第37話:クリスマス・ブラッド
第37話:クリスマス・ブラッド
本部に着いた井原千里は、インカムを外しながら多目的室の前で立ち止まった。
先程入った本部からの連絡は、簡単なものだった。
「スペーシアンショップに運んでほしい備品がある」
「多目的室にまとめて置いてあるから、取りに来てほしい」
訪れた部屋は、ダンサーやキャストが練習に使うための防音室だった。
床は少し柔らかく、壁には大きな鏡が張られている。
井原はドアを開け、中に入った。
……が。
「……何も、ない?」
部屋の中央も、壁際も、どこにも荷物らしいものは見当たらない。
広い空間に、鏡と音響機器だけが静かに並んでいる。
「ちさお姉ちゃん……これ、変じゃない?」
隣から、なでしこの声が小さく響いた。
「うん……連絡、間違い……?」
そう言いながら振り返った、その瞬間。
──カチャ。
はっきりと、鍵のかかる音がした。
井原が息をのむ。
振り替えると扉の前には、男が立っていた。
腕から首元にかけて刻まれた刺青。
見覚えのあるその人物は紛れもなく、以前も対峙したあのタトゥーの男だった。
手には黒い金属の銃のようなものを持っていた。
「……やっぱ来たか」
タトゥーの男が、低く笑った。
「連絡、あなたが……?」
井原が一歩下がる。
男は答えず、ドアからゆっくり距離を詰めてくる。
「逃げ場なし。防音。人目もねぇ。……最高の場所だろ?」
次の瞬間。
男の腕が跳ね上がった。
「──っ!」
乾いた破裂音。
井原は反射的に床を蹴って横に飛んだ。
次の瞬間、さっきまで立っていた位置の床が弾ける。
「っ、銃……!」
「ちさお姉ちゃん、気をつけて!」
井原は転がりながら距離を取る。
乾電池のような小さな筒が、床に転がっていた。
ジジッ、と不穏な音を立てている。
(爆発する……!)
井原は咄嗟に跳躍し、反対側の壁際まで跳んだ。
──だが。何も起きない。
乾電池は、音を立てただけで、ただ床に転がっている。
「……?」
その隙を逃さず、男が距離を詰めてくる。
今度は腰から黒い金属棒を引き抜いた。
ウィィン、と低い駆動音。
棒の先端が展開し、刃の形へと変わる。
井原は息をのむ。
「……何、あれ」
「わからない……でも、当たったらヤバそうだよ……」
なでしこが呟く。
考えてる間もなく、刃が井原に向かって振り下ろされる。紙一重でかわすが、床に深い傷が走る。
「っ……!」
「反応は悪くねぇな」
男が踏み込み、連続で斬りかかってくる。
井原は後退しながら必死にかわす。
だが、狭い室内では距離が取れない。
「なでしこ……!」
「うん!」なでしこの方に少し目をやり、霊体のなでしこと目を合わせる。
井原が呼んだ、その瞬間だった。
タトゥーの男の視線が、ふっと井原の肩越しに流れた。
まるで、そこに“何か”がいると気づいたように。
男の口元が、歪む。
「そこらへんにいるのかぁ!!!!」
次の瞬間、男の身体が弾けるように踏み込んだ。
井原が振り向くより早く、黒い刃が空を切る。
「なで──」
言い終わる前に、刃がなでしこの身体を横薙ぎに裂いた。
光の粒子が、空中に散る。
「……っ!」
なでしこの姿が、大きく揺らぐ。
声にならない息を漏らし、霧のように輪郭が崩れていく。
「なでしこ!!」
井原は反射的に腕輪に手を伸ばした。
バングルを強く叩く。
「今すぐ、来て!!」
光が弾け、なでしこの気配が一気に引き寄せられる。
だが──
「……っ、ちさお姉ちゃん……ごめん……」
なでしこの声が、頭の奥で二重に響いた。
視界が一瞬、ぐにゃりと歪む。
床と天井の境目が曖昧になり、自分の腕がどこにあるのか分からなくなる。
(……憑依がうまくできてない……?)
