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月下の町で唄う  作者: 畔木鴎
三章『星と並んで見た世界と、祈り』
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三節『雨は上がる』2

 かつてマザーシプトンと食事を共にした食堂で、ステラ、トウカ、フリュー、ノーザの四人は遅い食事を取っていた。食事が遅くなってしまった理由としてはステラとトウカの騎士組が原因であり、彼らはお腹を空かして待っていたフリューとトウカに頭が上がらない気持ちでいっぱいだった。

 トウカとノーザはステラとフリューに巻き込まれた形ではあったが、一人で食事を摂る虚しさを知っていたためにこうして席を一緒にしたのである。


 町の警邏けいらをしている人たちのために竈の火は落とされることなく、こうして温かい食事にありつけているわけだが、現在感じている幸せの中で、ステラは何か複雑なものを感じていた。

 半ば流されるような形でマザーシプトンを殺してしまったのを悔いているわけではない。ステラはシプトンを除く、彼が深く関わった、ほぼ全ての人間の命を失うことなく今を迎えられてる。悪くはない。そのはずなのだ。


「考え事ですか?」というフリューの言葉に、ステラは少しばかり反応が遅れてしまった。話が自分に振られたと瞬時に理解できなかったのだ。

 食事の時にどうにか時間を作る、とステラの言葉で集まったのだから簡単に察せそうなものなのだが、彼の頭の中にはシプトンとの食事が焼き付いて離れくれなかった。まさか魔術の残り香が惑わせているわけでもないだろう。そう、彼は頭を軽く振ってフリューの言葉に答えた。


「……まぁ。いつ終わるのかが見えないからな」

「人を育てない事には終わらないでしょうね。もちろんもう少しで立て直すことは出来るでしょうが、その後を任せられる人間が居ませんから」

「それほどでしょうか。シスターたちの助力を得られないのですか?」

「マザーの影響がどれほどあったのかを私たちは詳しくは調べられないのです。顔見知りたちは先の戦闘で死んでしまいましたし、後ろから刺されても文句の言えないことをしたのですから……、結局自身で終わらせるならそうした方がいい、となってしまうのです」

「自警団だけじゃ厳しいから、事務方の能力があっても結局そっちに回すのさ……あらかた粛清したとは言っても警察機関が消えたわけだし、備えは必要だ」


 彼らにとって運が良かったのは、魔物の脅威に怯えることがなくていいことだった。

 元より、フルムーンの前には魔物の間引きをしているし、魔女と勇者との戦いでもその数を減らしている。辺境といっても過言ではないルーナン・コリスにおいて、外敵と呼べるものが少ないのは良い事だ。内側を気にしなければならないのはともかくとして。


 結局その後も内容のある話は出ないままに食事は終わってしまい、夜も遅いので就寝することになった。もやもやした気持ちで歩く部屋へと続く通路は非常に暗く、手元の蝋燭の光だけが唯一の光源だった。日取り窓はそれなりの数があるはずなのだが、建物が大きくになるにつれて日の届かない場所はどうしても増えてくる。

 マザーシプトンが生きていた時にはこんな感情を抱くことはなかったはずだ。そう、彼は思う。後悔しているのかと聞かれれば違うと答えられるのに、心は平穏を許してくれない。いや、いではいるものの、その真下に正体不明の化け物が居るかのような、漠然とした不安があったのだ。


 マザーシプトンが封印されていた七月が消え、ルーナン・コリスは特別な町ではなくなった。それでも。夜の明るさに大きな変化はない。


「ふっ……」と、彼は短く息を吐いて手元の蝋燭の火を消した。暗闇になれていない瞳はほんの僅か先すら見通すことはなく、彼が立ち止まったことで、周囲の静寂と合わさって物寂しさは大きさを増したような気さえする。

 世界は今あるものにしか影響されない。けれど、人間はそういうわけにもいかないのだ。


 気持ちは酷く落ち着いている。

 あるのは喪失感だけだ。


 それでも息を落ち着かせ、明かりを灯す。彼女から教えてもらった七月の魔術だ。月があるのだから応えてくれ。彼は強く思う。

 勇者フォウ・リーフは生前に月神と会ったことがあるそうだ。ならば、自分にも……。

 夜の闇の中で、彼は小さく詠唱を口ずさんだ。


「……ステラの名において、月の神に願い乞う。あなたは私の光、闇夜を照らす光を私に」


 それは本来発動するはずのない神代魔術であった。

 この町に神はいないし、聖性も薄れて消えた。神の下の下、最低限の権限を持つ精霊すらいない。


 それでも光は彼の掌に現れた。


 光は弱く、魔力の消費量も割にあっていない。効率は最悪で、光は強い熱を持っていた。暖色の光の出来は最低だ。でも……心は救われた気がした。マザーシプトンの秘術によって底上げされた魔力が物凄い勢いで減っていくのを彼は感じる。魔力が減っていく感覚は気持ちの良いものではないが、疲れている方がよく眠れるだろうと、彼は歩を進めた。


「部屋まで持てばいいさ……」


 そんな呟きが聞こえたわけではないだろう。彼の耳は背後からの足音を感じ取り、振り返ることもなくそれが誰かを当ててみせた。推理というような高等なものではないが、今は大したことではない。


「……フリュー、どうしたんだ。夜も遅い、ノーザは?」

「私一人ですよ、ステラ。お話をしようと思いまして」

「それは……今から?」

「ええ。言葉を交わすことだけが分かり合う事ではないでしょう?私たちは余計にそう」


 そう言ってフリューは瞬く間に彼との距離を詰め、彼が行くはずであった通路の先を歩いていく。仕方なく彼女の背を追う彼の表情は困惑ばかりが浮かんでいた。


「いつかもこういう事がありましたね」

「…………」

「貴方が私の後を付いてくる……貴方は忘れているかもしれませんね。ここ数日は忙しそうですし、濃密な日々を過ごしていますから。ですが、私は覚えています。そして、今なら分かるのです。これがどれほど幸せなことなのかを」

「……幸せ、ね」

「もう貴方の食事を待つことはしません。その代りに……私に貴方の部屋で待たせていただけないでしょうか。誰に言われるでもなく、何に影響されるでもなく、ただ…………」


 彼女は一度息を吸う。「私は貴方を待っていたい」はっきりとした強い言葉だ。

 彼女は先を歩くばかりで振り返ることをしない。


「ただ貴方が帰ってくると祈っています。私の行動になんの罪悪感を感じることがあるでしょう。帰る場所にたまたま好きにできる女が居て、貴方は好きなようする。それは悪い事でしょうか?……私はそうは思いません。心の痛みを隠しておくことの方が、それは……罪なのでは、ありませんか」


 彼女の言葉はステラを責めているものではなかった。逃げ道を示しているのだ。だというのに、彼は怒られているような気持になってしまう。彼がこのような感情を覚えるのは、仕事で怒られた時以来だろうか。そう思えば、いくらか笑えてきた。


(マザー……私は貴方を忘れることは出来ないようです)


 忘れることは出来なくても、捕らわれているわけではない。

 マザーシプトンの魔術を破ったのは目の前に居るフリューで、今助けてくれようとしているのも彼女だった。


「今夜は空に星が見えそうだ……」


 ステラは魔術の光を消してフリューの隣に並ぶ。


「長い雨は上がりましたからね」


「そうだな」と、言葉を返したステラの声はうわずっていて、目元には滴があった。

 ルーナン・コリスに長く降り続いていた雨は上がり、フルムーンを経て騎士ステラは新たな未来を得た。今夜、彼に降っていた雨は上がったのだ。

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