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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

運命の代行者

運命の競馬

競馬場特有の熱気と喧騒が、俺、ユウキの日常だった。冴えないサラリーマン?笑わせるな。俺は会社でも、どこでも、気に入らなければ拳を上げるような荒くれ者だ。そんな俺の唯一の居場所が、この場所だった。馬券を握りしめ、馬の駆け抜ける姿を見つめる。それが俺の生きがいだった。


そして、ここ最近、俺はありえないほど競馬を当て続けていた。大穴だろうが本命だろうが、俺の予想はことごとく的中し、気付けば貯金は桁違いの額になっていた。俺には、なぜか勝敗が頭に浮かぶという、**未来予知のような「謎の能力」**があった。ただし、その力は常に使えるわけじゃない。虫の知らせのように、時折、勝負の鍵となる情報が閃く。


その日も、俺はいつものようにゴール前の特等席に陣取っていた。隣に座ったのは、白髪交じりの、気の良さそうな老人だった。この老人とは、数ヶ月前から競馬場で顔を合わせるようになり、何度か言葉を交わすうちに、奇妙な親交が生まれていた。


「ユウキ君、今日はどうだい?君のその幸運が、どんな馬を見つけたか、聞かせてもらえないか」


老人は楽しそうに笑った。その顔を見て、俺は半年ほど前のことを思い出していた。


初めてこの老人と出会った日、彼が持っていたコーヒーカップが手から滑り落ちた。その瞬間、俺の頭の中に、そのカップが隣の客にぶつかり、老人が転倒する未来が鮮明に浮かんだ。俺は咄嗟に老人の腕を掴み、その体を無理やり自分の方に引き寄せた。


「いや、なんでもねえです。ちょっと、手が滑ったのかと思って…」


俺はごまかしたが、老人は俺の真剣な眼差しをじっと見つめ、静かに微笑んだ。「そうか…ありがとう、ユウキ君」とだけ言った。その日以来、老人は俺が予想した馬券を見つめ、静かに笑うようになった。


一度だけ、俺が自信満々に予想した馬が惨敗した時、彼は俺の肩を叩き、こう言った。「人生は、勝負から降りない限り、負けじゃない。また、次のレースが始まるだけだ」


その言葉は、当時の俺の心に深く刺さった。俺はそれ以来、彼を人生の師と仰ぐようになった。そして今日、老人はいつものように笑いながらも、どこか意味深な言葉を投げかけてきた。


「このレースを制するのは、最強の馬じゃない。このレースを制する**『運』を持つ馬**だ」


その言葉は、俺の胸に突き刺さった。俺のこれまでの勝利は、まさにその『運』によるものだったからだ。


出走表を眺める俺の目に、ふと、16番の馬が目に留まった。「ラッキー・ストライク」。戦績は芳しくなく、大穴どころか、気性難で知られる問題児だった。何度かレース中に暴れて、騎手を落馬させ、出走停止寸前という噂まであった。だが俺はなぜか、その名前と、馬の瞳に吸い込まれるような感覚を覚えた。まるで、俺に「僕に賭けて」と語りかけているかのようだった。そして、久しぶりにあの閃きが頭を駆け巡った。この馬が勝つ。根拠のない、だが確信に近い予感だ。


俺は直感的に「…この馬に、なにかある気がします」と答えた。それは、自分自身と重ね合わせたからだ。俺もまた、はみ出し者で、いつでも暴れる準備ができている、このラッキー・ストライクにそっくりな存在だった。


俺がそう言うと、老人は満足そうに頷き、一枚の封筒を俺に握らせた。それは、まるで上質な招待状のような手紙だった。中にはこう書かれていた。


「特別な招待状です。あなたのその鋭い直感に敬意を表し、本日、特別貴賓席にご案内いたします。メインレースにおいて、あなたが指名する馬が勝利した場合、破格の賞金、一千万円をご用意いたしました。ただし、外れた場合は…あなたの命は終焉を迎えます」


