これが現代の将軍1
「しかしいざ乗ってみると、車というのも悪くはないな。これなら琵琶湖から京の都まであっという間だろうに」
尊林は助手席のヘッドレストにとまり、自動車の乗り心地を楽しんでいるようだ。面高としてはフクロウが車内でバタついているのは珍しいのでついつい見てしまう。もちろん自動運転車でのよそ見運転は減点対象ではない。
「尊林さんって京都出身なんですか?」
「ま、人間だったときのことなどほとんど忘れてしまったがな。それよりゼナ姫さま」
と尊林はフクロウらしく頭部を170度旋回させ、後部座席の主人へ忠告を発する。
「——民を傷つけるようなことは謹んでくだされ。現代は昔と違って国民国家。将軍が権力者だった時代とは違いますれば、民からの第一印象は大事ですぞ」
「そういえばそれ、ホントなの? なんで人類最強の戦士が大した権限もないの?」
あまり悪びれた様子も見せず、ゼナリッタは後部座席から将軍へと質問してくる。
「いやまあ、将軍っていっても江戸時代までのと違って——」
そこで面高は異変を感じた。緊急停止ボタンを強く押し、車を道路上に止める。
「——あれ、なんだ?」
将軍庁独特の建物——新宿西口にそびえ立つ世にも珍しいツインタワービル、その入り口前に巨大な蛇が首をもたげていた。
全身メタリックブルーの体色。頭部が3つあり、とぐろを巻いた胴体の長さを目測すると、おそらく全長20メートルを超すであろう異形の大蛇。
面高が車を止めるのとほぼ同時に、辺り一帯に防災無線が響き渡った。
『ただいま新宿将軍庁近辺で、魔人の出現を確認しました。決して近寄らないようお願いします。お近くの皆様は直ちにいずれかの地下施設へと避難してください。繰り返します、ただいま将軍庁近辺で、魔人の出現を——』
非常時において、出現したのが魔人なのかその眷属なのかを確かめている暇はない。なのでとりあえず一律『魔人が出現した』と避難を促すのが決まりになっていた。
かつて東京都庁第一本庁舎として使われていた新宿のツインタワービルは、都庁の移転にともない、新しくできた省庁・将軍庁の庁舎として第2の人生を歩んでいる。
将軍庁へ車で乗り付けるときは、立体道路上の2階正面入り口で降りるのがポピュラーだ。降りた後は車が勝手に空いている駐車場へと行ってくれる。
そんな将軍庁を象徴する入り口前に待ち構えていたのは、明らかに巨大な、頭部が3つもある蛇だ。地面にとぐろを巻いた状態で頭をもたげる——それだけで街頭のポールより明らかに背が高い。
頭が3つの蛇など突然変異でもなければありえない。それが超巨体に成長するなどもっとありえない。どこかからペットの大蛇が逃げ出してきたわけではない——これは魔人案件だ。
このタイミングで将軍庁に魔人が待ち構えているのは、車内のひとりと1羽に関係があるのだろうか。面高は質問してみた。
「えーと、アレは知り合いですか?」
「まあ、知ってはいるがな。あんな蛇なんぞ叩っ殺すに限る」
フクロウは大蛇を凝視していた。
ゼナリッタは何か見たくないものを見てしまったというように黙っている。
「敵なんですかね?」
「応ともさ」
尊林は羽をばたつかせながら答えた。そのままいち早く窓から外へ出て、車のボンネット上にとまった。
「ちょっとおれが話をしてみますんで、戦闘とかナシでお願いしますよ」
面高は念を押してから車を降りた。魔界の住人に遭遇した場合、路上へ車を乗り捨てても法には反しない。続けてゼナリッタが降りる。
東京の将軍は大蛇へ歩み寄りつつ、語りかけた。
「——将軍庁に何かご用ですか? おれが将軍の面高です」
面高は敵を前にしても取り乱したりはしない。東京の将軍とは無敵の将軍であり、決して敵を前に引いてはいけないのだ。
