第2話 ゴミとガラクタ
翌日も、同じように掃除を行った。違うところといえば、私の服が学校指定のジャージに変わったこと。髪を後ろで一つにまとめ、ガラクタの処分にかかる。
積み上げられたガラクタたちは、もしも今地震が起きてしまえば、全力で私を押し潰してくれるだろう。よく床が抜けないなと感心する。片づけていると、ガラクタたちが真下に滑り落ちてく場所があった。掻き出してみて、分かった。床はとっくに抜けていたのだ。
ふと、赤い何かが見えた。ハッとしてみたが、もう何もなかった。一瞬、血かと思ってしまった。見間違いだろうか……。
その後も、無心でゴミを捨て続ける。
大量の達磨。
心臓の模型。
紅茶のティーセット。
キラキラ輝く大きなロザリオ。
木彫りの熊。
虹色に輝く変な茶碗。
私にでも分かる、明らかに高価なものもあった。でも、私はとり憑かれたように捨て続ける。ゴミなんだ、全部。ゴミ。ゴミ。ゴミ。高くても安くても、綺麗でも、みすぼらしくても、観賞用でも、実用的でも、全て等しくゴミ。私が認定してやる。お前たちはゴミだ。ゴミ、ゴミ、ゴミ……。
気がつけば、私は笑っていた。自分でも分かる嗜虐的な笑み。だって仕方ないじゃない。楽しいんだから。国宝でもなんでもこい。全部私が捨ててやる。
ふと、手が止まる。
一冊の本が出てきた。
文庫本だ。少し焼けてはいるが、まだ十分に読める。このまま古本屋にもっていけば、十円くらいはつけてくれるはずだ。
ヘンリック・イプセンの『人形の家』。
……母の愛読書だったっけ。
同じ本が、家にもあった。ちょうどこのサイズの文庫本で……表紙の絵もこんな感じだった気がする。でも、いつからか読んでいる姿を見かけなくなった。どうしてだっけ。
そうだ、思い出した。
確か、私が捨てたんだった。
悲し気にうつむく、母の姿が頭に浮かんだ。
文庫本を青い籠に放り投げる。
クソゴミが……!
あの女は私ではなく、あの男を選んだんだ。私を助けてはくれなかった。見て見ぬふりをした。今さらになって、ようやく私の母親であることを思い出したらしい。今では私に怯えている。私の目を見ることさえできない。
こらえ切れず、私は近くの木の置物を掴むと、放り投げた。そのまま、狂ったように物を投げる。ガラクタを殴り、蹴飛ばす。ゴミは死ね。死ね。死ね――。
うわ、私めっちゃ暴れてるわ。キモーっ。やばいでしょ、これ。
頭の中は、やけに冷静だった。
癇癪を爆発させるガキを、冷めた目で見つめていた。籠をひっくり返して。せっかく集めたゴミを散らかして。満足か。馬鹿め。
すると、背後から抱きしめられる。振り返ると、おばさんだった。
「落ち着いた?」
「はあ……はあ……何が……?」
息を荒くして、私は答える。
「手、見せて」
「手……?」
どこで切ったのか、私の手は血で染まっていた。どうやら手のひらを切ったらしい。痛くはなかった。全身が汗でぐっしょりで、気持ちが悪かった。
おばさんはガラクタの中から私を外に連れ出すと、傷の手当てをした。
おっさんがお茶のペットボトルを持って戻って来た。
「ほい、これ」
正直に言えばおっさんからもらったものなんて絶対に飲みたくない。でも、喉が渇いている。とても渇いている。仕方なく、受け取った。おばさんがキャップを開けてくれ、その場で飲んだ。一気に半分ほど飲む。
まだ時間ではなかったが、その日はそれでお開きになった。
「明日は軍手を持ってきなさい」と、帰り際におばさんは言った。
「そんなの、ない」
「買えばいいでしょ」
おばさんは当たり前のことを言った。私は頷くと、一人で駅へと向かった。
翌日、新品の軍手を持参して、私は掃き溜めに向かった。
昨日に暴れた分、部屋は余計に散らかっているように見えた。
おっさんが素っ気なくなった気がするのは、また私が暴れないだろうかと恐々としているからだろう。おばさんの方は変わらない。同じ観察官でもおばさんの方が不良の扱いには慣れているようだった。
私が手を怪我してしまったからか、おばさんが手を貸すようになった。重いものを籠に入れる時なんかに私がチラリと見ると、一緒に運んでくれる。話しかけてきたら嫌だなと思っていたが、おばさんは何も言ってこなかった。
