一節『伝説、あるいは伝承の続き』1
今日から2章が始まります。
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ルーナン・コリスをよろよろと浮浪者のように歩く女が一人、建物の影にあってもなお目立つ瑠璃の門へと向かっていた。勇者の血を引く、一人の魔術師の名をここで語る意味はあまりないのかもしれない。なぜならば、彼女は死にかけであるからだ。右腕はひしゃげ、一歩を踏み出す度に全身が悲鳴を上げる。意識という意識など等に無く、夢に浮かされた患者という方が正しい気さえするのだ。
町の人々は彼女を一瞥するものの、何か特別な反応を起こすことは無かった。大きな衝撃音、そして重症の、かろうじて魔術師と分かる出で立ちの女に関わって良い事など一つもないだろうことを分かっているからである。そして、この町にそういった者の排除を行う掃除屋が居ることを理解しているからこその傍観であった。
「……はっぁ……は、バっ…………はぁ、はぁ」
息も絶え絶え、目が見えているのかも怪しい女の正面に立つのは、七月の意匠をあしらった法衣を纏う女であり、魔術師の背後にも一人、彼女を挟む家屋の屋根にも一人ずつが立って見下ろしていた。四人の刺客はいずれも無手であるかのように見えたが、武器など一切持たなくとも見る者によれば彼女たちの実力が相応のものであると分かったろう。
既に日は落ち建物の影も伸びきって闇を作り出し、純白の法衣は景色に浮きたって見える。不明瞭な視界のナズナから見れば、それは闇夜に輝く月のように見えたのかもしれない。
「……ま、術師?……まじゅつし?」
自身が放った言葉の意味を彼女自身理解などしていないだろう。そんな余裕すらなかったに違いなく、自らの肉体を魔術が貫いたのすら知覚出来ていなかった。
魔術師であり、勇血。それが彼女の全てであった。だと言うのに、死の間際──命の尽きる最中で、自身の過去を振り返る暇すらなく、一人の魔術師が己のアイデンティティと共に世界から消え去った。
あまりにもあっけない終幕。瑠璃の門を潜り、ルーナン・コリスに入り、一日にも満たない間に失われるにしてはあまりにももったいない力だ。グアルディアンの価値観で考えれば、の話しだが。
そして深手の魔術師がもう一人。スラムの端で震えて蹲っている。
その未来の風景が脳内に映っているのだろう。掃除屋たちは次なる獲物を探して歩き出した。その歩みに迷いが無いのは、大いなる七月の女神が夜空から道を照らし出し、それに沿って歩くだけで顔を引きつらせた対象物と出会えることを理解していて、次もきっとそうなると信じているからだ。
セレモニーローブにも似たそれを翻し、石で作られた灰色の町を歩いていくその姿はこの世のものでは無いように見えた。
◇
魔術とは貴族の技だ。貴族だけが持つ、神が持つことを許した御業だ。だからこそ私は戦わなければならない。……戦わなければならないのに。
「う、動けぇ……!!私はヒイノコズチの魔術師だぞっ……や、や、やややややれるさ」
体が動かない。震えが止まらない。杖もない。傷が痛い。
魔術師として感情を抑える訓練を血が滲むほどにしてきたが、実戦は己が考えていたよりも酷く恐ろしいものだった。魔力酔いなんてものからはとうに自分を律しているものの、だからこそそれが憎らしく、戦場帰りの同期たちが私に向けてきた恨みの視線の理由も、今なら分かる気がした。
今は無き神話大国プレイテリア。あらゆる神話、冒険譚がこの国から生まれ、いくつもの逸話を残した国に魔王が現れ、神が遣わした勇者がそれを盗伐した。プレイテリア最後の神話であり、勇者フォウ・リーフの門出を祝う物語である。
プレイテリア無き今、フォウ・リーフがどういった人物であり、どういった経緯を経て神に呼ばれる、いわゆる世界の守護者となったのかを知る人は少ない。過去の伝承にフォウ・リーフという名が無かったのだ。だが彼と話してみて、どこの英傑で、どういった話を持った英雄であったのかは想像することが出来た。別の大陸で剣王、太陽神と共に魔王を討伐した話は一つしかない。
その話を知っているからこそ、親たちは口をそろえてこう言うのだ。
「あれは人ではない。神が見せる過去の模写だ。あれを信じてはならない」
あぁそうだ。あれは人などではなかった。恐ろしい化け物だ。人の感情を積んだ神の兵器だった。私の命は救われたが、それだけだったではないか。暗くじめついた部屋で蹲っているのだって彼のせいではないか。勇者が変に口を出さなければナズナだって……、あんなことはしなかった。
無理矢理に神代魔術を使おうとしたナズナはもう助からないだろう。道端で誰にも見られずにひっそりと息を引き取っていてもおかしくはない。いや、楽観は悪い癖だ。……彼女は死んだ。そう考えるしかなかった。
「ちくしょ……何が勇血だ…………何が」
言葉が廃屋に広がっていく。こんな時に唱えているのが呪文ではなく呪詛だというのが情けなく、おそらくは自身と同じ理由で感情を高ぶらせていた彼女を止められなかった自分の無力さを痛感したのだ。
簡単な勝ち戦にすら出ることは無かった。選ばれた魔術師なのだと、信じて疑わなかった。
…………その代償がこれか。
人外の血を継いだ人の果てがこんな終焉だと?
同じ日には神代魔術を再現して見せると汚らしく唾を飛ばして豪語していた人間と同じ存在だと?
考えれば考えるほどに体の震えは強く、思考は良くない方向に進んで行く。だが、その考える時間があったからこそ、私はゆっくりとではあったが立ち上がることが出来た。勇者を頼るのは無理でも、ノゲシならばと、そういう思いがあったのかもしれない。瑠璃の門まで帰るぐらい、私なら出来るはずだ。形だけでもグアルディアンの頂点に近い位置に居た魔術師なのだから。
杖が無くとも魔術は使える。神代魔術の再現までは無理であっても、その後に失われた精霊魔術の再現なら出来るはずだ。どこの神かは分からないが、あの騎士が神代魔術を行使した以上、神に近しい何かは居るはずなのだ。精霊は神に近く、この地に存在しているが目に見えない何かに分類される種である。魔術に一生をかけてきた私に出来ない筈がない。
……心強く、注意深く廃屋を出た次の瞬間。私は再び廃屋の中へと戻されていた。
「ぶッ…………!」
朽ちた家具たちが壊れる音を拾うのすら遅れて処理する耳に、痛覚を閉じてしまったかのように何も感じない肉体。食いしばる歯すらあるのかどうか分からない。
思考も遅れて始まるものの、何かしらの魔術を喰らったことだけ理解すれば、後は長年のルーティンを繰り返すだけだった。
倒れ伏したまま精霊魔術の詠唱を始めた私に、開け放たれた扉を塞ぐように立つ襲撃者は無表情に言うのだ。
「残念ですが、この町でそれは発動しませんよ」と。




