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このころの、私が栃木の実家に帰省していたとある夜のことだった。
夕食の最中、私は両親に、立石の伯父・伯母に最近ずいぶん世話になっていることを話した。すると父が変な顔をして、
「何か若島さん(伯父のこと)から言われてないか」
と私に聞いた。私は父が何を言いたいのかまるで分からず、
「何を?」
と父に問い返した。父は焼酎の入ったコップを、たん、とテーブルに置き、説明をはじめた。
「実は川崎のお袋(私の祖母のこと)がな、大輝(私の弟)が生まれたころうちに来て、『子供を一人、若島の家に養子に出してくれないか』ってお父さんに頼んできたことがあったんだ」
ちなみに言っておくと、私は三人兄弟の次男である。前述の通り、立石の伯父・伯母には子供は一人もいない。前時代的な価値観を持っていた祖母にしてみれば、私の父には三人も子供がいて、立石の家には一人もいない、そこで育ちすぎた鉢植えの観葉植物を空の鉢に株分けしてやるように、私たち兄弟の誰かを立石の家へ養子に、と思いついたのだろう。しかしこの現代に養子縁組など、私は安っぽいドラマの中でしか聞いたことがない。
父は話を続けた。
「それで答えたんだ、『総司(私の兄)は長男だからあげられない。大輝は智子(私の母)がもうべったりでかわいがっているからこれも無理だ、正巳だったら……』って。だから若島さんがその話を聞いていて、今でも正巳を養子にしたい気持ちがあるんじゃないかと思って」
まったくひどい話で、私は聞いて苦笑するしかなかった。
しかし私自身は立石の伯父・伯母から養子うんぬんの話は一度もされたことは無い。
*
祖母は、祖父が建てた川崎の家に、祖父の死後もずっと住んでいた。彼女にとっての長男(私の父の長兄)の家族と一緒に暮らしていたのだが、最晩年、この長男と折り合いが悪くなり家を出た。そうして立石の伯母(祖母にとって長女に当たる)のところへ転がり込んだ。私が大学二年生のころのことだった。
祖母が立石のマンションにいるようになったので、私は祖母に会うという理由でますます頻繁に立石に遊びに行くようになった。すっかり小さく、弱くなった祖母は、遊びに来た私に、
「こんなに白子(伯母)と実さん(伯父)が良くしてくれるとは思っていなかった」
とたびたび言っては泣いていた。
川崎から立石に移ってほどなくして祖母は脳梗塞を起こし、意識不明の、いわゆる植物状態になって立石の病院に入院した。私は二、三度見舞いに行った。
一度――今思い出しても当時の自分を許せなくなるが――悪い薬による妄想がひどい状態で、見舞いに行ってしまったことがある。
たくさんの医療用チューブとパルスを測る機械に繋がれた祖母は、真白なベッドの上でただ仰向けになって眠っていた。一緒に見舞いをした伯母が、
「ばあちゃん、ほら、正くんが来てくれたのよ」
と話しかけ、祖母の手を取り、撫で、さすった。
「ほら正くん、手をさすってあげてくれる? そうすると時々動くのよ、手が」
伯母はそう言って、私の手に、祖母の痩せた皺くちゃの手を渡してきた。私は言われるがまま祖母の手を取り、禿げた頭を隠すためのニット帽の下にのぞいている、彼女の顔を見た。その瞬間、
「ああ正ちゃん、良く来たねえ。大きくなって……。そんなにぷくぷくぷくぷく大きくなって、でも、中には何が入っているの? 見てみたいわ、中には何が……」
と、確かに祖母がそうぺらぺらっと話しかけてきた、……気がしたのである。祖母がその、半開きになっている小さな眼をカッと開いて、薬を吸って見舞いに来た私を責めるように話しかけてくる、幻聴というか妄想というか、それが起きたのだった。
私はぞっとして手を引っ込め、その手で動悸の激しくなった胸を押さえた。もう少しで悲鳴をあげるところだった。
「どうしたの?」
伯母が隣で不審げにそう私に声をかけた。
その日は伯父・伯母と食事はせず、私はまっすぐアパートへ帰った。
祖母は私が大学三年生になった春に亡くなった。