俺は全身から血の気が引いていくのを感じた。冗談か?馬鹿馬鹿しい。誰がそんな物騒な冗談を言うか。きっと、この老人のちょっとした遊び心だろう。そう考えなければ、俺の心は壊れてしまう。手紙には**「特別貴賓席:16」**と記されていた。俺は震える足で、指定された場所へと向かった。


特別貴賓席の扉を開けると、そこは豪華な調度品に囲まれた別世界だった。部屋には、俺以外にも15人の男女がいた。彼らは皆、様々な「運」と「努力」が交差する職業に就いている人々だった。


冷静沈着な表情の投資家。繊細な雰囲気をまとう芸術家。そして、高価なドレスを身に纏い、優雅な笑みを浮かべるプロの占い師。


彼らの会話は、俺の知る競馬談義とは全く違っていた。


「あの馬の走りには、私の作品と同じ、計算された美がある。この勝利が、私の次の創作意欲を掻き立てるだろう」と芸術家は繊細な手つきで語る。彼の賭け馬は、**8番の「ファインアート」**だ。


「完璧な血統、完璧な調教。この馬は、私のポートフォリオに欠かせない銘柄だ。運に任せるのではなく、データに基づいた選択だ」と投資家は冷静に分析する。彼の賭け馬は、**4番の「キャピタルゲイン」**だ。


「あら、私は信じるものを信じるだけよ。この馬のオーラが、今日勝利すると囁いているわ。運命の導きに従うのが、成功の秘訣なのよ」とプロの占い師はにこやかに笑う。彼女の賭け馬は、**7番の「フォーチュンクッキー」**だ。


俺は場違いな焦りを感じながら、部屋の隅に立った。すると、一人の女性が俺に近づいてきた。可愛らしい顔立ちに、意志の強そうな瞳を持つ、若きITコンサルタントだった。


「もしかして、あなたも招待状を?」


俺は小さく頷いた。彼女はにっこりと微笑んだ。「私の名前はカオリ。最近、あなたのことが業界で話題になってるわ。『運を呼ぶ男』って。ねえ、このレース、私たち、どちらが勝つと思う?」


カオリはそう言うと、俺の顔をじっと見つめ、挑戦的な笑みを浮かべた。


「私は、**1番の『ブラック・ダイヤモンド』**に賭けたわ。完璧な血統、完璧な調教。敗北を知らない最高の馬よ。あなたの運が、私の完璧な選択に勝てるかしら?」


俺は困惑し、眉をひそめた。「何を言っているんですか?」


するとカオリは、少し寂しそうな表情で遠くを見つめ、静かに語り始めた。「私は、ずっと運に見放されてきた人間なの。病気の母の治療費を稼ぐために、学校を辞めて、寝る間も惜しんで働いた。どんなに努力しても、すべてが裏目に出てしまう。そんな私の人生を変えたのが、このゲームの主催者だった…」


カオリは、自分を『運』で這い上がってきた人間だと言った。その表情は、傲慢さよりも、孤独と疲労に満ちていた。彼女にとって競馬は、ただのゲームではなく、これまでの苦労を正当化するための唯一の道なのかもしれない。


俺は、そんなカオリに同情にも似た親近感を抱いた。「俺は…**16番『ラッキー・ストライク』**に賭けます」


カオリは、俺の言葉を聞いて驚いたように目を見開いた。「ラッキー・ストライクね!あの問題児に?!」カオリの顔から笑顔が消え、真剣な表情になった。「その馬は、私たち二人の運命を分ける鍵になるかもしれない。あなたの幸運が、私の完璧な選択に勝てるか…私にとって、これほど面白い勝負はない」


