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月下の町で唄う  作者: 畔木鴎
二章『並び立つ七つの輝き』
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二節『波跡に輝く金の星』6

 出自と境遇そして、マザーが整えた魔力の豊富な環境。果たして、それらは私を勇者にするのに十分なのだろうか。大まかな概念だけで類似魔術を扱う私には分からないものの、私を勇者に変える魔女マザーには何か基準があるのかもしれない。


 考えている間にも水面を覆う霧は濃く、視界は少し前に閉ざされてしまった。あまり広くない部屋だというのに、そう思って腕をゆっくりと伸ばしてみればどうか。ぴんと張った指の先は問題なく見える。それならば部屋の壁ぐらいは見えるはずだ。僅かな違和感は私を立ち上がらせ、重くなった衣服がことさらに主張を強める。


 一歩、二歩、三歩……歩を進めても壁が見えることはなかった。それどころか、何か障害物があるような気配もない。次第に歩幅は大きく、波を搔き分ける音が大きくなっていくが、やはり壁が目の前に迫ることはなかった。


「…………」


 小さく吐いた息が霧を裂くなんてこともない。どうして、という言葉をすんでのところで呑み込み、頭を振って見渡せばどうか、……左右どころか上下さえも視界が通らない。

 何か魔術の影響が出ているのは間違いないだろう。それが空間を拡張するものなのか、私自身の感覚を狂わせるものなのか、判断はつかない。だが言える事があるとするのなら、これも勇者を再現するうえで必要な事なのだろう。


 勇者フォウ・リーフはダンジョンに呼ばれ、それに関する力の一端を与えられている。それはダンジョンの力をもって魔王を倒すための世界の防衛能力であり、彼が独りで生きていくためのものだ。想像に形を与えて使役する様を能力名で表すとするのなら、ダンジョンマスターと呼ぶのが正しいに違いない。

 ダンジョンマスターとなった彼が自衛のために用いたものは他人を狂わせ、思考能力を奪う快楽の煙だ。煙と魔物とを使役することで魔王を追い詰めた彼を再現しようとすれば、欠かせない能力ではある。


 私に煙を扱う力は無い。ダンジョンで魔物を生み出し、使役する力もない。が、マザーが魔術でこの光景を見せているのなら……──


 真っ白な視界の中で気持ち悪いくらいにはっきりと見える右腕を突き出し、ゆっくりと魔力の流れに心を重ねる。思い描くのは勇者の伝説に出てくる牛頭の戦士。彼が物語で一番最初に創り上げたミノタウロスの姿だ。


 私のイメージに沿うように煙は練り上がって天へ延び、やがて私の身長よりも高く雄々しい姿で固まった。雷光アステリオスの名前を持つ戦士は霧で出来ている筈なのに、触覚がこれは本物だと伝えてくる。

 ……魔術が脳を弄っているのか、本当に私が創り上げたのか。それは定かではないものの、この霧は私の意思である程度自由に動くようだった。ならば、私がやる事は決まっている。マザーが私に求めるもの。彼女の千年を埋めるもの。私が勇者になり、勇者を超えるために必要なもの。


「…………」


 胸の前で祈るように両手を合わせ、それを一心に思い浮かべる。私はそれを見たことが無いし、伝説で描かれる様子しか想像することが出来ない。だが、勇者がそれをどのような想いで創りあげ、どのように振るったのかは、彼の伝説を追う事で何となく理解している。

 奇しくも、というか私が彼と同郷である以上は仕方のない事なのかもしれないが、それの名が私が知るものと一致しているというのもあったのだろう。掌中に集まる煙が一切の迷いを見せる事はない。


「……エクスカリバー」


 誰もが知る聖剣の名であり、使用者に勝利をもたらす伝説の剣。神弓アルメッサのように持ち主の魔力を用いて光を放つ、勇者が創り出した一振りの剣。勇者になり替わり、勇者を殺すために、今必要なもの。

 そして煙は収束し、目を覆うばかりの光を放って私の手におさまった。白く輝く刀身を持つ剣は不思議と熱量を感じさせず、革を巻いたグリップはひんやりと素材の感触を伝えてくれる。


 トウカの騎士鎧とはまた違った、神代の遺物特有の聖性はどこか暖かく、人の心の温もりに近しいものを感じる。それは勇者が求めていたものゆえのものなのかもしれないし、勇者が道中で手に入れたものなのかもしれない。私は類推しかできない、偽物の勇者であろうと構わない。類似魔術とはそういうもので、代替品でしかないのだから。


 聖剣を二度三度と振るえば霧中に残光が残り、霧散した魔力の光が空間に淡い静謐をもたらす。剣へと魔力を込めればどうか、一切の抵抗感を与えずに刀身をなめるように魔力が行き届く。……これが聖剣、魔をひらく伝説の剣なのか。

 神器や聖器といった武具は所有者を選ぶものの、私の手に納まっているこいつからは何の感情も読むことが出来なかった。だがそれは悪い意味ではなく、まるで自身の延長として存在があるかのような、そんな感触だったのである。鏡に映った自分とのにらめっこほど無意味なものも無いが、今だけは違う。言語化しにくい不思議な感覚が、血管に乗って聖剣と私を繋いでいる気がしたのだ。


 さて、いつまで聖剣に見とれていたのだろう。知らない間に霧は晴れ、部屋の水は抜かれていた。衣服は乾き、今までの全てが夢なのではないかと考えてしまうが、聖剣の重さだけはたしかにずっしり・・・・とそこにあった。


 霧と水が無くなったという事は、マザーが私に外に出てこいと言っているに違いない。私は彼女が求めていたものをどうにか満たすことが出来たらしい。

 フォウ・リーフの伝説を追体験していたからか妙に鈍い体をどうにか動かして階段を登れば、閉ざされていた重たい金属の扉は開けっ放しで、マザーどころか修道女の姿すら視界に入ることはなかった。ゆっくりと体と精神の波長を合わせるように外が見える場所で移動して七月を見上げると、誰も居ない理由が勝手に自分の中に降りてきた。


 マザーが封印されている七月は今か今かと天に満ちるのを待ちわび、その存在を主張するかのように暗銀色の魔力を放っていた。色を持たないはずの魔力に色を見てしまうほどにそれは強烈で、己で思っていた以上に時間が経っていたことに驚かされる。

 あの様子であれば、あと半日もすればフルムーンが始まるだろう。


 共鳴を用いてマザーの位置を探った私は、彼女が待つ食堂へと歩を向けるのだった。

 トウカも同じ場所で私を待っている。


「いよいよか……」


 フルムーンを祝おうと騒ぐ町中とは裏腹に、七月の神殿内はどこまでも静かな空気が流れていた。

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