第1話 高尾さんの部屋
ため息をついてスマホを通学用のバッグにしまう。
足を組み替えると、前のシートに座っていた小太りの男が目を光らせた。汚い視線が足から胸にかけて這うのを感じる。馬鹿みたい。
駅から出ると、二人の男女が私を迎えた。
一人は腹が出た中年の男。ネイビーのシャツの首周りが汗で濡れている。しきりに額をハンカチで押さえていた。絶対に臭いし、傍にいたら卑しい目で見られるに違いない。場合によっては触られることもあるだろう。キモイし、死んでほしいと思う。
女の方はもうどうしようもないなこれ。丸い眼鏡をかけたブスで、多分男よりも年上だと思う。小学校の時の保健室にこんなのがいた。手には指輪をつけているが、こんなのでも結婚できるんだと感心する。口を開けば正論しか言わないタイプだろう。ムカつくし、死んでほしいと思う。
「ええっと、隠村さん……だったね?」、おっさんは資料と私を見比べて言った。「隠村……鏡ちゃん?」
コクリと肯いた。
「隠村鏡ちゃんよ」
チッ。
「あなた、本当に人の名前覚えないわね」と、おばさんが呆れたように言った。
「ふうん、おのむら……ね。鏡であきらって読むのか。珍しいねぇ」
おじさんは人好きのする、と自分で思っているんだろうキモイ笑みを浮かべて言った。キモイが移ったら嫌だから、無視をしてスマホをいじる。
「私は卯目」と、聞いてもないのにおばさんが言った。「そしてこっちの汗かきは坂田。今日から一週間あなたの指導を担当します」
「よろしくね」と、おっさんは言った。
返事の代わりに睨みつけてやった。
おばさんたちに誘導され、私たちは目的の場所へと向かう。気を使っているのか、時折二人は話しかけて来たが、無視をする。駅から大通りを少し歩き、小道に入った。しばらくして、ある建物の前で立ち止まった。木造のボロアパートだった。二階建てで、住人は恐らく過度の貧乏人か、瀕死の老人であろうことは間違いない。いたるところが錆びだらけ。こんな場所に住んでいると、心まで貧乏人になってしまうに違いない。
一階の102号室のドアの前でおばさんは立ち止まる。表札には高尾と書いてあった。やけに達筆だ。おじさんが鍵を開け、私たちは中に入った。
酷い部屋だった。とにかく物が溢れ、歩く場所もないくらいごっちゃごっちゃしている。
よくぞこんなに散らかすことができたものだと感心するが、それ以上に殺意を抱く。蠅がたかっていないことが救いだった。恐らく、生モノの類はないのだろう。そういえば、冷蔵庫もない。電気も通っていないのかもしれない。
「ここが高尾さんの部屋。これから一週間、隠村さんにはこの部屋を掃除してもらいます」
事務的におばさんは言う。
「僕らは監督だから手伝えません。外のトラックに運ぶ協力くらいはするけどね。まあ、大変だと思うけどそこは罰ってことで。頑張って」
おっさんが言う。
やれやれ。
私はバッグからマスクを取り出すと、顔につける。
近場の塊へと向かう。
何だこりゃ。下駄にブーツ、ローラースケート。靴ゾーンなのだろうか? 玄関近くのこの場所に、靴を脱ぎ棄てることにしているのだろうか。馬鹿め。
まったくもう。部屋が汚くても平気な奴は、優先的に殺すべきだ。そうすると綺麗好きだけが残る。綺麗好きどうしが子供を作り、綺麗好きの子供が生まれる。人類は綺麗好きになり、私も汚部屋掃除なんてしなくてよくなる。
ゴミが……。
しかし、少年院に送られるよりはマシだ。
いや、本当にマシだろうか?
