性のバリアフリー?
多少世代が違うモネとケンゾーだが
何度も話をするうちに現代日本の老人優遇社会打破については立ち位置がいつも一致している。
ケンゾーはモネの妻とは母親が違うので13歳も年下の弟で、モネより10歳若いがさすがに東大生なので解説抜きで話が速く深く進む。
たかが数十年の命のうち男と女が官能的に愛し合える期間など半分もないのに心にそぐわない行為をするのはもったいないという意見も一致していて、ノンケのモネが女装しているのもケンゾーがゲイなのも全く大したことではなかった。
モネとケンゾーの思考はたいてい似ている。
自分の頭で判断して個で行動する者を処罰するようなファシズム基調で学校が運営されてきたから、教師らが変わらない限り子供から大人まで日本社会のいじめも無くならなることはないだろうし、
15歳を過ぎれば若いからだは異性と抱き合いたい衝動にかられるだろうに不潔なことのように統制される、しかし、これについては、妊娠出産育児と繋がり中には貧困にも関わることもあるため野放しというわけにもいかない、などなど。
世界的に、教育水準が上がって女子の頭が良くなると子供が産まれる数が減るという話題になると、
‘本能のまま動物みたいに愛し合って誰の子供かわからない沢山の子をみんなで育ててたのよ、村祭りの盛んな村集落時代だと。’決まってモネはこんなことを言い出す。酔っている証拠だが、モネが日本の若い世代の将来を憂えているのは事実だ。
京都では官僚中途退職者たちがフリーターのように生息していてモネの訪問を楽しみにしており、モネはこのメンツに、もしうまく男と女になったならアツシとカエデを参加させて新たな火を興そう、と計画していた。
選挙権があるとは言え偏差値競争だけに躍起になっている18歳では、性のバリアフリー問題も大きな論題である土俵には入れられないが、アツシはメイクをして街を歩ける男の子で、カエデは我が道をひとりでも歩ける女子なのでモネにとってはダイヤの原石だ。
京都ではモネを中心に仮想老人不在社会作りプロジェクトが進行中で、京都に本社を置く大企業の資金提供も確約され、若者の中だけでお金が止まらずに回り続ける仕組み作りを企てているところだ。
いよいよ明後日は京都にカエデと泊まるんだな、と思うと、アツシはどうしてもザワザワして熱くなってしまう。




