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芝生に寝転ぶ罪過の天女1

 監獄王襲撃事件から数日が経った4月1日。将軍庁の公式ページに簡素な文章が掲載された。よくある新年度の挨拶なのだが、明らかに例年と違う点があった。その末尾にはこうある。


【現在、将軍庁にペットはいません】


 ◆ ◆ ◆


 4月初めの某日。

 フクロウの尊林は、以前から気になっていた部屋を訪れようとしていた。事件中はそれどころではなく、事件後数日は後処理でそれどころではなかったのだ。


「ふむ、座禅室とな。なんとも贅沢な修行部屋ではないか」

 紐状に展開した拡張人体が引き戸を開ける。室内ではジャージ姿の訓田唱空が座禅を組んでいた。その傍らには缶コーラが置いてある。


「あ、えーと、尊林さんでしたっけ?」

 黙想していた黒肌の少年は目を開けた。その態度は至ってよそよそしい。おそらくかつて修行していたころ似たような場面を誰かに見咎められ、棒で(かつ)でも入れられたことがあるのだろう。少年は缶を巨体の陰に隠した。

「——なんかすんません、偉いお坊さんの前で」


「いかにも拙僧は尊林である、が」

 尊林は畳しかない室内をぐるりと一周飛んでから、唱空の隣に降り立った。

「——はて、現代の坊主には身分というものがあるのかな?」


「え、身分……っすか?」

「拙僧がまだ人間だった時代、坊主に上下関係などなかった。かつての身分が天皇だろうと将軍だろうと町人だろうと農民だろうと、いざ寺に入ってしまえば、みな等しく仏門ぶつもんの仲間。寺に入っておきながら娑婆シャバでの身分をひけらかすなど、最も恥ずべき行いよ。坊主にゃ階級も位階いかいも無い」


 その言葉は、現代社会に堅苦しさを覚える少年へ、爽やかな感動を与えたようだ。もっとも坊主に上下関係などなかったというのは建前で、実際はドロドロの人間模様が繰り広げられていたのだが。


「あー、そうだよな。それじゃあ、ちょっと気になってたことがあるんだけど」

 言葉遣いと共に、少年は表情も柔らかくなっていた。

「何なりと」


「眷属になるくらいなんだからさ、尊林って人間だったころはやっぱ有名な坊さんだったんだろう?」

「有名? はてどうだったか」


 尊林はホーホーと笑うように鳴いた。有名といわれれば有名だったのだろうが、しかし有名と有能は違う。

 一介の坊主はかつての人生を振り返った。兄弟子と大げんかをしたこともある。受け取った巻物を踏みつけたこともある。入水自殺寸前まで精神的に追い詰められたこともある。そして老境を迎え、ようやく清濁せいだくあわむことを覚える。ありがたやありがたやといわれた坊主にも、恥ずべき行いはあり、葛藤もあるのだ。

「——拙僧はかつて動物になりたいと思っていたものだ。だが、いざ眷属として鳥に生まれ変わって数百年。生前の拙僧がどんな坊主だったかはすっかり忘れてしまったよ」


「あー、やっぱそんなもんなのか」

「そうだとも。お国言葉なんかも抜けてしまってな」


「京都だったんだっけ?」

「さよう。今このちっぽけな頭の中にあるのは、わずかばかりの記憶のかけら。今日は久しぶりに当時の空気を思い出せた」

 そう言うと尊林は垂直に飛び立つ。ホバリングしつつ、体は出口の方へ向け、顔は背後の唱空へ向ける。

「——そろそろおいとまする。わがまま姫のお供をせにゃならんのでな。フクロウの身では座禅も組めぬが、これからはたまに寄らせてもらおう」


「あーじゃあさ、最後に聞きたいんだけど」

「応ともさ」


「フクロウって垂直上昇とかホバリングとかできたんだっけ? なんか違くね?」

 沈黙の中に静かな羽音だけが響く。

 尊林は数度の瞬きをしてから答えた。

「正直よくわからん」


 唱空は座禅を組んだままの姿勢で、後ろに倒れかけた。

「いやわからんって……実際やってんじゃん」

「これは拡張人体を脚代わりにしているだけだ。見えるようにするとこうなる」

 フクロウの真下に繊維質の物体が現れた。普段は不可視状態にしている拡張人体だ。それを義足のように形成して歩けば、傍目はためには飛んでいるように見える。


 少年はそれを触ろうとしたが、手をすぐ引いた。

「思ったよりキモいな……」

 権威に左右されないその素直な感想は、坊主にとって嬉しかった。

左様さよう、すね毛の生えた男の脚など見るに堪えん。なので普段は透明にしているわけだ。ゼナ姫さまのような芸術的おみ足なら、いくらでも鑑賞できるのだがな」


「足で立ってんなら、じゃあなんで翼バッサバッサしてんだよ。必要ねーじゃん」

「鳥が飛んでいるのに翼を閉じたままなのは、それこそ何か違うのではないかな?」


 唱空は腕を組んで考え込んでしまった。鳥は、風に乗った場合は羽ばたかなくても空を飛べる。しかし翼を閉じたまま飛ぶ鳥というのは果たして実在するのか。相手が魔界生物だとしてもそれが少年の常識としてアリなのかナシなのか、答えを出すのは難しいのだろう。


「まあ、確かに……」

「こうやって鳥になりきるのも、なかなか楽しくてな——ではこれにて」

 尊林は座禅室をあとにした。


『このように都内各所では桜が見頃を迎えています。以上、開花情報でした。次のニュースは太平洋問題です——』

 尊林がリビングに到着したとき、ゼナリッタはソファに座りニュースを見ていた。


 フクロウが主人の右肩に止まると、すぐさま叱責が飛んでくる。

「尊林遅い! 花見に間に合わなかったら、もう肩に止まらせてあげないから!」

 愛らしいふくれっ面を至近距離で眺められるのは、尊林だけの特権といえよう。

「これはご容赦を。それほどお急ぎなら、花見場所までひとっ飛びされてはいかがですかな?」


「わたしは町中をゆっくり歩いてみたいの!」

「……もう人々の視線は気になりませんかな?」

 それを聞くやゼナリッタは立ち上がり、窓際までゆっくりと歩く。そして地上を行き交う人の流れにしんみりと見入った。


「民はそこまで愚かではなかったようです」

 ゼナリッタが将軍のペットにされたというのは世界的に報道された。表向きには囚われてしまった悲劇のヒロインだが、まともな人間ならそんなことは信じない。そういう無茶な法解釈をしなければゼナリッタは助からなかったというのは誰もが理解するところだ。


 それは法の不備・規制緩和といった文脈で、世間を賑わしていくだろう。

 将軍と姫を揶揄やゆするゴシップ記事は多い。だがそれ以上に、面高とゼナリッタが置かれた状況をしっかりと分析し、擁護する記事も多いのだ。


 正論や建前だけで生きている人間などいない。

 極論や本音だけでは社会が立ちゆかない。

 その狭間でのらりくらりと生きていくしかない。

 人生の機微きびを知るのが世間の大多数を占める一般人なのだから。


 それらの社会状況を観察していたゼナリッタに、もはや人間を見下すような感情はない。元気な声が眷属に浴びせられる。

「では尊林、急ぎますよ。この国の人は、予定に数秒の遅れが出ただけで凶暴化するらしいのですから!」

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