第9話:和服の少女
第9話:和服の少女
真っ暗な空間。暑くも寒くもない。
ここはどこだろう?
一体、いつからここにいるのだろう。
何も聴こえない。見渡す限り、黒い空間が広がっている。
しかし、自分の身体だけははっきりと見える。
足を踏み出してみる。足音だけが、無の空間に響き渡る。
これって、漫画でよくある精神の空間みたいなものなのかな。
手の甲をつねってみる。感覚はある。不思議だ。
とにかく歩いてみよう。何かが見えてくるかもしれない。
「まる……びすに……をいけ───」
???
ある程度進んだとき、どこからともなく何かが聴こえた。左前の方向からだ。
「誰? 誰かいるの?」
予想通り、返答はない。
こんな何もない空間なのに、なぜか音が聞こえる方向ははっきりしている。
しばらく進むと、そこには一人の少女の姿が見えた。
一歩後ろに下がると、また見えなくなる。
範囲が決まっているのかな。
なんだかゲームのイベント発生エリアみたいだ。
再び歩みを進め、少女の姿を目に入れる。
年齢は五~七歳くらいだろうか。
服装は赤い和服で、黒い帯に白い花柄模様が刺繍されている。
あんな可愛い服、着てみたかったなぁ。
頭のてっぺんには大きな赤いリボン。とても可愛らしい姿だ。
まだ、こちらには気づいていないようだ。
「せきだちゃらちゃらうおのたな───」
少女は毬をつきながら、楽しそうに唄っている。手鞠歌だろうか。
恥ずかしながら、私は聴いたことのない歌だった。
──先ほどの声に間違いない。
「あの……あなたは……だれ……?」
そう話しかけた瞬間、少女の姿が消えた。
目の前には、ただの暗闇が広がっている。
消えた……?見えなくなった……?話しかけちゃダメだったのかな。
「随分早いのね」
後ろから声がして、咄嗟に振り向くと、さっきまで目の前にいた少女がそこにいた。
「あの……あなたは誰? ここがどこか知ってるかな?」
「私はなでしこ。この場所は気にしなくていいよ」
淡々とした答えだが、笑顔が可愛い。
こんな妹がほしかったな。
「気にしなくてって……。あ、私も自己紹介しなきゃだよね。私は」
「井原千里ちゃん。知ってるよ。“ちさ”でいいかな」
いきなりあだ名まで決められた。でも、その呼ばれ方は正直気に入っている。
この子のお姉ちゃんになります、私。
「ふふっ。いいよ。ちさお姉ちゃんと呼んでくれたまえ~」
「ちさお姉ちゃん」
すぐに呼んでくれた。可愛すぎる……。
「それでさ、私はここから出るにはどうすればいいか知ってたりするかな?それと、良かったら、なでしこちゃんも一緒に出よ?」
少女は不思議そうな顔で、じっと私を見つめてくる。
「ううん。もう少しだから大丈夫だよ」
「もう少し?」
「またすぐに会えるから」
そう言いながら、少女は袖口から何かを取り出した。チェキカメラだ。
「それって……チェキ? だよね?」
小さな和服の手にチェキを持つ姿は、どう見ても手に収まりきっていない。なんだか可愛いな。
「今はそれだけ。そろそろ時間だよ。早く起きてあげてね。じゃあ、またね」
「まって! あなたは一体────────」
《念憑霊力 ─ゴーストキネシス─》
頭の中に、意味のわからない言葉がふと浮かんだ。
シュコーーーーー
次の瞬間、その音で目が覚めた。
目に映る景色は真っ白な天井。
さっきまでの真っ黒な空間とはまるで逆だ。
「夢……?」声が自然に漏れた。思ったよりリアルな声だ。
匂いでここがすぐにわかった。病院だ。
服は着替えさせられている。
女性スタッフがやってくれたのだろう。
あの音の正体は呼吸器。実際に着けるのはこれが初めてだった。
それにしても、さっきの少女は一体何者だったのだろう。
記憶ははっきり残っている。
夢にしては、手の甲をつねった痛みが現実味を帯びていた。
ガラガラ──扉が開く音がした。
横たわったまま目を向けると、そこに立つ人物と視線が合った。
「千里……? 千里!目が覚めたの!?」
お母さんだった。
「おかあさん……」
「良かった。目が覚めて。本当に、本当に良かった。あなたまで居なくなったら私は……。本当に大切なんだから。千里が無事で良かった。良かった……。」
「心配かけて、ごめんね」
その後、医師もすぐに合流し、体の診断が行われた。
聞けば三日間も寝たきりだったらしい。