カオリの言葉は、もう俺を不安にさせなかった。むしろ、共感を覚えた。俺もまた、冴えない人生を変えたくて、運にすがってきたのかもしれない。


やがて、メインレースが始まった。俺は、自分の直感を信じ、**16番「ラッキー・ストライク」**に賭けた。しかし、俺は馬券を握っていない。代わりに、部屋の中央に置かれた巨大なガラスケースが、俺たち16人の『賭け』を象徴していた。そこには、それぞれの賭け人が選んだ馬番が書かれたカードが入っていた。俺のカードには、もちろん「16」の数字が記されていた。


一方、カオリが賭けた1番の『ブラック・ダイヤモンド』は、圧倒的な強さで先頭をひた走っていた。


しかし、レースが始まると、俺が賭けたラッキー・ストライクは、予想通り序盤で出遅れた。他の馬たちが快調に飛ばしていく中、ラッキー・ストライクは騎手の指示を無視するように、後方で走りを乱す。俺は焦りを感じた。この能力は本当に正しいのか?それとも、ただの勘違いだったのか?


その時、部屋のライバルたちの声が、俺の耳に届き始めた。


「ほら見ろ!やはりデータ通りだ!4番が勝利する!」と投資家が勝利を確信したように声を荒げる。彼の選んだ**4番「キャピタルゲイン」**は、1番に次ぐ2番手につけていた。


「まだだ、まだ終わっていない…!美は、最後の最後に輝くものだ!」と芸術家が、祈るように両手を組んでいる。彼の選んだ**8番「ファインアート」**は中団に埋もれていた。


「ああ、なんて不安定な運気かしら。16番の馬には、強烈な運命の渦を感じるわ…でも、それだけじゃ勝てないわ」とプロの占い師は、不安そうに顔を曇らせた。彼女の選んだ**7番「フォーチュンクッキー」**は、ラッキー・ストライクと同じく後方だった。


「ユウキ…!」カオリが、不安そうに俺の名前を呼んだ。彼女もまた、自分の賭けに、そして俺の選択に、不安を感じているようだった。


だが、最後の直線に入ると、ラッキー・ストライクは信じられないほどの末脚を繰り出し始めた。他の馬をごぼう抜きにし、猛烈な勢いで先頭を追いかける。その姿は、まるで抑えきれない荒々しい本能が爆発したかのようだった。そして、ゴールラインを目前に、ついにブラック・ダイヤモンドを差し切り、見事1着でゴール。


「やった!当たった!」


勝利の興奮に震える俺に、老人が静かに部屋の中心に立った。「おめでとう、ユウキ君。君は勝利した。つまり、君は我々の『運』を動かす力があると証明されたわけだ」


その声に、部屋にいた15人のライバルたちが絶叫した。


「そんな!嘘だろ!」「やめろ!俺は降りる!」「こんなの聞いてない!」


彼らの悲鳴は、老人の楽しそうな笑い声にかき消された。


「君たちが賭けていたのは、この部屋の外にいるオーディエンスの『運命』だ。彼らは、君たちの運を信じ、君たち自身の人生に賭けていた」老人はそう言って、俺を指差した。「そして、君たちは、彼らの運命を動かす存在だ」


俺は全身から血の気が引いていくのを感じた。彼らは、俺自身を**『賭けの対象』**として、とてつもないゲームを仕掛けていたのだ。その様子は、世界中のVIPたちの間で、プライベートチャンネルを通じて生中継されていた。俺たちの悲喜交交は、彼らにとっては最高のエンターテイメントだったのだ。


その時、壁に備え付けられた巨大なスクリーンが点灯した。そこに映し出されたのは、勝利の興奮に震える俺の顔だった。カメラが、俺の荒々しい表情を鮮明に捉えている。俺は初めて、自分が全世界に晒されていることに気付いた。


隣にいたカオリが、ふいにその場に泣き崩れた。彼女の目からは大粒の涙がとめどなく溢れ、その表情は絶望に満ちていた。


「もう…いやだ…」カオリは嗚咽を漏らしながら、何度も繰り返した。


俺は、彼女の姿を見て、心が張り裂けそうになった。彼女は、このゲームの恐怖を、俺よりもずっと前から知っていたのかもしれない。彼女は、俺と同じように、この恐ろしいゲームの駒だったのだ。俺は、彼女をこのゲームから解放してやりたいと強く思った。この場所から、この悪夢から、二人で抜け出すために。