昼の休憩を終え、ゴミの群れに戻っていると、火鉢につまづいて転んでしまった。
「何やってるの」
おばさんは私を立たせてくれる。
「ありがと」
間抜けな姿を見せたのに、礼も言わないのは恥の上塗りだ。普通に礼を言うと、おばさんは微かに口角を上げた。
つい顔を逸らすと、おばさんの後ろにある物が目に入った。どうして気づかなかったんだろう? こんなに明るい色なのに。埋もれていたとしても、気がついたはずだ。いや、確かにさっきまではなかった。今急に現れたような……。
私があまりにも見つめていたからだろう、おばさんも振り返る。そして、バッグを見る。
ズタズタに切り裂かれた、ピンク色のミニバッグ。
「あなたの?」と、おばさんは言った。
「違う!!」
思わず叫んでしまってから、ハッとする。
馬鹿だ。私の物がこんなところにあるはずがない。冗談なんだ。
しかし、おばさんは笑っていなかった。真剣な目でボロボロのバッグを見つめている。
「今日はここまでにしましょうか」
私はバッグを掴むと、青い籠に投げ入れた。
トラックの荷台に籠を乗せると、私たちは道路に出た。二人はそのまま駐車場へと行く。
「あの」
彼らの背中に向け、私は言った。二人は立ち止まり、振り返った。
「鬼って、何なんですか?」
「乗る?」
おばさんは車のロックを解除した。
小さな車に三人はきつかったので、おっさんは下ろされた。駅まで歩いていくおっさんの後姿を見送ると、おばさんは車を出した。
「あのバッグ、知ってるのね」
「私が買ったのに……似てた」
ぼそりと、私は呟く。「自分が稼いだお金で買った、初めてのもの」
「あれ、結構高いんじゃないの? そんなに欲しかったの?」
「別に……欲しかったんじゃない。お金が貯まったから、買っただけ。最初は気に入ってたかもしれない。でも、あの色が……気に入らなくなった。気持ち悪くなった。だから捨てた」
「ナイフで切り裂いて?」
「ムカついたから」
どうしておばさんなんかに、こんなことを話しているんだろう。こんな、自分の領分に踏み入るようなこと……。でも、不思議とムカつく感じはしなかった。
「やっぱりあのバッグ、私のなんだ。あの本も、あの人形も……」
信号で、車が止まった。おばさんはふーっと息を吐き、ハンドルを握った手に顎を乗せる。
「鬼は、人の心の中に入るのよ。あなたの記憶から再現しているの」
「そんなことができるの?」
「私たちは鬼の夢の中にいるって言う人もいるくらいよ。彼らは何だってできるのよ。あのアパートにしたってね、管理会社は誰も高尾なんて人と契約した覚えはないの。いつの間にか、契約されているのよ。人に興味を持つ鬼の近くでは、そういう現象がよく見られるそうなの。もっとすごいのだと、誰も知らないビルがある日突然建っていたり、一晩で区画が変わっていたりということもあるらしいわ」
「本当……?」
おばさんは私を見て、フッと笑った。
「私たちは生まれた時から、ずっと鬼の中で生きている。鬼は時に優しく、時に厳しく私たちを見守って来た。彼らにとって私たちが何なのかは分からない。他の生物とか植物と同じように思っているのかもしれないし、違うかもしれない。確かなことは、彼らが私たちと共存したいと思っていることでしょうね。でなければ、とっくに滅ぼされているはずだもの」
「確かに」と、私は小さく頷く。
「でも、これほど人間に干渉する鬼は珍しい。きっとあなたに興味を持っているのね」
「高尾さんが?」
「ええ。人間の中には、鬼に好かれる者がいるの。鬼に近い何かを持って生まれた子供たち。鬼の傍では、よくそんな子が生まれて来る」
「私も……そうだって?」
「可能性の話だけどね。私たちは鬼子って呼んでるんだけど、鬼子は生まれた時から鬼に目をつけられているから。栄養っていうのか、パワーみたいなのを普通の人よりも鬼から与えられてるの。でも、人間に鬼の力なんてとてもじゃないけど扱えるわけないでしょ? だから変に目立った形でそれが出てしまう。人はそれを才能って言ったりするのかもしれない。でも良い方向だけだったらいいけどね、悪い方向に出ることもある」
「私みたいに?」
