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リスクとリターン——純潔の取り引き1

 その動画を最初から見ていた人は非常に少ない。なぜなら、伝説の『天女ゼナリッタ生配信』は、手末りゅーりの個人アカウントから行われたのだから。


 無名の一般人の視聴者数などたかが知れている。そのため配信当初は全く話題にならなかった。それが、どうやら画面に映っているのは今話題の天女ゼナ姫本人らしいと思った視聴者が知り合いに情報発信することで、瞬く間に拡散された。


 同時視聴者数は次々とカウントアップ。1万人を突破した段階で総理にまで情報が伝わったという。


 ◆ ◆ ◆


『ねえ、これはもう始まっているの?』

 床へ膝立ち状態のゼナリッタが画面外に視線を向けていた。


『ゼナ姫もう始まってるから、カメラ見てカメラ!』

 手末りゅーりの声におとなしく従い、生放送主は正面を向くが、まだそこはかとなく視線はズレている。

『——ゼナ姫こっち! そっちはマイクだから!』


 画面外からの指導により、ゼナリッタはカメラ目線を獲得できたようだ。それは無邪気で物珍しげな表情だった。


 冒頭に寄せられたコメントは【かわいい】【本当にエルフ耳だ】【慣れてなさそう】というものが多かった。


 動画の背景に見える室内風景は、ファンシーな家具や装飾類。床には幼児が好みそうなおもちゃ類が転がっている。女子生徒とその弟であろう幼児の部屋——アカウント主の生活状況が容易に察せられた。

 撮影機材も、見る人が見ればわかるようなチープさだ。


 端末は椅子の上に——三脚などを使わず椅子に直置きしているのが画面の端を見ればわかる。その対面にゼナリッタが座る予定の椅子が置いてあった。

 画面に映るもので、高級品と呼べるものは何もない。

 その隠しきれない懐事情で、視聴者は親近感をもったようだ。

『それでは、これから本放送を——』


『ゼナ姫待ってちょっと待って!』

 ゼナリッタが椅子に座ろうとしたとき、りゅーりが大きく手を振って止めに入った。

 端末はどこかへ——おそらくはベッドの上に放り投げられ、画面は天井を映している。それから何やら紙類を置くような音。

 再び端末が設置されようとした瞬間、どんな変化があったのかが映る。

 端末側の椅子の上に、雑誌が積み上げられていたのだ。

『——いや危なかったー。はいどうぞ』


 ゼナリッタは疑問を浮かべながらも、指導に従う。

『それに何の意味があるのですか?』


『いや、ちょっとね? 動画が止められちゃうとまずいから』

 同じ高さの椅子をふたつ置き、片方に端末を置いて撮影、もう片方にスカートの短い女子が座るとどうなるか。

 センシティブ判定により、動画が消されてしまうかもしれない。アカウント主はそれを危惧したのだろう。端末の下に雑誌を積み重ねて多少はハイアングルになったことにより、動画は消されずに済んだ。


 ゼナリッタはようやくといった顔ながらも優雅な仕草で椅子に腰掛けた。

『それでは、本放送を開始します。まずは自己紹介を』

 その美貌には若干の緊張感が見えた。


『わたしはフクロウの紋章のゼナリッタ。母は魔界の選帝侯で、爵位は大公です。わたしは母の次女にあたりますが、いずれはその地位と力を受け継ぐ者です』

 そこで画面外からスケッチブックが出てきた。ゼナリッタはそれを受け取って、内容を画面に示す。そこにはテロップ代わりに、たった今の自己紹介と同じ内容が書かれていた。その丸っこい文字は手末りゅーりによるものだ。

 海外視聴者向けなのだろうか、名前の部分だけはアルファベットでも書かれていた。


 Zen-aritta


 正式な表記はこの動画が初出となる。


 スケッチブックを画面外に手渡し、彼女は話を続ける。

『わたしを巡る状況はすでに世界中で報道されているとは思います。ですので手短に説明をします。わたしは約4万年の間、監獄に閉じ込められていました。わたしを罪人と呼ぶ者もいますが、それは母へ対して不当に課せられた汚名です。わたしは母が罪を犯したなどあり得ないと思っています』