俺はカオリの手を掴み、誰もいない部屋の隅に引き寄せた。「大丈夫だ。俺が必ず、お前をここから出してやる」


カオリは驚いたように俺を見つめた。その瞳に、初めて希望の光が宿るのを見た。競馬場の喧騒は、もう俺には遠い世界の出来事のように聞こえた。俺はただ、自分がとんでもない運命に巻き込まれてしまったことを、ぼんやりと理解するしかなかった。だが、隣にいるカオリの存在が、俺の心をわずかに強くしてくれた。


俺たちが部屋を出ようとすると、老人が行く手を阻んだ。


「ユウキ君、どこへ行くんだね?」


俺は、カオリの手を強く握りしめ、老人を真っ直ぐに見つめた。


「次の賭けは…いつだ?」


老人は、俺の言葉に満足そうに笑った。「ほう、自分から申し出てくるとは。さすが『運を呼ぶ男』だ」


「カオリをこのゲームから解放する。それが、次の賭けに参加する条件だ」


老人は、にやりと笑い、俺たちの後ろを指差した。


「いいだろう。君のその覚悟、見事だ。他の者たちは、すでに君の勝利で勝負を終えている。彼らにはもう、次の舞台は用意されない」


老人が指を鳴らすと、部屋の壁が開き、無表情な男たちが他の参加者たちを、まるで荷物のように連れ去っていく。投資家は虚ろな目で、芸術家は顔を歪ませ、そして占い師は絶望的な表情で、その場に崩れ落ちた。彼らの絶叫は、すぐに遠ざかり、やがて無音になった。


「君が次の賭けに参加すれば、彼女の運命は保証しよう。彼女だけは、ここから自由にさせてやる」


俺は、老人の言葉に動揺した。俺一人の問題ではない。カオリの運命もかかっている。


カオリは俺の手を握り直し、静かに言った。「大丈夫。私は、もう一人じゃないから」


その言葉に、俺は決意を固めた。俺は、カオリを救うために、このゲームに立ち向かうことを決めた。


「ああ、そうだ…」老人は満足そうに笑い、俺の耳元で囁いた。「実は、私も参加者の一人なんだよ。君の賭けの代理人としてね。君が勝てば、私の勝利も確定する。君の**『幸運』**が、私の莫大な資産をさらに増やしてくれるわけだ」


俺は全身から血の気が引いていくのを感じた。この老人は、俺に気づかれないように、俺の幸運を自分の賭けに利用していたのだ。俺は、彼にとってただの『幸運の道具』にすぎなかった。


「次の賭けは、いつだ」


俺は震える声で尋ねた。


老人は満足そうに笑い、こう告げた。「明日だ。場所は…」


老人が持っていたタブレットに映し出されたのは、東京の中心部に位置する、巨大な証券取引所の映像だった。


その瞬間、カオリが俺の腕に強くしがみつき、震える声で言った。「怖い…ユウキ…私、怖いよ…」


彼女の頬に流れる涙を親指でそっと拭う。俺は、その涙を止めるために、このゲームに勝たなければならない。俺の命だけでなく、彼女の未来もかかっている。


「大丈夫だ。俺が、必ず勝つ」


そう言って、俺は彼女の顔を両手で包み込んだ。そして、彼女の唇に、そっと自分の唇を重ねた。それは、勝利の誓いであり、恐怖を乗り越えるための、たった一つの確かな希望だった。


「次の賭けは、**『運命の株価』**だ。君の選択が、この国の経済を動かす」


老人の言葉が、俺の頭の中で響いていた。


「人生は、勝負から降りない限り、負けじゃない」


そう、まだ負けていない。俺の勝負は、まだ始まったばかりだ。

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