「さあ。人よりも感受性が鋭い子だとは思うけど、それが悪い方向だとは思わないけどね」
「ふん」
私は頬杖をついて、窓の外を見る。遠くに高尾さんが見えた。
「この清掃活動と、鬼子は何か関係あるの?」
高尾さんを睨みつけながら、私は尋ねる。
「うーん」
おばさんの方を見ると、彼女は車の天井を見つめていた。そんなに難しい質問をしたつもりはなかった。つまり、話せないことなのだろう。
やがて、決心したように私の方を見る。ちょうど、車が動き出した。
「鬼子たちは……まあ、問題児が多いのよ。だからね、更生させるために鬼のところへ行かせるの」
「答えになってないけど」
「そうね。んー、つまり……昔から行われていたことなの。鬼の子は鬼に返す……。定期的に鬼の元へ人を行かせれば、鬼は暴れたりせず、私たちを守ってくれると信じて」
「生贄ってこと?」
「人身御供のようなものだったんでしょうね」
それから、おばさんは慌てたように手を振る。
「もちろん、鬼と人が今よりももっと近かったころの話よ。今は鬼が目覚めることもないしね。ただ、さっきも言ったように、鬼は人の心を映し出すの。本人が忘れていたこと、忘れようとしたことを直視させる。否応なく自分を形成するものを受け止めることになる。それが、結果としていい方向に行くことが多いのよ。だから、更生方法として使われるの」
「その昔の……鬼のところに行った人たちは……食べられたの?」
「多分」
「鬼に食べられちゃったら、どうなるの?」
「鬼と一つになると言われてる。みんなの記憶からは消えちゃって、ずっと鬼と一緒に生きていくの」
「それじゃ、今でも鬼は人を食べてるかもしれない。みんな忘れてるだけで」
「そうかもね」と、おばさんは感情を滲ませない声で言った。
「……私が何をしたのか、知ってる?」
「まあね。資料で読んだ」
「鬼は食べたいと思うかな」
「どうだろう。お腹を壊しちゃうと心配するんじゃないかな」
真面目な顔でおどけたことを言われ、つい顔を背ける。でも、小刻みに震える肩を押さえることはできなかった。
施設の近くで、車は停まった。
「気をしっかり持ちなさい。そうすれば、鬼はあなたの中に入ってこれないから」
「分かってる」
「また明日ね」
そう言い残し、卯目さんは去って行った。
ジャージのポケット深くに手を突っ込み、大仰に肩を怒らせながら、私は施設に帰った。
翌日からも私は掃除を続けた。
気をしっかり引き締めているからか、ゴミの中に私の物は見かけなくなった。
「休憩する?」
卯目さんはタオルを私に手渡すと、言った。
「……ありがとうございます」
タオルで首の汗を拭う。気持ちよかった。
「明日で終わりね」
「長かった」
私は息を吐き、部屋を見回す。
大方片付いた。
あとは一角に少し残っているだけで、明日には十分片付くだろう。
「久しぶりに家にも帰れるわ」
「別に、どうでもいい」
「お母さん、とっても心配してるわよ」
「知ってる」
スマホには未読のメールが大量にある。今さら何を話せばいいのかも分からない。どうせ、私の顔を見もしないくせに。施設で何度か顔を合わせたが、私が罵声を浴びせるだけで終わった。互いに嫌な思いをするだけだから、もう会いたくもないというのが本当のところだけれど。
「何事もなければいいけどなぁ」、うちわで顔を扇ぎながらおっさんが言った。
卯目さんの運転する車は、乗り心地が悪かった。ブレーキを強くかけるので、止まるたびに体が浮いてしまうからだろう。まあ、これも明日までだ。
「あのゴミってどうなるの」
「あなたが保存用の籠に入れたものは、捨てずに再利用されることになってる。児童養護施設に送られたり、とかね」
「どうせゴミでしょ」
「まあ、ガラクタだとは思うけど」
「ガラクタってゴミじゃない」
「うーん。こういう仕事続けてるとね、ゴミなんてないんじゃないかと思う時があるのよ」
「どういう意味?」
「あなたがいらないって決めたとき、初めてゴミになるのよ。それまでは壊れていても、使いようが無くても、ただのガラクタ」
「……ふん」
窓の外を見る。
それでも、あそこにあるのはやっぱりゴミだ。
だって私がそう思うから。