まあ、辛うじて。
非行少年の更生プログラムが現在のものに変わったのは、もう何十年も前だ。誰が決めたのかは知らないが、どうせ半分ボケたジジイがうつらうつらしながら適当に決めたのだろう。でなければ、絶対に思いつかないだろう。悪いことをした未成年には鬼の部屋を掃除させようだなんて。
「熱っついなあ」
おっさんはシャツの首元をパタパタとする。
この暑いのに二人は長袖のシャツを、おばさんに至っては上着まで着ている。袖くらいまくればいいのに、公務員は何かと面倒なのだろうか。
「冷房もないからなぁ」と、おっさんは恨めしそうに部屋を見回す。六畳一間のアパートには、エアコンがなかった。さすがは鬼の寝床、人が住む場所じゃない。
部屋の中の物は、一度全て確かめて、処分するのかしないのかは私が判断することになっている。どちらも市の名前の入ったプラスチックの籠に入れるのだが、保存用は赤色、そして廃棄用は青色で名前が書かれている。青い籠はそのまま外のトラックの荷台に積む。
ガラクタを手に取って、一つ一つ確認していく。様々な年代の物があったが、もちろん私に審美眼などあろうはずもなく、ほとんど処分してしまう。針の止まった腕時計も、古臭い陶器も、かび臭い書物も、黄ばんだ絵画も、私に価値は分からない。最初の頃はいちいちスマホで確認していたのだが、それでは時間がいくらあっても足りないため、直感で決める。
おばさんたちは私がどんなに大量の廃棄物を出しても、何も文句は言わなかった。彼らにも価値が分からないというのもあるのだろうが、恐らくこれが普通のことなのだろう。
物を捨てるというのは気持ちがいい。これを一つ作るのに、どれだけの時間がかかったのか分からない。長い時間と手間をかけて作られたものを、一瞬で価値のないものと断罪する。自分が偉くなったように感じる。
ひたすら捨てていると、自転車のタイヤの下に人形が落ちているのを見つけた。金色の髪をして、可愛らしいフリルのついたドレスを着ている。後姿しか見えないが、どうしてもその顔が見たくなった。タイヤを処分の籠へ入れると、人形を手に取った。
「え?」
思わず声を上げてしまった。
「そろそろ時間よ、隠村さん」と、背後でおばさんが言った。
「あ、はい」
つい、普通に返事をしてしまった。
手に持った人形をもう一度じっくりと見る。白人風の顔の女の子で、大きな青い目をしている。いかにも子供が喜ぶような愛らしい人形なのだろうが……その顔には致命的な痕跡があった。火の点いた煙草を押し付けられたのだろう。醜い子だ。そのまま、廃棄の籠に入れた。
それから、おっさんの力を借りて、廃棄の籠をトラックの荷台へと運ぶ。
全て運び終えると、おっさんはドアを施錠した。
「えー、では最後に簡単なチェックをします。この部屋の物を持って帰ったら違反になっちゃうので」
おばさんが私の服を調べる。もちろん何も持っていない。
「だから汚れてもいい服で着てって言ったのに」と、おばさんが言った。
私の制服は埃まみれだった。
全く気がつかなかった。それだけ夢中になっていたのか。慌てて服を払う。
「このゴミ、明日もあるの?」と、トラックを指して私は訊いた。
「いいや。この後、業者さんが持ってくよ」
「じゃあ、待って」
私はトラックの荷台に乗り、籠を漁る。人形を手に取ると、玄関のドアを開けてもらい、保存用の赤い籠に入れた。
「もういい」
「そう」
おっさんは鍵をかけた。
車で送るといわれたが、断り、駅へと向かった。加齢臭の充満しているであろう車内が嫌だったこともあるが、それ以上に心を落ち着けたかったのだ。
どうしてあの人形があそこにあったんだろう?
あれは、ベルちゃんだった。
まだ小学生にもなっていないくらいの頃。毎日を一緒に過ごした人形がいた。肌身離さず持っていたものだから、当時の写真やビデオを見ると、絶対に映っている。お父さんに買ってもらった、大事な友達だった。
でも、捨てた。
仕方なかったんだ。
あんな痕がついていたら、もう可愛がれるはずがない。苦しさしか思い出せない。大好きだったベルちゃんへの愛情は、たったの一晩でなくなった。
鬼。
高尾さん。
一体何者なんだろう。
市内に出たごみは彼の元に集められるのだろうか? それを拾って、収集しているのか? 変態?
なんて、深く考えるな。たまたま同じような人形があったというだけじゃないか。あれだけのガラクタがあれば、そういうものも一つや二つはあるだろう。
走行中の電車から、高尾さんが見えた。
橙の残る遠くの空に、影をまとった威容な姿で街を見下ろしていた。
高尾さんとはこの辺りを支配している鬼だ。
日本の歴史は鬼の歴史というほど人間と鬼とは密接な関係にあるのは小学生でも知っている。彼らは基本的には眠りについてはいるが、時に目覚め、そのたびに大きな被害を与えてきた。
自然と動物の境ともいわれる鬼は、人間よりもはるかに長生きで、そもそも本当に寿命があるのかも分からないらしい。人間が文明を築く前から全国各地にそびえており、国土を形成しているともいわれている。
その鬼が、どうしてボロアパートを契約しているのか。どうしてあんなに大量の物が置かれているのだろうか。分からないことだらけだ。
鬼の部屋の掃除が、私たちの更生プログラムとなっている理由と関係あるのだろうか。




