三節『風波の瞳たち』2
フリューがステラに龍血の力の使い方を教えているのを、彼女の妹であるノーザは快く感じてはいなかった。
龍血とは水であり鉱石である。
己が身を食い破らんと体表に突き出してくる血の塊が鉱石だと言ったって、誰もそれを信じようとは思わないのだろう。だが、一度その者の死を目にすればその価値に気が付いてしまう。それまで痛々しく見えていた血の鉱石は金と銀とに変わり、皮膚は祖先を思い出すかのように鱗が生えてくる。生きている間は娼婦なり兵器なり好きに使い、その後も所有者の懐を潤わせるのだ。そんなところから逃げ出してきたのだと言うのに、あの姉は同じことを繰り返しているのだから、彼女の内心はとても穏やかと呼べるものではなかった。
ステラが欲した龍の力というのは、つまるところ三つ。
共鳴、変質、再生。
人が扱う魔術よりも根が深い、魔法の域の代物。それを人の身に宿すという事の恐怖を彼女たちはよく知っていて、だからこそ誰かに利用されるのを恐れる。だというのに……──
「──姉さんの事が分からなくなってきたな……」
ぼそりと、内心に秘めた思いに蓋をして、彼女はゆっくりと扉を閉めた。
幼いころから共鳴で繋がっていた二人だ。内心どう思っているのかなど、手にとるように分かってしまう。だから、本当はフリューがどう考え、どう行動に移しているのかなんて、言葉に出して聞くまでもないことだった。ふらりとシプトンからもらった敷地をノーザが出ていくのも、姉は知っているのだろう。
フリューは私たちを守りたいのだ。ルーナン・コリスは国ではなく、ウザったい法律なんてものもない。貴族が住んでいそうな家があったとしても、そこに貴族が住んでいるわけではなく、私や、スラム上がりの孤児がだだっ広い、家具のない部屋でゆっくりと過ごしている。そんな日常を守りたいのだと、ノーザは心の中に広がるフリューの思考の残滓を胸に満たして背後を振り返った。
何度見ても大きな家だ。急に姿を見せたかと思えばあっという間に生活の全てを変えてしまったステラという騎士。その庇護下に入ることを姉が望んだのなら、それは巡り巡って自分自身のためになるのだと、彼女はそうやって自分自身を納得させるしかない。
共鳴とは、自分の心の中に他人を住まわせるようなものだ。
自分が奮い立てば、心の中に住んでいる人も奮い立つ。逆もまたしかりで、自分が弱っていたとしても、共鳴によって立て直すことが出来る。共鳴相手がどう考えているのかや、どこに居るのかだって何となくで分かるし、この妙な感覚に慣れてさえしまえば心強い味方となってくれるだろう。
ただし、共鳴によって深く繋がっている人物以外と共鳴が起これば、心内環境は酷く荒んでしまう。これは二人で単一の波長を出しているところにノイズが混ざるようなもので、本来の龍が持ち合せていた、群れを認識するためのものであった。
「雨は…………、降りそうにないかな……」
薄汚れた白のローブで頭頂付近の角を隠すノーザの心の中に居るのは、ずっとフリューだけであり、それはこれからも変わりはしないのだと、彼女は信じている。どれだけ辛いことがあろうと、姉によって、共振によって、何度も立ち上がってこれた。
しかし、フリューの中には住人が増えたようだった。
人から半龍となった異物。三人が初めて顔を合わせた、雨の日のスラムで起こった生きるための足掻きが、いまさらになって彼女の胸に靄をかける。
生きるために他人を受け入れる。綺麗な言い方をしたところで、やっているのは売春に過ぎず、フリューも、ノーザも、スラムで生きる全ての女が一度は経験したことがあるだろう事だ。そこから彼が半龍になり、肉体の繋がりが共鳴の繋がりへと変わってしまった。少しずつ変化していく姉の波長に、ノーザは知らず知らずのうちに危機感を覚えていたのかもしれない。貴方は私から姉を奪い、一人にしてしまうのか、と。
「まぁ……私は繋がってはないから、彼に伝わりはしないのだろうけれど」
姉と、血の繋がっていない家族たちと綺麗な家に住んで、食べ物にも困らない。雨風に困ることもなく、雨も止んでフルムーンの祭りも近い。騎士とこの町の長がフリューを通してバックに立っているのだから、何も心配することは無いはずなのに……、この胸の寂しさは何なのだ。
移り変わっていく日々が恐ろしい。変質だって、龍の力の一端のはずなのに。
「全てが平凡で、全てが平和で、全てが平坦な…………、ただ一人の少女として見てくれたなら」
それは叶わぬ夢だ。なぜなら自分の血には龍が潜んでいて、今も皮を脱ぎ捨てんとばかりにズキズキと存在を主張するのだから。
人とは違う道だ。普通とは相容れぬ存在だ。研究所という名の牢屋で生まれ、母は金と銀に埋もれて死んだ。魔術に縛られて自我を失った、父とは名ばかりの龍もどきの竜は何の感情も持ち合わせておらず、ただ空虚な感情が双子の間に満ちて、己の死後を連想させた。
もはや普通の人間ですら憎く思えてしまうほど自分たちは必死だったのだと、これまでの苦労を脳裏に走らせれば、彼女の姿はルーナン・コリスの表通りにまで出てきていた。
フードを被ってこそいるものの、活気ある場所に姿を見せられる喜び。姉がこれを守ろうとしているのなら、自分もその意思を持ちたい。共鳴で繋がっているからこそ、その想いは余計に彼女の中で育っていた。
もう誰にも邪魔はさせない。
そうして頭を上げた彼女が見た者は、いかにも貴族で、いかにも魔術師で、自分が逃げてきたグアルディアンの紋章を引っ提げた女だった。




