二節『それは醜い魔女の愛』6
マザーシプトンから見てプレイテリアの王は狂っているように見えた。彼女は彼の事を全く知らないながらも、これだけは間違いないと確実に思えることだった。果たして、どういう判断でそういう思考に至ったのか。この世界に来る前に抱えていた全てのしがらみから解放された彼女は、ふと、そこが気になって訊ねた。
「どうして貴方は個人を捨てて生きていられるの?」
「個人を捨てるという言い方は良くないな。私は、広い視野を持って発言しているに過ぎない。まぁ、なんにせよ、君はこの世界の常識を知っておくべきだろう」
「私は別に一人でも生きていけるわ。足枷が外れたのに、いまさら変な王様の気まぐれで時間を使うのなんて嫌だもの」
「たしかに何も起こらなければ一人で生きていけるだろうさ。だが、もし何かが起こってしまったとき、君は私の話を聞いておけばよかったと思うはずだ。私の赤い瞳はたまにだが、未来を映すことがある。神が私に見せる、未来に必ず起こる事象。それがこうして君をここに連れてきているわけだし、まずは三日、話を聞いてもらえないだろうか」
「三日は長いわ」シプトンは首をゆっくりと左右に振ってから古びた机に腰を預けた。いくら古いといっても王城に入っている備品なだけに軋むようなことはなかったものの、どこか不安はあったのだろう、彼女の動きはどこか緩慢であった。
椅子ではなく、机に寄りかかるあたり、彼女に話を聞く気はない。だが、そんなことで目の前の王が止まることもない。
「じゃあまずは最初の問に詳しく答えていこう」
そう言って彼が本棚から取り出したのは四冊の本だった。被っていた埃を手で煽りながら順番に机に積むと、彼は一人の王の名を口にした。今よりも随分と昔に生き、今は本の中で生きる王の名を。
「昔々、アンファル・イルポータという少女が居ました。彼女はいたって普通の村娘でしたが、ある日、樹に刺さった聖剣を見つけてしまいます。剣が気になった彼女は剣を引き抜き、そして王となったのです。王となった彼女は様々な国を渡り、大陸を股にかけ、愛する人を見つけました。……終わり」
「…………何が言いたいのかしら」
「王は人が選ぶものじゃなく、神が選ぶのさ。なら当然、ただの村人が王になることもある。だけど王も自由に生きることが出来る」
「ええまぁ、普通は国や大陸は超えないでしょうけど……、それは質問の答えにはなっていないわ。私は、どうして個人を捨てられるのかと聞いたの」
そこで王は寂しげに笑い、積まれた本を叩いた。
彼の言葉は決してすぐに答えが得られるものではない。それは雰囲気だけでもいいから、しっかりと考えてもらいたいがための物言いだ。シプトンはそれが理解出来たからこそ、今度は耳をしっかりと澄ませる。
「村人が王様となったとして、待っているのは旧体制との争いだ。アンファル王には聖剣があった。だが、殆どの王はそうではない。手元にあるのは、ただいつ起こるのかも分からない未来を視る瞳だけ。政務の仕方も分からないことが前提で、別段、居なくても問題ないように体制が組まれている。…………では、暇な王様が時間を潰すのに最適な場所と、その行動は?」
「……誰も居ない書庫で本を読む、でしょうね」
「正解だ。そして王は知るのさ。かつての繁栄も無く、だらだらと運営され続けるだけの世界で何が必要なのか。……それは君だ」
彼の言葉に熱が乗る。それは今まで溜めていた鬱憤を晴らすようで、彼女には寂しく見えたものの、一度動き出した感情を止めることが難しいというのを彼女は知っていた。
「異界からの来訪者。俗に魔王と呼ばれる存在。私は、それが世界を変えるものだと信じている」
「……ふぅん。で?この国は凄く繁栄していると思うけれど?私が今まで見てきたどの国よりも豊で、人は優しい。それでいいじゃない」
「それで世界が繁栄するのか?争いは無く、神具や聖具で護られた国。確かにそれは理想郷なのかもしれない。この世界でなければ、そうだろう」
「不具合なんてどこにもないでしょう?何を恐れるというの」
