ナンシーさん
やあ、ひさしぶり。
しばらくご無沙汰していたね。え? ずっと店が閉まっていたって? ……ああ、ごめんごめん。わたしも何かと忙しくてね。
ああ、ところでまたこんな時期にここを覗いたということは――また、怪談話を聞きたいってことかな? いやあ、君も物好きだよね。好き好んで、ホラーな話を耳にしたいなんて。
そう? 絵空事だと思っているから、気落な娯楽として聞けるってことかい? ははは。
では――噂話にまつわるエピソードをひとつ。……と、その前に訊くけれども、『君は、ネット小説をかいていたりするのかな』?
ああ、大した意味はないんだけれどね。もし書き手だったら、身につまされる内容かもしれないと思っただけさ。
じゃ、始めよう。
これは、とあるネット小説作家に起こった出来事だ。
まあ、作家と言ってもプロじゃない。今は、素人でも自由に表現できる環境が整っているからね。
いや、素人だからってバカにはできない。
それは、君も知っているよね? 下手なプロよりも面白い作品はいくらでもあるし――人気が出れば、本になったりドラマになったり。そんな夢のような話だってある。もっとも、作品が多すぎて、なかなか日の目に当たらない作品もあるんだろうね。
面白いのに、残念なことに。
――で、今回の主人公であるネット小説家――M君としよう。彼はきちんと仕事をやりながら、十年近く細々と書き続けていた。
わたし個人としては嫌いじゃないジャンルだけど、いわゆる大手ジャンルとは違ってね。
まあ、中堅より少し下くらいの評価だったわけだ。
彼自身、忸怩たる感情を抱えていたんだろうね。もっと評価されたい。人気になりたい。
だからと言ってあこぎな手段に手を伸ばすこともなかった。
地道に、何人かの作家仲間と交流をしながら、創作を続けていた。
そんな折――ひとりの作家仲間から聞いたわけだ。
『ナンシーさん』の噂話をね。
ナンシーさん。
彼女――かは、わからないけれども。それは、ネットの世界に存在する小説の推敲アドバイザーのことだ。
何でも、依頼者の小説を的確に批評してくれて、そのアドバイスに従えば作品が何倍も面白くなるということらしい。実際、そのおかげで人気作になった作品がいくつもある。
その中には、M君が知っている作品もあった。
――ただね。
その作品の作家は、作品が人気になり書籍化が決まった直後――行方不明になってしまったらしい。事実はどうだかわからないけれども――現実、その作品の書籍化を作家自身のページで発表されてから、作品の更新はぴたりと止まってしまった。
しばらくしてから、出版を打診していた会社から――作家音信不通のため、書籍化中止のアナウンスがあった。
ねえ、少し怪談らしくなってきただろう?
そもそも、その『ナンシーさん』に出会う条件が、都市伝説じみているのさ。
深夜0時から1時の間に、自身のパソコンなりスマートフォンなり、『ネット小説を執筆している端末』から、自分自身のアドレス宛にメールを送る。
『ナンシーさん、わたしを見つけて下さい』
という文面で、月曜日から金曜日の5日間、計5回。土曜日はお休みで、そうすると、日曜日の深夜0時に端末に『ナンシーさん』からのメールが届くという話だ。
――で、ナンシーさんって言うのは、確かに作品へのアドバイスをくれる。噂通りに、作品はメキメキと面白くなっていく。
まあ、これで終わってしまったらホラーでも何でもない、ただのネット世界に存在している小説好きってだけのことさ。
お察しの通り。
ナンシーさんは、人間じゃない。
つまりは、悪霊じみた存在なのさ。憑りつかれた人間は、少しずつ生命力を奪われていき、ついには死に至る。だから、M君が知っていたネット小説の作家も、その犠牲になった。
――と、まあ、そういう話。
それで――
ああ、M君は『ナンシーさん』の儀式を試しかったってことかい?