それに、あの三つ首の大蛇が人類の敵なら今ごろ町中で暴れ回っていてもおかしくない。しかしヘビはおとなしく待っていた。なら話は通じるはずだ——と少年もそれくらいの推測はできる。
尊林はボンネット上から主の肩へ移り、頭部や羽をせわしなく動かしていた。
肝心の姫君は不機嫌さを表に出してはいないが、さりとて上機嫌という雰囲気でもない。
「へえ、現代の将軍サマは自分で乗り物を動かすのかい」
大蛇がにじり寄りつつ言葉を発した。3つある頭のうち、主に会話をするのは中央のものだ。
距離を詰められても面高は退かずに応じた。
「ええまあ、昔の征夷大将軍と違って現代の将軍は別に偉くないんで」
このタイプの説明は今までに何度もしているのですらすら出てくる。
「俺はミツマタと言う。監獄王の眷属として、その罪人を連れ戻しに来た」
「罪人?」
三つ首蛇ミツマタの口から意外なワードが出てきたので、面高の動きが一瞬止まった。誰よりも美しいエルフ耳のお嬢様が罪人だと、少年としてはあまり信じたくはない。
主人を罪人扱いされて、当然のように眷属の尊林が怒声をあげる。
「黙らんか下っ端が! 純真無垢なるゼナ姫さまに向かって、そんな言葉を吐いていいものではない!」
荒ぶる尊林と対照的に、ゼナリッタは落ち着いている。
「尊林。事実を否定するのはやめなさい」
が、決してしおらしくしているわけではなく、その表情はネガティブなものではない。
当の本人が『罪人』だと認めてしまったので、面高としては反論したくてもできなくなってしまった。
ミツマタが中央の頭を小刻みに揺らしている。それは笑っているようにも見えた。
「その様子だと己の状況を告げていなかったみてえだな。お若い少年をその美貌で騙くらかそうってか?」
「あの待って、ちょっと待ってください! とりあえずおれに話をさせてください!」
面高は両手を大きく振って、場の空気を変えようとした。
「——状況がよく飲み込めないんですけど、つまりあなたは何をしにここへ来たんですか?」
面高が数歩前に進むと、ミツマタはそれと同じだけ後ずさる。先ほどからミツマタは同じ距離を保っている。人間からは攻撃を受けず、逆にヘビが頭部を前に突き出せば余裕をもって牙を突き立てられるだろう——およそ5メートル程度の距離を。
「話が通じて助かるね。用件はさっき言った通り、その女は罪人。うちから脱獄したんで、それを連れ戻しに来ただけだ。この国の政府や民に興味はないよ」
その態度は紳士的ですらあった。ミツマタがしゃべるたびに、体表のうろこが光を乱反射する。
「それって何の罪なんですか?」
面高は対話が得意ではない。普段なら将軍庁職員が用意してくれる問答集が手助けしてをしてくれるのだが、今は突発的な事件の最中だ。
「そいつの母親が魔界の秘宝をぶち壊し、一部を強奪した。これはとんでもない重罪だ。人類社会で例えるなら、核兵器を盗んで勝手に発射したってくらいタチが悪い」
「母親が……ってことは、彼女は何もしてないんですね?」
少年の問いかけに、大蛇はチロチロと舌を出した。
「大罪人は一族郎党皆殺しってのは常識だと思っていたんだがねえ。日本も甘くなったもんだ」
あまりにも不穏な単語に、面高はゼナリッタの方を振り返った。
「なんかよくわからないんだけど、ヘビの言ってることって本当?」
「お母様には何かお考えがあって事に及んだのです」
憮然と答えるゼナリッタ。面高が背後を見せている間、ミツマタは不意打ちをしようというそぶりも見せなかった。
——やりにくいなあ……。
そんなことを思いながら面高は嘆息した。いっそ相手がわかりやすいほどの悪役でいてくれたのなら、将軍として気持ちよく反撃できたものを。
