ。教会側との話し合いの結果、司祭様の除名処分だけで手打ちとなったとか」
「立場的にあまり褒めちゃいけないのかもだけど、すごいよね。規律を破る程の愛ってことでしょ」
若干の羨ましさが滲み出る様子に、侍女は何か言いたげであったが、エーファはそれを見ない振りして話題を変える。
「いよいよ今日から星願祭が始まるけど、今年も花火上がるかな」
「今週は天気も良かったですし、特に問題なければ例年通り上がるのではないでしょうか。エーファ様が唯一お祭りを楽しめるものですから、無事に打ち上がると良いですね」
彼女は少し思案した後、綺麗に朝食を食べ終えた。
「あのシーツのロープまだあるよね?」
食後の紅茶を飲みながら、片付け中の侍女に話しかける。
「どうしても、とエーファ様が懇願するので、一応残してあります。まさか大聖堂を抜け出して星願祭を間近で見たいなどと言い出しませんよね」
「そのまさかです! 良いじゃない、誰にも迷惑かけないから」
「聖女が大聖堂を密かに抜け出す時点で迷惑はかけているんです。普段は真面目に公務を果たしているのに、なんでこう昔から……」
呆れ顔でこめかみを抑えるリンに彼女は説得を続ける。
「今日はオルド様も、枢機卿の皆様も公務でいらっしゃらないでしょ? もし脱走がバレても何とかできるんじゃない?」
「それはそうですけど……。大司教様方や司祭様方は普通にお勤めされていますし、バレるバレないの問題ではないんです! だいたい、聖女になったばかりの頃に何回も抜け出して散々教皇様にお叱りを受けたというのに、その後も心を入れ替えたかと思ったらたまにこういうこと言い出すし――」
取り付く島もないどころか、むしろ侍女の逆鱗に触れたようで、長々とした説教が始まる。
たまの息抜きくらい良いじゃない。
か細く呟いた声は自室の隅へと消えた。
◇◇◇
「国の象徴が、聖都を挙げての年に一度のお祭りに出られないって、どういうことなの」
午後、リンの長かったお説教と祭りに参加できないことへの不満を思い出し、ぶつくさと文句を言いながら大聖堂の三階にある蔵書室へと向かう。
聖女の仕事である国民からの要望書や嘆願書への目通し、視察に向けての資料閲覧などは既に終え、彼女は暇な時間を潰すべく星願祭の歴史が書かれた書物を探しに来ていた。
「何やら落ち込んだご様子ですね、聖女様。いかがなされたのですか」
背後から、落ち着きと少しばかり重厚感のある女性の声が響く。
ある時から教皇の”相談役”として大聖堂に出入りしている、ヴァイオレットと名乗る人物のものだ。
「ヴァイオレット様。ええ、今宵から始まる星願祭を見に街へ行きたいのですが、何ぶん許可を得ず自由に出歩くことができないもので」
「その、星竜教の象徴という神聖なるご身分も、難儀なものでございますね。私もお力添えをしたい気持ちはありますけれど、やはりどうしようもないことだと思います」
「お心遣い感謝いたします。それにしても、なぜこちらに?」
彼女がいつの間にやら国の中枢に入り込み、自由に大聖堂を出入りしては政治に口を出すようになってから、エーファは何とも言い難い不信感を抱いていた。
礼節を重んじ他者を立てる性格で、その助言が非常に有用であるため、彼女は驚くほど一瞬で教皇、枢機卿、そして星竜教会関係者たちの信用を得ていたのだ。
「はい。実は教皇様と枢機卿の皆々様がご不在のこの機に、聖女様にお伝えしておきたいことがあるのです」
何やら言い淀むような様子を見せながら、怪しげな相談役は声を落として聖女に近付く。
「聖女様にとっては大変に動揺なさる内容だと思います。心してお聞きいただけますか」
「勿体ぶって、一体なんですか」
本来ならば心地いいはずの低音域の声音が不安感を煽る。
いつもは温かみを感じる木造りの質素な蔵書室さえも、今は何故だか、冷たい空気に包まれている気がした。
ほんの一瞬の静寂の後、ヴァイオレットが再び口を開く。
