二節『途切れた夢』3
瑠璃の門の最上階。おそらくこの町の中で一番豪華であろう部屋が四つ。それはスラムを除けば町の中心部から一番遠い場所でもある。
部屋に着くまでに瑠璃の門の大まかな施設については説明をし終えているため、ここで私たちの役目は終わりだ。後はそば仕えとしておかれた修道女たちの仕事である。神に仕える身でありながら人に仕えさせるのは申し訳ないものの、その神の巫女たるマザーシプトンの勅命であれば動かないわけにもいかないだろう。
「町の中はご自由に観光していただいて大丈夫です。何かあれば修道女に伝えてもらえればと」
結局、勇者一行のなかにあって、勇者はあまり言葉を発することは無かった。四人で居るはずなのに、三人と一人とで分かれているかのように感じられた。
女の魔術師にはトウカが説明をしてくれているため、私の前には男衆が三人並んでいる。いいところの出なのか特に驚くこともなく、目立った質問も無いようだ。用事はないと古びた調度品たちが並ぶ部屋に背を向けて外に出れば、トウカも丁度外に出てきたところだった。
一定の間隔でもってアーチ状に積まれた壁からは雨の匂いが消えた空が窺える。瑠璃の門もそれなりの高さであるが、それよりも高くそびえたつ七月の神殿は流石と言うべきだろうか。
廊下の角を曲がり、ようやく私とトウカは息を吐いた。外は晴れているとしても、建物の中には湿気が満ちていて、湿っていた空気が喉を冷えた感触を残すのだ。
「あの様子であれば普通に観光しに来たのでしょうか」
「なんにしても、この町で隠し事が出来るとは思えないが…………」
「町の目はマザーの目。町の声はマザーの声。町の噂はマザーの耳。隠し事は難しいでしょうね」
「相手は勇者だからな。それ以外は特に脅威に感じなかったんだが。……そういえば歌が止んでるんだが、何か聞いてるのか?」
「いいえ、私は何も。貴方も知らないのであれば誰も知らないでしょうね」
「そもそも」と、彼女は一言放って下り階段に脚をかけた。針の脚に階段がきついのはここに来るまでの会話で分かっている。上りの時は勇者一行の目もあるので手助け出来なかったが、人の目が無ければ話は別だ。
「トウカ」
声をかけてさらう様に腕を伸ばせば、彼女は何の違和感も感じないかのように私の首に両腕を回して体重を預けてくる。
マザーシプトンの瞳を喰らい、共に龍の末席に身を置いた私たち。衣服の隙間から触れ合う肌身は意図せず共鳴を起こしているようで、肉体的に繋がっているわけでもないのに一つになったかのようだった。いいや、一つに戻ったと言ったほうが正しいのかもしれない。銀と金の瞳。私たちは対いだ。
トウカは改めて声を出す。
「そもそも……、歌を謡っている彼が普段何をしているのか知っている人が居るのかしら」
「生きている以上食事は必要だろう。歌っているのは中心区だ、誰かしら見てるんじゃないのか」
「夜も歌っているのに?」
「まさか……」
そんなわけがない。人ならば食事も睡眠も必要だ。
そう続くはずの言葉は私の胸元でとどまり、口から出てくることはなかった。
人間からの脱却。それを追求し続けてきた歴史の一遍を私は知っている。昼夜問わず歌を謡い、その行動を誰も知らないとなれば、それはもう人間の域を超えた何かだ。
「今度姿を見かけたら話を聞いてみてもいいかもしれないな」
「それは案外早いのかも……。まず間違いなく神殿に招かれているでしょうから」
「……神殿か」
この町で人を超えた存在をマザーシプトンが見逃すはずもない。姿が見えないとなれば、神殿に居る可能性は高いだろう。
階段はとうの昔にこえ、二つ下の階にまで降りてきている。それでも未だに私の腕から彼女が降りようとしないのは何故か。そんな野暮な質問を挟むこともなく視線を向ける先は、さっき見た時よりも幾分か高く見える七月の神殿である。共鳴しているからか私の視線を追うトウカが、私の腕の中に居るトウカが、……心の中で微笑みながら佇んでいるように感じられて、私はくすりと静かに笑うのだ。
七月の神殿に戻る途中、どれほど耳を澄ませてもやはり歌は聞こえてこなかった。フリューは歌には必ず意味があると言った。歌っている神話や伝承に近しい効果が現れるのだと。
ならば……歌が止めばどうなるのだろう。
この大気を覆う魔力が、神気が、ただちに消えるということは無い。効果は持続的であるのか……、何か勘違いをしているのか。
「トウカ……トウカは歌の内容を知ってるのか?」
「ええ、もちろん」
「私は知らないんだ、教えてくれないか」
「……それはいままでずっと?」
「まぁ」と曖昧な返事を肯定と受け取った彼女は、私が駆る馬上で空を見上げた。それは考え事をしているようで、答えを私に教えていいものかどうかを悩んでいた。
「マザーからは何も?……それならば私から口にするのはやめておきましょう」
私の眼前でそう答えたトウカの表情はなんとも寂しげで、反論しようとした私の脳裏にはフリューからの言葉が蘇る。
「……言葉にしては駄目ですよ?」
何も知らない、言葉にしないからこそ起こり得る未来。それを思い描けば、口にするのは判断に困る。そういうことだろう。
「あの歌は過去の伝説。私には分からない部分も多いのですけれど、きっと貴方が知れば辻褄が合うのかもしれませんね」
「……マザーに聞いてみるよ」
口ではそう言うが、マザーは聞いても教えてはくれないだろう。この町に来てすぐ、一度だけだが聞いたことはあるのだ。
なにせ、歌っているのは身長二mを超える大男だ。気にならないわけもない。一度見かけた歌うたいの彼は歌いながら私へと笑みを浮かべ、マザーも微笑んで口を噤んだのである。