心臓の鼓動と、なでしこの鼓動が噛み合わない。
身体が重いのに、感覚だけが先走る。
だが、考えている暇はなかった。
タトゥーの男が、すでに次の攻撃態勢に入っている。
「っ……!」
井原は歯を食いしばり、右手を突き出した。
「今だ……!」
衝動のように、念動力が炸裂する。
見えない衝撃が男の胸を打ち抜き、身体が後方へ吹き飛んだ。
鏡に叩きつけられ、ガラスが派手にひび割れる。
「……っ、効いた……!」
その直後、井原の膝ががくりと折れた。
「……え……?」
頭の奥が、急に静かになる。
なでしこの気配が、すっと薄れていく。
「……ちさお姉ちゃん……ごめん……」
次の瞬間、憑依による合体が解除された。
なでしこの姿が井原の背後に弾き出され、空中でよろめく。
「っ、なでしこ……やっぱり……」
タトゥーの男が、ゆっくりと立ち上がる。
口元から、薄く血が流れていた。
だが、その目は笑っている。
「……なるほどな」
刃を構え直し、床を蹴る。
今度は、距離を詰めない。
男は、その場で刃を振るった。
空気が裂ける。
次の瞬間、見えない斬撃が井原となでしこに向かって飛んできた。
「──っ!!」
井原はとっさに腕で顔を庇う。
衝撃が走り、身体が後方へ吹き飛ばされた。
床を転がり、壁にぶつかって止まる。
腕から、血が滴り落ちた。
制服の袖は、ずたずたに裂けている。
「……っ、ぐ……!」
一方で、なでしこの姿は……
斬撃を受けた場所から、光が崩れ落ちるように消えていく。
「……なでしこ……?」
返事はない。
気配が、ほとんど感じられなくなっていた。
タトゥーの男が、静かに歩み寄る。
「さっきの一撃、悪くなかった」
刃を肩に担ぎ、低く告げる。
「だが……もう、力は残ってねぇだろ?」
井原は、歯を食いしばりながら立ち上がろうとする。
脚に力が入らない。腕の傷から、じわじわと血が滲む。視界の端が、少し暗くなった。
(……まずい……)
なでしこの気配も消えた。
存在が消えてなくても、さっきの状態なら憑依はもう一度できるか分からない。
男が、刃を構え直す。
「次で、終わりだ……」
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潮の匂いを含んだ夜風が、観覧車の足元を吹き抜けていた。
天保山の展望エリア。観光客の笑い声と、港から聞こえる船の汽笛が交じり合う、平和そのものの場所。
その柵の向こうに、一人の少年が立っていた。
海の向こうに見えるそれ──AUPの巨大な姿を、ただ無言で見つめている。
「……やっぱり、ここに居たか」
背後から聞こえた声にも、少年はすぐには振り返らなかった。
数秒遅れて、ゆっくりと首だけを巡らせる。
赤城奏多は、何も言わずに未来から来ていた七国を見ていた。
「力が使えなくなる前に、お前がここにいる風景を見てたんだ」
七国は一歩、足を踏み出す。
「その風景じゃ、クリスマスイベントのBGMが流れててな。調べたてみたら、今日この時間にその音楽が流れているのはここしかなかった」
観覧車の横に建つ商業施設『天保山』のスピーカーから、楽しげな音楽が流れている。
それが、逆にこの場の緊張を際立たせていた。
七国は、赤城の目を正面から見据えた。
──生気がない。
まるで、魂が抜かれた人間の目。
「……やっぱり、お前もか」
七国の声が、少しだけ低くなる。
「お前も、利用されていたんだな」
赤城は何も答えない。
「……お前、洗脳されてるな」
沈黙。
七国は、確信する。
「俺が正気に戻してやる」
そう言って近づこうとした、その瞬間だった。
空気が、鳴った。
バンッ、と破裂するような衝撃音と同時に、七国の足元の地面が砕け散る。
「……ッ!?」
七国は後方へ跳ぶ。
次の瞬間、さっきまで立っていた場所が、巨大な槌で叩き潰されたように陥没していた。
「今の……やはりお前も能力者か……」
赤城が、静かに手を下ろす。
その指先の前で、空気が歪んでいた。
(空間……圧縮してる……?)
七国がそう思った直後、再び衝撃が走る。
今度は横薙ぎ。ベンチがまとめて吹き飛び、観光客の悲鳴が上がった。
「な、なんだよあれ!」
「みんな!!逃げろ!!」
七国は歯を食いしばる。
(くそ……人が多すぎる……!こんな場所で戦えるか!)
赤城は構わず、手を振る。
目に見えない刃のような衝撃が、地面を裂きながら広がっていく。
「早く!!全員逃げろ!!」
七国は衝撃の進路へ飛び込み、無理やり進行方向を逸らす。
だが、全てを止めきれるはずもない。
近くで転びそうになった子どもが、衝撃の先にいた。
「危ねぇ!!」
七国は迷わず、その子を抱き寄せる。
直後、背中を強烈な圧力がかすめ、肺の空気が一気に押し出される。
「がっ……!」
それでも、止まらない。
七国は子どもを母親の元へ突き飛ばすように渡す。
「早く行け!!」
赤城は、感情のない目でその様子を見ていた。
そして、さらに能力を重ねる。
空気が震え、周囲の建物のガラスが一斉にひび割れる。
七国は息をのむ。
(範囲が広すぎる……!)
