いけずな京都
京都花街宮川町の芸妓や舞妓たちが円山公園の料亭に呼ばれて送迎車から降りて部屋に向かおうとしていた。
京都のビジネス界のいつくもの団体のトップは、毎月どこかの店で会員から集められたお金でできる限りの散財をすることで経済効果をあげている、としているが、飲食するのはもう何十年も同じメンバーだ。
‘吉田(…京大メインキャンパスは市内吉田山にある…)のオカマ先生は、あれ、断ってきよったんか’
’鳥居本で京都を牛耳る悪巧みしてはるお人らしいな‘
‘そりゃこわいな’
’家族は?‘
‘大学の世話も就職の世話もできまへんわ’
’ドーンと値が上がる新築マンションでも紹介するか?‘
‘金に興味ないそうでっせ、ほんまかいな’
’めんどくさいオカマやな…‘
‘教授は誰や?支援はどこからや?’
’桂の方か‘
‘鳥居本には声のかかったもんの子供らをスタッフにさせとるとこですわ’
’オカマ先生のよう行かはる割烹は誰んとこの店や?‘
‘京都に居にくぅしたら、関東に帰ってくれはるかいな’
’若いもんから慕われとるんか?‘
‘そりゃ若いもんは’
’こ難しいこと言うもんは、ややこしいですわな‘
‘対応はくれぐれも、丁寧に、な’
’居にくいとこや、て、分からせないとなぁ‘
‘勝手なことばっかりなさってるお方やさかいな’
座敷にでていた(実はもう25歳になっているのに童顔なので舞妓をしている)キクモモは、兄が熱烈なモネのファンで、起業したとき懇願してコンサルしてもらったので何度も会っていたモネの人柄も頭の良さも良く知っていた。
酔った老人達のモネへの非難口調がボスへの忖度であることないこと膨らんでいくのが悔しかったが踊る人形になりきっていた。
キクモモは宴会から戻って着替えてからすぐモネのことを兄にメールで報せたが、兄はすでにシンガポールに進出しているし、まだ29歳で京都の実力者でもないのでどうすることも出来ないかもしれない…。
宴会に参加していた老人達は、「へ理屈の多い若いもんは金の力で潰しとくもの」ということに、皆なんの疑問ももたず信じることがラクで慣れきっていた。
京都の新しい旋風は、昔から若い者が勇気をもって巻き起こしてきたのだが。




