二節『それは醜い魔女の愛』3
光は間もなく明けた。着弾地点だったのだろう場所は大きくクレーターが出来ていたが、その中でぽつんと立っている二人を見て、私は駆け出した。もはやろくな地面などない。融解していたり、炎が燻っていたり。光に呑まれたルーナン・コリスの中心地は、地獄の装いをしていたのだ。
クレーターの中心で鏡剣を持っているカストラートの体から魔力が抜け出しているのが見え、相当に効いているのが分かった。彼を地に留めている魔力の供給元がマザーシプトンであろうと、星海であろうと、原動力を大きく削ったのだろう。
光り輝いていた星海は輝きを弱め、大粒の雨を地にもたらし始める。文字通り、空が落ち始めたのだ。
「うぉーーー!!」
足場を蹴り、宙を駆け、私とマザーシプトンの距離は縮まっていく。
星海の魔力の大部分が消失した影響なのか彼女の纏う神気は弱々しく、彼女本来の星のような魔力の煌めきを感じることもない。何も臆することはない。懸念などありはしない。
地を滑りながら身を捻り、私が放った突きがマザーの喉へと吸い込まれていく。彼女の苦々し気な表情と歪む瞳を一瞬交わらせる。間にカストラートが割り込んで攻撃を代わりに受けようとするが、私は止まらない。
空から降ってきた勇者が、聖剣エクセレジオーネでカストラートの脳天を貫き、縦に割ったからだ。
「マザー!終わりだ!!」
「まだ!まだ私は…………!!」
剣先はするりと抵抗もなくマザーシプトンの喉仏を抉った。彼女の胸に飛び込むように剣を突き立て、彼女の胴体を蹴り飛ばす。これで詠唱を必要とする魔術は使えない。それどころか、立っていることすら難しいに違いない。生きているのが不思議なほどの傷だ。……それでも死なないのがマザーシプトンだと私も分かっているからこそ、その兆候に気が付くことが出来た。
私と彼女を繋ぐ、共鳴の輪。フリューによって魔術を解かれた時に解消されたと思っていた繋がり。いいや、正しく言えば、似たような反応を感じ取っただけなのだろう。
半龍のカコを依り代としていた彼女が、龍の力を持っていたとしても何らおかしなことではない。本来、群れ同士の境をはっきりとさせ、仲間を強化するための繋がりが私に知らせるこの兆候は、外敵と相対した時の虫の知らせに近しいものだった。
マザーシプトンの背中を突き破って現れた一対の黒翼。爛れ始めた顔面は鱗のように固まり、妖艶な顔が完全に消え去った。身に纏っていた歪んだ空間はいつの間にか無くなり、裸体をさらけ出す。しかし、それも淫らな雰囲気を持つことはない。
体中を走る雷のような火傷の痕は痛々しく、頭部と同じように爛れて鱗が生まれたからだ。
フリューから教えてもらった龍の魔術は三つ。共鳴、変質、再生である。
これが彼女の本来の姿であると言うのなら、私たちのような龍の欠片も見当たらないような存在よりも、強力に作用することは簡単に想像できる。
そして、私に蹴られて地に打ちのめされた彼女の喉が、その効果を最初に見せてくれた。
傷跡から生え、伸びた赤い結晶が砕けたと思えば、そこには元通りに再生された喉があったのだ。
生半可な攻撃は簡単に直されてしまうなどと、余計な事を考える必要はない。近づいて斬る。それだけでいい。
「私はまだ!!」
「……くそっ」
マザーシプトンが翼を使って体勢を立て直し、空へと飛び立った。剣では届かない。瞬時に弓に姿を変えた神剣を構えて魔力を番えて放つも、それは簡単に避けられてしまう。しかして、彼女は地面に落ちてきた。
トウカの放った神弓の一撃がマザーの翼を穿ったのである。それは今まで見てきた中で一番鋭く、光速に迫る勢いの一撃であった。共鳴によって繋がっていることで私が理解できたことは少ない。彼女の魔力にカコの魔力が混じり、爆発的な勢いを生み出したのだ。情報は少なくとも、それがどうやって引き起こされたのかはすぐに脳裏に浮かんできた。
──カコ、私にも力を貸してくれ。
カコが残した血の鉱石がにわかに熱くなる。魔術の媒体として優秀であり、半龍の寿命を大きく削る原因でもある龍の血から生まれる鉱石。石から引き出される魔力を全て神剣につぎ込んで、私は地に蹲るマザーシプトンの肩を踏み抜いた。
地から落ちた月の女神はもはや神ではなく、人でもない。魔王かと聞かれればそうでもなく、龍なのかと聞かれても、ただ黙っていることしかできない。
星海が落ち、龍へと姿を変えたマザーシプトンのやせ細った裸体、そして、今にも泣きだしそうな彼女の表情を見てしまえば、そんな形を与えるだけの言葉が意味を持たないのだと気が付くだろう。
……私は結局、マザーシプトンという存在を理解することが出来なかった。
何を思ってプレイテリアに居て、何を思って七月の神となったのか。神になってまで、この世界の敵になってまで目指すその先に、何が見えていたのか。
けれど、今更話す事もない。龍の血を生み出す心臓に振り下ろされた剣の切っ先が鈍るなんて事もない。
私は確かに彼女の神核を討ち砕き、もうマザーシプトンが口を開くこともない。
幾度と会話を交わし、日常を過ごした人物を自身の手で殺す喪失感の、なんと大きいことだろう。
神剣の節を繋いでいた紫の物質が彼女の肉体に入り込み、体内を満たして突き出てくる様子を見る私の内心は、神への呪詛でいっぱいだった。
穴あき死体の上で崩れ落ち、惨めにすすり泣く私に声をかける人物はいなくとも、それは嫌というほど視界に映り込む。あぁ……三神は今頃、胸をなでおろして笑っているのだろうか。
──今ここに、魔王討伐は成された。
星海から降り注ぐ大粒の雨が、月の都の熱を奪い去っていく。