……いや、彼はそういった怪談系の話は信じるタチだった。
だから、その儀式も行わなかった。
これで終わり? ――まさか。
それじゃあ、話が続かないよ。
M君自身が、儀式を行うことはなかった。けれど、その噂話を聞いてから――半月ほどして、ある人物から連絡があったのさ。
高校時代の部活仲間で――ああ、M君は文芸部に属していたんだよね――、その名前は仮にA君としよう。
卒業してからも、しばらくは仲良くしていた。けれど、1年ほどしてから、とあるきっかけで疎遠になってしまっていた。
それが、突然向こうから連絡があった。
本来なら、連絡がつかないようにする方法はあった。メールアドレスを変えてしまってもいいし、登録していた電話番号を着信拒否にしてしまってもよかった。
それをしなかったのは――まあ、M君にも少し未練はあったんだろうね。
ともあれ、A君からの連絡内容。
それは、自分がその『ナンシーさん』に出会ったという用件だったのさ。
◇
最初は、突然の連絡に対する謝罪と近況への質問。
『よう、ひさしぶり。突然に悪いな。元気してるか?』と、そんな感じでね。
正直、複雑な感情だったM君だけれども、高校生時代に仲の良かった時期もあって――少し迷ってから、返信した。
で、数度やりとりするうちに、A君が謝ってきた。
疎遠になったきっかけって言うのは、A君がM君にマウントをとったのが原因さ。高校時代のM君は気弱で、発言の強いA君に振り回されているふうだった。そのことに不満はもちろんあったけれども。M君が自分に自信がないことが原因で、その関係に甘んじていた。
それが、卒業後に一気に噴出したんだろう。
理由は、M君の書いていたネット小説。文芸部ってことで、ふたりとも学生時代から小説を書いていた。それが、卒業してからお互いにネット小説を始めた。
――そのM君の作品を、貶めるような発言をA君がしてしまったのさ。
さすがにM君も、それは容認できなかった。それだけ、彼が自分の作品に本気だったのか。
いや、それまでに少しずつ溜まっていた鬱憤や違和感が爆発したのかもしれない。何はともあれ、それからM君はA君に連絡をしなくなった。
A君も察したのか、彼からも連絡がこなくなった。まあ、そもそもM君から連絡することが多かったらしいんだけれどもね。
それって、そもそも対等な友人関係だったのかな。
少し長くなるから割愛するけれども――
A君がそのことを謝り、M君もその件はそれ以上追及することはなかった。
それで――しばらくぶりに、母校近くで会うことになって。
その時に、『ナンシーさん』の話題が出たわけだ。
曰く――
自分は、彼女のおかげで作品が面白くなった。その時にM君は知ったのだが、A君も同じく、一緒の投稿サイトでネット小説を書いていた。
そして、その作品名をM君は知っていた。
それは、少し前から急激に人気を博していた作品。
A君は、それが『ナンシーさん』のおかげだと言っていた。
――もちろん、M君はA君に尋ねたよ? ナンシーさんは悪霊で、それがA君の身体に悪影響を与えているのではないかと。
そうしたら、A君は軽く笑った。
――その笑い方が、学生時代にマウントをとっていた印象に見えてしまった。少し嫌な感覚を思い出したけれど、M君はそこには触れなかった。
そんなのは、ただの噂話。
悪霊のナンシーさんなんて、現実にはいない。
実際は、ただの小説好きの人間。それも、小説だけでなく、漫画や映画、それも最近のエンタメ系だけではなくて、古典文学、海外の名作、あらゆる作品に精通している。
だから、ネット小説に色んなアドバイスをくれるし、そのおかげで自分の作品は大人気になった。
M君には、思えば嫌なことをしてきた。だから、罪滅ぼしってことで――自分が知り合った『ナンシーさん』を紹介してくれると言うのだ。
もちろん、M君が今でもネット小説を続けていることを確認したうえでね。
――で、M君はナンシーさんの連絡先を教えてもらった。
確かに、A君の言う通りだった。
彼女はM君の作品の全てに目を通して、的確な批評とアドバイスをくれた。それを参考に手直ししていくと、確かに作品は面白くなっていった。
それだけじゃなくて、熱心な読者になってくれた彼女の存在は、執筆を続けていくモチベーションにもなった。
そう。
ここで終われば、ただのハッピーエンド。
もちろん、そんなことはないよ。
A君がM君に『ナンシーさん』を進めたのには、もちろん裏があった。
――いや、彼女が悪霊だったわけじゃない。
それは、本当。
ただ、彼女とのメッセージのやりとりには、少々問題があったのさ。
作品を丁寧に読んでくれる。アドバイスもくれる。
それは、確かにありがたい。
けれども、その連絡内容に問題があった。
M君が作品を上げると、数時間以内にはサイト内で感想がつく。それから別に、メッセージで追加内容が届く。それも、びっしりな文面でね。
話した通り、M君は社会人。
仕事しながら、小説を書いている。だから、四六時中、反応できるわけじゃなかった。感想に対するレスや、メッセージへの返信、それを踏まえての作品の執筆。仕事が忙しい時には、滞ることもあった。
けれども、彼女はそんなことはお構いなしに――続けざまに連絡をしてくる。連絡が遅れると、責めるようなこともあった。
そう。
きっと、A君にもそうだったんだろう。
自分の作品が人気になったから、もう用済み。わずらわしくなった『ナンシーさん』をM君に押し付けたかった。
……いやいや、ひどい話だね。
まあ、とりあえずそのことは置いておこう。
最初のうちは連絡が遅くなったことに、謝罪していたM君。
けれども、彼女のメッセージはエスカレートしていく。たまりかねて、ついにM君は怒ってしまった。
こちらの都合も考えない、一方的なメッセージの連続はやめてほしい。迷惑だと、そんな連絡を返してしまった。
――まあ、仕方ないことかもね。
それだけナンシーさんの連絡は異常だったから。
それから、彼女からの連絡はこなくなった。
しばらくはすっきりしていたM君だったけれども――冷静に思い返せば、すまなくなってきた。
そもそも無償で、熱心に読んでくれて、長いアドバイスもくれていた。ありがたかったのは、事実だ。
そのまま、放っておいてもよかったのかもしれないけれど――そこが、M君の人の好いところだったのかもしれないね。
もう一度、ナンシーさんにメッセージを送ったというわけさ。
◇
「……ふう、思ったより長くなってしまったね」
――それで?
