きょうよう&きょういく。
教師は自分の専門の科目を何年も繰り返して同じように教えるだけなのに生徒サイドはいくつもの教科を同時に相手にしなければならないのだから、たいてい6割強できていれば充分だと思っている。
カエデにとっていまの人生の全てが学校教育というわけでもない。
カエデはテレビはあまり見たこともないが、日本映画もテレビドラマも同じ俳優ばかりで飽き飽きしてしまうのは、大人が稼ぐためのツールとして同じ俳優やタレントを取り合ってあちこちで使うから仕方ないのだろうが、真面目な俳優は疲れて健康だけでなくメンタルまで潰れて自死してしまうのが嫌だ。
放課後の始まりを待っていたかのように隣のクラスから今日もアツシが笑顔でやって来た。
アツシはかなり目立つ美しく整った顔立ちなのだが背が160センチあるかないかの低さで足も短いがに股なので、背が高いカエデが2人だけで歩いていても噂にもならないから便利ではある。
アツシは優しい話し方で長い睫毛が可愛いのに頭の中はシビアでペシミストなので、カエデにとっては実はほとんど気兼ね無く過ごせるありがたい相手だ。
‘きょうよう’と‘きょういく’は年寄りにも必要なんだよ、なぜかわかる?、
と、アツシのいつもの口調が始まった。
充分な年金と貯金で暮らしている高齢者たちは日本社会の既得権益者で羨ましい限りだが、男の老人は割り込む、怒鳴る、教えたがる、臭い、ので大嫌いだ。
そんな彼らに教養や教育など?と思うところをアツシは教えたがるわけだが、まあまあ面白い。
きょうようは、今日の用事で、
そうなれば当然、
きょういくは、今日の行くところ。
そんなことをわざわざ見つけておかないと生き甲斐がないとか言うならせめて、暇潰しの同じ人間の病院受診ショッピングは費用の9割を若い人が負担して払ってくれてることを有り難がれ~!、とアツシと声を合わせて笑った。
ユカリが校門から離れた小路で暗いオーラを出しながら親のお迎えの車に乗り込んでいるのがみえた。




