一節『伝説、あるいは伝承の続き』3
ルーナン・コリス全域に再び流れ始めた歌。拡声の魔術によって広がるそれに安心を感じる者と、危機感を覚える者とが居た。安心する者は市民であり、危機感を覚えた者は全体を見れば少なかっただろう。
その少数派である勇者フォウ・リーフはと言うと、瑠璃の門の一室で昔を思い出していた。中心街から一番遠いこの場所において、聞こえてくる歌声は耳を研ぎ澄まさなければ聞こえない。だが、彼にはそれで十分であった。目を瞑れば、その歌が脳裏で再生出来るのだから。
四年に一度、この町に来る時に聞こえてくるこの歌が不気味でしかなかったが、それもいつしか懐かしさを覚えるようになってしまった。千年も経てば人も建物も、空気すらも変わってしまう。
変わらないのは過去の遺物ばかりだ。フォウ・リーフやこの町のように。
この歌を歌っているのもおそらくはと、そこで彼は思考を一度止めた。慌ただしく同室のノゲシが帰ってきたのである。
昨晩から帰らないヨシとナズナを探しに出てから少ししか経っていないものの、ノゲシが帰ってきた理由は一つ。
ただ恐ろしかったのである。
かつてルーナン・コリスの住人を人間味がしないと語った、彼が見たこの町の真の姿。それが一体何なのか。
勇者にはそれが手に取るように分かった。かつて己が感じたそれを、彼も感じているのだろう、と。
「お、おい大将!!?この歌はいってぇなんだってんだ!」
「この町ではこれが普通だ。常に歌が聞こえる」
「だってんならこの町の聖性の正体は……」
「カストラートが歌う神話だ」
神話大国と呼ばれたプレイテリアを移したようなルーナン・コリスは、勇者が生きた時代と最も近い雰囲気を持つ町だ。国自体が、場所自体が神話を有す、聖地と呼ばれるそれを人工的に再現した町。
ならば、歌が聞こえるのもおかしくはない。仕組みさえ分かっていれば難しいことではないのだから。
「いいや、んな訳がねぇ!カストラートならうちにだっているじゃねぇか!!そんでもこうはなんねぇ!!」
ノゲシが勇者へと唾を飛ばすように、歴史の短いグアルディアンではそのようにして幾ばくかの聖性を得ている。しかし、この町と比べるとどうしても見劣りしてしまうのは何故か。その答えは勇者の中にあった。
彼が顔を合わそうとするたびに逃げられてしまうために確認できていないが、この町で歌っている者がどういう存在なのか。考えられるのは一つである。
「この町で歌ってるのはプレイテリアのカストラートだ」
「そんなっ……!?だってありゃ千年前に滅んだろう!!」
「今と昔の神職を比べれば見劣りするだろうさ。神代は終わったんだから」
「んなもん生きてるわけが!」
「ヨシが話してただろう。神代では死んで体から魔力が抜けると空に登る。……ならば、死体に魔力を持たせて動くようにすれば、それは魔術界では生きているのとほぼ同義だ」
「…………また類似魔術かよ」
「これは禁呪だが原理としては近しいものだ。類似魔術は神の権能を再現するところから始まったものだからな」
この町で信仰されているのが己が封印した魔女だと理解した瞬間、勇者が感じたものはただならぬ恐怖であった。
プレイテリア王の隣に立つあの女の手の上で踊っているような、底知れぬ恐ろしさ。本来であれば神代と共に時代から消えるはずのものがここにはありすぎるのだ。
それは彼にとって懐かしくもあり、戦いを想起させるものだった。
「プレイテリアのカストラートが、プレイテリアと同じ資材で作られた町で歌う。それはもうプレイテリアそのものだろう?……私たちが泊まっているのはそういう、神話大国の皮を被った魔王の膝下なのさ」
「逃げるなら今だぞ」と、勇者は立ち上がり窓から見える町並みを見た。今なら馬もあるし、幸いなことにここは中心街から一番離れた場所だ。いざフルムーンが始まってしまっては、それどころではないという予感も彼の中にはあった。
それでもノゲシがこの町に止まる理由があるとするなら、それは未だ帰らない仲間のことが心の隅にあるからだろう。だが、ヨシが杖を切られ、ナズナが魔術を暴発させた事を勇者は知っている。無駄死にしたくないのならと、ゆっくりと彼は口を開いた。
「昨晩、ヨシとナズナがこの町の騎士と戦って死んだ。発端の原因はこちらにある。戻らないのはそういう事だ。変に散策して見つかるのは死体だけだろう」
「なっ……」
勇者は自身が非難されるのが分かっていた。実際、向き直ったノゲシの表情と言ったら酷いものであった。
「なに、非難されるのは慣れてる」彼が自嘲気味に放った言葉がノゲシに届いたのかどうか。今の彼の脳内で処理できる容量などとっくに過ぎている。
「…………後はお前が決める事だ。ここに残るか、去るか。ここはもうじき戦場になるだろう。今回のフルムーンは動くぞ」
皆が神代と呼ぶ、辛うじて神がいた時代の空気に近いものに安堵を抱いてしまってからしばらく。ついに来たかと勇者は考えていた。
月の都に彼がくるたびに歌が聞こえるものの、それは勇者来訪に合わせて歌われているわけでないようだった。ならば、来訪時に歌が止んでいたのは異常と考えるべきであった。なぜ歌が止んだのか。もう歌など必要ないほどに魔術の地盤が出来てしまっているのかもしれないし、必要があって歌を止めたのかもしれない。なんにせよ、普段と違うのなら、来ると考えなければ危険である。その事を彼はよく理解していた。
だが、それは一方の理屈だ。……もし口に出して倫理的に語ったとして、彼には何も伝わらない。
「二人が死んだのか……?あの二人が?だってのにあんたは……、あんたは何もしなかったのか…………?」
「死ぬべくして死んだ。そう言ったはずだ」
両者の間に広がるのは沸き立つような静寂だった。部屋には物音一つしないはずなのに、チリチリと耳元で何かが擦れるような音が聞こえてくる。これが場の緊張がもたらす幻聴なのだとすれば、それはとても愚かな事で、似通った人間が集まって出来たクソのような集団の証明になるのかもしれないと、勇者は立ち上がって武器を構えた。