「この世界の中心は動くのさ。かつては覇を唱えていた国が、星海にまで届いていた世界樹が、過去へと飛ぶことが出来た神殿が、……少しずつ世界の端に寄り、やがて消えていく。そこに信念や愛情なんて無い。言っただろう?『世界は主と三神の意向によって変わり、移ろっていく』。変化の無い国は要らないのさ」
「そういう話であるなら、貴方は消えて、魔王の私だけが残ることになるわ。世界を変える力があるし、この世界の神もそれを望んでいるのでしょうから」
彼の王は自己顕示のために自分を巻き込もうとしているわけではなかった。彼女は彼の言葉をさらっと軽く解釈したものの、それでもどこか漠然とした心象を抱いていた。
王としてこの国が地図から消えるのは避けたいと言いつつも、世界を動かすほどの力を欲している。もし事が起これば、間違いなく自国の民は傷つくのが理解できないわけではないだろう。そこまでして変えるべきものなのか、とシプトンは思うのだ。誰も気が付かず、遅々とした破滅が神の決定であるのなら、それに従うべきではないのか?神に選ばれ、王となったのなら……──いいや、神に選ばれたこそ、か。
「そう。どちらにしろ、私は消えてしまうのさ。魔王を匿い、大国を滅ぼした暗愚として死ぬか、歴史の中の凡夫として誰にも知られず消えてしまうのか。……私は、私自身の死を既に知覚している」
神に選ばれながら、何をすることもない。
暇だからと本を読めば、そこにあるのは偉大な王たちの物語と、覆せない世界の理だ。
……無力。彼の中で渦巻いているものの正体に、彼女はようやく名前を付けられたような気がした。
「私は君が欲しい。自らの死と引き換えに、私は新たな世界の礎となりたい。この国が亡ぼうと、飾り物の王であろうと、私の愛は本物だ。民を思えば、世界を思えば、王としての行動なんて決まっている」
破滅願望なんて軽く言ってはならない。神が選んだ一人の人間の、世界を相手にするのが決まっているような無謀の挑戦であっても、それを笑ってはならない。
「私の行動を、神は認め、止めに入るだろう。時期が来れば魔王を倒すための勇者が現れる。そこで私の物語はおしまいだ。あぁ、……アンファル王もこんな気持ちだったのかもしれないな」
シプトンはそこで机に積まれた本に目をやった。彼がわざわざ引き抜いた四冊の本と、何度も出てくるアンファルと言う名の王。
きっと、これは彼が愛している物語なのだろう。
「まぁ、これが私が個人を捨て、君を求める理由だ。どちらにしろ、君と勇者の対決は避けられない。すべては、そう…………全ての最後の瞬間に、君の中で私が僅かにでも在るかどうか。私が歴代プレイテリア王の一人ではなく、ただ一人の人間として在れたかどうかだ」
アンファル王のように戦い抜き、最愛の人を見つける。勝利を勝ち取る。
それはもう叶わない事だ。彼は自身の死を知っているのだから。
「王は王だ。誰も私の名を呼ぶことはない。王となったあの日から、私の名は失われたままだ。今ならまだやり直せる。名も知らぬ魔王よ、貴女の名前を教えて欲しい」
「私は、…………私の名前は……マザーシプトン。生贄として捧げられた先で龍を殺し、誰にも愛されなかった魔女。偉大な王様、……貴方の名前は?」
「プラトリア・ディ・テリウス。追いかけっこが好きだった、大工の息子だよ」
いつか終わりが来るのなら。彼がそうしたように、彼が求めたように、主が創りたもうた美しい世界とやらを見てみるのもいいのかもしれない。
一人の無力な王をここまで変えてしまうほどの熱量をこの世界が見せてくれるのなら、少しばかり力を貸してみてもいいのかもしれない。
マザーシプトンは本を手に取り、僅かにほほ笑んだ。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
『月下の町で唄う』も残り一説となりました。残り六話ですが、今後もよろしくお願いします。
感想やブックマーク、作品評価などいただけると大変励みになりますので、お時間ありましたら送っていただけると嬉しいです。




