アクセプタンス——全てを受け容れた先1
「将軍や、少し話をしたい」
尊林は少年の真正面でホバリング飛行しながら告げた。
ゼナリッタは自室のベッドに横たえられていた。痙攣はすでに治まり、容態も落ち着いている。しかしその様子は——脱け殻そのものだ。表情や視線の動きなどに、個人の意思というものが全く感じられなかった。
「でもゼナ姫は……」
将軍がそう心配するのも当然だ。彼女は今にも消え去ってしまいそうな雰囲気をまとっている。
「今はおひとりにしておいてほしい」
ふたりは面高の部屋に場所を移した。
将軍庁内で使われているのと同じ事務机と椅子。タンスとクローゼット。ベッドの脇にはサイドテーブル。漫画用の本棚がひとつ。各種ラーメンどんぶりやレンゲを飾っている本棚がひとつ。至って普通の、どこにでもあるような部屋だ。
面高は椅子に座り、フクロウは机の上に立っている。向き合ったふたりは話すタイミングを見計らっていた。
「まずは、今まで姫に良くしてくれたことをお礼申し上げる」
尊林は目を閉じて、少しだけ頷くような仕草をした。
「——ゼナ姫さまは選帝侯の娘という立場上、おそらく人間に頭を下げられない。4万年もの監獄生活で、他人との接し方もよくわからないのだろう。箱入り娘だと思って、今までの失礼はどうか大目に見てやってほしい」
「いえ、別にそんな……」
「そして、無理を承知で問う。政府の許可なく、お主が監獄王を叩っ殺しに行くのは、どうしても不可能か?」
「…………」
これはずっと面高の心に重くのしかかっていることだ。
可能か不可能かでいえば可能だろう。本来、将軍兵装はセリの所有物で、使用権は面高にある。使おうと思えば今すぐに使える。しかしそれを実行できるかというと話は別だ。
それをやったが最後、面高は制御不能のモンスターとして、世界中から狙われることになるだろう。
面高の沈黙で答えを察したフクロウは、ホーホーという力ない鳴き声を発した。
「たとえ可能性が低かろうとも、姫をお救いするため、拙僧はお願いするしかない」
尊林は紐状の拡張人体を本棚に伸ばし、1冊の漫画本を手元に寄せた。
「——お前さん、新しい国を作るつもりはないかな?」
「……国?」
「さよう。この日本を出て、どこか他国の領土ではない場所——海の上に船を浮かべ、そこで建国を宣言してみてはどうか」
「あの……それって」
さすがに面高でも最低限のニュースくらいは見る。そうやって武力を背景にどこかで国を名乗る勢力のことを『武装組織』と呼ぶくらいは知っていた。
フクロウは机の上で本を開いた。【漫画 日本の歴史 戦国時代編】だ。その目次には様々な戦国武将の名が書かれている。
「現代のお前さんたちが武将や大名として知るこの者たちも、かつてはただの武装勢力だった。そこらの土地を武力で支配したのが始まりだ。それが勢力を拡大し、領地を獲得していったのだ」
「つまり……おれが?」
「無理を承知でお願いする。日本を離れて一国の長となり、その上で監獄王を打ち倒してほしい。お主が姫を連れて海の上へ行けば、監獄王は必ずや追ってくるだろう。どの国にも迷惑はかからんはずだ」
国家を離れれば、もはや日本の法律など関係ない。そして国家に関する全ての権限は面高にあるので問題ない、というわけだ。
世の武装勢力は大体が悪として扱われる。だが例外として、国家と交戦を繰り返した結果、政府の一員として招かれることも歴史上に実例がある。国としては武装勢力と戦闘を繰り返すよりは、吸収してしまった方が負担も減るからだ。
だが面高にそれをやれということは、国も、家族も、友人も、全てを捨ててくれと言うのに等しい。
現代っ子の面高に、こんなことはできるわけがない。
理論上はできる。ゼナリッタも助かる。しかしそのために人生を捨てる覚悟があるのかというと、決断は下せない。
「……将軍庁のみんなが、今までおれの社会的立場を守るために頑張って仕事をしてくれました。それを無駄にするようなことはしたくない。それに、家族も、友達も、捨てたくないんです。新宿なんて薄汚え街ですが、それでもおれの生まれ故郷なんですよ」
面高の苦悶の表情を見て、尊林はうなだれる。
「拙僧は坊主だったので、贅沢品は何も持っていない。お前さんに礼としてやれる物は何もない。だからこうして伏してお願いするしかない。姫が明日も笑って過ごせるように、手段は問わん、どうか助けてやってくれ」
「おれは最初から彼女を見捨てるつもりなんてありません。ただその方法が……」
面高を貶め、ゼナリッタをも貶める。人倫に悖る行為。可能か不可能かでいえば可能だ。
尊林はマンガの別の巻を手元に寄せた。
室町時代編だった。その表紙を懐かしそうな雰囲気で見つめたあと、語り出した。
「拙僧はかつて坊主の身でありながら女と暮らしたことがある。だがそのときこちらはすでにじじい。特に何をするでもなく、やがてくたばった。そして眷属としてゼナ姫さまの元へ招かれ、数百年が経った。姫の方が圧倒的に年上なのは理解している。だとしても、拙僧にとってあの子は娘であり孫なのだ」
その言葉は面高の心を揺さぶった。具体的にどの部分なのかはわからないのだが、それでも胸にこみ上げてくるものがあった。
「あの、ゼナ姫を助ける方法はあるんですけど、それは拒否されたんです。『死んだ方がマシ』とか言われて……でももうそんなこと言ってる場合じゃないと思うんです。尊林さんからもなんとか説得してもらえませんか?」
「ああ、姫から聞いている。それは現代の人間にとっても、魔人にとっても、恥ずべき外道行為だとな」
尊林は机上から飛び立ち、室内を滑空してから面高の肩にとまった。
「——お前さんがその方法をとるのは、姫を助けるために相違ないな? 姫を穢し、己の邪な欲望を満たすためではないな?」
眷属として、主人にはどうしても清らかなままで居てほしいのだろう。その気持ちは少年も痛いほど理解できた。面高の相貌に下衆な成分は全く含まれていない。
「欲望を満たすんなら方法は他にいくらでもありますよ。ただ『死ぬより酷い目に遭う』って泣いてる子を見殺しにすんのはすげー気分が悪いってだけです」
「ふむ、棒喝を入れるべき邪心なし……か」
フクロウの丸い双眸が少年を見つめる。
「——姫の意思を尊重できないのは心苦しいが……やむを得ぬか。姫にお願いしてくるので、少し待っててくれ」
そしてフクロウは部屋を出た。魔人の眷属尊林が主人の許可を得て戻ってくるまではそこまでの時間を要しなかった。




