三節『勇血たちはかつてを夢見る』5
私たち以外の何人も勇者を止めることは出来ない。それは誰も彼に匹敵する力を持った人物が居ないというのもあるし、静謐な場の空気が、彼の能力がそれを許さないからである。
肩で強風を切るように煙を吹き出し、町を白く埋め尽くさんばかりの速度で横に広がっていく。産業革命時のロンドンはこのような景色だったのだろうかと、どこか俯瞰した視点で眺められるのは、私が彼よりも高い位置で待ち構えているからだろうか。石で組まれた建物たちが霧に溶けて影となり、やがて見えなくなっていく。
あれらは静かな津波といっても過言ではないだろう。あの霧自体に攻撃力は無くとも、あれはダンジョンの守護者を生み出す神の権能で間違いはないのだから。
風はそれなりに吹いているものの、勇者が引き連れてくる濃霧は決してぶれず、霧散することはない。それらが動くことがあるのなら、私は最大限の注意をしなければならない。霧から生まれる魔物の親は勇者であり、全てが私たちを狙ってくるのは間違いないのだ。
いつでも来いとばかりに聖剣のグリップを握り直し、程よい脱力で心を静かに燃やすのと、霧中に無数の影が浮かび上がるのは殆ど同時であり、そこからの動きは雷のように素早かった。
「来るぞ!!」
私の叫びは耳に残る暇もなく、他の情報を脳が書き記していく。
真っ先にこちらに走ってくるのは四足の獣だ。姿形は獅子の様であったが、角が生え、はっきりと言葉で表すことは難しい。あえて言葉にするのなら、混合獣や鵺となるのだろうか。たまに体が発光しているのは雷を纏っているからだろうか。まさに電光石火の勢いで通りを一直線に駆ける獣の名は、トウカの口によって明らかになった。
「……ッ!あれはツァオネ!神代の魔物です!注意を!!」
「もう何でもありだな……」
「魔術師が動きを止めて戦士数人がハンマーで殴って倒すような魔物ですよ!!騎士とは相性が悪すぎます!」
雷獣ツァオネと金属鎧との相性はとことん悪いようであり、トウカが率先して神弓で打ち抜いていく。鎧を着ている私には対峙が難しいと判断したのだろう。実際に、基本的に近接武器で戦う私と高速戦闘を行うツァオネとでは相性が悪いし、聖剣の魔力で薙ぎ払うにしても非効率であるように感じられた。
それでも、ツァオネの全てをトウカに任せるわけにもいかない。背の七月の神殿から離れるように私も駆け出し、近場の一体の体毛を舐めるように聖剣を振るった。
近づきすぎて雷電を喰らうわけにはいかないが、相手はこちらなどお構いなしに突っ込んでくる。直前で避けるにしても、トウカの言う様に近接では戦いにくい敵だった。
光る刀身が舐めるツァオネの身は確かな手ごたえを持って、私に切り捨てた感覚を教えてくれる。しかして、その傷が致命傷でないことも分かっていた。なんせ初見の魔物であるから、距離を測りかねて傷が浅かったのである。
追撃として剣の自重に振り回されるように宙を回転した私の視界の先で何かが飛び、少し遅れて肉体を切った実感となった。倒したかどうかの確認すらする間もなく、重心を上手く移動させた勢いで飛び退れば、目の前に現れるのは二体目のツァオネであった。
私が戦っていたのはトウカが撃ち漏らしたうちの一体であり、むしろこれからが本番ともいえる。迷っている暇などなく、私は強く地を蹴り、──横から衝撃を受けて石畳の上を跳ねた。
ツァオネからの攻撃を受けたわけではない。トウカが間違えて私を撃ったわけでもない。ならば、と視線を向ければそこに居たのは勇者フォウ・リーフと共にルーナン・コリスを訪れていた男の戦士の姿があった。
「……ノゲシ」
「ヨシとナズナの仇、討たせてもらうぜ」
「勝手に喧嘩を売ってきて、勝手に死んだ人間が……」
長身の男からしてみれば見劣りするような、磨き上げられた小振りの戦斧を眼前に構え、彼はしかめっ面で私を見下ろした。姿勢を整えて素早く立った私にダメージらしきダメージは無い。周囲を見渡せばどうか。ノゲシはツァオネの一体に跨り、私に体当たりをしてきたのは明白であった。
「……ただの人間でも神に嚙みついてやるさ」
それは明らかに私に向けられたものではなく、ノゲシの決意を言葉にしたような呟きであった。勇者と肩を並べてこの場に立つ彼の心情をこれ以上ないくらいに表したものだったのだろうが、それは私も同じである。
──たとえに偽物であったとしても、勇者を殺してみせる。
気持ちの引き締めは一瞬のうちに終わり、魔力反応を頼りにツァオネの雷撃を避けて次の一手を考えていく。
私の周囲だけではなく、トウカの間近にまで雷獣の群れは迫っているようで、共鳴によって互いの状況はある程度共有されている。伝説に出てくる魔術師の様に広範囲攻撃など私には難しいが、ここで一度全てを薙ぎ払うぐらいのことをしなければこの後がキツイ。
解決策の逡巡などあるはずもない。何かに導かれるように浮かび上がった手があるのなら、行動しておいて損はないだろう。私とトウカに思考の共有の時間など必要ないのだから、互いに必要だと思ったのなら、最速で行動に起こすことが出来る。
周囲に居る敵の対応全てをトウカに任せて、私がやることは一つ。横に薙ぐように構えた聖剣が光り輝き始めてノゲシは私の行動を察したが、それではあまりにも遅い。いくらツァオネが飛びかかろうと、優秀な騎士が背後からの援護を途切れさせたりしないのだ。
いままで刀剣に満ちていた光と同じものであるはずなのに、どこか違う雰囲気を漂わせる聖剣に応えるよう、強く、速く、魂から叫び声を上げてその瞬間は訪れた。
「エクス、カリバーーー!!!」
極光は渦を巻いて周囲を呑み込み、打ち砕きつつ広がっていった。トウカが光の龍を見ているようだと感じているのを心の隅に置いて、私は魔力の喪失感に肩で息をするのだった。




