現実逃避は必ず失敗する
人間にとってテーマとは何だろうか。
極論だけど、他人と一緒に何かしている時、他人を応援している時、他人事に関わっている時というのは全て現実逃避なのだと思う。ここでいう他人というのは家族や恋人だったり、タレントやアイドルだったり、射程は幅広い。つまり自分以外を指す。
スポーツ観戦やアイドルのライブなんかで盛り上がっている時というのは、多くの人は自分のことを頭から締め出して、選手やステージ上のアイドルに神経を集中していると思う。映画やテレビ番組、投稿動画なんかを観ている時も同じような状態か。後者の方が没入感は少ないかもだけど、意識の大きな部分が自分以外に向けられることには変わりない。
電車の中や食事中もスマホ片手に動画に見入っている人も多い。そういえば、スマホって、スマートフォンの略ならスマフォが正しいのではないか。電車の中はともかく、食事中に動画を観るのはやめなさいよ。行儀が悪いし、色んな意味で衛生的によろしくないと思う。常に情報端末を手にしている人たちを見ると、情報に支配されているみたいで、ディストピア的な世界が成立しているんだなと薄寒い気持ちになる。
多くの人が関心を持つ情報というのは、他人の生活、他人の生き方に関する情報ではないかと考える。逆に自分の身の振りに関わる情報には関心が薄いように思える。自分の将来の不安につながる情報よりは、どこそこのタレントが不倫しているだの、どっかの動画配信者が大儲けしているだのという情報に関心を持つ傾向にあるのではないか。そんな情報、自分の生活にほとんど関わりがないのに、さも世界の命運に関わる貴重な情報のように扱う。いらない情報が多すぎるのだ。
何故そんなことになるのか。自分の現実、というよりは自らの将来への不安から目を逸らしたい、という心理が強く働いているのではないかと考える。不安というのは、年金がもらえるだろうかとか、病気になるのではないかとか、家のローンを返せるだろうかなどといった、人生の過程に落っこちている事象ではなく、誰しもが最後に迎える事になる、自分がこの世から去るという結果に対する不安だ。
昔から人は自分の命の終わりに向き合うために物語を作っていたのだと思う。王様が大きな墓を作ったり、芸術家が絵や彫刻、詩などの作品を作ったりしたのは、いずれも物語を紡ぐことと同義なのだ。決して自尊心やお金儲けだけが理由だったのではない。現実への抵抗という側面もあれば、自分との折り合いをつけるという側面もあったのだろう。ただ、どんな物語を紡ごうと、命の終わりというのは誰もが未体験であり、その恐怖を克服することはできないと思う。だからと言って、自分の現実と向き合うことが無駄なことだとも思わない。結局はどんな心構えで、自分の現実、命の終わりと向き合うかというのが、人間が取り組む最大のテーマなのだ。
このテーマへの向き合い方に決まった道はないのだろうけど、どうせなら地に足をつけて、しっかりとした基盤の上に立ちたいと思う。現実から乖離した物語ではなく、フィクションであろうとも、現実に視線を向けているものが良い。その場凌ぎの、安易な現実逃避ばかりを好んでいると、ガタガタの土台に乗って、不安を大きくしながら最後を迎えることになり、大変な後悔をしそうなのだ。
終わり