怪我自体は重傷ではあるものの、これだけの間寝たきりだったことには医師も驚き、その理由はわからないそうだ。
お母さんには本当に心配をかけてしまった。
幼い頃に父を亡くし、私の妹か弟になるはずの子も流産したお母さん。そんな悲しみを背負いながら、女手一人で私を育ててくれたのだ。
ここで私まで居なくなったら、とんでもない親不孝者になってしまう。
本当に、生き延びて良かった。
「荷物はそこに置いてあるからね。このまま順調にいけば、退院もすぐできるわ。帰ったら、美味しいご飯をいっぱい作ってあげるから」
「ありがとう、お母さん」
「いいのよ。聞いたわよ。子どもを助けようと走ったんですってね。誇らしいわ」
一連の出来事は、AUPの上司が直接来て話を聞いてくれたらしい。
本来仕事の日だった分は、しばらく特別休暇として扱ってくれるそうだ。
今回の件は仕事中に巻き込まれた事故で、私には非がないと判断され、本来の給料もきちんと支給されるとのこと。
なんとありがたいことか。
「でも、あまり無茶はしないでね。このところ物騒な世の中になってきてるのだから。この前も、身元不明の焼死体が見つかったってニュースになってたのよ。本当に怖いことが続くのは勘弁してほしいわ。あなたも撃たれたりしたら大変よ」
「ごめんね。本当に。無茶はしないように気を付けるから」
「うん、お願いね……。あ、そういえば、あなた、いつの間にか写真に興味を持ったのね」
「写真?」
「そう、その鞄の中のやつ」
母が私の荷物を指さす。
上半身を起き上がらせ、荷物を取り出して確認した。
「……!?これって」
それは間違いなく、あの不思議な空間で少女が持っていたチェキカメラだった。
私はこのカメラを持ち運んだ覚えも、買った覚えももちろんない。
「チェキカメラでしょ。前にね、新しい家族ができたら撮りたいねってお父さんと話したこともあったのよ。結局、産んであげられなくなって、そんな機会もなかったけど」
お母さんの顔は少し寂しげだった。
「今度はお母さんとも撮ろうね。写真」
「……え、あ、うん!もちろん!撮ろうね!」
このカメラが急に私の手元にあった理由はわからず、正直怖さもあった。
しかしそれ以上に、「一緒に撮ろう」と言ってくれたその言葉が、最高に嬉しかった。
「あ、お腹空いてるでしょ!三日間まともに食べてないんだものね。お母さん、下のコンビニで何か買ってくるわね。あ!もちろん千里の好きなミルクティーとベイクドチーズケーキもあるか見てくるから!」
「ありがとう、お母さん。何から何まで……私、何もお返しできてないのに」
「馬鹿ね。見返りを求めるのは本当の愛情と呼ばないのよ。親っていうのは、子どものためなら見返りなんて無しで命をかけて愛せるものなの」
そう言いながら、私の頭を優しく撫でてくれた。
「じゃあ行ってくるから、ゆっくりしてなさいね」
「うん。本当にありがとう」
母が病室を出たあと、私はカメラを手に取り、考え込んだ。
あの少女は一体何者なんだろう。
それだけじゃない、私を助けに来てくれた七国さんは無事だったのだろうか。
初日からあんな事件に巻き込まれたせいで、仕事をクビになったりしないだろうか。
不安とわからないことだらけだ。今は考えても仕方ないことだけど……。
パシャッ! ウィーーーン
「!?」
機械音が鳴った。カメラのシャッターが切られたのだ。
シャッターボタンなんて押していないのに。何で……?
出てきたフィルムを確認する。
チェキカメラ特有で、写真が現れるまで少し時間がかかる。
そして写し出されたそのフィルムに映っていたのは
“七国さんが働いている姿”だった。
「何、これ……どういうこと? 何で七国さんが……?」
「それは、今のその人の姿だよ」
「誰!?」
扉の方から声がした。母ではないのは明らかだった。
思わず反射的に「誰?」と口にしたが、その声の正体は、私にはすでにわかっていた。
ついさっきまで聞いていた声。
目線を扉の方にやると、そこには見覚えのある少女が、少し透明がかった姿で立っていた。
「改めて、よろしくね。ちさお姉ちゃん」
「え、なんで……。なでしこちゃん……!?」
この日を境に、私の日常は大きく変わっていくことになる。
この時、まだ私は、事の重大さに気づけていなかった。
そう、人の生死を守る事件に、自分が巻き込まれるなんて、まだこの時は、思いもしていなかったのだ。