その先は、どうなかったかって?
うん――結論から言えば、ナンシーさんから返答はあった。
彼女も彼女で反省していて、何度かやりとりをするうちに――より親密な仲になっていった。
実は、ナンシーさんの正体は、不登校の学生。クラスで孤立して、学校に通わなくなってしまっていた。
その持て余した時間を――ネット小説に費やしていたというのが事実。そりゃあ、仕事をしている社会人のM君より、時間があったのは当然だよね。
そのことを知ってから――
M君は、しばらくは彼女の問題のことでやりとりするようになっていった。執筆活動は少しお休みというわけだ。
そんなことで2ケ月くらいが過ぎて――彼女も、少しずつだけれども学校に通えるようになっていっ
た。ちょうどクラス替えのタイミングもあって、3年生に上がったクラスで友人もできたらしい。
――そう、なんと彼女はまだ中学生だったということさ。
M君は、期せずして一回り以上も下の中学生女子と仲良くなっていたという現実。いやいや、羨ましい限りだね。
しかも――だよ。
M君に恩を感じた彼女から、実際に会いたいという流れになってしまった。
やりとりをするうちにわかったのだけれど、彼女はM君の母校近くに住んでいる。だから、それほど遠い距離に住んでいるというわけでもなかった。
M君はM君で――、彼女と出会うことを軽く考えていた。昼間の明るい時間だったし――そもそも、彼女を男子学生だと勘違いしていたのだよ。
それまでは匿名のメッセージのやりとりだったし、彼女と特に盛り上がったのが大人気の少年漫画の話題だったし、自分はネット小説のサイトでは性別と年代は明かしていた。
アラサーの社会人男性。そんな自分に、女の子から会いたいなんてくるわけないってね。
――だから、約束間近になってスマートフォンの連絡アプリにお互いを登録した時に、ナンシーさんの本名を知ってびっくりした。
どぎまぎしながら、待ち合わせ場所に向かうと――待っていたのは、可愛らしい女の子。いやほんと、ヒトによっては腹が立つことだろうね。ははは。
彼女はひとりじゃなくて――付き添いに、背の高い強面の男性がいた。彼女のお父さんだった。娘が心配でついてきて――まあ、今にも殺されそうな感じで睨みつけられたって言うよ。
けれども――ほら、M君の話はここまで。
……ん?
M君のネット小説は、それからどうなったって?
まあ、それからもナンシーさんとの交流は続いた。高校生になって、引きこもりだった頃より当然に時間は減ったけれども――彼女の知識量に裏付けられたアドバイスはあった。
その結果、M君のはそこそこに人気の出る作品を上げられるようになったよ。
書籍化? 映像化?
いやいや、そこまではいかないよ。彼女は『噂にあるナンシーさん』ではなくて、ただの女子中学生。いくら的確なアドバイスがあっても、全部が全部、人気作品になれるわけじゃない。
――だから、M君の作品がそこまで大人気になるまではには、至らなかった。
――不消化な結末?
そんなことは、ないよ。M君はこれからもネット小説を書いていくだろうし、可愛い女友達もできた。
何より、死ななかった。ハッピーエンドじゃないか。
……え? ああ、そうそう。
確かに。
ホラーとしては、失格だよね。
そもそも、ナンシーさん。
彼女が、ただの人間で、怪異じゃなかったなんて肩透かしもいところだよね。
結論を言えば――
ナンシーさんは、確かにいるんだよ。
噂通り、憑りついた相手に才能を与えて、そして命を奪う怪異はね。
ただ、はじめにA君が出会って、M君に押し付けた彼女は違ったってだけのこと。
因果応報。
聞いたこと、あるだろう。
良い行いには、いい結果が。
悪い行いには、相応の報いが。
ねえ、A君のしたことを――君はどう思う?
この先、A君が『本物のナンシーさん』に出会うかどうかは読者の感想次第です。