「彼女はこう言っています」
面高は再び蛇へと向きなおった。
「——魔人は絶対に嘘をつかないというのは有名ですので、おれは信じます。で、たしか日本には『親の罪を子が償う』っていう法律がないんですけど」
「ヌルい社会になったもんだ……で、つまり将軍はこの俺にどうしろというわけだ?」
「将軍庁はさきほど彼女を保護すると決めました。なので連れて行くとかはナシでお願いします」
「ありえねえな。罪人を地上に放置するなど、監獄王の沽券に関わる」
三つの頭部が同時に口を開け、鋭い牙をむき出しにした。
「——なあ、おまえさっきからおかしいと思ってたんだが、武器はどうした? おまえ現代の将軍なんだろ?」
相手は戦闘態勢に入っているが、面高は何の構えもなく素手のままだ。
「えーとですね、現代の将軍って、江戸時代までの征夷大将軍とは違って、権力とかないほぼ一般人なんですよ。ですんで武装する権利もないんです」
その言葉だけではミツマタも警戒心を解こうとしなかった。
逆に、今まで平静を保っていたゼナリッタが驚き、はじめて声を荒げた。
「ねえ! それって本当なの? あなた『将軍兵装』って人類最強の兵器を持ってるんじゃないの?」
脱獄というのが本当なら、恐らくそれをアテにして姫と眷属は面高に接触したのだろう。そして最強の人類ともなれば最強の兵器をいつでも好きに使って敵を撃退できる——東京の将軍をよく知らない人々は概ねそのように考える。
しかし現実は厳しかった。
「アレって発動指揮権が総理にあるんで、おれ個人じゃ使えないんですよ」
「なに考えてるの!? じゃあこうやって町中で敵に襲われた場合はどうするの!」
ゼナリッタから非難されても少年にはあまり苛ついた感じはなかった。非難してくる相手が美人だとあまり腹も立たない——敵を前にしながら面高はそんなことを思ってしまう。
「いやまあ、ちゃんと話し合って帰ってもらえたらいいなあ、って」
「そんな都合のいいことあるわけないでしょう!」
面高は東京への侵入者を気にすることなく、ゼナリッタの方へ向いて話を続けている。しかし敵は誘いに乗ってこない。
「話しぶりからすると」
ミツマタの左右の頭部が不規則に横へ振られ、中央の頭部が嘆息した。やれやれ、という声が聞こえてきたような気がした。
「——どうやら本当のようだな。明治の世に始まった民の非武装も、ここ現代で極まれりってことか。そしてその罪人はおまえの最強兵器をあてにしていたようだが、いやはや」
ミツマタは含み笑いをする。それは平和ボケした現代人に向けてか、思惑の外れた姫君に向けてか。
「ええと、そういうわけなんで、戦うとかはナシでお願いします」
面高の提案に、ミツマタは再び牙をむいた。体表がメタリックブルーの光を細かく乱反射しているのは、怒りで震えているからなのか。
「おい将軍」
牙の先端から毒らしき液体がしたたり落ちる。
「——忠告する。その女はおまえを利用しようとしている。騙されるな。罪人なんぞをかばっても、おまえには何の名誉もない」
「おのれ蛇めが、さっきから聞いておれば——」
フクロウの怒りはすぐさま姫によって止められた。
「やめなさい尊林。わたしが将軍の力を借りに来たのは本当でしょう?」
眷属をたしなめてから、ゼナリッタは面高の制服にある将軍庁の紋章——桃形兜の刺繍を見て小さくつぶやいた。
「——それに、まだ将軍は何の実力も見せていない」
大蛇は3つの頭部で3人それぞれに目を配りつつ、余裕たっぷりに宣言した。
「で、将軍サマはどうするんだい? 俺はこのままこの罪人を連れ戻すだけ。そこに話し合いの余地はない。それとも『お願い』を続けるか? それともお飾りじゃない実戦部隊が来るまでの時間稼ぎでもするか?」