第38話:クリスマス・ブラッド②
第38話:クリスマス・ブラッド②
───井原千里のいる多目的室内────────
なでしこの気配も消えた。
存在が消えてなくても、さっきの状態なら憑依はもう一度できるか分からない。
男が、刃を構え直す。
「次で、終わりだ……」
その時だった。
「……やはり、お前は防音の部屋を選ぶんだな」
低く、静かな声が、背後から差し込んだ。
タトゥーの男の動きが、ぴたりと止まる。
井原も、はっとして視線を上げた。
空間が、揺らぐ。何もないはずの床の上で、まるで輪郭だけが先に現れるように、
人の形が、ゆっくりと浮かび上がってくる。
透明だった何かが、色を取り戻していく。
コートの輪郭。鋭い目つき。
そして、見慣れた顔。
「お前は……!」
「……七国、だ……」
完全に姿を現した七国は、タトゥーの男をまっすぐに見据えていた。
「……チッ……」
男が、舌打ちをする。
「お前……いつからだ……!」
「たった今。……井原さんごめん。遅くなった。」
七国は、わずかに顎を引いて答える。
井原は、息をのんだまま呟く。
「七国さん……なんで……ここに……!」
七国は一瞬だけ井原に視線を向ける。
その目には、安堵と、わずかな焦りが混じっていた。
「……嫌な予感がした」
それだけ言って、再びタトゥーの男へ向き直る。
「理由は説明できない。ただ……井原さんが本部で、危険な目に遭ってる映像が、急に頭に浮かんだ」
七国は、拳を軽く握る。
「だから、透明化してパークに入った。だが……」
視線が、部屋の鏡と壁をなぞる。
「やっぱ、AUP本部は広すぎた。闇雲に探しても、見つかるわけがない」
タトゥーの男が、警戒するように一歩、距離を取る。
七国は、静かに続けた。
「そこで考えた。もし井原が狙われるなら、相手はおそらくお前だ。そして──」
視線が、床に刻まれた刃痕と、血のにじむ井原の腕に落ちる。
「お前は、また“音が遮断される場所”を選ぶ」
七国は、ゆっくりと息を吐いた。
「だとしたら防音設備のある部屋。隔離できて、人に気づかれにくい。前と同じ手口だ」
タトゥーの男の目が、細くなる。
「……勘のいい野郎だ」
「違うな」
七国の声が、少しだけ強くなる。
「お前のやり方が、変わってないだけだ」
井原は、まだ状況を飲み込めずにいた。
「じゃ、じゃあ……七国さん、ずっとAUPに……?」
「結局ギリギリだったけどな。正直、間に合わないかとも思った」
七国はそう言ってから、井原の傷を一瞬だけ確認するように目をやり、すぐに視線を男へ戻した。
「……次は俺が相手だ」
タトゥーの男は、刃を持つ手に力を込める。
「二対一か……だが、今のそいつは最早戦えねぇ」
(戦えない……?井原さんの力は幽霊の力。幽霊なでしこに何かあったか……)
「だから?」
七国は、ゆっくりと前へ出る。
「俺一人で十分だなぁ!!」
七国の脳裏に、あの時見た嫌な映像がフラッシュバックする。
──アドバンスアームが、粉々に砕け散る光景。
あれは、これから起こる未来かもしれない。
そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走った。
「……始めようか」
七国は左手にカセットを装填する。
《カセットリード フウライノガレン キドウ》
背中側へ向けて風を噴射。
爆発的な推進力で、一気に距離を詰める。
だが、タトゥーの男は一瞬も迷わない。
腕を振ると、刃がそのまま投擲される。
「──っ!」
七国は空中へ跳び、噴き上げる風を再度噴射。
体をひねり、空中で無理やり進行方向を変える。
狙うのは、タトゥーの男の左後方、やや上。
右手のカセットを差し替える。
《カセットリード ファイヤーエンドレス キドウ》
拳が燃え上がり、まるで炎の塊となっている右手を突き出す。だがその瞬間、タトゥーの男が振り向いた。
「わかりやすすぎるぜぇ……!」
至近距離。乾いた音と同時に、乾電池銃が七国に向けて火を噴いた。
「っ、くっそっ……!」
七国はとっさに風を噴射し、弾道から逸れる。
しかし、避けた先までは制御しきれていなかった。
ドンッ!!という鈍い音と共に背中から地面に激突してしまい、息が詰まる。
その直後、視界の端で、刃が振り下ろされるのが見えた。
右手のカセットを即座に差し替える。
《カセットリード ゲンソウノスタミィー3 キドウ》
星の光が弾け、バリアが展開される。
ガギィィィン!!
