三節『風波の瞳たち』4
私がフリューから力の使い方を教えてもらっている最中、彼女の体が一瞬だけ震え、何かを探すように視線をさまよわせ始めた。それとほぼ時を同じくして、私の耳にどこか懐かしい歌声が聞こえてきた。これはどこから聞こえてくるものなのか、おそらくフリューのそれとは違う理由で、私は居るはずもない歌い手を探す。ただ一度しか聞いたことが無くとも、この声を聞き間違えるわけがない。これは、マザーシプトンの、あの天空に住まう彼女のものである。
「これは」
「ノーザが……っ!」
慌てて部屋を飛び出していくフリューの慌て具合が共鳴を通して私の中で暴れているのが手に取るように分かった。伝わってくる感情は……焦りと危機感、だろうか。絶え間なく発し続けられる彼女の共鳴の波。それは誰かを探すようで、誰かを鼓舞するかの様だった。
この歌が聞こえているということは、事態がそれなりに深刻であることを告げていた。巫女の体を使わずに封印されている本体を動かすという事は体力を、魔力を消耗してしまう。それでもこれが聞こえてくるという事は、そういうことだ。
急がなければならないのに私の脚は動くことなく、自らの装備を確認するために体が動いた。なぜならこの歌は召喚のためのもので、私をこの世界に連れ込んだものであるから。
「マザー……」そんな私の呟きが消え去る前に、私は足元から魔法陣へと吞まれていった。門を模したそれを一瞥して目を瞑れば、今でも思い出す。死の淵から私を連れ出した彼女の顔と、深く体に刻まれた死の感覚を。
「はぁ」
…………あまり味わいたくはない感覚と気持ちだった。
はたして、私を出迎えたのは一陣の風と戸惑いの声である。気配は三つ。いずれも見知ったものだ。
周囲を確認するために瞳を開けば、そこに居たのは勇者の連れの魔術師が二人に、目元を赤く腫らして地面と抱擁しているノーザの姿である。
勇者たちがやって来た目的として私たちが考えていたのは二つで、フルムーンの視察と、グアルディアン王国から逃げ出した半龍の捕縛だ。その一方が目の前に居たのなら、この状況にも幾ばくか納得することが出来た。
まさか中央区の大通にほど近いこの場所でこんな騒動を起こすとは思ってもいなかったものの、人外の域にある力を、それも自国のものをこの町で見かければ、それも仕方のないことなのかもしれない。
私は所詮この世界の住人ではないし、この町以外の場所を知らない。国の情勢なんてもってのほかだ。
ただ分かるのはこの町の名前がルーナン・コリスで、私の騎士という役職の出番であるということだ。
「この魔術は……?!」
「召喚っ!そんなもの禁呪どころか魔法じゃない!!」
「貴方は……どうしてここに……」
たしか二人の名前は……ヨシとナズナだったか。魔術師らしく漆黒のローブを身に纏い、杖を構える姿は一流のそれである。
けれど、私に向けられた二本の杖などまったくもって怖くはなかった。相手が熟練の魔術師であろうと、私を育てたのは何を隠そうマザーシプトン──この町の主にして、魔女。魔王と呼ばれたことすらある怪物だ。彼女は多くを語らなかったが、生きていくために必要なものは全て私の中に保存されている。
剣も魔術も、この世界に来てから、彼女と出会ってから必死になって鍛えたものだ。それはこの町を守るため、彼女の願いを叶えるためである。
鞘から抜き去った剣を眼前に掲げ、今も見ているだろう大空の母へとこの戦いを捧ぐ。
なぜなら私はルーナン・コリスの騎士で、彼女の騎士であるから。
「ここに居る半龍は私の守護下にあり、ルーナン・コリスに住まうマザーシプトンの子である。町内での戦闘行為。および町民に対する攻撃を見逃すことは出来ない」
相手が勇者の連れで、来賓であろうと、そんなものは関係ない。どちらにしても、マザーにとって邪魔な存在であることに変わりがないのなら、ここで少しばかり狩っておくのも悪くはないだろう。
「──星光の名において永遠なる七月の神に願い乞う!月映す鏡面に鋭い輝きを授けたまえ!」
これは過去の神話、伝承を歌によって再現する類似魔術などではなく、神によって発現する神代の魔術。その土地が本来持たない魔力を神の魔力とみなし、大勢の祈りによって月の神として昇華された、長年に渡って発動され続けてきた類似魔術が生み出した、七月の神の魔術。
彼女が本物の神などではなく、虚像なのだとしても、この剣に宿る神気、魔力の輝きだけは本物だ。相手が魔術師なら気が付くだろう。この月光を宿した剣が決してこけおどしの類のものではなく、自らを害するものであることを。
だが、今更何を言われたところで私は止まらないだろう。私の背後にはルーナン・コリスに住まう民が居て、目の前にそれを害する存在が居るのなら、害悪を消し去るのが騎士の仕事だから。
「ルーナン・コリスの騎士さん、貴方は勘違いをしているわ。それは間違いなくグアルディアンの半龍でしょう!」
「そうだ!敵対する理由なんてありはしないだろう!!」
「いいや。元より歓迎されていない者を排除する理由なんて幾らでも出てくるさ。この町に法律はなく、全てがマザーシプトンによって決定されている。彼女が消せと言うのなら、それはもう決定事項だ」
「グアルディアンを敵に回すつもりか!!ここは互いに引くべきだろう!事情ならいくらでも話そう!」
半龍の力、それらがもたらす成果とやらをフリューから聞いた今だからこそ、この二人の気持ちも分からなくはない。ましてやグアルディアンは戦争中だ。力はいくつあっても構わないだろう。だが、それは強者の理屈にすぎない。ルーナン・コリスなどグアルディアンが本気を出せば潰せるのだという脅しも、そういった強者の自信から来るものだろう。
結局前線を張るのはただの村人たちであり、多くの命がそこで消えていくというのに。
そもそもが、マザーが居た国を滅ぼしてなお戦争をしている時点で察するべきなのかもしれない。書物に記された神代の国々は大抵が平和な時間を教授していたというのに、どうして同じように出来ないのだろう。
神が消え、人外の力に手を伸ばしたくなるのは分かる。それでも、非人道的行為に手を伸ばし人間を辞めてしまってはおしまいではないか。
人は何にだってなれる。
マザーが私にかけた言葉を胸の中で反復させる。人は何にだってなれる。そうだ。その可能性を私たちは秘めている。たとえ、人外の力が無くたって、それは変わらないだろう。
人が龍になったところで人は人で、魔女も魔王も元をただせば一人の人間でしかない。だというのにそれを忘れて他人を見下し、己の力がどこでも通じるのだという勘違い野郎は……ここで斬る。
鋭く地を蹴りだした一歩が自身の予想より大きかったのは共鳴しているからだろうか。妹の無事を願うフリューが、七月の神殿の上で市街地を見守るトウカが、この町の主人であるマザーシプトンの共鳴の高波が、私の力を高めるからだろうか。
剣から引かれる銀線は箒星のように。月光を纏った一本の剣は残光を景色に刻みつつ、手近に居たヨシの杖を切り飛ばし、彼の首元に食らいつかんと迫る。