 そこで画面外からかすかに声が入った。

『長い、長い!』

 忙しい現代人と違い、10万年以上を生きる魔人にとって少しばかりの長話など気にならないのだろう。


 ゼナリッタは不思議そうな顔をしたまま話を再開する。

『わたしは真相を知りたくて、そして何より母の汚名を晴らしたくて、監獄を抜け出し、ここ将軍庁にいるセリを頼りました。彼女もわたしと同じ選帝侯の娘という立場なのです。しかし本日、監獄王が来てわたしの引き渡しを要求、日本政府はそれを受諾しました。引き渡しの期限は明日の正午。政府の決定は覆りそうにありません』


 ゼナリッタの顔には怒りと悔しさがこみ上げてきているようだった。

『——娯楽にあふれた地上とは違い、魔界の監獄には何もありません。そこはまさに時の止まった地獄。わたしは絶対にあそこへは戻りたくない。永遠の虚無は死ぬよりもつらいのです。この状況から助かるためなら、わたしは何でもやります。そこで今日は皆さんにお願いがあります』


 このときには視聴者数が急激に増えていた。【何でもやります】という言葉に下卑たコメントが次々に寄せられるのはお約束だったが、それは防ぎようもない。


『誰か、わたしを助けてほしい。わたしを自由の身にしてほしい。東京の将軍はもはや頼りになりません。そこで、誰でもいいから監獄王を撃退してほしいのです。特に、地上世界に20人はいるという魔人の眷属たちと、その所属する国家へ——強くお願いします』

 誇り高い大公令嬢は頭など下げなかった。


『監獄王を倒してくれた相手には、報酬としてわたしの持つ全てを与えます。現在わたしが持つ個人としての戦闘力と拡張人体。指定する人物へ眷属として力も分け与えます。そして人類社会が知りたがっている情報——あなた方が魔界と呼ぶ空間について、我らの持つ技術について、わたしの知る限りを提供します』


 これらは日本以外の世界各国がなんとしても欲しがるものだった。

 魔人は非常に誇り高い。

 眷属になれば魔人に次ぐ肉体強度と永遠に近い命が手に入る。しかし魔人は人間のお願いを聞くような生物ではない。


 誰でも眷属にしてもらえるとなると、軍事的に計り知れない価値を持つ。

 なによりも、技術面の恩恵は大きいだろう。魔界と呼ばれる空間の秘密。魔人の頑強な肉体の源は何なのか。拡張人体とはいかなる技術体系によって生み出されたのか。その製法は。


 これらは、天女セリを通じて日本政府だけが知る国家機密だった。

 それが外国へ流出してしまうかもしれない——日本の閣僚がどれほどの危機感をもってこの生放送を見ていたかは想像するまでもない。


『それともうひとつですが……ええと』

 ゼナリッタはそこで初めて言いよどんだ。頬は紅潮し、口は固く結ばれる。両膝はきつく閉じられ、その上に置かれた両手は恥じらいで強く握られる。

『——それと、もちろん、わたしへのいかなる個人的欲求に対しても……拒みはしません』


『そういうのダメだよゼナ姫!』

 画面外からりゅーりが突進してきて、姫の口を塞ごうとする。


 しかしゼナリッタはそれをやんわりとやめさせた。

『いいのですよリューリ。人間たちがわたしをどんな目で見ているかもわかっているつもりです。敵は魔界の監獄王、それと闘えというのなら、報酬として全てを与えなければ釣り合わない』


『でも……』

『それくらいわたしは困っているのです——さあ』

 ゼナリッタはりゅーりの背中をやさしく押して画面外まで追いやる。それから椅子の前に立つが——いつまで経っても座らない。


 その全身は震えていた。その時の悔しさを表すように、ゼナリッタは叫んだ。

『——誰かいないか! 東京の将軍に代わって監獄王を倒してくれる者は! 個人でも、国家でも、国際機関でも! 誰でもいいからわたしを助けてくれる相手はいないのか!』


 立ったままなので顔の半分はフレームアウトしている。なのでどんな表情なのか詳細はわからないが——その頬を涙が伝い、顎からしたたり落ちているのは確認できた。

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