「エストレア聖教国元首――”教皇”オルド・ラグエル、並びに行政の責任者たる六名の”枢機卿”たちは、人身売買、児童買春、虐待、及び多岐に渡る組織的な犯罪行為等への関与の疑いがあります」
衝撃の事実を聞き、エーファは息を呑む。
身体から血の気が引いていく。
晴天の霹靂とは、まさにこのことである。
目の前の白と金を基調としたローブを纏った女は、さらに続けた。
菫色の瞳がなお一層妖しく輝く。
「中央大陸において最大勢力と言っていい闇ギルド『黄金旅団』、そして人身売買や盗品取引を得意とする『ブラックダリア』。この二組織との取引記録を、枢機卿数名の執務室にて発見しました。また、本日まさに教皇たちは、件の会合に参加するべく公務を隠れ蓑に国を空けているという情報も得ております」
「なぜ、そんな……」
「『なぜ』と仰っているのは、私が何故これらの情報を持っているのかを聞きたいのでしょうか? それとも、崇高な聖職者であるはずの彼らが、何故そのような悪行三昧をしているのかということでしょうか?」
聖女にとっては困惑することばかりだが、彼女の目線の先にいる”相談役”が薄ら笑いを浮かべていることは、さらにこの状況の奇妙さと気味の悪さを増幅させている。
証拠とばかりに女は取引記録なる書類を足元に放り投げた。
そのあまりに無礼な行為さえも咎める余裕なく、エーファは急いで書類を拾い目を通す。
「この書類が偽造である可能性もまだ、捨てきれません」
震える声でそう呟く。
しかし、教皇のみが扱うことの許されている聖印が押されているだけでなく、ご丁寧にも、かつて本人認証の為に使われていた魔力を込められる羊皮紙に取引が記録されている。
偽造書類である可能性は限りなく低かった。
様々な考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えていき、ひとつも纏まらない。
ただ一つ確かなことは、己が現在まで信じてきた者たちの、彼らから学んできたことの、信念や信条といったものはすべて嘘と欲望に塗れていたということだけだった。
この期に及んで気安くも、ヴァイオレットがエーファの肩に触れる。
「聖女よ、貴様も責任を免れることはできないだろう。大人しく私に従え」
今までより一段と低く、音として聞こえるというより、頭の奥に刷り込まれるような声だ。
その時、自身を包む悲しみや怒り、驚き、不安と焦燥の全てが晴れ、誰か別の声が頭の中に響いた。
星竜の巫女よ、唯一人の友よ。其方に降りかかる災いは全てこの我が祓わん。
どこかで聞いたことのある声だ、と真っ先に感じる。ずっと昔、耳にしたことがあるような、妙な懐かしさがあった。
最後にある言葉を残し、謎の声は途切れる。
「――其処に、傲慢の罪を司る魔女がいる?」
「何だと? なぜそれを」
我に返ったエーファの前で、相談役の女は訝しんだ顔でこちらを窺っている。
辺りを見回すと、先ほどまで気付かなかったのが噓のように、蔵書室中に魔力の糸が蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
魔女。
この大陸でその言葉を使う場合は、総じて〈七罪源の魔女〉を指すことが多い。
古くから歴史に幾度か現れては、世界に災いを齎す存在。人々に災厄と恐れられる、異なる者。
不思議な声によれば、目の前にいる人物こそ、その七人の魔女の一人らしい。
「私の権能の効果が無いばかりか、魔女であることが露見しただと……」
「貴方が〈傲慢の魔女〉? 〈七罪源の魔女〉が教皇様に取り入り、当たり前のようにこのエストレア聖教国の国政に口を出していた?」
しばらくの間、互いに混乱し頭の中で状況を整理する。
ただヴァイオレットには心当たりがあったらしく、彼女はすぐに冷静さを取り戻した。
「――星竜の巫女か。星竜の加護を受け、災いを払い除ける特別な力を持つ、と聞いたことがある。しかし聖女と星竜の巫女はあくまで別の存在のはず」
今この場で殺すつもりはなかったが、と吐き捨て、魔女は自身から伸びる魔力の糸に触れ、何者かに命令を伝える。