刃が叩きつけられ、バリアに亀裂が走る。
「どうしたぁあ!!その程度か!?あぁ!?」
そのまま押し込まれ、七国の体ごと床を削る。
だが、七国は歯を食いしばり、両腕で押し返す。
「……っ、今だ!」
バリアごと押し返され、タトゥーの男の体勢が一瞬崩れる。
七国は即座に右手のカセットを差し替える。
《カセットリード シャドウクエストGBA キドウ》
室内の照明が一斉に落ち、闇が広がる。
闇の中、七国はすでに背後に回り込んでいた。
左手のカセットを再び発動させる。
《カセットリード フウライノガレン キドウ》
至近距離から、風の塊を叩きつける。
ゴォォッ!!
タトゥーの男の体が吹き飛び、闇の奥へ飛ばす。同時に、照明を復旧させる。
だが──
そこに立っていたのは、吹き飛ばされているはずだったタトゥーの男。足を踏みしめ、正面から風を受け止めたまま、耐えていた。
「お前のその風じゃぁ、もう俺は飛ばせねぇぞぉ!」
次の瞬間、再び刃が振り下ろされる。
七国は左手のカセットを差し替える。
《カセットリード ミラージュアドベンチャー キドウ》
分身が複数、同時に跳ねる。
だが、タトゥーの男は一瞬も惑わない。
視線が正確に分身を捉え、刃が振るわれる。
分身が一体、また一体と霧散していく。
「そんな甘ぇ小細工してんじゃねぇぞぉぉ!!」
「……くそっ、目が鋭いにも程があるだろ……」
すべて、見抜かれている。
タトゥーの男は刃と銃を切り替えながら、間合いを詰めてくる。
七国はカセットを駆使して応戦するが、対応され続け、徐々に追い詰められていく。
そして、再び乾電池銃を構えるタトゥーの男。しかしそれは七国ではなく、すぐに井原の方へ向けられた。
「くっそ……!井原っ!」
反射的に飛び出し、七国はその前に立つ。
バンッッッ!!
銃声。
勢いよく発射された乾電池の衝撃が左肩を貫き、七国はその場に崩れ落ちた。
視界が揺れ、床に横たわる。
タトゥーの男が近づいてくる。
ゆっくりと、刃を振り上げ、振り下ろされる……!
(ダメだ……この距離じゃ何をしても間に合わない……!)
だが、その刃を振り下ろす動きが、ぴたりと止まっていた。
「……なんだ……?」
見えない力に絡め取られたように、体が動いていない。
その時、背後から声が響く。
「七国さん!!」
井原が叫んでいる。
「なでしこちゃんが止めています! 今です!!」
──念動力
なでしこが復活したのか……?なんにせよ、タトゥーの男の動きが封じられている今がチャンスだ。
七国は歯を食いしばり、立ち上がる。
両手のカセットを瞬時に差し替える。
《カセットリード フウライノガレン キドウ》
《カセットリード フウライノガレン キドウ》
両手の前に、圧縮された風が渦を巻く。
両腕を引き絞り、前へ突き出す。
「くらいやがれ!!!!!」
巨大な風の塊が、一直線に放たれた。
ゴォォォォォッ!!!