赤城は攻撃を止めない。右手をあげ、勢いよく振り下ろす。
逃げ遅れた人々の頭上で空気が歪み、やがて不可視の雨ように圧力が落ちてくるようだった。
七国は歯を食いしばり、無理やり踏み込んだ。
「間に……合え……!」
範囲内にいた人々を押し退けていく。
次の瞬間、衝撃が落ちてくる。
ドドドドドドドドドドッッッ!!!
七国はその身体に何発もの空気の雨を連続で食らってしまう。
視界が白く弾けた。
「がっ……!!」
身体が勢いよく地面に叩きつけられ、何度も押し潰される。
肺が焼けるように痛み、呼吸が追いつかない。
「くっそ……こっちは武器も無ぇってのによ……」
立ち上がろうとして、膝が笑う。
それでも、目だけは赤城から逸らさない。
「……もう少し……場所考えろっての……」
七国は、荒い息の合間に吐き捨てる。
「しかも……こんな派手にやって、何とも思わねぇって顔だな……」
赤城は答えない。
ただ、次の攻撃を作り始めていた。
七国は理解する。
(こいつを止めなきゃ、本気で街が壊れる)
だが、身体が言うことをきかない。
肺に残った痛みが、呼吸のたびに突き刺さる。
それでも、七国は前に出た。
「……ちょっとは……手ぇ加減しろよ……!」
赤城は、まるで聞こえていないかのように、再び手を上げる。
指先に、目に見えない圧が渦巻き始める。
(また来る……!)
七国はとっさに地面を蹴った。
圧縮された空気の塊が、さっきまで七国がいた場所を撃ち抜き、背後の売店の壁を粉砕する。
ガラスと木片が雨のように降り注ぎ、悲鳴が上がった。
「くそっ……!」
七国は走りながら、逃げ遅れた人間がいないかを一瞬で見回す。
観覧車の乗り場付近に、腰を抜かして動けない若い女性がいた。
(またかよ……!)
七国は進路を変え、一直線に駆ける。
だが、その動きを、赤城は見逃さなかった。
空気が、再び歪む。
七国の進行方向、地面すれすれをなぞるように、圧縮された衝撃が走った。
「っ……!」
七国は無理やり跳び上がる。
衝撃は足元を削り、アスファルトを抉り取っていった。
着地と同時に、七国は女性の腕を掴む。
「走れ!!今すぐ!!」
女性を突き飛ばすように逃がした、その瞬間。
背後から、今までとは比べ物にならない圧力が迫っていた。
(……やべ)
避けきれないと、本能が告げる。
七国はとっさに身体をひねった。
だが、完全には外れなかった。
ドンッ、という鈍い音と共に、七国の身体が横から叩き飛ばされる。
「ぐはっ!!」
数メートル先まで転がり、金属柵に激突する。
視界が揺れる。
口の中に、鉄の味が広がった。
「……っ、は……」
手をついて起き上がろうとするが、腕が震えて力が入らない。
赤城は、ゆっくりとこちらへ歩いてきていた。
足音が、妙にはっきりと耳に入る。
七国は歯を食いしばる。
(……まずいな……このままじゃ……)
武器もない。カセットは置いてきた。
能力の正体も、完全には掴めていない。
それでも。
七国は、地面から視線を上げ、赤城を睨みつけた。
「……なぁ……」
声が、かすれる。
「お前……本当に、それでいいのかよ……」
赤城の足が、止まる。
ほんの一瞬。
ほんのわずかだが、確かに動きが止まった。
七国は、その隙を逃さない。
「こんなとこで……罪のねぇ人間巻き込んで……それでも……何とも思わねぇって顔して……」
赤城の目は、相変わらず死んでいる。
だが、その奥で、何かが揺れたようにも見えた。
「……っち……」
七国は、内心で舌打ちする。
(効いてねぇ……いや……効いてるけど……届いてねぇ……)
次の瞬間。
赤城の周囲の空気が、一気に収縮した。
今までとは、明らかに違う規模。
地面が、きしむ。
建物の外壁が、悲鳴を上げるように軋む。
「……やる気かよ……」
七国は、ゆっくりと立ち上がる。
足は震えている。
視界の端が、少し暗い。
それでも、退かない。
「……だったら……」
七国は、両拳を握りしめる。
「ここで止めるしかねぇだろ……!」
そう言って、七国が赤城に向かって拳を構え、真正面からぶつかろうとした、その時だった──