「作戦変更だ、侍女を抑えろ。その他の小虫も三階には通すな」
威圧感が増し、周囲の空気が変わる。
「リンや皆さんに何かするつもりなの?」
「そう怯えなくてもよい。小虫共にはまだ使いどころがある。だが、貴様には生きていられると都合が悪い」
急激に窓の外が暗くなり始め、雲行きが怪しくなっていく。遠くで小さく雷鳴の轟きが聞こえる。
容赦なく向けられた殺意がエーファの身体を強張らせる。
今はこの場から逃げる他無い。そうしなければ確実な死が待っている。
心を決めた瞬間、一気に身体が軽くなり、聖女は蔵書室から廊下へと脱兎の如く飛び出した。
エーファを縛るように無数の糸が絡みつくが、それらは淡い光とともにすぐさま消えていく。
「忌々しい神め」
廊下はまるで調度品や装飾品の舞踏会場であった。
魔女の糸によって操られたそれらは、飛び上がり自在に空を舞い、多種多様な動きで逃走を妨害しようとしている。
聖女は元来、運動があまり得意ではなかったが、必死にそれらを避けて廊下をひた走る。
向かうは自室のある四階。
正面入口よりずっと近く、杖や荷物がある程度まとまっていて、何より脱出に使えるシーツのロープがある。
「リン、無事でいて」
階段を駆け上がって角を曲がる。
「あなた一体誰なの?」
自室の前で呟くリンの後ろ姿が目に入った。
彼女のさらに奥にいる人物へ話しかけているようだが、彼女が陰になっていてその姿は見えない。
「良かった! 無事だったのね‼︎」
振り返った侍女に思わず抱き着くエーファだったが、その目に驚愕の光景が飛び込んでくる。
リンが話していたのは、紛れもなく自身と全く同じ姿形をした何かだった。
「〈傲慢の魔女〉様、如何いたしましょう」
また”糸”を使って交信しているようだ。
その話声はいつも耳にしている自分の声色と少し違っていて、しかし確かに彼女自身のものであり、エーファは奇妙な気分に陥る。
彼女の腕の中にいる侍女は、全く状況が飲み込めていないようだ。
偽りの聖女は微笑みを絶やさずその場に佇んでいた。
「リン、逃げよう。ここに居たら殺されちゃう」
「何がどうなってるの? 何であなたが二人いるの?」
とにかくここを離れる他ない。
茫然としている侍女の手を引き、素早く自室に入って鍵をかけた。
リンは部屋中を駆け回り身支度をしている幼馴染の姿を、混乱した様子で眺めている。
それに構うどころでないエーファは、ドレッサーの奥からシーツが連なった束を急いで引っ張り出すと、窓を開ける。片一方を寝具の足に結び付け、もう一方を窓の外に投げた。
無理やり侍女を脱出させようと彼女がその手を引いた時、部屋の扉の隙間から、半透明のゲル状物質が入り込んでくる。
謎の物体は瞬く間に形を変え、再び聖女の姿をとった。
「エーファ・エストレア。貴方は殺しておかなければ……それがご命令ですから」
爆発音のような雷鳴が轟く。かなり近くに落ちたようだ。
「あの方も随分お怒りのようです」
「その姿を、声を、真似しないで。瓜二つのつもりかもしれないけど、私は一目見た瞬間に分かったから」
リンが一歩前に出て、偽物と対峙する。
「はやく行って‼︎」
彼女は机に置いてあった洋灯を手に取り偽物へ投げつけると叫んだ。
聖女の振りをした何かは火が苦手なのか、およそ人間とは思えぬ、人体の構造を無視した動きでそれを避ける。
瞬間、エーファは覚悟を決め、後ろを向くことなく窓からシーツを伝って外へと脱出するのだった。
◇
日は既に暮れ、空は暗く、異常な程の落雷にもかかわらず雨は一切降っていない。
聖女は、祭りの撤収をしている人混みの中をひた走る。
ありとあらゆる感情が心の中で渦巻いている。
必ず戻ってきてあの〈傲慢の魔女〉を討つ。リンを助ける。国を取り戻す。
その想いを抱いて、聖女は【黄昏の森】、そしてその先にある隣国・ブレス王国を目指し走り続けた――。
まだ第一話じゃないのかよ!ですよね……すみません。
あと、ここに書ききれなかった設定とかこぼれ話とか書きたいんですけど、それってどうなんでしょう。