タトゥーの男の体が勢いよく吹っ飛ばされ、向こうの壁へと叩きつけられる。
轟音が部屋中に響き渡った。
壁には大きな凹みができていた。
壁に叩きつけられたタトゥーの男は、そのままずるりと床へ滑り落ちた。肩で荒く息をし、もう立ち上がる力は残っていないようだった。
七国は警戒を解かず、ゆっくりと近づく。
「……なあ」低く、問いかける。
「なんでだ。お前……なぜ能力を使わないんだ……?」
タトゥーの男は、口元だけを歪めた。
「……フフッ……」
血の混じった笑いが、喉から漏れる。
「そりゃあ……俺には、もう能力なんてもん無ぇからなぁ……」
「……は?どういうことだ……?」
七国の目が、わずかに見開かれる。
だが、この言葉で七国の中にはすでに嫌な予感が確信に変わっていった。
「どういうことなんだ……!!こたえろ!!」
タトゥーの男は、天井を仰ぐように視線を上げ、楽しそうに続けた。
「さぁて……ここで問題だぁ……」
にやり、と歯を見せる。
「俺の能力は……誰に“奪われた”でしょうかぁ……?」
その言葉が、七国の中で一気に繋がる。
──カセットを置いていった、未来の自分。
──「俺は……もうここから先の未来を、一つも視ることができなくなった。──俺は、まもなく死ぬ」という未来の自分の言葉。
──そして、ここ最近、まったく姿を見せていない男。赤城奏多。
「……まさか……」
七国は、顔を上げる
「おい……赤城奏多は、どこにいる!!」
怒鳴るような声が部屋に響く。
だが、タトゥーの男は肩を震わせて笑った。
「答えるかよ……バカガキどもが……」
そして、男の右手がゆっくりと乾電池銃を持ち上げる。
七国の瞳が凍りつく。
「まさか……おい……やめろ……」
銃を持つその手を止めようと急いで駆け寄る。
その銃口は、男の顎へ向けられていく。
「やめろぉおおおおお!!!!!!」
七国が叫んだ、その瞬間。
乾いた銃声が、部屋を切り裂いた。
タトゥーの男の頭が大きく跳ね、
そのまま、床に崩れ落ちる。
沈黙。
七国は、歯を食いしばったまま、動けずにいた。
「……くそ……くそ……くそがっ!!!!」
拳が震える。
「どこだ……赤城奏多は……どこにいるんだ……!!」
その時。
「七国さん!!」
井原千里が、駆け寄ってくる。
「私なら……わかります!!」
そう言って、チェキカメラを取り出した。
「なでしこちゃん……お願い!!」
井原が強く念じる。
なでしこの念写の力が、カメラに流れ込む。
パシャッ。
吐き出されるように、写真が排出される。
井原がそれを掴み取り、七国の前に差し出した。
そこに写っていたのは──
天保山の観覧車を後ろにして立つ、二つの影。
一人は、間違いなく赤城奏多。
そして、その隣にいるのは……
「……未来の俺だ」
七国の喉から、かすれた声が落ちた。
(やはり……今日が、その日なのか。)
写真の中で、二人は互いを見つめていた。
七国の胸の奥に、嫌な予感が沈んでいく。
もう、手遅れなのではないか──理屈ではなく、直感がそう告げていた。
だが、立ち止まるわけにはいかない。
七国は、ゆっくりと息を整え、左肩の痛みを無理やり無視して井原を見つめる。
「……井原さん。君は、すぐに戻るんだ」
「え……?七国さんは……?」
一瞬だけ、七国の視線が揺れた。
「行かなきゃならない。……確かめなきゃいけないことができた……」
それ以上、説明はしなかった。
七国は次の瞬間、身体の輪郭が揺らぎ、空気に溶けるように姿を消した。残された多目的室に、静寂が戻る。
井原は、消えた場所を見つめたまま、唇を噛みしめる。
「七国さん……」
小さな声が、誰にも届かず落ちた。




