一節『龍の血脈』6
気を失っていたわけでもなければ、それほど時間が経っているわけでもない。それでも私がこうして僅かばかりの懐かしさを感じてしまうのは、意識がマザーシプトンの魔術に捕らわれていたからなのだろう。この世界にやってきてから、マザーとの会話はほぼ毎日行ってきた。それを一瞬で繰り返し体験することで、感覚が麻痺しているのかもしれない。
気持ちを切り替えるために何度か首を振っているとフリューが私の背に手を伸ばし、身を寄せてゆっくりと背中を撫でてくれた。こちらを気に掛ける言葉だけではない。彼女の掌から伝わってくる共鳴の波が、心に染みこんでくる。
「ゆっくり息をして……、意識は?はっきりしていますか?」
「大丈夫、分かるよ」
「そうですか。貴方が薔薇を吐き出した時はびっくりしました」
「え、この薔薇を?」と、私が黒薔薇を手に取れば、それはまるで存在していなかったかのように小さな光となって消えてしまった。この世界で光っているものは大抵が魔力と関係しているので、薔薇も魔力で構成されていたのかもしれない。マザーシプトンの魔術が私の中で形を成そうとした結果があの姿だと言うのなら、薔薇の姿にも何か理由があったのだろうか。
「マザーシプトンが復活してから、ステラ……貴方の心の深くを共鳴で感じ取る事が出来ませんでした。何か思い当たる節があれば教えて頂ないでしょうか。貴方にこんなことが出来るのは一人しか思いつかなくて、私は……」
彼女の体を暖かさを感じつつ、その弱々しい言葉に耳を傾ける。知らない所で私のために祈ってくれていたフリューの言葉にもし答えるのなら、確かにマザーシプトンが犯人であると、そう言わなければならない。だが、私にはそれを本当に口にしていいのかどうか分からなかった。
言ってしまうのは簡単だ。あの部屋の中で一緒に居たマザー以外が術者である可能性は極めて低く、彼女自身の口から監獄であると伝えられたばかりだ。分かっている。けれど、口にしてフリューやノーザ、トウカが安心するわけではない。
ふと視線を町の中心部に向ければ、マザーと勇者との戦闘はまだ続いている。もしマザーが勝利し、私たちの前に立ちはだかったとして、彼女が私たちを手にかけないという保証だってないのだ。今からそれを気にさせるような発言をしていいものだろうか。
「…………安心してくれ」
不思議と耳に残っていた、「現実世界で会いましょう」という言葉。あれを信じるのなら、彼女たちの戦いに割って入り、一度話をする必要がある。
魔王と勇者との戦いにはカストラートも入り混じり、勇者は押され気味になっていた。とても会話が出来るような雰囲気ではないものの、それでも無理矢理に場を整えるのなら、それなりに目立つものでなければならない。
マザーシプトンが味方かどうか分からなくなってしまった以上、安全な場所があるのかすら分からない。私はフリューに微笑みかけ、避難の言葉を告げる。少なくとも町中に居て戦闘に巻き込まれるよりはいいだろうから。
「フリュー、ノーザを連れてルーナン・コリスから出るんだ。スラムからなら外に出られるはずだから」
「また、戦うのですか。体は万全ではありませんし、貴方には武器だって……」
「そうですよステラ、エクスカリバーは折れてしまっていますし。あそこに入れるとはとても思えません」
とは言っても、トウカの言うように今の私に武器はない。聖剣は折れてしまっているし、ただの剣では重りにしかならないだろう。何か対抗する策を考える必要があった。疑似的とは言え、勇者となっているのだから、それなりに取れる手があるはずだ。無理に戦う必要はなく、何か目を惹くようなものがあればいい。
「マザーシプトンは貴方に魔術を……。お願いです。私たちと一緒に逃げましょう」
「ごめん、そういうわけにはいかないんだ」
マザーが私にかけていた魔術を、彼女は監獄だと言った。現実に寄った事で自由に動けるようになったと。そもそもとして、フリューが私にかかった魔術に気が付かなければ、ずっと魔術の効果が続いていたという事になる。私が好きに動かないように監獄に閉じ込め、彼女の復活と共にそれが強くなったというのなら、私にも何か出来るはずだ。
何かないかと周囲を見渡したせば、視界の中に不思議なものを見つけてしまった。
何がどうなってこれが起こっているのか私には分からないものの、これを私は勇者の記憶の中で見たことがある。
……空中に踊る文字。三神が勇者に指示を出すために視界に映す神託が、どういう訳か私の目の前に現れた。
──神代の魔力は天に満ちた。今、最後の魔王討伐を成そう。
「え、何が起こってるんだ……」
「ステラ……?」
「見えてないのか?」
「見える?何か見えているのですか」
掴もうと手を伸ばしてみても、私の指が宙に浮く文字列を掴むことはない。私は確かに勇者になったが、三神に召喚されたわけではない。神託が届くような縁を、私は知りはしない。これがマザーが私に魔術をかけていた理由なのだとしたら…………、私はどうするべきなのだろう。
──魔を持って魔を制す。勇者の伝説の幕は未だ下りず、継承は成された。
継承、勇者になった私に魔王を倒せと言うのか。用意が良いというべきか、こんな武器まで用意して……全て神の計画通り、というわけか。
私の目の前に現れたのは骨のような剣だった。節と節とを繋ぐ部分には紫色の何かが固まっていて、歪な蛇腹剣のようにも見える。聖剣にも感じることが出来た聖性をこの剣にも感じる事ができたが、この剣から感じるものはどこか違うような何かであった。これは……そう、マザーシプトンに近しいものだ。
「……異邦の神器」
トウカの言葉が答えなのだろう。この神器は勇者フォウ・リーフの伝説の一番最後に出てくるものか。勇者が倒した魔王を護っていた狩人が持っていた、異邦の女神の背骨を引き抜いて作った武器。
魔王の討伐。勇者の継承。彼の伝説のその後を、……私が引き継ぐ。引き継げと、神は言っている。
マザーシプトンを殺せと、神が言っている。そんな、今更だ。私が最初に出会ったのは三神の縁者ではなかった。私を救ったのは誰でもない、カコとマザーシプトンの二人なのだから。
「皆、私はまだ逃げられないみたいだ」
苦々しく笑った私に帰ってきたのは温かな抱擁と、静かな口付けだった。
龍の末席に座るこの場の四人の心音が重なった気がしたのは、きっと気のせいではないだろう。
ぎちぎちと音を立てて反り返った神器は弓の形となり、さあ握れ、とばかりに宙に佇む。
──神が何だと言うのか、私は私を信じた者のために戦う。
・魔王セーラと神となった狩人
勇者フォウ・リーフが太陽神、剣王と共に討伐した魔王である。
愛の女神であったセーラは多くの人民を魅了し、狂わせ、多くの人命が失われた。
出自から彼女そのものに戦闘能力はなかったが、彼女の傍には一人の狩人の姿があった。
愛の女神に魅入られた少年時代の狩人は彼女へ貢ぎ続け、やがてそれは他の神に疎まれることになる。
神獣、幻獣の肉を喰らい、元より人よりではなかった狩人は神を殺して神となった存在であり、殺した女神の背骨を加工した神具をいくつか有していた。
セーラは神の因子を他人に植え付け、子を成し、生まれた子を使徒ととして戦線に送っていたが、デキはいいものではなく、剣王一人の前に使徒二人が瞬殺される程度であった。
成長速度を弄ったために肉体だけが育ち、精神が育ちきっていなかったのが原因である。




