二節『途切れた夢』2
マザーシプトンがどうして勇者を避けるのか。それは、かつて勇者が成し遂げた偉業を考えれば容易に想像がつくことであるし、彼女ならばやりかねないという気持ちもあったからだ。もしマザーに事実を確認したとすれば、きっと笑顔で肯定するだろう。私にはその様子がはっきりと脳内で再現することができた。
魔王討伐を成し遂げた勇者。それが瑠璃の門の先に見えた瞬間、私は虫の知らせともいえる何かを感じ取った。それはトウカも同じであったのか、背後に立っているはずの彼女が僅かに後退した。
彼は、勇者は、なんてことのない人間のように見えた。高い背丈に、とても戦う人間とは思えない肉付き。魔術でも使うのかと思えばそういった匂いもしない。
総評として、戦場には似つかわしくないという言葉で纏めるのが適切だと思うのだが、その容姿を視界に入れてしまえば、それは大きな間違いである!と大声で叫ぶしかないだろう。
もはやセットと言っても過言ではない、黒髪と勇者という二つの単語。
そこから付属してくるものといえば……──
「……召喚者か」
「ステラ、何か知ってるのですか……?」
「もしかしたら同郷の人間かもしれない」
「話が通じるといいのですが」
「仮にも勇者だし、そこは大丈夫だろうが」
瑠璃の門に開いた通行のための一本の通用口。影が深いせいで相手からこちらが見えているのかは分からないが、町へと通じる道中に馬と共に人が二人立っていれば、影だけだとしてもいやに目立つだろう。
勇者の横でのんびりと進んでいる馬車はやけに小さくて、本当に詰めて乗ったとしても三人が限界だろう。
御者席もなく、かろうじて馬車引きが牽引するような小さな馬車。それを四頭の馬が引っ張っていく様子は歪に見えてしかたがない。たしかにこちらの世界の馬は長距離移動には向いていないが、馬力自体遜色はないはずだ。
「訪問予定の人数が四人ですから、馬も四頭なのかもしれませんね」
「あー……そう言う事か」
背後に立っているトウカに私の表情がよめるわけないものの、彼女の言葉は今私が一番欲しかったものであった。
馬車の中に三人が乗っているとも考えられないし、勇者と馬車引き、そして車内の二人で四頭分という事になるのか。そうするとあの変に小さい馬車自体にはあまり意味は無いのかもしれない。いざとなれば馬でこの町から出られるわけだ。バラバラに行動する方が逃げやすい場面も多々あるだろう。
馬車が瑠璃の門へ近づいてくるにつれ、 私たちの背後には見物人が増え始めていた。勇者がやってくることは町の中に広がっていないように思っていたのだが、勇者の姿を見たことがある者でも居るのだろう、たった一言「フォウ・リーフだ!!」と誰かが叫べば、あっという間に勇者の凱旋の始まりだ。
「はじめまして」
勇者の一声は何とも懐かしい声色をしていた。
彼からの視線がずっと私の方を向いているのは分かっていた。きっと同じことを考えているのだろう。
「はじめまして、勇者フォウ・リーフ。遠路はるばるの長旅ご苦労様でした。宿をとらせてあります。ご案内しましょう」
務めて何もないかのようにそう言えば、彼は目を静かに細めて背後を確認した。事前に伺っていた、勇者一行の人数は四人。その彼らに視線をやったのだ。
勇者と共に歩いていた、馬車引きの男。そして馬車の中から現れる、魔術師風の装いの者が二人。彼らはそろいもそろって大きく背伸びをしてルーナン・コリス到着を喜びあい、大きく息を吸っては瞳を大きくするのだった。
「やっと野宿が終わるんですね!」
「狭い馬車の中で我慢したかいがあったってもんだぜ」
魔術師の女と馬車引きの男が軽口を言い合うなか、もう一人の魔術師の男は興味深そうに周囲に視線を配る。とはいってもここは既に門の内部。視線を巡らせたところで何も珍しいものもない。
「案内するのは瑠璃の門の最上階です。もうすぐフルムーンのお祭りが始まるので、きっとお楽しみいただけるかと」
「月が七つもあるんだ、月見酒には最適だろうな」
「……何かあればすぐに酒と女だ。帰ったら報告だな、これは」
「おいおい勘弁してくれよ」
「仲がいいのですね」
「馬鹿なだけですので……」
門中の角を一つ曲がり、商店が軒を連ねる通路に出れば、真っ先に声を出すのは馬車引きの別の男だ。彼の名前はノゲシ・ホワイトリカー。勇者に背は劣るものの、彼がしっかりと存在感を放っていられるのは鍛えられた肉体ゆえか、それとも勇者が一般人と差し支えない程度の肉体をしているだからだろうか。
「それにしてもこの町周辺は魔力の濃度が高いな。かつての魔術師が残した魔術も今なら使えるかもしれない」
「町でむやみに魔術を使うと罰せられますから気を付けていただければ」
「それは分かっていますよ、ですがここは凄い!月と魔術には昔から関係があるとされていますが、やはりその影響があるのでしょうか」
「さぁ、私は魔術の事は門外漢でして」
魔術師風の男は先ほどから息を肺一杯に吸い込んでさっそくこの地を満喫しているようだった。そこら辺は以前私が感じたように、神性の差というものが影響しているのではないだろうか。裏を返せばそれは勇者が居る国であろうとも、この町を包む神性に遠く及ばない程度の魔力しか感じられないということであり、勇者の連れと言っても案外大したことは無いのではないかと思わせる。
そんな私とは打って変わって男は随分とご機嫌であり、門の上に出るころには我慢できなくなったのか、両手を広げて天へと声を張り上げた。
「我がヨシ・ヒイノコズチはこの町にて魔術史を一つ塗り替えて見せよう!」
彼の背後を歩く女が首を横に振って「つかえないわね……」と呟くのが不思議と耳に残った。魔術師の彼、ヨシはきっと魔力に酔っているのだろう。純粋な魔力量の差か女は余裕そうに見えるが、これも歌が関係しているのだろうか。
普段であれば町中に広がる歌声が聞こえないのに私が気が付いたのはこの時である。